そんな事、本当は言うつもりではなったのだ。
 傷付けると分かっていたから、周りの状況なんかでちゃんと理解しようと考えていた。

 なのに、ヒカリと仲良く話をしているその姿をみた瞬間、覚えてないという事がものすごく不安になって、どうしようもなく、嫌になってしまったのである。

 記憶にもない相手なのに、こんなにも胸を苦しくさせる相手、ヤマト。

 俺は、どうしてこいつの事を覚えていないんだろう?


                                             届かない想い 02


「お、お兄ちゃん?」

 自分の言葉に驚いたようにヒカリが見詰めてくるのに、太一は視線を逸らす。

 言ってしまったものは、仕方ない。
 言った言葉が返ってくるなら問題はないのだが、そう言う事はないだろう。

 しっかりと、自分の言葉を聞いてしまった二人は、驚いて自分の事を見詰めている。
 その視線を感じながら、太一は小さく息を吐き出すと、正直に話す事にした。

「……悪い。本当は、こんな事言いたくなかったんだ。俺、お前の事、分からない。どうしても、思い出せなくって……ヒカリが話してるし、お前は俺の事知ってるみたいだから、言い出せなかった」

 申し訳無さそうに話をして、太一は正直に頭を下げる。
 自分の事を知っている相手に、こんな事を言うのがどれだけ失礼な事であるかが分かっているだけに、太一はヤマトを見ることができない。

「お兄ちゃん、冗談だよね?」

 太一の告白に、驚いたようにヒカリが問い掛けて来たそれに、太一は困ったような表情を浮かべると、小さく首を振って返す。
 自分だって、これが冗談だったらどんなにいいかと思ったかしれない。

「……悪い。失礼な事言ってるってのは、ちゃんと分かってる。……でも、本当の事なんだ」
「じゃ、じゃあ!ヒカリの事も!!」
「イヤ、ヒカリの事はちゃんと分かるよ。母さんや父さん、それに空や光子郎、丈やミミちゃん。タケルに大輔、京ちゃんに伊織の事もちゃんと覚えてる。でも、こいつ、ヤマトの事だけ、分からないんだ」

 自分の言葉に何も言わないヤマトの気配を感じながら、太一は今の自分の状態を素直に話す。
 ヒカリが驚きの余り両手で口を抑えて、小さく首を振った。

 自分の兄が、冗談でそんな事を言える人間で無いと言う事は、自分が一番良く分かっているだけに、信じられない気持ちでイッパイなのだ。
 一番、仲が良かったヤマトの事を忘れるなんて、そんな事があるとは思ってもいなかっただけに、驚きは隠せないのだろう。

 そして、それは忘れられてしまった本人にしては、もっと心中穏やかではない。
 何も言えずに、ぎゅっと自分の拳を握り締め、そのまま持っていたジュースのパックを握りつぶす。

「……俺のことだけ、覚えてないんだな?」

 そして、漸くその言葉を口にして、顔を上げると真っ直ぐに太一を見る。

「……悪い……」

 ヤマトの視線を感じながらも、視線を向ける事が出来ずに太一は小さく謝罪する。
 その言葉に、嘘でもいいから『冗談』だと言ってもらいたかったヤマトの気持ちは、一瞬にして砕かれてしまった。

「…お前が、悪い訳じゃないだろう……。いいさ、俺の名前は、石田ヤマト。お前とは、クラスメイトだ」

 小さく息を吐き出しながら、諦めたように自分の名前を告げて、ヤマトはそのまま振り返ってドアへと手を伸ばす。

「えっ!おい!!」

 そんな突然の行動に、太一は慌てて呼び止めるが、ヤマトは振り返らずにそのまま口を開く。。

「……知らないヤツが居たんじゃ、ゆっくり出来ないだろう。俺は、帰るよ」

 冷たいとも取れる言葉を投げつけられても、自分が悪いと分かるだけに、太一はそれ以上相手を呼び止めることが出来なかった。

 意識としては、もっと一緒に居たいと思うのに、それを口に出す事は出来ない。
 イヤ、そんな事言う資格もないという事に、太一はぎゅっとシーツを握り締めた。

「……ごめん。ちゃんと、思い出すから……」

 謝る事しか出来なくって、忘れてしまった事が本当に申し訳なくって、太一はこれだけはとばかりに、もう一度だけ謝罪の言葉を告げる。
 それにヤマトは顔だけを太一に向けると、少し悲しそうな笑顔を見せた。

「いいさ。お前の気持ちが、これで分かったから……。諦められる」
「えっ?!」

 最後の方が聞こえなくって聞き返そうとした瞬間、病室のドアが静かに閉められてしまう。

「お兄ちゃん」

 完全に姿の見えなくなった相手に、太一は言い様の無い切なさを覚えてしまった。
 それが、表情に表れていたのか、心配そうにヒカリに声を掛けられて、太一はハッとしたように顔を上げる。

「……俺、どうしてあいつの事、覚えてないんだろうなぁ」
「……お兄ちゃん」

 ポツリと呟いた言葉に、ヒカリはなんと言葉を返していいのか分からずに、そのまま太一を見詰める。
 その視線に気が付いて太一は、小さく息を吐き出すと妹を心配させないように笑顔を見せた。

「ごめんな、ヒカリ」

 自分に対して、無理に笑顔を見せる太一に、ヒカリは大きく首を振って返す。

「……泣かせるつもりじゃなかったんだ」

 自分の代わりとばかりに涙を流すヒカリの頭を優しく撫でながら、太一は小さく息を吐き出した。
 本当は、ヤマトが出て行った時、泣き出してしまいそうだったのだ。

「ごめん、ヒカリ」
「お兄ちゃんが、悪いんじゃないよ。だから、泣かないで……」

 泣きながら自分に抱きついてくるヒカリをそのまま抱き返して、太一はその背中を優しく叩く。
   

 太一の傷付いた心が分かるから……。
 そして、太一がヤマトの事をどう思っているのか、イヤと言うほど分かってしまったから……。

 自分にとって一番大切な人の心が泣いている。
 誰よりも大切で、誰にも渡したくないと思った人が傷付いているのをどうする事も出来ない自分の無力さに、ヒカリは涙を止める事が出来なかった。

 泣けない兄に代わって、その痛みを少しでも和らげられえるように……。


 誰が悪い訳でもない。
 それは分かるのに、今太一の記憶の中にヤマトと言う存在がないだけで、何かがバランスを崩して壊れていく。





  
「太一さん?」

 突然名前を呼ばれてはっとして、自分の事を呼んだ人物に視線を向けた。

 病院に入院して、今日で2日目。
 何故だか分からないが、沢山の人が自分の所に見舞いに来てくれるのは有り難いのだが、たかだか検査の為の入院に、何もクラスのメンバーやクラブの人間までも顔を出さなくってもいいと思うのである。

「……ごめん、光子郎。聞いてなかった」

 大勢押し掛けて来る友人達の相手に、正直言えば、疲れてしまったのかもしれない。
 ボーっとしていて、光子郎の話を全く聞いて居なかった太一は素直に謝った。
 自分に謝る太一に苦笑を零して、光子郎は小さく息を吐き出す。

「構いませんよ、疲れていらしゃるんでしょう。ヒカリさんの話では、学校が終わってから、皆さんいらっしゃっていたと聞いています。僕も長居するのは、避けた方がいいですね」

 申し訳無さそうに言われたそれに、太一は慌てて首を振って返した。

「えっ、イヤ。別にそう言う訳じゃねぇんだけどな……。それに、誰かが居てくれた方が、安心するし……」

 最後の方は小さく呟かれたそれに、光子郎は不思議そうに首を傾げてみせる。

 太一がそんな事を言うのは、珍しい。
 それに対して不信感を持った光子郎は、少し考えるように口に手を当てるとじっと太一に視線を向けた。

「光子郎?」

 突然真っ直ぐ自分の事を見詰めてくる相手に、太一は困ったようにその名前を呼ぶ。
 光子郎が口に手を当てて考える癖は、昔からの付き合いである太一はよく知っている。

「太一さん、何かあったんですか?」
「え?」

 真剣な瞳で見詰められたまま、率直に尋ねられた事に、太一は驚いて何も返せない。

「僕では、お役に立てないかもしれませんが、話ていただけませんか?」
「……光子郎」

 優しいその言葉に、太一は何と答えるべきなのか返答に迷った。
 自分がしてしまった事を話してしまうには、いくら光子郎相手でも躊躇われてしまう。

「太一さん」

 何も言わない太一に対して光子郎は、優しくその名前を呼ぶ。
 その優しい声に、太一は決心したように小さく息を吐き出すと重い口をようやく開いた。

「……俺、しちゃいけない事を、しちまったんだ」
「しては、いけない事ですか?」

 ポツリと呟くように言われたその言葉に、光子郎が聞き返せば、小さく頷いて返される。

「あいつの事、傷付けちまった……」

 今にも泣き出してしまいそうなその言葉に、光子郎は訝しげに眉を寄せた。

「『あいつ』、ですか?」

 意味の分からない内容をゆっくりと分析するように繰り返して呟けば、太一はぎゅっとシーツを強く握りしめて、光子郎から視線を逸らして頷く。

「俺、あいつの事だけ、忘れちまってるんだ。本気で、俺の事心配してくれてるのに、俺、酷い事言ちまった」
「……覚えてないと言うのは、ヤマトさんの事ですか?」

 自分の言葉に聞き返されたそれに、太一は驚いて光子郎に視線を戻す。
 言い当てられた事が信じられない。
 自分の事を驚いたように見詰めて来るその瞳に、光子郎は思わず苦笑をこぼしてしまう。

『本当に、ご自分の気持ちに鈍い人ですね。僕が気付いてないとでも、思ったのですか?』

 そう思っても、口には出せない。
 自分の考えたことにもう一度苦笑をこぼして、光子郎は小さくため息をつく。

「そんなに、驚かないでください。分かりますよ、それくらい。何時もヤマトさんの話をするのに、今日はまったくその話題がなかったんですから、疑問に思って当然です」
「えっ!俺、あいつの話を、お前にしてるのか?」

 光子郎の言葉に、更に驚いたように自分を見詰めて来る太一にもう一度ため息をついて、光子郎は意地悪い笑顔を見せる。

「そうですよ、傍から見ていて恥ずかしくなるくらい、嬉しそうにヤマトさんの話をして下さいました」

『僕の気持ちなんて、知らないで、残酷なくらいの、眩しい笑顔で………』

 心の中で付け足すように呟いて、光子郎は太一を見つめた。
 自分の言葉に困ったような照れたような表情を見せている太一は、申し訳なさそうな瞳を見せると、光子郎に頭を下げる。

「ごめん。やっぱり、覚えてない…本当に、俺があいつの話をしてるのか?」

 不思議そうに訪ねてくるその言葉に、頷くだけで答えを返す。
 あっさりと返されたそれに、太一は信じられないと言うような表情を見せてそっと俯いてしまう。

「…光子郎……。俺、あいつがヒカリと話てるの見てて、胸が苦しかったんだ…理由なんて分からないけど、すっごく嫌だった。だから、あいつの事覚えてないって言ちまって、あいつの事、傷付けちまったんだ……」

 ポツリポツリと呟かれたそれに、光子郎は思わず盛大なため息をつく。
 今、自分がどれだけヤマトの事が好きであるかを、告白したと言うことに、言った本人にはまったく気付いていないだろう。

「太一さん、どうしてヤマトさんの事を忘れてしまったのか、思い出したいですか?」
「あっ、当たり前だろう!」

 自分の言葉に返されたそれに、光子郎は苦笑をこぼす。
 太一が、どうしてヤマトを忘れてしまったのか……それは、逃げだと言うことに、光子郎は気付いていた。

「……僕にとっては、チャンスなんですけど、あなたがか悲しむ姿を見たい訳ではありませんからね。分かりました。何とかします…でも、太一さん本当にいいんですね?」
「…ああ……」

 再度確認を取るように尋ねれば、強く頷いて返される。
 それに光子郎は、満足そうにうなずいた。

 太一の記憶からヤマトの記憶だけ無くなったと言うそれが、精神的なものだと分かるからこそ、ちゃんと答えを聞いておかなければ、太一の精神破壊を招いてしまいかねないのだ。

「それでは太一さん、まずは、どう言う状況で、こうなったのかを分析しますので、詳しく話していただけませんか?」



  






   はい、終わりませんでした。(本当に得意だよなぁ・…続き物……xx)
   そして、光子郎が無茶苦茶おいしい役どころですね。(笑)
    
   それにしても、太一鈍すぎるぞ!!
   そんなに鈍くっていいのか?! ヤマトも気の毒だけど、その件に関しては光子郎も可愛そうだわ…xx
   
   次で、ちゃんと終わればいいなぁ…xx
   すっごい滅茶苦茶な話なのに、付き合ってくださってる人って居るのか心配です…xx
   付き合って下さっている人、もう少しだけお付き合いくださいね。次で、終わりますから・…(多分…)