望みは、一つだけ。
  叶わないと分かっていても、願わずにはいられない。
  こんな力が無い、普通の子供。たったそれだけの願いなのに、絶対に叶う事の無い願い。
  それはきっと、一番贅沢な望みなのだと、知っているから……。


 
                                       君の笑顔が見たいから 08


 教室から飛び出してきて、屋上に辿り着いた太一は、そこで大きく息を吐き出した。

「……こんなに緊張したの、久し振りだ……」

 そっと胸に手を当てて、瞳を閉じると太一は苦笑を零す。

「あいつ、すごく驚いてたよなぁ……当たり前だけど……」

 もう一度苦笑を零して、そのまま座り込むと、空を見上げた。
 青い空が広がっているのを、見上げてから、もう一度瞳を閉じる。

 ずっと昨日の夜から考え続けていた言葉を言えた事に、ほっとする。
 ヤマトの後姿を見送った後、自分を心配して家にまで来てくれた彼に、お礼を言いたくって、そして、一度で言いから、ちゃんと謝っておこうと決心したのだ。

 自分に唯一笑い掛けてくれる彼に、笑い返せない自分からの一度だけの謝罪。

「……大丈夫、期待なんてしてない……だから、もう関わる事なんて無いんだ…」

 閉じていた瞳を開いて、小さく息を吐き出す。

「…もう、話す事なんて、ないんだから……」

 諦めたように呟いて、太一は近くの壁に体を預けた。

 それと同時に予鈴のチャイムが鳴り響く。
 その音をどこか遠くに聞きながら、太一はゆっくりと瞳を閉じながら、吹く風に小さく体を震わせる。




「……戻って来ないと思ったら、こんな所で寝てるとはなぁ……」

 呆れたようにため息をついて、目の前で眠っているその顔を見詰めた。
 天気がいいとは言え、もう肌寒くなっている今の時期に、屋上で寝ているのには、驚かされてしまう。

「…確かに、あいつが気に入るような顔してるよなぁ……可愛いって言うんだろうけど……」

 寝ているからこそ、じっくりと顔を見る事が出来る。
 これが、目を覚ましている状態であると、人を寄せ付けない瞳で見詰められて、傍に居る事など出来ないだろう。

「っても、これ以上ここで寝かしておく訳には、いかねぇか……」

 再度ため息をついて、眠っている人物の肩に触れる。
 その瞬間、風に冷やされたその体温が余りのも低すぎて、掴んだ方の相手は、一瞬眉を寄せた。

「…おい、八神!起きろよ、八神!!」

 軽く肩を揺すって、相手を起こしにかかる。
 自分の呼びかけに、太一の眉が小さく動いて、それからゆっくりとした動作で瞳が開いていく。

「こんな所で寝てると、風邪ひくぜ……」

 呆れたように呟いて、まだボンヤリとしている太一に苦笑を零せば、一瞬の驚いたように自分の事を見詰めてくる瞳とぶつかった。

「目、覚めてるか?」

 驚いたように自分のことを見詰めてくる相手に、心配そうに声を掛ければ、小さく頷いて返される。

「……なら、一度くらい教室もどれよ。今、昼休みだぜ」
「……あの…えっと……ここって、立ち入り禁止なんじゃ……」
「ここの生徒は、結構来てるぜ。俺も、この場所は気に入ってるんだ」
「……橘…さん、だよな……石田と良く一緒に居る……」

 嬉しそうに空を見上げて笑う智成に、太一が困ったように問い掛けた。
 突然問われた事に、智成は意外そうな視線を太一に向ける。

「俺の名前、知ってるんだ。興味ないのかと思ってたぜ。そう、俺、橘 智成。ヤマトとは、小学校からの付き合いだ」

 自己紹介をしてから、ニッコリと笑顔を見せた。
 その笑顔は、人懐こい印象を与える事に、太一は少しだけ戸惑いを感じる。

「……俺が、言うのもなんだけどさぁ、あいつ見た目派手だけど、いい奴だから付き合って損はないと思うぜ」

 何も言わずに、自分の言葉を聞いている太一に、智成はそのまま困ったように話を続けた。
 だが、言われたその言葉に、太一は智成から視線を逸らして、小さく息を吐き出す。

「……分かってる……あいつと仲がいいんだろう…だったら、忠告してくれないか。俺には、近付かない方がいいって…あんたも、あいつの友達だったら、あいつが不幸になるような事、嫌だろう?」
「不幸になる?」
「…ああ、俺なんかに近付かない方がいいって、言ってくれ。それだけでいいから……」

 問い返されたそれに、小さく頷いてから、太一はぎゅっと拳を握り締めた。

「……悪いけど、俺には、そんな事言う資格なんて、ねぇよ。あいつが不幸になるとかそんな事関係なしで、あいつが自分で考えてんだから、俺が止める事じゃない。その結果、あいつが不幸になるっていんなら、それはそれでいんじゃねぇの……」

 智成の返事をじっと待っていた太一は、少しだけ呆れたように返されたその言葉に驚いて顔をあげる。
 そして、目の前に居る智成を見詰めた。

「……あいつが、言ってたんだよ。お前の笑顔に惚れたんだって……だったら、俺はそれを応援するだけだ。余計な事は言わない。初めてなんだ、あいつが自分から人に興味を持ったのって……」

 嬉しそうな笑顔で言われるその言葉に、太一は言葉を無くす。

 友人の事を本気で、心配しているその瞳を見詰めれば、心なんて読まなくっても分かる。
 彼が、ヤマトの事を大切に思っているという事が……。

「…大切な、友人なんだ……」
「ああ、俺にとっては、親友だな。だから、あいつの気持ちを尊重するんだ」

 自分の言葉に当然のように返されたそれ。
 太一は、小さく息を吐き出して苦笑を零した。

「……だったら、あんたも無理しない方がいいよ。特に、写真をとるのはいいけど、屋上から落ちるような事になったら、危険だし、あいつだって、心配する……」

 ぽんと智成の肩を叩くと、太一はそのまま踵を返す。
 言われた事の意味が分からなかった智成は、問い返そうと振り返った時には、既に屋上には、太一の姿は見えなかった。

「……どう言う意味だ?」

 そして、その後に、その言葉が本当に実現される事になるとは、思いもよらない事である。





「智成!!」

 屋上に続く階段を一気に駆け上がって、ヤマトはそのまま勢い良く扉を開いた。

「ヤマト?」

 突然現れた親友に驚いて、智成が振り返る。

「お、お前!そんな所で、何やってるんだ!!」
「何って、写真撮ってるに決まってるだろう」

 何を驚いているのか分からないというように、智成が返してくるその言葉に、ヤマトは呆れたように盛大なため言いをつく。

 今、智成が居る場所は、屋上のフェンスを超えた場所。
 一歩間違えば、そのまま落ちても可笑しくはない場所なのである。

「いいから、さっさと戻って来い!このバカ!!」
「んなに怒るなよ。何時もの事なんだから……」
「何時もの事じゃない!落ちたら、どうするつもりだ」

 慌てて自分の方に近付いてくるヤマトを前に、智成は思わず苦笑を零した。

「落ちねぇよ……何、もしかして、八神が教えたのか?」
「…ああ……お前が、危ないからって……」
「危ないってなぁ……どうして、分かったんだ?」
「お前が、フェンス越えるところ見てたんじゃないのか……いいから、早く戻って来い」

 呆れたように呟いて、ヤマトが智成に手を差し出す。

「ああ、大丈夫だって!」

 ヤマトが差し出した手を掴もうとせずに、そのまま智成が笑顔を見せる。
 だが、その瞬間、突然の風を感じて、二人は同時に瞳を閉じた。
 強いその風に吹かれた事で、智成のバランスが崩れて細いその足場から、片足がずれる。

「うわっ!」
「智成!」

 突然叫び声を上げた友人に、ヤマトが慌ててその手を掴む。

「さっさとフェンスを掴んで、バランス戻せ!」
「んな事分かってる!」

 カメラを首に下げた状態で、智成が慌てて手を伸ばしてフェンスを掴んだ。
 その後、何とか体制を整えた智成が、フェンスを越えて戻ってきた時、ヤマトは盛大なため息をついてみせる。

「……太一がお前の事を教えてくれなかったら、大変な事になってたぞ……」
「…ああ……今回は、本気で焦った……でも、今日もいい写真取れたからなぁ・・・・・・」
「お前なぁ、写真と自分の命、どっちが大事なんだ?」

 嬉しそうに自分の首から下げているカメラを抱えている智成を前に、ヤマトは呆れたようにもう一度盛大なため息をついた。

「まっ、悪かったって……でも、ここの写真は、フェンスが在るのとないのとじゃ全然違うんだよ」
「……お前が、記者になったら、命が幾つあっても足らないんじゃないのか……」
「…否定できねぇよなぁ、それ……」

 ヤマトの呟きに、智成が苦笑を零す。
 自分が、写真を撮る為に周りが見えなくなる事は、否定できない。
 しかも、記事を書くためなら、なんでもする自信を持っているのだから、問題があるだろう。

「…そう言えば、俺、八神と初めてまともに話したぜ」
「えっ?」

 床に座った状態のまま、智成が呟いたそれに、ヤマトが驚いたように相手を見る。

「……お前が、自分に近付くのをやめされろって、言われた。勿論、断ったけどな」
「ああ…俺もそれ、一番初めに忠告された。でも、あいつの目って、放って置けないんだ……」
「それ、俺も分かるぜ。すげー寂しそうな目をしてるんだよな、あいつ……」

 自分の言葉に帰ってきたそれに、ヤマトは少しだけ意外そうな視線を智成に向けた。

「…分かるって……俺は、お前よりも人を見る目を持ってるつもりだぜ。でなきゃ、記者なんて仕事は向かないだろう?」
「……確かに、そうだな……」

 苦笑を零しながら言われたそれに、ヤマトが納得したように頷いて返す。

「だから、友人の俺から忠告してやるよ。あいつに近付くには、真正面からぶつかった方がいいぜ。あのタイプは、一人で抱え込んじまうからな。これが、助けてもらったお礼だ、ヤマト」
「……簡単な礼だなぁ…」
「贅沢言うな!大体、本当の恩人は、八神の方だろう。だから、お前があいつを救うってのが、俺の感謝の気持ちに変わるって訳だ」
「……お前らしいな……」

 楽しそうに笑っている智成を前に、ヤマトは呆れたように苦笑を零した。
 自分が太一を救う事。それは、最近何度か言われた事である。
 そして、自分自身が一番しなくってはいけない事。

「……運命なんて、俺は信じてないけどな。お前と八神の件に関してだけは、何となく運命みたいなものを感じちまう。お前が、八神の笑顔を見れたのは、その笑顔を救うためだったんじゃないのか?」
「えっ?」
「なぁんて、くさい事言っちまったな……」

 自分で言った事に笑顔を見せる智成を前に、ヤマトは言葉もなくただその言われた事を頭の中で繰り返していた。

 『運命』そんな事は、自分だって信じない。
 だけど、この事に関してだけは、それが本当にそうだと思いたいと感じている自分に、ヤマトは思わず苦笑を零すのだった。



                                           



      はい、『君の笑顔〜 08』です。
      智成と太一を絡ませたかったお話。(笑)
      本当にいい友人だよ、智成くん。そして、何て危険な事をしてるんだか!
      彼の夢は、記者になる事。今の部活は新聞部。もう、真面目に頑張っています。
      裏表のない性格ですので、太一君とも、いい友人になれそうです。似たもの同士かも…<苦笑>
      
      そんな訳で、本当にこの先どうなるのか分からない『君の〜』なんですが、後2話で終わるといいなぁ。
      あくまでも、希望なんですけどね。どうなる事でしょう。それは、私にも分かりません。