○名古屋大学に99年度に出した紀要

※本音、この研究はどう考えても、面白いとは思えないんだよなぁ。意味がないんじゃない、自分が面白いと思えないということ。修士論文の最後のデータだけど、どっかに書いておかないと、引用もできないから。この研究の裏話もあるよ。むちゃくちゃ書いてる。。。

 

TITLE

歩行者の交差点における信号無視行動
とその態度との関連について

―公的・私的自己意識も踏まえて―

 

 

 

北折 充隆(Mitsutaka Kitaori)

名古屋大学大学院教育学研究科博士課程(後期課程)

 

 

abstract

Attitudes of three types of pedestrians toward traffic lights

-based on public and private self-consciousness-

Mitsutaka Kitaori

 

This study investigated attitude differences among varying types of pedestrians. Kitaori & Yoshida(1997) classified three types of pedestrians: 1) hard-core deviator (consistently ignores lights regardless of what others do); 2) situational deviator (shows conformity to those around them); 3) strict abider (consistently waits for the green light regardless what others do). A total of 192 subjects responded to a questionnaire inquiring into attitudes toward traffic lights. Results showed that: (1) actual behavior and cognition are highly correlated for all types; and (2) no correlation are observed among the three types of pedestrians and their public & private self-consciousness. These findings will become the basis for future studies, as the present study confirmed the validity of three-type classification.

 

Key words:ignoring traffic lights,hard-core deviator,situational deviator,strict abider,public & private self-consciousness

 

【問題と目的】

 信号の遵守は,交通の潤滑を図ることを目的とする交通規制のうちでも,とりわけ重要な位置づけにある。赤信号で渡ってはいけないことは,社会規範として広く認知され,コンセンサスが確立されている。これを内在化させていなければ,現代の社会において生活を営むことは,事実上不可能である。しかし,法意識の観点から川島(1967)は,交通違反の取り締まりを引用し,日本の交通意識の特有性を主張している。すなわち,日本においては,交通違反の取り締まりは,交通安全週間,公開取り締まりなどには厳格であるが,それ以外の場合には概してそうとはいえない。このことは,道路交通法の規範性を取締当局自身が確定的でなくし,さらには一般の人々が持つ道路交通法の規範性をあいまいにしている。道路交通法の遵守は,広範かつ明確に認識されながら,拘束性が低い社会的規範といえる。その中でも特に歩行者の信号無視は,その悪質性の評価が低い(小林・内山・松本,1977)。

 北折・吉田(1997)は,交差点における歩行者の信号無視行動に着目し,これを自然観察した。その結果,周囲の他者がとる行動に,個人が大きく影響されることが見出されている。また北折・吉田(1998)は,交差点での行動から,歩行者を以下の3つのタイプに分類している。

確信犯:信号に対して全く注意を払わない。周囲の他者がとる行動に影響されることもない。躊躇が見られず,左右の確認すらしない場合もあり,危険なケースも散見される。

状況型:自らの行動を周囲に同調させる。つまり行動決定が,周囲の他者がどうしているかに大きく影響される。

遵守者:周囲の他者の行動に影響されることなく,信号を守っている。その場にいる全員が渡ってしまっても,赤信号を忠実に守り,渡らずに止まったままである。

このように歩行者を,周囲の他者行動との比較でいくつかの類型に分類することは,現象を捉える上で非常に有用である。Cialdini, Kallgren, & Reno(1990)は,社会規範を多くの人々が適切・不適切と知覚することに基づく,いわば当為的な命令的規範(injunctive norm)と,多くの人々が実際の行動としてとるであろうとの知覚に基づく,行為的な記述的規範(descriptive norm)の2つに分類している。本研究もCialdini et al.の主張に基づき,赤信号では渡ってはいけないとする命令的規範と,周囲の他者がとる行動に基づく記述的規範を分けて捉える。このように,個人に作用する圧力を二つの側面から捉えることで,単に歩行者の信号無視が望ましい行動であるか否かを越えた,より現実場面に即した現象把握が可能となる。しかし,北折らの用いた自然観察は,行動を把握することは可能であっても,行動に至るまでの周囲や信号の認知や,そのときに感じる感情等を把握することはできない。また,行動を基に3つのタイプに分類したとはいえ,この3群間でもともと内在化させている規範意識や認知に違いがあるのかは検討できていない。

 そこで本研究では,北折ら(1998)が分類した3つの行動タイプ,確信犯,状況型,遵守者について,各タイプ別で意識や認知にどういった違いが見られるのかを検討する。そこでまず,研究1などを通して得られた知見をもとに,調査で得られるであろう結果の予測を構築する。確信犯と遵守者を考えたとき,顕著に違いが見られるのは,信号への態度であろう。確信犯が信号無視をするのは,信号を重要でないと認知し,この認知に準拠した行動形態をとるからである。逆に遵守者は,信号を非常に重要であると捉え,これに従って信号を守る。したがって,赤信号の遵守を肯定するような項目を設定したら,確信犯の方が遵守者と比べて,高い値を示すであろう。そこで,赤信号への意識に関しては,以下のように予測する。

予測1:信号無視を肯定するような質問項目は,確信犯は高い値を示し,遵守者は逆に低い値を示す。逆に信号を守らなければならないとする項目は,遵守者で高く,確信犯で低い値を示す。

 次に,周囲のとる行動に依存する内容の項目については,状況型のように周囲にただ従う群の方が,そうでない群よりも高い値を示すであろう。すなわち,状況型は他の2群よりも,より周囲のとる行動に同調することを妥当であると感じたり,望ましい行動であると感じるであろう。そこで,以下の予測が立てられた。

予測2:周囲の人がとる行動への意識に関する項目では,確信犯および遵守者と比べて,状況型は高い値を示すであろう。

 また,確信犯が信号無視を躊躇しないのは,自分は事故を起こさないとする,いわばゆがんだ信念を持ち合わせていることが原因とも考えられる。逆に,遵守者が信号を守るのには,事故を起こすと厄介であると言った,被害に対する懸念も強く影響しているのではないだろうか。以上の理由から,事故を起こさないという確信に関して,以下のように予測した。

予測3:確信犯は遵守者や状況型と比べ,自分は事故を起こさないとする項目に,高い値を示すであろう

 更に確信犯は,自らの信号無視が事故に遭う確率を高めているにもかかわらず“事故を起こしたら車のせいだ”などといった,身勝手な帰属をしていることも考えられる。これは北折・吉田(1997)でも,左右の確認すらせず,躊躇なく交差点につっこみ,信号に従って通行しようとした車の方が止まってしまったケースが,何例か見られたからである。こうした項目について,確信犯が高い値を示すことは充分考えられる。

予測4:確信犯はそうでない群と比べ,事故を起こしても車の方が悪いと言った,自己中心的な認知をしているであろう。

 最後に本調査では,Feningstein(1975)らの開発した,公的,私的自己意識と3つの行動タイプとの関連についても検討する。確信犯や遵守者は,行動自体は全く逆であっても,自己の欲求や信念に従った行動判断を,周囲の他者に関係なく行っている点で共通している。よって状況型と比べ,自己が注目する2つの側面のうち,自己の内面的・個人的側面に対する注目を示す私的自己意識について,高い値を示すと考えられる。逆に状況型は,周囲の多くの他者がとる行動に強く影響されており,他者が自分に対して抱く自己に対する意識を示す公的自己意識に,高い値を示すと考えられる。

そこで,公的,私的自己意識に関して,以下のような仮説が立てられた。

仮説:私的自己意識は確信犯と遵守者が,公的自己意識は状況型が,それぞれ他の群よりも高い値を示すであろう。

【方法】

 被験者 国立N大学学生192名(男性127名,女性65名)。分析に際しては13名が記入漏れ等で除外された。

 調査時期 平成9年度の5,6月にかけて,情報文化学部の学生に対し,複数の教室で実施された。このため,同じ質問紙をすでに一度やったことがあると答える学生がいたが,重複実施はしていない。

 質問紙 まず,3つの行動類型に分類するため,場面想定法を用いた個人の行動への質問を行った。場面は以下のように設定された。

設定場面:あなたがある交差点にさしかかったとき,信号は赤でした。車は来ていません。この交差点は車が余り通らない上に道幅がせまく,信号を無視して渡る人をよく見かけます。

 この後に,3つの記述的規範が以下のように教示された。

記述的規範“止まれ”:しかしこの時は,周りを見ると周りの人はみんな交差点の前で止まっています。

記述的規範“渡れ”:この時は,周りを見ると周りの人はみんな信号など気にしないで渡っています。

記述的規範“ニュートラル”:しかしこの時は,周りを見ると,あなたの周りには誰もいません。

 その上で,「この場合あなたは実際にはどう行動しますか?」とする質問を行い,@信号を守って止まる,もしくは,A信号など無視して渡る,へのいずれかへの回答を求めた。このほか質問項目は,構築された予測に準じるように,独自に30項目が作成された。更に,Feningstein(1975)らの開発した,公的,私的自己意識尺度22項目が加えられた,52項目への回答が求められた。

【結果】

行動類型の分類 まず各被験者を,研究1で見出されたような3つの行動類型,すなわち確信犯,状況型,および遵守者の3群に,教示文を基に分類した。分類は,初めに回答を求めた場面想定法を用い,3つの記述的規範が提示された状況において,どのような行動形態をとるかで分類を行った。分類の基準は以下のようにしてなされた。

確信犯群:設定した3つの場面で,一貫して渡ると答えた。

状況型群:設定した3つの場面で,記述的規範“渡れ”時には渡ると答え,“止まれ”時には止まると答えた(“ニュートラル”については考慮しない)。

遵守者群:設定した3つの場面で,一貫して止まると答えた。

作成された30項目の因子分析 予測の構築に基づいて作成された30項目について,因子分析(主因子法,Promax回転)を行った(Table1を参照)。固有値の減少と解釈の可能性から,5因子を抽出した(固有値は7.81→5.93→2.46→2.43→1.70→1.16と減少した)。因子負荷量は .40以上を採択し,この5因子で全分散の68%が説明可能である。

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 各因子は,以下のように命名された。

 第1因子は,「道幅がせまく,すぐ渡れるなら渡ればよい」,「すぐ渡れそうなら,別に信号を守る必要はない」などの項目に高い因子負荷量を示しており,信号無視を肯定する項目群であるため,『信号無視の肯定』と名づけられた。第2因子は,「周囲が止まっているなら,渡ってはいけない」,「友人が止まれば,合わせて止まらなければならない」などに高い因子負荷量を示しており,周囲の行動への知覚に関する項目群であるため,『周囲の行動への意識』と命名された。第3因子は,「自分が渡っても事故は起きたりしない」,「信号を無視しても自分は大丈夫である」などの項目に高い因子負荷量を示しており,事故を起こさないとする確信を示す項目群であるため,『事故を起こさない確信』とした。第4因子は,「車はおそらく徐行してくるだろう」,「こういった信号では,車は突っ込んで来ない」などの項目に高い因子負荷量を示しており,車に対する責任転嫁に関する項目群であるため,『車への身勝手な帰属』と命名した。第5因子は,「信号を無視するのは危険である」,「信号を守るのは非常に重要なことである。」などの項目に高い因子負荷量を示しており,信号遵守を志向した項目群であるため,『信号遵守の信念』因子とした。

 各因子の信頼性係数は,.78〜.94であり,高い内的整合性を示していると判断した。また,公的自己意識因子のα係数は.92,私的自己意識では.86であり,これら二つも信頼性に問題はないと判断した。

 また,抽出された各因子,および公的・私的自己意識の相関をTable2に示した。

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 行動タイプ間の違いの検討 抽出された各因子,および公的・私的自己意識について,確信犯,状況型,遵守者の3群間で行動タイプ(A:3水準)×性差(B:2水準)の2要因分散分析を行った。有意差が見られた場合には,下位検定として多重比較(Tukey法,p<.05)を行った。以下にそれぞれの因子についてまとめた(Table3参照)。

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 第1因子(信号無視の肯定)について分散分析を行った結果,行動タイプの主効果((2,91)=70.31, p<.001),および性差((1,91)=5.12, p<.05)が見られた。下位検定を行ったところ,確信犯>状況型,確信犯>遵守者,状況型>遵守者の有意差が見出された。このことから,確信犯が最も肯定的に,遵守者が最も消極的に,信号無視を評価していたと言える。また,女性と比較して男性の方が,信号無視を肯定的に評価していた。第2因子(周囲の行動への意識)についても,行動タイプと性差による,2要因分散分析を行った。その結果,記述的規範の主効果((2,88)=28.54,p<.001) が見られたため,下位検定を行ったところ,確信犯>状況型,確信犯>遵守者,状況型>遵守者の有意差が見出された。これにより,状況型が最も周囲の行動を意識しており,逆に確信犯が最も意識していないことが確認された。第3因子(事故を起こさない確信)についても分散分析の結果,行動タイプの主効果((2,91)=6.69, p<.01),および性差の傾向((1,91)=3.72, p<.10)が見られたため,下位検定を行った。その結果,確信犯>遵守者,状況型>遵守者の有意差が見出され,実際の行動とは逆に,遵守者がもっとも事故を起こさないと言う確信が低かった。第4因子(車への身勝手な帰属)についても,行動タイプと性差の2要因分散分析を行った。しかし,3群間の主効果((2,90)=0.84, ns.),および性差((1,90)=0.19, ns.)のいずれも検出されなかった。第5因子(信号遵守の信念)について2要因分散分析を行った結果,行動タイプの主効果((2,93)=19.93, p<.001) が見られた。下位検定を行ったところ,状況型>確信犯,遵守者>確信犯,遵守者>状況型の有意差が見出され,遵守者が最も信号を守るべきと捉え,逆に確信犯は守る必要がないと認知していた。

 次に,Fenigstein(1975)らの開発した公的・私的自己意識についても,それぞれ設定された3つの行動タイプと性差による,2要因分散分析を行った。その結果,タイプに関しては公的自己意識((2,83)=1.16, ns.),私的自己意識((2,82)=1.35, ns.)のいずれも主効果は見られなかったが,私的自己意識の性差((1,82)=4.85, p<.05)が検出され,女性の方が高い値を示していた。

 

【考察】

 予測について 本研究では,北折・吉田(1997)の自然観察を基に分類された3つの行動タイプ別で,意識や認知にどのような違いが見られるかを検討した。以下に,初めに設定した予測および仮説が支持されたかについて考察していく。

予測1:信号無視を肯定するような質問項目は,確信犯は高い値を示し,遵守者は低い値を示す。逆に,信号を守らなければならないとする項目は,遵守者で高く,確信犯で低い値を示す。

 第1因子(信号無視の肯定)および第5因子(信号遵守の信念)の結果から,予測は支持された。確信犯と遵守者,状況型の3群間で,持ち合わせている信念や,考え方が根本的に異なることが検証された。

予測2:周囲の人がとる行動への意識に関する項目では,確信犯および遵守者と比べて,状況型は高い値を示すであろう。

 第2因子(周囲の行動への意識)の結果から,予測は支持された。状況型はそうでない群と比べ,周囲の行動を強く知覚していた。状況型群にとって,信号が赤か青かより,周りの人がどういう行動をとっているかがより重要な行動判断要因となっている。こうした行動判断は一見適切に思えるが,多くの他者がとる行動の方が誤りであることも,実際には多い。北折らの観察においても,2人のうちの1人が躊躇なく渡り,もう1人がつられて渡ろうとしたところに車が来たため,小走りに渡ってしまったケースが報告されている。誰かの行動に合わせることが,必ずしも正しい行動とはなり得ない,時には非常に危険なことであることを,もっと認識する必要があろう。

予測3:確信犯は遵守者や状況型と比べ,自分は事故を起こさないとする項目に,高い値を示すであろう。

 第3因子(事故を起こさない確信)の分析結果は,確信犯のみが事故を起こさないと確信しているのではなく,状況型も遵守者と比べて高い値を示した。このことは,状況型が自らの行動を適切だと考え,多くの人が信号無視をしているから,信号を無視しても事故は起きないと,認知しているように解釈できる。しかし,信号を守ることで安全が保証され,それが事故から身を守ることにつながるのである。よって遵守者のように,信号をきちんと守ると答えた群の方が,実際には事故を起こす確率は低い。にも関わらずこうした認知が,むしろ確信犯や状況型において高い値を示したことは,これらの群が誤った確信をしているといえる。特に状況型は,ただ周囲につられているだけで,安全を全く確認しないようなケースも見られる。状況に流されないような行動をとるように,1人1人が知覚することは大切である。

予測4:確信犯はそうでない群と比べ,事故を起こしても車の方が悪いと言った,自己中心的な認知をしているであろう。

 第4因子(車への身勝手な帰属)の結果から,予測は支持されなかった。どの群間にも,こうした認識に差異は見出されなかった。いくら確信犯のように,信号無視に躊躇が見られないようなケースであっても,車を軽視しているわけではないことが結果からうかがえる。

 仮説について 次に,公的・私的自己意識について設定した仮説について考察する。

仮説:私的自己意識は確信犯と遵守者が,公的自己意識は状況型が,それぞれ他の群よりも高い値を示すであろう。

 結果は仮説を支持しなかった。公的・私的自己意識は,信号無視行動との間に関連は認められなかった。しかしFroming & Carver(1981)は,公的自己意識が高い人が,低い人と比べて同調傾向が高く,また私的自己意識と同調行動に強い負の相関を見出している。さらに,公的自己意識が周囲の環境との間に相互作用を示すとの報告もある(Freming, Corley, & Rinker, 1990)。しかし,同時にFromingらは,これら2つの自己意識は自己の様々な因子と関連しているとも主張しており,これら二つの自己意識の作用を単純に論じることはできない。また押見(1992)は,公的自己意識が強い人が同調するのは,逸脱して目立たないようにするためであるとしている。よって本研究の結果は,以下のように考えられる。まず,赤信号に関する社会的規範は,以下の2つに分けることができる。

@いかなる場合にも,信号は守らなければならないとする,信号遵守の規範。

A交通の潤滑化が信号の使命であるとする観点から,車が来ておらず,絶対に安全である状況下での信号は無意味であるとする規範。

 このうち,@の規範を強く内在化させていれば遵守者,Aの規範を強く内在化させていれば確信犯として,いずれかのタイプに準じた行動をとるであろう。しかし状況型についても,信号に対してではなく,周囲の多くの他者がとる行動への同調がもっとも状況に相応しい,取るべき行動であると認知し,これを一貫した行動規範として内在化させているとも言える。そう考えれば,これらはいずれも内在化された規範に従った行動であり,私的自己意識に差は生じない。公的自己意識については,状況型が公的自己意識が高いとの仮説を設定した。しかし公的自己意識が低く,かつ信号遵守の規範も強く内在化させていないケースなども実際には存在する。本調査では,これらを検出することが不可能である上,もしもこうしたケースが高い割合を占めていたのなら,公的自己意識の高低による影響を見えにくくしてしまうことは十分考えられる。本研究で公的・私的自己意識について,行動タイプ間に差が見られなかったのは,以上のようなことが原因であると推測される。いずれにせよ,信号無視行動とこれら二つの自己意識との関連は見出されなかった。

今度の課題とまとめ 本研究では予測,仮説はおおむね支持されたが,仮説以外にもいくつか興味深い結果が示唆された。最後にこれらをまとめ,今後の課題を展望する。まず,初めにたてた予測はおおむね,実際の行動との関係で非常に整合性がとれたものであった。これにより内在化された規範意識や認知は,実際の行動とも密接に関連していることが改めて確認された。ただ,確信犯,状況型群は遵守者群と比べ,事故を起こさないとする確信についての因子に高い値を示していた。ここで問題なのは,状況型が確信犯と同程度に,事故を起こさないと確信していたことである。これは記述的規範にただ従い,車が来ているかどうかさえ確認しないようなケースであっても,事故を起こさないと確信し,信号無視しているケースもありうることを意味する。つまり,車が来ていても注意がおよばず,ただ周囲の行動に同調して信号を無視し,青信号に従って通行している車を止めてしまう。これは信号が,優先を提示して交通の潤滑をはかるという,本来の機能を果たしておらず,非常に問題である。Cialdini(1988)は,個人はおかれた状況でどういった行動をとったらいいかが曖昧な場合,周囲がとる行動をもとに,適切な行動を判断するとしている。これは社会的証明と呼ばれるが,本研究で扱った信号無視行動も,信号遵守の規範と,状況において信号が機能していないとの知覚が葛藤を生起させ,適切な行動が曖昧なものとなる。社会的証明は無意識のプロセスであり(Cialdini, Kallgren, & Reno,1991;Cialdini, & Trost,1998),本研究の場合などでも,車の流れや信号が赤である事への注意の程度は低くなっている可能性が高い。こうした危険を回避するには,多くの人がとる行動にただ従うのではなく,おかれた環境を視野に入れ,全体的な交通状況を総合した行動をとるよう,一人一人が自覚するしかない。また,この結果を踏まえると,確信犯の行動判断についても適切とは言い切れない。つまり,車が来ていないのならば,信号は交通の潤滑機能を果たしていない,よって信号を無視しても構わない,とするのは早急である。なぜなら自分の信号無視が,周囲の安全を確認せずにつられて渡る後続の同調者をも導いてしまうことまで考慮していないからである。自分は周囲の安全を確認して渡ったとしても,これが危険な後続同調者を導くと自覚していないのならば,本当の意味での安全を確認したとは言えない。また本研究では,公的・私的自己意識と行動タイプの間に関連は見出されなかった。これが社会的ルール違反全般に言えることなのか,それとも信号無視に特化したことなのかは,今後の検討すべき課題の1つである。さらに,いつ事故を起こすか判らないことを認識し,これを避けるべく志向された行動をとることは大切である。”みんながとる行動≠正しい行動”ではないことを,一人一人がもっときちんと自覚し,行動するにはどうすればよいのかを検討していくことも,今後の重要な課題である。

 

【要約】

 本研究では,研究1で観察された3つの行動タイプ,@一貫して信号無視をする確信犯,A周囲が信号無視をすれば同調する状況型,B一貫して信号を守る遵守者の3群間の,信号遵守に対する態度や周囲の行動への知覚,公的・私的自己意識などを検討した。その結果,いずれの因子についても,ほぼ行動に準じた態度の違いが検出された。しかし,事故を起こさないと言う確信は,もっとも危険な行動をとる確信犯において最も高く,認知のゆがみが伺えた。しかし公的・私的自己意識については,3つの行動タイプ間に違いは検出されず,信号無視行動との関連は見出されなかった。

 

【引用文献】

Cialdini, R. B. 1988 Influence:Science and practice. Scott, Foresman and Company 社会行動研究会(訳) 1991 影響力の武器 -なぜ人は動かされるのか- 誠信書房

Cialdini, R. B., Kallgren, C. A., & Reno, R. R. 1991 A focus theory of normative conduct:A theoretical refinement and reevaluation of the role of norms in human behavior. In Zanna. M. P. (Ed.), Advances in experimental social psychology. Vol. 24, New York:Academic Press. Pp.201-234.

Cialdini,R.B.,Reno,R.R., & Kallgren,C.A. 1990 A focus theory of normative conduct:Recycling the concept of norms to reduce littering in public places. Journal of Personality and Social Psychology, 58, 1015-1026.

Cialdini, R. B., & Trost, M. R. 1998 Social Influence: Social Norms, Conformity, And Compliance. In Gilbert, D. T., Fiske, S. T., & Lindzey, G.(Eds.)., The Handbook of Social Psychology (4th ed), Vol.2, New York:McGraw-Hill. Pp.151-192.

Fenigstein, A., Scheier, M. F., & Buss, A. H. 1975 Public and private self-consciousness: assessment and theory. Journal of Consulting and Clinical Psychology, 43, 522-527.

Freming, W. J., Corley, E. B., & Rinker, L. 1990 The influence of public self-consciousnessand the audience's characteristics on withdrawal embarrassing situations. Journal of Personality, 58, 603-622.

Froming, W. J., & Carver, C. S. 1981 Divergent influences of private and public sel f-consciousness in a compliance paradigm. Journal of research in personality, 15, 159-171.

川島武宣 1967 日本人の法意識 岩波新書

北折充隆・吉田俊和 1997 信号無視から見た同調行動 〜皆,本当に自分で判断して交差点を渡っているのか?〜 日本社会心理学会第38回大会発表論文集 Pp.340-341.

北折充隆・吉田俊和 1998 信号無視行動に関連する諸要因について ―公的・私的自己意識と動的同調過程の観点から― 日本心理学会第62回大会発表論文集 p.346.

小林實・内山絢子・松本弘之 1977 交通違反の悪質性意識 科学警察研究所報告交通編 18, 51-61.

押見輝男 1992 自分を見つめる自分−自己フォーカスの社会心理学 (セレクション社会心理学2) サイエンス社

 

 

謝 辞

1)本稿は,平成9年度名古屋大学大学院教育学研究科に提出した修士論文の一部を加筆・修正したものである。なお本研究の一部は,日本社会心理学会第40回大会において報告された。

2)本研究をすすめるにあたり,調査にご協力いただきました名古屋大学情報文化学部の諸先生方に深く感謝いたします。

 

話したくて仕方がない
この研究の裏話コーナー

 この研究は、北折が修論の研究2、調査2で取った(ゴミ)データを、体裁がいいように再分析して、書き直したものです(笑)。はっきり言って、この研究面白くない。何せ、当たり前すぎる。私は正直言って、この程度の知見を得られたところでどうしょうもないと思っています。実際、修士論文の中でも一番出来が納得いかなかった部分で、学会発表や紀要への執筆ですら、するようなレベルじゃないんじゃないかと思って迷っていた代物なのです。

 でも、でもなんですけど、そういう(箸にも棒にもかからない)ような知見でも、きちんとおほやけにしていくことって大事なんです。こういうどうしょうもない知見であっても、これをベースにしてもっと新たな知見や理論を構築していきます。そして、そういう新たな知見を論文にまとめるときに”...過去にはこういうしょうもない知見だけど、こういうことは明らかになっている...だから、こういう事が言えるのではないか...”と言う風に、今回のような、いわばB級の研究を引用しなければならない。そして、そういう引用をするためには、どこかに掲載しておかなければならない。”...北折の修論では...なんて言う<しょうもない>ことが明らかになっている。...”と言う形で引用するのは構わないけど、私の修士論文は公刊されていない、よって、本当にそういうことが明らかになったのかはっきりしない。だから、今回はこういう形でいったん公刊しておこう、、、と相成ったわけです。

 だから今、次にやることを必死こいて模索中です。正直非常に疲れます。でも、面白い知見や研究なんて、そんな簡単にできない。何せ俺は天才じゃないんだから。

 

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※近いうちにまた、北折が何を研究したいかを詳しくここで掲載していく予定です。

 

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