私の前では、笑ってくれる。
  心からの笑顔じゃないけど、何時だって優しくって、私を大切にしてくれるのを知っているから……。
  でも、笑っている時も、その心は傷付いている。それを隠すように、私に笑顔を見せる、悲しく強い心。
  一番大切で、大好きなその人の心が、何時だって泣いているのを知っているから……。
  誰よりも幸せになって欲しいと願っているのに、その願いは何時だって届かない。

  神様、もし本当に存在すると言うのなら、何故私達と言う存在を作ったのですか?
  何故、誰よりも優しいあの人を苦しめるのですか?


 
                                        君の笑顔が見たいから 14 


「ヒカリ!」

 突然名前を呼ばれて、顔を上げる。
 そして、自分の方に走ってくるその姿を見付けて、ヒカリはそっと息を吐き出す。

 今、一番会いたくないと思う人。
 そして、一番自分の大切な人が近付いてくるのを、ただ黙って見詰めながら、ヒカリは、直ぐ傍に来た太一に笑顔を見せて手を振る。

「お兄ちゃん」

 嬉しそうな笑顔と共に、ヒカリが自分に向けて手を振ってくるのに、太一は思わずため息をついてしまう。

「お兄ちゃんじゃないだろう!お前は、女の子なんだぞ、こんなに遅くなったら心配するだろうが!」

 暢気に自分に向けて手を振ってきた妹に、少しだけ怒ったように言葉を投げ掛けるのは、本当に心配していたから……。
 ヒカリは、自分の目の前で、肩で息をしている太一に、素直に頭を下げる。

「ごめんなさい…ちょっと用事があって……」

 申し訳なさそうに謝るヒカリに、太一は慌てて首を振って返す。

「その、怒ってる訳じゃないんだ……俺も、言い過ぎた…ごめん…ヒカリにだって、理由があるのにな……」

 自分の言葉で、反省するように太一が小さく息を吐き出す。
 落ち込んでしまった太一に、ヒカリが慌てて首を振った。

「ううん、お兄ちゃんは悪くないよ。私の事を心配して、探してくれてたんだよね?有難う」

 最後はニッコリと笑って礼を言う妹に、太一も思わず苦笑を零す。

「……俺が、お前の事、心配するのは当たり前だろう。礼を言う事じゃない」

 苦笑を零しながら、太一がそっと自分の頭を撫でるのを、ヒカリはただ黙って見詰めるしか出来ない。

「……お兄ちゃん……」

 小さく呟いたそれに、太一が自分を見詰めて、何時もの笑顔を見せてくれる。

「それで、用事は、終わったのか?」
「えっ?…あって、うん……」

 突然尋ねられた事に、ヒカリが慌てて頷いて見返す。
 それに、もう一度笑顔を見せて、太一はゆっくりと歩き出した。

「なら、帰ろうぜ」

 そっと、背中を押され、ヒカリも小さく頷いて歩き出す。
 そして、自分の隣を歩いている兄に、視線を向けて、小さく息を吐き出した。

『……私だって、お兄ちゃんの事、心配するのは、当たり前なんだよ…』

 じっと見詰める兄に、心の中で呟きながら、ヒカリはもう一度小さく息を吐き出す。

「どうした?」

 じっと自分の事を見詰めてくる妹に気が付いて、太一が不思議そうにヒカリに問い掛ける。
 それに、ヒカリは何時もの笑顔を見せて、小さく首を横に振った。

「ううん、なんでもないよ……」

 何も心配を掛けたくないから、自分も兄に本当の事を言わない。
 これは、ずっと昔から続いている、自分自身への決め事。

 兄の苦しむ姿を見てきたからこそ、自分が大好きな兄を苦しめない為に、何も知らないフリをする。
 全てを隠して、ただ兄に笑顔を見せるのが、自分が決めた唯一の約束。
 自分の前でだけ、優しい笑顔を見せてくれる人だから、何も知らないフリをする。

 嘘でもいいから、笑ってくれるから……。

 だから、自分も嘘を付く。
 何も知らないフリをして、兄に笑顔を返す為に……。

「お兄ちゃん、大好きだから……だから、ヒカリを置いて、居なくなったりしないでね」

 離さないと言うようにぎゅっと兄の腕を掴んで、これだけは譲れないと言うように口を開く。
 その言葉で、兄がどう言う反応を返すのか分かっているのに、今直ぐにでも、消えてしまいそうな兄を繋ぎとめて置く為の言葉の鎖。

 苦しめたくないと言いながらも、それがどれだけ兄を苦しめているのか分かっていても約束して欲しいから……。

「……大丈夫だ、大切な妹を放って何処にも行かないよ……」

 困ったような表情を浮かべながらも、自分が欲しいと思う言葉をくれる人。
 複雑な表情を何時だって優しい笑顔に変えて、返事をしてくれる。

 矛盾した自分の心。

 苦しめたくないのに、自分が何時だって彼を苦しめていると知っている。

 自分と言う存在がなければ、彼は悩む必要などないのだから……。

「ほら、急げよ。まだ、夕飯の準備してないんだからな」

 何時もの表情で言われたそれに、ヒカリも大きく頷いて家路を急ぐ。

 今は、何も知らないフリをする。
 それが、自分が決めたたった一つの事だから……。






 空に浮かぶ月を見詰めながら、ため息をついてしまうのを止められない。

 今日、自分は好きな人を泣かせてしまった。
 反省していると言う訳ではないが、落ち込んでいると言うのは本当の所である。

「……救う…かぁ……」

 ポツリと呟いて、再度ため息。
 今、自分に付きつけられた現実に、ヤマトはどうするべきなのかを考えていた。

 自分が何を望んでいるのか、そして、何をしなければいけないのかと言う事を……。

「結局、あいつと話をしない事には、何も始まらないんだよな……」

 今、知らされた事は、周りから言われた事であって、本人から聞いた訳では決してない。

 そして、ヒカリ自身も、確かに言っていた、本人に聞けと……。
 それが、何を意味しているのかを知っているからこそ、後戻りなど出来ないのだ。

「……知る事で、あいつを苦しめるのだとしても、俺は知らなきゃいけない……本当の事を、全部……」

 自分の存在を否定しているのだと聞いたからこそ、放っておく事など出来ない。
 悲しむ相手が、妹だけではないと言う事を、確かに伝えなければいけないのだ。

「……それも、迷惑な話でしかないのかもしれないよなぁ……」

 自分で呟いたそれに、ヤマトは自嘲的な笑みを零す。

 それから、もう一度視線を空へと向ける。
 浮かんでいる月は、暖かく地上を照らし出している。
 そんな月明かりを浴びながら、ヤマトは再度息を吐き出した。

「……自分と言う存在を、否定しないでくれ…」

 ポツリと呟いたそれは、誰の耳にも届かずに、ただ風に流されるように消えていく。

「お兄ちゃん!」

 ぼんやりと月を眺めていた自分に突然声が掛けられて、ヤマトはゆっくりとした動作で振り返った。

「どうしたんだ、タケル?」

 ベランダに顔を覗かしている自分の弟に、ヤマトは形ばかりの返事を返す。

「……橘さんから電話だよ」

 すっと差し出された電話の子機に、ヤマトは意外そうな表情でそれを受け取る。

「智成?」
「急用みたいだから……」

 相手を再度確認するように問い掛けたそれに、タケルが頷いて言葉を返す。
 苦笑を零すように言われたそれに、ヤマトは不思議そうに首を傾げて、保留のボタンを押した。

「もしもし?」
『ヤマトか?…勝手で悪いとは思ったんだけど、俺なりに八神の事、調べてみたんだ』

 受話器の向こうから聞こえて来た真剣な声に、ヤマトは一瞬息を呑む。

『……お前、前に俺が言った事、覚えてるか?』

 言い難そうに尋ねられたそれに、ヤマトは訳が分からないというような表情をしてしまう。
 前にと言うのが、どれを指しているのかが分からない。

『八神が、超能力者だって言う話だよ!』

 分かっていないと言うのを気配で感じ取ったのだろう、智成が少しだけ声を荒げて言ったそれに、ヤマトは思わず頷いた

「確かに、そんな話したな……で、それどうかしたのか?」

 興味無さそうに呟いてヤマトが、ため息をつく。

 今、その話をされたら、自分はきっと頷いてしまうだろう。
 はっきりと言われた訳ではないが、確かにそれを裏付けるような事は何度も言われたのだから……。

『それが、本当だって言ったら、お前どうする?』

 そして、真剣な口調で聞かれたそれに、ヤマトは再度息を吐き出すと今の自分の気持ちを確かめるように口を開く。

「別に、本当だとしても、俺の気持ちは変わらない」

 はっきりとした口調で答えたそれは、智成にではなく、自分自身に言い聞かせるような言葉。
 そんな自分の言葉に、満足そうに智成が頷く。

『よし、それを確認したかったんだ。なら、問題ねぇ。後は、お前が直接八神から聞けよ。大丈夫、俺も、あいつが、どんな奴だって、変わらずに応援してやるよ』

 受話器越しに聞こえる明るい声に、ヤマトも笑みを零す。

「サンキュ、智成」
『お礼は、全てが上手く終わった時に聞くぜ。今は、これだけしか言えねぇけど…頑張れよ、ヤマト』

 苦笑を零すように言われた後で、真剣な声が自分を励ましてくれる。

「ああ……」

 ヤマトはそれに小さく、だがはっきりとした口調で返事を返して、短く挨拶を交わすと通信を切った。
 自分を応援してくれる存在がある事に、心から感謝してしまう。

「電話終わったの?」

 心配そうに下乱打に顔を出してくるタケルに、思わず苦笑を零す。
 ずっと今日は心配をさせていたのだと言う事を、思い知らされてしまう。

「ああ……なぁ、タケル…」
「何?お兄ちゃん?」

 自分から子機を受け取りながら、タケルが不思議そうに兄を見詰めた。
 真剣に見詰めて来る弟に、ヤマトは、すっと視線を逸らしてもう一度月を見る。

「……自分を否定するって、どう言う気持ちだろうなぁ……」
「お兄ちゃん……」

 ポツリと呟かれたそれは、答えを求めているものではなく、ただ呟かれただけのモノ。

「……いや、何でもない……心配掛けて、悪いな……」

 空を見詰めていた視線をタケルに戻して、ヤマトが自嘲的な笑みを見せる。

「……お兄ちゃん…」

 何も言わない兄を前に、タケルは何も答える事が出来ない。
 そして、複雑な気持ちのまま、夜は深けて行くのだった。



                                           



    はい、なんとか14終了!
    って、ヤマトさんまだ重い腰を上げてなかったのか!?
    遅すぎ……xx 駄目じゃん、ヤマト。
    周りが必死で奮い立たせてるって言うのに、本人が暢気に構えてるって、問題ありですよ。
    でも、これで、漸く動いてくれそうです。
    ここまでしてもらって、動かなかったら怒るぞ、私は!(でも、書いてるのは、私<苦笑>)

    そんな訳で、今回の気持ちは、ヒカリちゃんでした。
    怖い彼女を弁解するような今回の話、如何だったでしょうか?
    次は、出番の少ないタケルくんで、頑張ってみよう!(本気か?!)