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Birthday Eve〜前夜祭〜

もくじ


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一九九九年四月一日木曜日

「母さん、リビングの荷物整理は終わったよー」
 大樹がリビング・ダイニングルームからカウンター越しに声をかけると、シンクの下から母がひょっこりと顔を覗かせて応えた。
「大樹(ひろき)、ごくろうさま。キッチンももうすぐ一段落するから、そうしたらお茶にしましょ」
「じゃあ、オレは志保(しほ)の様子を見てくるよ」
 そう言うと大樹は片付け終えたばかりのリビング・ダイニングを眺めた。真新しい部屋に運び込まれて来たテーブルや本棚が居心地悪そうに置かれていた。家具が家に馴染んできて昔からそこにあったように見えてくる頃、新しい街での暮らしも落ち着き、そこが自分の街と言えるようになる。何回か引っ越しを経験すると「ふるさと」と呼べる土地に心当たりはなくなるが、「自分の街」ならいくつでも挙げることができた。
 長岡(ながおか)志保の家族は父の転勤に伴って大阪市郊外のニュータウンに引っ越してきた。父は異動初日から出勤しなければならなかったので新潟の大学に通っている兄の大樹が帰省を兼ねて手伝いに来ていた。

 志保の部屋は東向きの洋間だった。窓から一駅離れたところにある大きな公園の森が見える。部屋には、机、ドレッサー、ベッドがきちんと据えられ、その間に段ボール箱が五、六個無造作に置かれていた。志保はその真ん中に座っていた。
 志保が最初に開けた段ボール箱にアルバムが入っていたのが運の尽きだった。志保は、ちょとだけ、と思いながらずっとアルバムに見入って午前中を過ごしてしまった。
「志保ー、はかどってるかー?」
 突然、兄の大樹が勢いよくドアを開けた。志保は咄嗟に、
「きゃー、なにするのよーっ! えっちー、変態ー、ばかヒローっ!!」
 とまくし立てると、大樹は慌てて、
「あ、ごめんごめん……」
 とドアを閉じかけたが、再び開けた。
「……って、おまえ、見られて恥ずかしいことなんかやってないじゃないか。それにオレはおまえにヒロ呼ばわりされるいわれはない」
 大樹に言われて志保は慌てて口を押さえた。――ちょっとー、なんでここでヒロの名前が出て来るのよ。あたしのお兄ちゃんは技術系の国立大学に一発合格を決めた秀才なんだからねー。ヒロなんか足元にも及ばないのよ。
「ふん、いろいろと困るのよ。まったくデリカシーのない兄なんだから」
 志保は辛うじて言い返した。
 大樹は部屋の中を見渡した。志保の傍らに開いた段ボール箱がひとつあるほかは、すべて未開梱のままだった。 開いた段ボール箱から数冊のアルバムが取り出されていた。
「ははーん、さては、さぼっていたところを見られたくなかったんだな」
「な、なによー。ちょっと休憩していただけじゃないっ」
「はいはい、休憩ね。でも、『ちょっと』の意味は辞書で調べておいた方がいいぞ」
 ――まったくムカつくお兄ちゃんねー。ヒロと同じよ。あたしにとって二大天敵よねー。


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 志保がむくれていると、大樹はそばにあった段ボール箱に強度を確かめるようにそっと腰掛けながら言った。
「おまえ、大学受験全滅したんだってな」
「へへん、あたしの実力を思い知ったか」
 志保は胸を張って答えた。どうせ最初から合格する気がしていなかったのだ。
「オレが思い知ってどうするんだよ? それにおまえ、本当は実力を出し切っていなかったんじゃないのか? 高校受験のときは鬼気迫るものがあったからなー。よく、あの高校に合格できたものだよ」
「……お兄ちゃん、何が言いたいのよ?」
 志保は探るような目で大樹を見た。
「褒めてるんだよ、おまえの底力を」
 志保が志望した高校は、担任の先生から「絶対無理だ、オレが保証する」と言われたくらい志保の実力にそぐわなかった。――全く失礼な担任よね。こうなったらあんたの『保証』とやらを覆してやるわよ。
 志保がその高校にこだわったのは仲良しのグループがそろって受験するからだった。神岸(かみぎし)あかり、佐藤雅史(さとうまさし)は、合格確実と言われていた。二人に続いて、藤田浩之(ふじたひろゆき)、つまりヒロが合否ギリギリのようだった。
 いつも四人で受験勉強をした。大抵はあかりと雅史が先生役だった。そして志保とヒロが生徒。志保はヒロの真剣な横顔を盗み見ては、あたしも負けられない、絶対合格してやる、と思っていた。
「おまえさ、わざわざ大学へ行ってまでしてやりたいことって、ないんだろ?」
 と、大樹が話を続けた。
「何よー、失礼ねー。あたしだって大学でやりたいことくらいあるわよ」
 とは言うものの、志保には大学に行くための目標なんてなかった。ただ、まだ社会人になりたくなかっただけなのだ。受験生の多くは同じことを思っているはずだ。「真の志望動機」なんてランキングがあったら、ぶっちぎりの一位に輝いているだろう。
 大樹が言った。
「学生やらせてもらっているオレが言うのも何だけど、大学が全てじゃないぞ。第一、おまえは机にしがみついて勉強するタイプじゃないだろ?」
 確かに大樹の言うとおりだった。高校での志保は勉強なんかそっちのけで、あちこちで噂になる前の噂話を仕入れてきては、『志保ちゃん情報』などと言いながらあちこちで吹聴してまわっていた。じっとおとなしく勉強している姿は自分でも思い出せない。
 それでも志保は大樹に図星を指されたことが気に入らなかった。
「何よー、偉そうに。まるであたしの兄みたいな口振りじゃないのよ」
「兄だよ。まったくベタなボケをかますなあ。いいか、志保。おまえ、何で『志保』って名付けられたか知ってるか?」
「何の意味もないって。語感がいいからだって、ママから聞いたわよ」
「おまえの名前は、志(こころざし)を保つ、いつも目指すものを見据えているって意味なんだ」
「ふーん、そうなんだ……」
 志保は素直にうなずいた。――結構いい名前じゃない、『志保』って。きっと、あたしはまっすぐ前を見つめて生きていくのね。
「だからさ、ちゃんと目標を決めて、それに向かって……」
 しかし、その後に続いた大樹の言葉に、志保はうんざりした。「ちゃんと目標を決めて……」なんて抽象論は、大学受験に失敗したとき両親からさんざん聞かされたのだ。
「ああっ、もうっ! なんでお兄ちゃんから説教されなきゃならないのよ。あたしの名前の由来って言ったって、志を保つから志保だって? そのまんまじゃないの。それじゃお兄ちゃんはなんで『大樹』っていうのよ?」
「オレか? どうも『大器晩成』のつもりだったらしいんだけど、北海道の地名とごちゃ混ぜになって『大樹』になったらしい」
 と、大樹はとぼけて答えた。
「『らしい、らしい』って、自分の名前の由来は知らないの? それで、あたしの名前の由来は知っているわけ? おかしいじゃないの、それ」
 急に大樹の説の信憑性が薄らいでしまった。一瞬でも信じそうになった自分がばかみたいだった。
 志保が大樹にかろうじて一矢を報いたつもりになったとき、廊下づたいに母の声が聞こえてきた。
「大樹ーっ、志保ーっ。お茶にしましょーっ」


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 父が帰宅したのは、夜の九時過ぎだった。会社で仕事の引継や歓迎会などがあったらしい。
 その夜の長岡家の夕食は鶏もも肉の照り焼きをメインディッシュにしたちょっとしたディナーだった。もとからイベント事は外さない家風である上に、大樹が帰ってきていることもあって母が腕によりをかけたのだ。
「引っ越し、お疲れ様ーっ!」
 父の音頭で乾杯になった。スパークリングワイで満たされたグラスが澄んだ音を立ててぶつかり合った。
「おや? 約一名、引っ越しに参加しなかった人がいるわねぇ」
 と、志保。
「なになに、父さんはこれから頑張るぞ」
 父がそう言いながら腕まくりをしてみせると、大樹は言った。
「父さんの荷物はオレが片付けておいたよ。あとは細々としたものが残っているくらいだよ」
「あ、ああ……悪いな、大樹」
 自分のやることがなくなった父は少しがっかりして見せた。
 志保が唐突に切り出した。
「あのさ、パパ、何であたしに『志保』って名前を付けたの?」
「えーと、何でだったかなー……。あ、そうそう、おまえが生まれる頃、父さんは高血圧で塩分を制限させられていたんだ。それでどうしても塩辛いものがほしくて、おまえに『しほ』って付けたんだっけ」
 父が答えると、母が口を挟んだ。
「あら、お父さん。志保が生まれる頃に通っていたスナックの名前じゃなかったかしら? よく背広のポケットにマッチ箱が入っていたわね」
 そう言うと、二人で笑った。志保は一瞬、呆気にとられた。
「なっ、何よ、このガセネタ家族! これでよくあたしみたいな素直でかわいい子が育ったわねっ」
 志保がそう毒づくと、大樹はぽつりと言った。
「まったくだよ。オレも素直でかわいい妹が欲しかったな」
「なんですってっ!」
 志保の剣幕と同時に大樹の左足を激痛が襲った。

 志保は大学進学をやめた。なんの目標もない四年間のために、今の一年間を「浪人」という暗い肩書きで過ごすことがばからしくなったのだ。かといって、両親に家でごろごろしていると思われるのも嫌だったので、アルバイトをしてその収入の中からいくらかを食費として家計に入れることにした。
 志保が英会話教室の六ヶ月コースに通い始めたのは、ほんの気まぐれだった。時間を持て余していたし、たまたま、英会話教室の看板の前を通り過ぎたときに、これからは英語ぐらい話せなくちゃね、と思っただけだった。つまらなければやめればいい、そういう軽い気持ちで始めた。
 志保は英会話を習い始めると早速使ってみたくなって、同じ高校に通っていた日系アメリカ人のクラスメイトに、しょっちゅう電話をかけては試していた。
 電話での英会話は難しい。表情や身振り手振りを相手に伝えられないからだ。そのうえ、相手はかなり日本語に関心があると見えて、毎回、聞いたこともないことわざを引用してきた。そのたびに志保は両親にその意味を訊いていた。そのうち、父が志保のために見出し語が二〇万語以上もある大きな辞典を買ってきた。それを使って自分で調べろ、ということらしい。
 アルバイト先や英会話教室で友人もできたが、高校在学中のように友人たちとしょっちゅう連れだって出かけるということはなかった。なんとなく気乗りしなかったのだ。

 半年間、あまり遊びに行かなかったためか、それなりに貯金も貯まったので志保は気晴らしに旅に出ようと思った。とびきりの旅に。


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一九九九年一一月六日土曜日

 とびきりの旅に出かけるのに、焦げ茶色の電車はふさわしくないように思ったが、他に交通手段がなかったので致し方なかった。志保は大きなトランクを一つ持って各駅停車の電車に乗った。
 電車は閑静な住宅街をゴトゴトと走っていった。
 車内は子どもたちや学生がちらほら乗っているだけだった。窓から射し込む陽が床に大きな平行四辺形の列を作っていた。どこの街でも見られる気だるい土曜日の午後の風景だった。
 しかし、志保は自分がこの風景の外にいるような気がしていた。
 志保の周囲を満たしている会話は、独特の単語、独特のイントネーション、独特の言葉運びを持っていた。志保はテレビのバラエティー番組などでよく耳にしていた言葉だったのでその土地に引っ越しても特段気にならないだろうと思っていたが、日常生活で四六時中話されているのを聞いていると言葉が乗り越え難い壁を作って自分を囲い込んでいるように感じた。志保はうつむきながら、興味のないテレビ番組を聞き流すように電車の中の会話を聞き流していた。
 窓から見える景色に背の高いビルが混じり始めると、まもなく電車は、大きな川に差し掛かった。対岸に高層ビルがいくつも見えた。

 電車は鉄橋を渡ると地下に潜っていった。市営地下鉄に乗り入れているのだ。
 電車がトンネルに沈んでいくと車内を満たしていた日射しも遮られ、蛍光灯の冷たい光がそれに取って代わった。
 ――そういえば、大阪から引っ越してきていた同級生がいたわね。あの頃の彼女もこんな気分だったのかなぁ。
 決して心を開こうとはしなかった彼女。彼女は三年間、友達を作らず、ただ一人で過ごしてきた。クラスメイトにいじめられても泣きもしなければ怒りもしない。ただ、軽蔑した目で見下(くだ)すだけだった。周囲も彼女とうち解けようとせず、三流週刊誌の記事のような質(たち)の悪い噂を流していた。
 志保はその噂を聞きつけたとき、真っ先に浩之に教えてやろうとしたが、逆に浩之から、根も葉もない噂を軽々に口にするな、とたしなめられてしまった。
 その彼女は二年に進級した頃から徐々に成績を落としていった。もともと、抜きん出て優秀だった彼女は長らく学年トップの座を保持していたが、二位との差が徐々に詰まりだしたのだ。その頃から、それまで孤高を気取った雰囲気があった表情も日々を無気力に過ごしているといった感じに変わっていった。
 当時、志保は彼女をあまり好きではなかった。頭がいいことを鼻にかけた高慢な態度が不愉快だった。彼女の成績が落ちてきたという情報を聞いたときは、内心、いい気味よね、と思ったのも事実だった。
 でも、今ならわかる、彼女の気持ちが――彼女は寂しかったのだ。
 あのとき、何が原因で彼女の成績が悪くなっていたのか今でもわからないが、ひょっとしたら何気ない自分たちの態度が彼女に対して壁を作っていたのかもしれない。そんな気もしてきた。
 ――もっと、話しかければよかったかなぁ。
 ふと気がつくと電車は動物園の最寄り駅に到着し、まばらだった客のほとんどが降りていった。次の駅で終点だ。


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 地下鉄の終点からエスカレータで上って地上の改札を抜け、さらにエスカレータを上って高架のプラットホームに出た。外は雲がやや多めながらも申し分のない天気で、時折感じる風が涼しく心地よかった。
 二面のプラットホームに上り二本、下り二本の線路。数分おきに電車が行き交っている。志保が指定席を予約した特急の到着までかなり時間があった。志保はプラットホームの先端に立った。
 見晴らしがいい。
 午後の日差しがプラットホームや街並みにあふれ、その上を雲が影を落としながら漂っていた。
 遠くに高速道路が見えた。せわしなく行き交うトラックがゆっくりと流れる雲の影に追いつけないようでなんだかおかしかった。
 ――あれ?  確かにあたしはヒロに口止めされてから彼女の噂を他の子にはしゃべらなかったけど、でもそれでよかったのかなぁ? あたしがしゃべらなくても噂は別の子たちから広まっていったはずよね。自分が関わらなかったからって「あたしは無実です」って思っていてよかったのかなぁ? 本当はあたしにできたことがあったのかもしれないわね。……あたしは『歩くインターネット』とか呼ばれて得意になっていたけど、真偽の確かでない情報を垂れ流してばかりで……あーあ、ばか、やっていたわね……。
 そんなとりとめのない考えを遮るように特急電車がやってきた。
 志保の座席は一号車の進行方向に向かって右側、車両の後ろの方だった。そこから車内がよく見渡せた。
 暖色系にまとめられた落ち着いた車内。客席は四分の一も埋まっていない。乗客は小さな子供を連れた三組の若い夫婦と、スーツ姿のビジネスマンが数名だけだった。
 志保が自分の指定席を見つけてそこに座ったとき電車が動き始めた。と、まもなく前の方から小さな男の子が通路をぱたぱたと駈けて来た。騒々しいわね、と志保が思っていると、あとから同い年くらいの女の子が追いかけて来た。
「早よ来(き)い、ルリコ」「あーん、待ってぇなぁ、タクヤちゃぁん」
 ――へえ、三年前に話題になった小説の登場人物じゃないの。確か、仲のいい兄妹の名前よねぇ……って、そんなことに感心している場合じゃなくて、子どもをほったらかしにして親は何してんのよ!
 志保はそう思って、子どもたちが来た方向を見ると二人の母親が慌てて通り過ぎていった。あとに、もう一人の母親と姉弟が残っていた。弟の方がさっきの子どもたちの後を追いかけようとするのを小学生くらいの姉が一所懸命押さえていた。
 志保は思わず笑ってしまった。――ヒロにあかり、それに雅史までいるじゃない! きっとヒロたちも小さかった頃はあんなふうだったのねー。
「幼なじみかぁ」
 志保はつぶやいた。――あんなふうにして、あかりはあたしの知らないヒロを見てきたのね。中学のときはこのあたしが情報量であかりに負けているのが悔しかったけど、高校に入ってから少しはあたしもあかりと似たような立場にいられたみたいよね。少なくともクラスメイトの誰よりもあたしはヒロのことを知っていたし。
 ヒロ――最高の友達だったわね……。一緒にいて全然退屈しなかった。修学旅行の時、夜通しやった「男と女の間に友情は成立するか」って議論、あたしは自信を持って「イエス」と答えられた。そう、ヒロはマイ・フレンド。あたしが男だったら、きっと一緒になっていろいろと「悪さ」をしていたわね。いや、別にあたしが男でなくたって、ゲームセンターへ行ったりカラオケボックスへ行ったりと、いろんなことをやってきたのよ。現に、ヒロとはあたしが男だったらできないような種類の「悪さ」もしてるし……。でも、なんでヒロとしちゃったんだろう。そりゃあ、「悪さ」するのにヒロ以外の相手は考えられなかったけど。あかりの耳に入ると思うと誰にも自慢できなかったじゃない。とうとう「進んでる志保ちゃん」をアピールできずじまいだったわね。……だけど、高校生活、楽しかったなぁ……。
 志保は、高校を卒業して引っ越しするとともに、長い長いお祭り騒ぎに緞帳(どんちょう)が降りて、平凡な日常生活へ押し出されてしまったような気がした。


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「えーい、回想モードやめぃ!」
 志保は口に出して叫んでしまった。あまりにも自分らしくないと思ったのだ。慌てて周囲を見渡してみると、通路を挟んで反対側のシートに座った若いビジネスマンと目が合ってしまった。
「おほほほ、ごめんあそばせーっ」
 志保はその男に愛想笑いでごまかすと、再び正面に向き直った。――ちょっと、ちょっとー。なんで思い出が走馬燈のように駆けめぐるわけー? あたし、これから死ぬ訳じゃないのよ! 仕掛けられたお祭りが終わっただけじゃないの。そう、今度は、あたしが自分のためにお祭りを仕掛けてやるのよ!

 特急電車は最後の停車駅を発車すると、終着駅をめざして右に大きくカーブしていった。
 家々、ビル、工場、倉庫……それらを全てすり抜けて駅を一つ通過すると、それまで並行していた高速道路が右手から覆い被さってきた。電車は加速しながら直線に仕切られた海岸線を越え鉄橋を渡る。
 大きく縦長の楕円形に取られた車窓のすぐ外を無数のトラスが横切っていく。電車は午後の日射しを受けてきらきら光る海の上を走っている。その向こう、靄(もや)の中から巨大な人工島が見えてきた。旅客機が着陸しようとしている。
 関西国際空港。
 志保を乗せたラピートβ六三号の目的地である。
 しかし、志保にとってそこは自分を飛び立たせるために存在する通過点でしかなかった。志保のとびきりの旅の目的地は――ニューヨークだ。

 志保は地上階のプラットホームから四階の出発ロビーへやってきた。明るく広々とした出発ロビーはまだ真新しく、「おかげさまで開港五周年」と書かれたタピストリーがあちこちに下がっていた。
 ――ここは、あたしが初めて海外旅行へ出発するための通過点になるんだもの、このくらい立派で当然よねぇ。
 そんなことを考えながら歩いているうちに、志保は何か忘れ物をしているような気がしてきた。しかし、それが何なのか思い出せなかった。
 ――思い出せないくらいだから、きっと大したものじゃないのよ。
 これからとびきりの旅が待っているのだ。忘れ物に気がついたところで今さら引き返せない。何を忘れたのかわからないが、必要になったらそのとき考えればいいことだ。

 志保はまだ自分の将来について見当もついていなかったが不安はなかった。一週間のニューヨーク滞在中に見つかればよし、見つからなくてもまた探しに行けばいいのだ。めざすものを見失わなければどんな夢でも叶う、それだけを確信していた。
 ――そうだ、ヒロが驚くようないい女になってやろう。それが当面の目標!
 いったいどういう女が「いい女」で「ヒロが驚く」のか、そこまで考えていなかったが、志保は勝手に決めて納得していた。
 「あたしの名は『志保』なのよ」
 志保はそう呟くと、まっすぐ前を見つめ、大きなストライドでユナイテッド航空のチェックインカウンターへ向かって歩き出した。

ED曲:『Forever』 song by 1999少女隊


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あとがき

 わたしの好きな、というより、純粋に、「何なんだ、こいつは?」って感じで気になるキャラクター、長岡志保のサイドストーリーです。お誕生日SSです。
 この作品に登場する志保は妙に内省的で、志保らしくなってしまいました。あはは。まあ、わたしの中の志保はこんな感じです。で、三年後、「国際的ジャーナリストかな」になってヒロと再会し、さらにその後……どうなるんだ?
 ところで、この作品を書いていて遅ればせながら気がついたのですが、あかりが噂していた「屋上のフェンスが破れた事件」の犯人とその動機って……。

(平成11年11月 6日)

 ちっと直した。

(平成15年11月19日)