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その日、渡会牧場にて

もくじ


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プロローグ・その日の前夜

「あんた、まだ二歳じゃんかねー」
 ひびきはヒコの馬房の前にしゃがんで、ほおづえをつきながら目の前の仔馬に話しかけた。駿平が帰ってこないなら売れない馬を抱えてはいられない、と母千草は、体質の虚弱なヒコの処分を宣告したのだった。普段はリアリストのひびきでも、せっかくこの世に生を受けた仔馬が二歳で生涯を終えることになるのは、悲しいことだった。ひびきは、この悲運の仔馬をじっと見つめていた。
「あんたって――案外、眼が死んでいないね……」


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その日、午前六時

 翌朝六時、ひびきはリビングのアドレス帳から駿平の実家の住所と電話番号を書き写した。台所では、姉のあぶみが鼻歌混じりで朝食の支度をしていた。
「お姉ちゃん、あたし、ちょっと東京へ行って来る」
「まあっ!」
 あぶみは、ひびきの突然の言葉に驚いたが、きっと、自分のしたいことがわかったのだと気がつくと、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「ひびきちゃん、ちょっと待っててね」
 言うが早いか、あぶみは、食事の支度をテーブルの上に並べると、おかずを少しずつ手際よく弁当箱に詰めていった。
「はい、お弁当。それから、お姉ちゃんが駅まで送っていってあげるわ」
「ええっ、歩くからいいよぉ……」
 ひびきは当惑気味に答えた。
「何言ってるの、ひびきちゃん。駅まで歩いたら三時間はかかるわよ」
「お父さん、三十分ほど出かけてきます」
 あぶみが夫婦の寝室に声をかけると、父健吾の「おお、そうか」という返事が返ってきた。


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その日、午前七時

「おはよー」
 たづなが玉暖簾(のれん)をくぐってダイニングに入ってきた。
「あれっ、あぶみちゃんは?」
 朝食時にひびきが朝飼に出ていていないことはよくあったが、あぶみがいないことはなかった。
「じき戻って来るっしょ」
 千草の言葉が終わるか終わらないかのうちに、軽自動車の軽いエンジン音が聞こえてきた。
「ただいまー。」
 玄関であぶみの声がした。
「あぶみちゃん、どこへ行ってたの?」
「うふふ、ちょっとお砂糖がね……」
 にこやかに笑うあぶみに煙に巻かれたようなたづなだった。

* * *

 その頃、ひびきの立つ静内駅のプラットホームに上り普通列車が滑り込んできた。


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その日、午前十一時

 どうやら、渡会牧場内にひびきがいないらしい、たづなは薄々感じ始めていた。
 たづなは、戸板の運転する軽トラックに乗って育成牧場の方へ行ってみた。
「橋野さーん」
「おう、たづなちゃん、どうした?」
「ひびきちゃん、見ませんでした?」
「ひびきくんか、確か今日は出かけるんで牧場の方は休むって、奥さんが言っていたな」
「そうですか。……橋野さん、ひびきちゃんがどこへ行ったか知りませんか?」
「それは知らないな」
 橋野は、はっはっは……と、いつもの笑いをしていた。

 たづなはぶらぶらと歩きながら、繁殖部門の放牧地まで戻って来た。
 梅ちゃんが競馬新聞を読んでいた。
「梅さーん」
「たづなちゃんやないか、どないしたん?」
 梅ちゃんが新聞から顔を上げて言った。
「ひびきちゃん、どこへ行ったか知りませんかー?」
「そやなー、朝飼のときにあぶみはんと車に乗ったのを見かけたなー」
「ええっ!それ、ほんとですか!?」
 たづなは、梅ちゃんへ駆け寄った。
「どこへ行ったか知りませんか?」
「それは、わからへんなあ」
「そうですか……」
 たづなは、何が起きているのかまだわからないでいた。
 しかし、梅ちゃんにはひびきがどこへ行こうとしているのか見当がついていた。昨日の朝飼のとき、ひびきは、自分をまるで背格好が違う駿平と錯覚していたのだった。そんな勘違いを見逃す梅ちゃんではなかった。

* * *

 ひびきは、新千歳空港で一時間ほどキャンセルを待った後、羽田空港へ向けて飛び立った。


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その日、午後一時

「たづなちゃん、ケンさんのところにも来たんか」
 寮での昼食で梅ちゃんと橋野が一緒になった。
「ひびきくんの行方を気にしていたなぁ。はっはっは。それにしても、ひびきくんが牧場へ来ないなんて珍しいじゃないか」
 相変わらず高笑いをしている橋野に、梅ちゃんは声をひそめて言った。
「ひびきちゃん、きっと東京やで。駿平くんを迎えに行ってるんや」
「おいおい梅ちゃん、いきなり東京へ行っているというのか? ひびきくんがそんな無茶苦茶なことをするわけがないじゃないか、はっはっは」

* * *

 しゅーっという音を立てて扉が閉まると、ひびきを乗せたモノレールは羽田空港駅を滑り出していった。


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その日、午後三時

 たづなは、自室にいた。勉強机に向かって考え事をしていた。一つはひびきのことである。
 ひびきが今まで牧場の仕事をほったらかしにして出かけることなんて、滅多になかった。それが今日は朝からいないのだ。きっと今日は一頭の馬の顔も見ていないに違いない。こんなことは、今までなかったことだ。
 いったいどうしたのだろう?
 そして、たづなの考え事のもう一つは駿平のことである。
 駿平は、なぜ突然飛び出していったのだろう? 確かに乗馬の練習は、ひびきの指導のきつさもあって、はたから見ているととても辛そうに見えたし、事実、駿平には生傷が絶えなかった。しかし、だからといって、突然逃げ出すだろうか? 駿平は乗馬に熱心だったのだ。
 いったいどうしたのだろう?
 何が起きたのか、たづなにはいくら考えても見当がつかなかった。

* * *

「さんざん大口たたいておいて、こんなとこで何やってんのさ!」
 ひびきは、児童公園で無気力に横たわる駿平を発見した。
「どうすんの?帰るの?帰らないの?」
 二者択一を迫るひびきに、駿平は余計なことを考える間もなく「帰る…」と答えていた。


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その日、午後七時

「ねえ、ひびきちゃんがどこに行っているのか誰も知らないの?」
 夕食の食卓でたづなが執拗に問いかけた。健吾は本当に行き先を知らず、千草はじっとたづなの様子を窺っているだけだった。
「ひびきちゃん、本当にどこに行ったのかしらね?遅いわねぇ……」
 あぶみは、さも心配している素振りを見せていたが、実のところひびきが夕飯までに帰ってこられないことを知っていたので、ひびきの分のおかずは配膳していなかった。
「きっとしっぽを迎えに行ったんだ」
 ひづめの妄言が始まった。
「あーん、東京へ行くんだったら、あたしを連れていけばいいのにぃー。ひびきちゃん一人じゃ、絶対迷子になってるよーっ。いでっ」
 たづなからゲンコが飛んできた。
 夕食後、あぶみは後かたづけ、たづなと千草はダイニングでお茶を飲んでおり、健吾は詰め将棋、ひづめはテレビゲームに夢中になっていた。
 電話が鳴った。たづなが出ようとしたが、受話器を取ったのは健吾だった。
「お、ひびきか。……そうか……千歳に十時頃だな、わかった」
 健吾は、受話器を置くと千草に、
「かあさん、ひびきを迎えに行ってくる」
 と言うと、千草は、 「あら、そう? 行ってらっしゃい」
 とだけ、返事をした。
 たづなは、「千歳」という言葉を聞き逃さなかった。

* * *

 ひびきは、羽田空港で運良く千歳空港行き最終便に乗ることができた。搭乗手続きを済ませると、自宅へ電話をかけた。
「もしもし、お父さん? あたし、ひびき。……今、羽田空港。十時頃千歳に着く。……それで、悪いんだけど…千歳空港まで迎えに来てくれないかなぁ……うん、ありがとう」


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エピローグ・その日の翌日、午前一時

「ただいま」
 玄関から声をかけたのは健吾だった。一緒に帰ってきたひびきは、無口だった。
 たづなが二階から駆け下りてきた。
「ひびきちゃん、どこへ行ってたのっ」
「どこでもいいっしょっ」
 ひびきの答えはつっけんどんだった。しかし、このとき、たづなは気が付いていた。ひびきは駿平を迎えに東京へ行っていたことを、そして、自分の姉がライバルだったということを。

 二日後、駿平が戻ってきた。

(了)


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ふろく/その日の時刻表

時刻表
往 路 復 路
静  内発 7:47飯  能発17:00頃
苫 小 牧着 9:20池  袋着18:00頃
発 9:25浜 松 町着18:30頃
南 千 歳着 9:45羽田空港着19:30頃
発 9:51羽田空港発20:15
新千歳空港着 9:55新千歳空港着21:45
〃 発11:20
羽田空港着12:50
浜 松 町着13:50頃
池  袋着14:20頃
飯  能着15:20頃

 このおはなしは、掲載当時の時刻表(右)を参考にしています。