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無限の始まり…

もくじ


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 七月末のある晴れた日、あぶみはいつものように応接間の掃除をしていた。
 前日は駿平の両親が不意に訪れ少し驚いたが、もともと客をもてなすことは好きだったし、それが駿平の両親なら、なおさら歓迎だった。
 あぶみがテーブルを拭いていると、ドアを一枚隔てた事務所からひびきとたづなの声が聞こえてきた。会話の内容はわからなかったが、語気から言い争いをしていることがわかった。
 あぶみは、
「あのふたり、性格がまるっきり反対だからすぐ喧嘩になるのよね。もう少し仲良くできないのかしら」
 と、呟いた。

 事務所から物が続けざまに投げられ何かに当たる音がしていた。ひびきもたづなも大声になっていた。
「ひびきちゃんとたづなちゃんが駿平くんのことで喧嘩になっている!?」
 あぶみには、たづながこの瞬間失恋したらしいことがわかった。一年前、牧場を飛び出していった駿平を迎えにひびきが単身で飯能まで行ったときから、遅かれ早かれこういう日が来る予感はしていた。しかし、自分がその場にいるとは思いもよらなかった。
 たづなが、怒りながらも目にいっぱい涙をためて応接間に飛び込んできた。
「いい気なもんだわ! ひびきちゃんとグニャグニャしてればいいわ!!」
 後ろに困った顔の駿平がちらりと見えたが、ドアは力まかせに閉められた。たづなの言葉は駿平に投げられたものらしい。
 あぶみは、この傷心の妹をいたわることが、今いちばん大切なことだと思った。昔から姉として妹たちを支えてきたのだし、それが自分の務めであると信じていた。
「どうしたの? 大声で言い争いなんかして――」
「なんでもない!」
 短く言い放たれたたづなの答えは、あぶみにとって意外だった。
「なんでもないんだから、ほっといてよ!」
 止めどなく流れる涙を拭おうとせず、それでもたづなは姉にすがろうとしなかった。
 心細いだろうと思われる妹に「ほっといてよ」と言われたあぶみは、かえって戸惑った。


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 それから数日が経った。
 あぶみは、たづなの食欲があまりないのに気がついていたが、たづな自身はあくまでも明るく振る舞おうとしていたので、あえて何も訊かずにいた。一方、時折ひびきの口元がほころんでいるのにも気がついた。二人の妹が目の前で明暗を分けているのはあぶみにとって辛かったが、どうしようもないことだった
 それにあぶみにはもう一つ重大な問題があった。
 繁之である。
 自分の酒癖が原因で破談になったと思っていた見合いの相手が二年近くも経ってから、交際を申し込んできたのだ。
 いろいろなことに長じて積極的に行動する繁之は、今まで「甘える」ということを知らなかったあぶみとって、とても頼もしく見えた。
 毎週日曜日の午後は繁之が迎えに来て、食事に連れて行ってくれる。ほんの数時間の逢瀬だったが、静内の街からほとんど出たことのないあぶみにとっては、よい息抜きになっていた。
 しかし、つき合いを重ねていくうちに繁行の「家」が重荷に感じられるようになってきた。繁之の父はホテルをいくつも所有し、繁之の兄弟をはじめ一族がみな高学歴の中で、小さな牧場の、しかも家事しかやっていない自分がかなり異質に思われた。
 八月最初の日曜日。まもなく繁之が来る。
 夕飯の支度を終えたあぶみは、鏡台の前で化粧をしながら考えていた。
「あたし、自分の気持ちがあやふやなままで、周りに流されているみたい。でも、繁之さんだって悪い人じゃないし、傷つけたくないわ。相手が悟さんだったら、もっと気楽にしていられるのに……」
 あぶみは、昼間ひょっこり顔を見せた悟を思い出した。悟の実家はトップブリーダーの醍醐ファームである。悟と繁之は有名な実業家の子息であるという点では大して変わりがないはずなのだが、悟と話をしているときは気安くしていられた。
「悟さんに『繁之さんの婚約者』と言われたとき、どうしてあたしは否定できなかったのかしら。あたしは婚約するつもりなんてないのに……。でも、悟さんの言葉をさえぎるのも悪いわよね」
 鏡台の前で一回りして服装をひととおりチェックし終えたとき、繁之が迎えに来た。


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 八月中旬、札幌で開催された新馬戦に渡会牧場の産駒と繁之の父が新たに買った馬がデビューし、繁之の父が主催する恒例のパーティが開かれた。
 あぶみも繁之の交際相手として招待されていたが、パーティ会場で大勢いる見ず知らずの人の前に出るのは不安だった。不安を紛らわそうとワイングラスを何杯も空にすると、自分のことを繁之の婚約者呼ばわりする人たちと適当に言葉を交わしておいた。
 気がつくとパーティ会場の隅に置かれたテーブルについていた。そういえば父に「ここで酔いをさましてなさい」というようなことを言われたような気がした。
 あぶみの目の前を悟がふらふらと歩いていた。あぶみと同様、飲み過ぎているようだった。あぶみが悟を呼び止めると、悟はあぶみの前に座った。今まで別世界の住人のような人に囲まれていたあぶみは、知っている人を前にしてようやく寛ぐことができ、同時に不慣れなパーティで自分が疲れたことに気がついた。
 悟の「お疲れですか?」という言葉に、あぶみは隠していた本音を出していた。
「本当は、大勢の人の前に出るの、苦手なのよ」
 ――あれ、あたし、悟さんを相手にこんなことをしゃべってる。いいのかな――あぶみは、悟に話しかけている自分自身を他人のように感じていた。
「結納の話なんてねぇ。どんどん進めちゃうのよー。あたしはもっとゆっくりの方がいいなぁ……」
 ――悟さん、こんな話おもしろいかしら。あたしのこと、変だって思わないかしら――しかし、「しゃべっているあぶみ」は「思っているあぶみ」のことに少しも構わずしゃべり続けていた。「思っているあぶみ」も、だからといって、しゃべることをやめさせようとはしなかった。


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 何件か店を変えて飲みながらも、あぶみは自分のことを話し続けた。物心ついた頃からひびきと佑騎の喧嘩の仲裁ばかりしていたこと、中学生になった頃に父親から家事全般を教わったこと、佑騎が新人王争いに最後まで残って嬉しかったこと、ひづめがちっとも家の手伝いをしないこと……。あぶみには大しておもしろくない話に思われたが、悟は熱心に聞いていた。それがあぶみには嬉しかった。――この世に自分のことを知っている人がいる――そう思うと気分が楽に<なってきた。
 あぶみが最後に時計を見たのは、まもなく午前三時になろうとしているときだった。あぶみは、すっかり見当識をなくしており、悟のマンションにいることだけを辛うじて認識していた。悟は、テーブルに伏せて泣いていた。何か長い間追いかけていた大切なものを失ったらしい。それが何なのかあぶみにはわからなかったが、悟の悲しみに自分の胸も痛かった。

 あぶみが「もう、寝るわ」と言ってドレスを脱ごうとしたとき、悟はあぶみを自分の寝室へ案内し、悟自身は再びリビングへ戻っていった。

 翌朝、というより二時間後、あぶみは悟に起こされた。
 最初は自分がどこにいるのかよくわからなかったが、シャワーを浴びているうちに札幌の悟のマンションにいることを思い出した。前夜に何を話したのかさっぱり思い出せないでいたが、心が軽くなっているような気がした。しかし、やがて家のことが心配になってきた。妹たちが朝食抜きになっておなかを空かしているのではないかと思うと居ても立ってもいられなかった。
 それから一時間後、あぶみは悟の車の助手席に乗り込み……寝ていた。
 家に帰ると炊飯器にごはんが一人前ほど残されていた。たづなが朝食の支度をしたらしい。あぶみは、自分がいなくても渡会家の朝は、やっていけることを知った。


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 あの日――ひびきとたづなが大喧嘩をした「あの日」から一ヶ月が過ぎた。
 ひびきと駿平の関係は順調のようだった。あぶみは牧場の方へあまり行かないので二人が一緒にいるところを目撃することはほとんどなかったが、家にいるときのひびきの立ち居振る舞いに以前のようなどことない不安定感がなくなり、落ち着きが感じられるようになっていた。
 一方、たづなは立ち直りつつあったが、それでもたまに寂しげな目をしていることがあった。そんなたづなの唯一のストレスの解消は、ひびきをからかうことにあるようだった。リビングで毎夜のごとく繰り広げられるひびきとたづなのやりとりを、あぶみは台所で食事の後かたづけをしながら聞いては「学校にもすてきな男の子はいるだろうに……」と思うのだった。
 そんなある日、あぶみがそろそろ昼食の支度をしようと台所に行くと、ひびきがサンドイッチを作っていた。
 耳のついたままの食パンにマーガリンを塗って、朝食の残りのサラダを挟んだだけの見てくれのあまりよくないサンドイッチだったが、ひびきが自分で弁当を作っていたことが画期的だった。
「あら、ひびきちゃん、珍しいわね。お昼、家で食べないの?」
「うん、今日は寮で離乳スケジュールの打ち合わせだから。これからもときどきこういうことがあるかも……」
 ひびきは頬を赤らめながら答えた。あぶみは、ひびきが寮で昼食を食べる本当の理由について察しがついたものの、「そう……」と短く返事をした。
 その日の昼食は、たづなもひづめも新学期が始まっていたため、あぶみと両親の三人だけの食卓となった。家族七人が揃って食事ができるよう大きなテーブルがしつらえてある食堂は妙にがらんとしていた。


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 静かな昼食が終わると、あぶみは自分の部屋に入り鏡台の前に座った。
 あぶみは、寂しかった。
 幼い頃から妹たちの世話をし、大きくなってからは炊事や洗濯など家のことをこなしてきた。それは、あぶみにとって「仕事」とか「趣味」とかいう次元のことではなかった。「家事」は「あぶみ」がこの世に存在する「理由」だと思っていた。少なくとも、あぶみ自身はそう信じていた。そして、この日常が家族とともに永遠に続くものと思っていた。
 しかし、妹たちが成長して行くにつれて、「日常」は変化していった。
 いつかこの家族がばらばらになってしまう日が来る――数年前に弟が家を飛び出したときには、「いつか遠い将来のこと」として感じていたことが、最近のひびきとたづなを見ていると、「まもなくのこと」のように思えてきた。
 あぶみは、しかし、寂しいだけではなかった。
 繁行との交際を重ねていくにつれて、「外の世界」を知るようになってきた。それは同時に、「妹たちの世話をしない自分」があり得ることを知ることだった。
 ――あたしは、ひびきちゃんやたづなちゃんの「お母さん」じゃない。同じ場所にいる「姉妹」なんだわ――このことに気がついたとき、あぶみは、家族とともに続く「永遠の日常」が終わり、茫洋と広がる自分自身の「無限の可能性」が始まろうとしていることを感じた。

 あぶみは、鏡に映った自分に呟いた。
 「結婚しちゃおうかな……」
 具体的に誰とという「想い」はなかったが、あぶみには自分にふさわしいパートナーがとても身近にいる予感がしていた。

(了)


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あとがき

 あぶみさんを主人公にしたお話の第二弾です。今回は、STEP 195 p.4 2コマめのあぶみさんのセリフ「そう…」の「…」の部分にインスピレーションを得て書きました。完成まで約5時間と、まあ、比較的一気に書き上げましたね。
 最初は、妹たちがあぶみさんの保護から離れてゆくことに、あぶみさんが少し寂しく思った……と、いった感じにしようと思ったのですが、できあがったら、あぶみさんのターニングポイントみたいなエピソードになってしまいました。
 会話の部分が少ない理屈っぽい話になってしまいましたが、どうでしょう? (平成10年11月15日)