「お兄ちゃん!!」
遠くで聞こえる声を最後に、意識が遠退いていくのを感じる。
何が起こったのか、本当に一瞬過ぎて分からなかった。
ただ感じたのは、見たくはなかったと思う気持ちと張り裂けそうな胸の痛みだけ。
自分の事を好きだと言ってくれたのに、見せられたそれが余りにも悲しすぎる。
信じたいと思う気持ちと、信じられないという気持ちが胸の中で交錯し、更に胸が苦しくなった。
そして、こんな苦しい思いをするくらいなら、初めからなかった事にすればいいと考えたのである。
それが、自分の我侭な感情だとしても、そう思わずにはいられなかったのだ。
届かない想い
「大丈夫ですよ、息子さんは体を鍛えていらしゃいますから、大した怪我はしていません」
医者の言葉に、母親が安堵したように小さく息を吐き出して再度聞き返すように口を開く。
「本当ですか?」
母親の言葉に医者は、力強く頷いて返す。
そして、手元のカルテに目を通した。
「ええ、全く問題ありませんよ。ですが、強打した場所が場所ですから、何か後遺症が出る可能性もあるでしょう……その辺りは、検査してみないと分からないのですが・・・・・・」
「……後遺症ですか?」
医者の言葉に、不安そうに問い掛ければ、相手はカルテから視線をはずし、母親に向ける。
「ええ……勿論、詳しい事は分かりませんよ。ですが、場所が場所ですから、しっかりと検査をした方がいいでしょう」
「はい、宜しくお願いします!!」
医者の言葉に大きく頷いて、それから入院の事について説明を受けてから、母親はその部屋を後にした。
「失礼いたしました」
一礼してからドアを閉めて、小さく息を吐き出す。
「お母さん!お兄ちゃんは?」
ドアを閉めるのと同時に、心配そうに走り寄ってきた自分の娘に、母親は安心させるように笑顔を見せた。
「…大丈夫よ、大した事はないそうだから・・・でも、検査の為に何日かは入院が必要になるみたいね。心配しなくても、太一なら直ぐに帰れるわよ」
ニッコリと笑顔を見せれば、安心したのかヒカリも小さく笑顔を返してくる。
「それじゃ、ヒカリは太一の所に行ってなさい。私は、入院の手続きをしてくるわね」
「うん、分かった」
ヒカリが頷くのを確認してから、母親はもう一度だけ笑顔を見せると受け付けへと歩き出す。
母親の後姿を見送ってから、小さく安堵の溜息をつくと、ヒカリは太一が運ばれた病室へと急いだ。
「・・・・失礼します……」
何度かドアをノックしてから、病室に入る。
「お兄ちゃん!!」
「よぉ!ヒカリ。心配かけて、悪かったなぁ」
入って直ぐに、ベッドに起き上がっているその姿に、ヒカリは驚いて近付いていく。
頭に包帯を巻いているが、元気そうなその姿に、ヒカリは安心したように笑顔を見せた。
「大丈夫なの?」
「ああ、大した事ない。それにしても、何で俺、階段から落ちたりしたんだ?」
頭に手を当てて、太一は自分の失敗に呆れたように呟やくとため息をつく。
太一のその言葉に、ヒカリは一瞬心配そうに太一を見詰めた。
「……お兄ちゃん、覚えてないの?」
「何となく、覚えてはいるんだけど……何か、今一ハッキリしないんだよなぁ……」
質問にはっきりと言葉を返して、太一は曖昧な自分の記憶をはっきりさせるように小さく頭を振ってみる。
だが、それが傷に障ったのその痛みに一瞬顔を引き攣らせた。
「お、お兄ちゃん!大丈夫?」
顔を顰めている太一に、慌ててヒカリが手を伸ばし、心配そうにその顔を除き込む。
「…ああ……心配ない…ごめんな、ヒカリ。買い物に付き合ってたのに、逆に心配かけちまったな…」
自分の事を心配そうに見詰めてくる妹に、太一は申し訳なさそうに謝ると、その頭を優しく撫でてやる。
「ううん!お兄ちゃんは悪くない!!私が、お兄ちゃんを買い物なんかに連れ出したから……」
大きく首を振って返されたそれに、太一は一瞬苦笑を零した。
「ほら、そんな顔するなよ。大した事ないんだから…それに、階段から落ちちまったのは、俺がドジ踏んだ所為なんだから、ヒカリの所為なんかじゃないだろう?」
今にも泣き出してしまいそうな表情を見せるヒカリに、太一は安心させるように笑顔を見せる。
確かに、階段から落ちたのは自分のミスだという事は覚えている。
しかし、その前に何かがあったように思うのだが、それが何だったのか太一は思い出す事が出来ないでいた。
その思い出せない何かが分からないが、大した事はないだろうと太一はその考えを振り払うように、小さく自分の頭を左右に振る。
「それに、あんな場所でボンヤリしていた俺も悪いんだしな。人通り多い所だから、落ちるのが当たり前だ」
落ちる寸前の事を思い出しながら、太一は盛大な溜息をついて見せた。
誰かに押されたと言っても、あれは完全な事故だったと断言できるだけに自分が情けなくなってしまう。
「・・・・お兄ちゃん、何であんな所で立ち止まったの?」
「…分からない……。俺は、どうして立ち止まったりしたんだろうな……」
何気なく聞かれたヒカリの質問は、先程から自分がずっと考えている事。
だが、その答えは今だに自分の中に存在していない。
「お兄ちゃん・・・」
自分の質問に考え込んでしまった太一の姿に、ヒカリは心配そうに声をかける。
「まっ、何にしても、大した理由じゃないんだろうな。だから、もういいよ、ヒカリ」
ヒカリの声に、はっとしたように顔を上げた太一は、慌てて笑顔を見せるともう一度ヒカリの頭を撫でた。
それと同時に、ノックの音がして、ドアが開く。
「…あら、気が付いてたのね」
開いたドアから現れた人物は、部屋に入るなり太一の姿をみて安心したように微笑んだ。
「母さん」
余計な心配をかけたことに、申し訳無さそうな表情をして母親を見れば、優しい笑顔で返される。
「太一、大した事はないようだけど、怪我した場所が場所だから、検査の為に2.3日は入院が必要だそうよ。私は一度、入院に必要なものを取ってくるわね。ヒカリはどうする?」
返事は分かっているが、一様娘に返事を促すように尋ねれば、案の定予想通りの答えが返ってきた。
「お兄ちゃんと一緒にいる!」
「分かったわ。それじゃ、太一!今日ぐらいは、安静にしているのよ!」
予想通りの答えに満足そうに頷いて、母親は太一の顔を覗き込むように、少しだけ強い口調で伝える。
病院内で走り回るような子供ではないと分かっているが、元々じっとしているのが苦手という事を知っているだけに、怪我をした状態で病院内を歩き回られる事を心配しての注意。
「分かってる」
母親の言葉に小さく息を吐き出して頷くと、母親は満足したように頷いてみせた。
「それじゃ、夕方くらいにもう一度来るわね。ヒカリ、太一の事宜しくね」
「は〜い!」
母親の言葉に元気の良い返事を返すヒカリに、太一は苦笑をこぼしてしまう。
「私、出口まで送ってくるね!」
「ああ。あっ!ヒカリ」
母親と一緒に病室を出て行こうとする妹に、太一は慌てて呼び止めた。
「何?お兄ちゃん?」
「悪いけど、何か飲み物買ってきてくれよ。俺、喉渇いちまったから……」
「分かった!」
ニッコリと頷いてみせる妹の後ろから、『炭酸は駄目よ!』という母親の声が聞こえて、太一は思わず苦を零してしまう。
賑やかに出て行ってしまった二人の声が完全に聞こえなくなってから、太一は小さく息を吐き出した。
「……俺は、落ちる前に、何を見たんだ……?」
忘れてしまった何かを思い出そうと呟いてみるが、その何かは思い出せない。
大切なモノを無くしたように思うのに、何を無くしたのかさえ分からないのだ。記憶喪失だというのなら、自分の事や家族の事など覚えていないだろう。しかし、自分には確かにちゃんとした記憶がある。
無くしてしまった記憶など全くないと思えるのに、それなのに、自分の中で何かを忘れてしまったと誰かが語り掛けてくるのだ。
「……大した事じゃない。そう言ったじゃねぇかよ」
自分自身に言い聞かせるように呟いて、太一は起こしていた体を横にして静かに瞳を閉じる。
病室の中は静か過ぎて、まるで何処か別な空間に閉じ込められたような錯覚を起こさせてしまう。
何も考えないように、顔を手で覆い光を遮るようにした瞬間、控えめなノックの音がして、太一は驚いたように体を起こした。
ヒカリが戻ってくるには、余りにも早すぎる。
ここは一人部屋なので、自分以外の患者に見舞い客が来る事はまずないだろう。
「どうぞ」
相手が分からないので、緊張したように返事を返せば、一瞬躊躇された後、ゆっくりとドアが開かれ、遠慮がちに一人の少年が入ってきた。
「失礼します」
礼儀正しく頭を下げた人物は、金髪の髪で自分と同じ中学の制服を着ていた。
そして、その背中にはギターか何かの楽器が背負われている。
太一は、入ってきた少年を不思議そうに見詰めてしまう。
自分は、この入って来た少年に対して、少なくとも面識があるようには思えなかったのである。
『誰だよ、こいつ……』
当たり前のように自分の病室に入ってきた人物に、不信気な視線を送ってみても、相手が誰であるのかを訪ねる事が出来なかった。
どうしたものかと思いながら相手を見つめていると、先に声をかけられる。
「太一、大丈夫なのか?」
「えっ?!あっ、ああ……」
自分の視線に気付かないように訊ねられた言葉に、太一は慌てて頷いて返す。
だがそれで、太一はさらに疑問を感じてしまった。
『な、なんで、こいつ俺の名前、知ってるんだよぉ〜 (><)』
自分は相手の事を知らないのに、相手はちゃんと自分の事を知っているのだという事に、困るなという方が無理な相談であろう。
しかも、自分の返事に相手は安心したように優しい笑顔を見せた。
「そうか、良かった・・・・・」
『あっ・・・・』
胸を撫で下ろすようなそんな表情を見せられて、一瞬だけ胸がドキッとしてしまうのを止められない。
それほど相手の表情は、優しかったのである。
「……ごめん。お前の事、助けられなかった」
「はっ?」
だが、安堵したような表情が、直ぐに申し訳無さそうに表情になって謝られた瞬間、太一は訳が分からなくって、素直に首を傾げてしまう。
「お前が階段から落ちるの、見てたのに、助けてやれなかった」
「いや、別に、お前の所為じゃねぇんだし……助けるって言ったって、女じゃねぇんだから……」
突然頭を下げられた事に、困ったように言葉を返しながら、太一は自分の頬をかくような仕草をする。
一瞬、病室の中を重い沈黙が流れていくのを感じながら、太一はどうしたものかと小さく息を吐き出す。
自分は、相手の名前も分からない。
なのに突然、『助けられなくって悪かった』などと言われても、どう返すのが一番良いのか分かる訳がないのだ。
相手が誰なのか知りたいと思うのに、何かがそれを邪魔するように太一は何も言えずに相手の出方を待つ事にする。
「お兄ちゃん、飲み物買ってきたよ」
だが、相手が反応する前に、ドアが開いてヒカリが嬉しそうにジュースを持って戻ってきた。
「ヤ、ヤマトさん!!来てたんですか?」
だが、病室に顔を覗かせた瞬間、目の前に立っていた人物に驚いて思わず大声で相手の名前を叫んでしまう。
『やっぱり、ヒカリも知ってるヤツなのか?』
ヒカリの態度に確信を持ちながら、太一はヤマトと呼ばれた少年にもう一度視線を向ける。
「こんにちは、ヒカリちゃん」
自分の姿に驚いているヒカリに苦笑を零しながらも挨拶をして、ヤマトとは溜息をつく。
そんな態度に疑問を感じながらも、太一は笑顔を見せながらヒカリを迎え入れた。
「サンキュ、ヒカリ。何、買ってきてくれたんだ?」
「こんにちは、ヤマトさん。……えっとね、オレンジとアップル、それからピーチとか買ってきたんだけど……お兄ちゃん、どれがいい?」
ヤマトに挨拶をしてから、自分が買ってきたジュースの種類を太一に教える。
それは、果物ばかりのジュースで、どうやら母親が絡んでいるというのが伺えた。
そんなジュースを見ながら苦笑を零して、100%とかかれたミックスジュースの紙パックを一つ手に取る。
「これでいい。えっと、飲むか?」
ジュースを取ってから、思い出したように自分の目の前に立っている少年に尋ねてみれば、呆れたような瞳で見詰められた。
「ヤマトさんは、コーヒーか何か買ってきましょうか?」
太一の言葉に、自分が買ってきているものが果物系しかない事に気が付いて、ヒカリが慌てて申し出たそれにヤマトは首を振ると袋から100%オレンジジュースの紙パックを手にとって笑顔を見せる。
「いいよ、ヒカリちゃん。俺は、オレンジ貰うから」
優しい笑顔をとともに言われたそれに、ヒカリも笑顔を返す。
目の前で見せられた光景に、太一は一瞬胸が苦しくなるのを感じて、慌ててそんな二人から視線を逸らした。
『な、なんだよ。なんで、こんな……あいつの事、知らないのに……胸が、苦しいなんて……』
泣きたくなるような胸の痛みに、太一はグッとシーツを握り締める。
「太一、どうかしたのか?」
突然の太一の変化に気が付いたヤマトが、心配そうに太一に声を掛けてきた瞬間、胸の痛みが消えていくのを感じて、太一は小さく息を吐き出した。
「な、なんでもない!!そ、そんな事より、俺、お前の事なんて、知らない」
自分の感情に頭がイッパイで、思わず呟いてしまったそれに、太一は『しまった』と言う表情をみせる。
それが相手を傷付けると分かっていただけに、言えずに居たと言うのに、口をついて出てしまったその言葉は、慌てて口に手を当てても戻ってきてはくれない。
目の前では、驚いて瞳を見開いているヒカリの姿と、信じられないモノでも見るように自分の事を見ているヤマトの視線だけが残された。

はい、お初なのに続き物。しかも、ヤマトが少しかわいそうかも……xx
太一は、一体何を見たんでしょうかねぇ?
私は、どちらかと言うと、好きな子は苛めるんですが、今回の話はヤマトくんに
苦しんでもらいましょう!!
頑張れ、ヤマト!!きっと、明るい未来が待ってるぞ!(多分ね……)
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