世界で一番幸せな日の周辺で
渡会家では、いつもあぶみが終い湯を使うことになっていた。風呂の残り湯を洗濯に使うためである。
脱衣所においてある洗濯かごには、湿った父の服が無造作に放り込んであった。ついさっき通り過ぎたばかりの台風による雨が雨具を通してしみ込んだのだ。
「あの子たち、このお風呂によく三人で入れたわね……」あぶみは、そんなことを思いながら湯船に肩まで浸かってくつろいでいた。
今、外は静かになっている。
「ひびきちゃん、まだ、厩舎かしら? あの子は、とても働き者だわね。あたしなんか、とても真似できないわ……さて、洗濯もしないと――」
湯船を出ようと立ち上がると、水滴がいくつもの玉となって、あぶみの肩を転がり落ちた。
あぶみは風呂から上がりガウンを羽織ると、手桶で湯船の湯を洗濯機に移し洗濯を始めた。
父の着ていた物を一枚ずつ洗濯機に入る。そのたびごとに馬の汗の匂いと男の汗の匂いが入り交じってほのかに漂った。あぶみは、この匂いが嫌いではなかった。お父さんがあたしたちのために働いてくれる――そんな実感のする匂いだった。
あぶみが洗濯機のたてるゴウンゴウンという音を聞いていると、ひびきが脱衣所に入ってきた。
「あら? まだ起きていたの?」
「あ、うん。厩舎の様子見てたから」
ひびきは答えながら、あぶみの後ろで着ている物を脱ぎ始めた。
「上がったらお湯を落としておいてね」
あぶみはそう言いながら、ふと気がついた――あら、お父さんの匂い……。
振り返ると、後ろ姿のひびきのうなじに小さな痣があった。
(了)
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