平荘湖の湖岸、湖底
渇水期に湖岸を歩く

平荘湖に沈む古墳群(地図)に



県立東はりま青少年館前の古墳群

ほぼ満水時にも、古墳上部の石が水面より出ています。
一般市民の立ち入りは想定外で、もちろんバス釣りも、バーベキューも原則として禁止のはずです。
現実には、少し危険なモニュメントとなっています

左のものを、湖面側から
中には、バーべキュー痕があります

 

このあたりの古墳は調査済みのようですが、文化財としての扱いは一切されていない
立札の1枚も無く、荒れるに任せている

また、数も多く地形的な目標物が無いので、それぞれ池尻何号墳かは、よくわかりません

 

草刈直後で、不気味さは半減

左の、石室内部。生活できそうな空間です

 

子供の墓と思うようなきわめて小規模なもの
1群のうち最も東にありました

同左

 

湖面側から

 

古墳とは知らずか、焼肉のあと


東はりま青少年館付近の様子

 

ブラックバスか、靴の長さは27センチくらいです

 

水が減っていくので、深みの方へ移動中か

カラス貝と思いますが、色が淡い
湖底の泥が少ないので、みつけるのも簡単


半島状にせり出している部分の東側

池尻17号墳か

同左

 

上記付近で古墳を構成していたと思われる岩
節理にクサビを打ち込むが、うまく割れなかったようだ

左の岩のすぐそばに、同様の岩があった

 

池尻18号、あるいは17号墳か?

同左

半島の南側で


半島状の部分の南側で、玉砂利を含む地層がありました。
平荘湖岸の大部分においては、岩石のほとんどが凝灰岩及びその風化岩です。(もちろん古墳の石も) 上のカラス貝の写真も参照下さい。
道路工事などのために持ち込まれた土砂の可能性もありますが、かなりの量がありそうなのです。
大昔、平荘湖の一部は川底であった可能性があると思います。

同様に、川砂のような砂がありました。

仮説として、海面が現在より高かった頃に、加古川が平荘町里付近より直線的に平荘湖底を通り、第3堤防(コンクリート製)付近から南に流れていたとすれば、この付近に川砂利があっても不思議ではない。



少年自然の家付近

池の部分との区分の堰堤に生える木です
根元はふだん水中に没していて、よく写真の被写体になります

左の木の、ふだんの姿

 

このあたりにもやはり、古墳の石室と思われるものがあります

埋もれているので良くわかりませんが、あまり規模の大きいものではないようです。
一番端の部分に薄い板状の石を立てていますが、この形がよくあります

 

池尻21号墳かも

左に同じ

南側の岸で

農業用であったと思いますが、山裾に小さな堀がいくつかあるようです


古墳らしき岩石の並びがあります
池尻49号墳かも知れません

 

水没後35年の歳月、立ち枯れた木がまだ残っています

古墳と思われるものがあります。
池尻32号墳か?


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