もしも、自分が普通の人と同じだったら……。
  そんな事を考えた事がないなんて、言えない。
  でも、もしもなんて存在しない事を知っているから……。
  期待をすれば、裏切られた時の衝撃は大きくなる。だったら、最初から期待なんてしなければ、いいだけの事。


 
                                        君の笑顔が見たいから 06


「お兄ちゃん!」

 戻ってきた太一に、ヒカリが心配そうに駆け寄ってくる。

「心配掛けて悪かったな、ヒカリ」

 ニッコリと笑顔を見せて妹の頭を撫でる太一の表情は、別れた時のような顔色をしていない事に、ヒカリはほっと胸を撫で下ろした。

「ううん、お兄ちゃんが元気になってくれれば、それだけでいいんだよ」

 少しだけ涙眼になっているヒカリに、太一はただ優しい笑顔を見せる。

「お前の友達にも謝っといてくれ…余計な心配掛けちまったからな」
「うん、分かった……でも、本当に大丈夫なの、お兄ちゃん?」
「ああ、もう全然なんともないよ。ちょっとな、急に走たから気分が悪くなっただけだ……ごめんな、心配掛けて…」

 申し訳なさそうに誤る兄の姿に、ヒカリは大きく首を振って返す。
 そんなヒカリに、苦笑を零しながら、もう一度その頭を撫でてやる。

「…じゃ、まずは着替えるから……母さん達、今日も遅いんだろう?」
「うん、電話があった…先にご飯食べてなさいって……」
「そっか……んじゃ、今日も俺の料理で我慢してくれよ、ヒカリ」

 少しだけ悲しそうな瞳をしてから、太一がからかうようにウインクをしながら自室への扉を開く。

「お兄ちゃんの料理おいしいよ!私は、好きだからね」

 自分の言葉にムキになって返してくるヒカリに、太一は楽しそうに笑顔を見せた。

「そう言ってくれるヒカリの為に、頑張って作るな。ヒカリは、何が食べたい?」

 自分の部屋に入って荷物をベッドの上に放り投げてから、太一は出入り口で立っているヒカリを振り返る。

「オムライス!」
「……俺の得意料理で、助かるよ」

 自分の問い掛けに返ってきた答えに、太一は思わず苦笑を零した。

 小さい頃から、両親が共働きをしていた為に、こうして遅い時には夕飯の準備もするのが当然で、そのお陰で太一は家事は全般的に得意である。
 それでなくても、引け目を感じている両親に、迷惑が掛からないよう、出来るだけ家の事はしっかりとこなせるように努力したのだ。
 勿論、一人だけでなく、大切な妹が居ると言う事からも、太一にとってそれは何の苦にもならない努力ではあったのだが……。

「それじゃ、ヒカリの為に、一生懸命作るよ」

 ニッコリと笑顔を見せて、太一は制服を脱ぎ始める。

「それじゃ、私も手伝うね」
「サンキュー、ヒカリ」

 脱いだ上着をベッドに放り投げて、太一がニッコリと笑顔を見せた。

「……お兄ちゃん、また怪我したの?」

 だが、服を脱いだ太一の腕に包帯が巻かれているのを目ざとく見付けたヒカリが、不安そうな表情を見せるのに、太一は慌てて上着を羽織るとそれを隠す。

「ああ…大した事はないから、大丈夫だ」
「……うん」

 慌てたような兄の態度に、不思議そうな表情を見せるが、ヒカリはそれ以上の追求をしてこないことに、太一は、ほっと胸を撫で下ろした。
 自分の体に無数の傷がある事を、妹が心配しているのを知っているからこそ、これ以上の余計な心配はさせたくない。
 まさか、わざと傷を付けていると言う事を教えられるはずもないだろう。

 そして、本当は……。

「…お兄ちゃん?」

 自分が考えていた事に、心配そうな声が掛けられて、太一ははっとしたように顔を上げた。
 泣かせたくはないのに、自分が今考えている内容は、きっと妹を泣かせてしまうだろう。

「何でもないよ……それより、お前ずっと俺が着替えてるの見てるつもりか?」
「あっ!ごめん……」

 太一が苦笑しながらもらした言葉に、ヒカリが慌てて部屋から出て行く。
 そんな妹に、太一はもう一度苦笑を零した。
 そして、ゆっくりとした動作で制服のズボンを脱いで、出して置いたモノをはく。
 服を着替えて、一息ついてから、太一は制服を脱ぎ捨ててあるベッドに腰をおろした。

「……本当は、死にたいんだ……なんて、言えないよなぁ……」

 ため息をついて、苦笑を零す。わざと怪我をしている本当の理由。
 なのに、未だに自分の思い通りの結果を得られない。

 もっとも、得られていたのなら、自分は今ここに存在していないだろうが……。

「……開放されたいのに……どうして……」

 ぎゅっと自分の腕を掴んで、太一は息を吐き出した。
 まるで、何かに邪魔されるかのように、自分の望みは叶えられない。

 ただ自由になりたいのだ。
 自分が望んでいるのは、それだけ。
 だけど、自ら命を絶つ事など出来ないので、事故が起きるのを待つのだ。

 事故ならば、誰もが諦めてくれるから……。

「……卑怯だよなぁ…こんな風に考えるなんて……」

 自分の考えている事に、自嘲的な笑みを浮かべる。

「……だけど…俺は……」

 逃げだと言う事を分かっているが、それ以外に自分が開放される道が分からない。

 怯えながら生きていく事に、疲れてしまった。
 人の心なんて、本当は知りたくなんかない。
 だから、そこから開放されるためには、それしか方法がないのだ。

「……な、なんで……」

 自分の考えに浸っていた太一は、突然聞こえていたその声に、驚いて顔を上げた。
 今、その人の声が聞こえてくるはずなんてないのに、はっきりと自分の名前を呼んでいる。

「……どうして…俺の名前を呼ぶんだよ!」
「お兄ちゃん!」

 突然聞こえてきた太一の悲痛な声に、ヒカリが驚いたように部屋に飛び込んできた。

「ヒ、ヒカリ……」
「どうしたの、お兄ちゃん?」

 今にも泣き出してしまいそうな不安な表情を見せている兄に、ヒカリが心配そうに声を掛けた瞬間、玄関の呼び鈴が鳴り響いた。
 それに、太一の肩が大きく震えるのを見て、ヒカリはその表情を険しいものに変える。

「お兄ちゃん、私が出るね」
「えっ?ヒカリ……?」

 がっしりと自分の肩を掴んで言われたその言葉に、太一は驚いたようにヒカリに視線を向けるが、その姿は既に部屋から出て行くところであった。




「…突然来ちゃったけど、いいのかなぁ……」

 ドアの前に立ちながら、タケルが心配そうな表情をして隣に居る兄を見上げる。

「……心配だったんだから、仕方ないだろう……」

 ここに来るまでに、自分の気持ちと言うものを弟に話してしまい、少しだけ照れくさいのもあって、思わず口調が荒いものになるのは、止められない。

「…気持ちは、分かるんだけどねぇ……」

 そんな兄の態度に、タケルは盛大なため息をついた。
 それと同時に、今まで閉ざされていた扉が、ゆっくりと開く。

「ヒカリちゃん!」

 中から顔を覗かせた少女に、タケルが嬉しそうにその名前を呼んだ。

「今晩は、タケルくん……今日は、送ってくれて有難う」

 ニッコリと可愛らしい笑顔を見せて、ヒカリがタケルに礼を述べる。
 そんな様子を後ろで見ていたヤマトは、思わず納得してしまう。

『確かに、タケルの言葉通りの子みたいだよなぁ……』

 可愛い子だと言っていたタケルの言葉を思い出しながら、ヤマトは感心したように二人の遣り取りを見守っていた。

「……それで、お兄さんの具合大丈夫なの?」

 だがそこで、漸くここに来た目的の内容に差し掛かった時、ヤマトが思わず身を乗り出してしまう。
 そんなヤマトに気が付いて、ヒカリは一瞬だけそちらに視線を向けると、タケルにもう一度笑顔を見せた。

「大丈夫だよ、お兄ちゃんもタケルくん達に謝っておいてくれって言ってたから…心配して、わざわざ来てくれたんだよね。有難う」

 ニコニコと笑顔を見せるヒカリに、タケルもニッコリと笑顔を返す。

「…確かに、ボクも心配してたんだけど、ここに来たのは、ボクのお兄ちゃんがどうしても様子が知りたいって言うから、来ちゃったんだ……ごめんね、迷惑じゃなかったかなぁ?」
「そんな事ないよ、有難うv あっ!ここじゃなんだから、上がってよ!」
「ううん、もう遅いから、ボク達帰るね、ねぇ、お兄ちゃん」

 折角のヒカリの申し出なのだが、それに対してタケルが、後ろにいる兄を見上げる。
 突然声を掛けられたヤマトは、驚いたように慌てて頷いて返した。

「あ、ああ……それじゃ、太一に宜しく、伝えてくれるかなぁ…」

 慌ててそれだけを言うと、ヤマトが踵を返そうとする。
 それにヒカリは、一瞬だけそんなヤマトを睨み付けるような瞳を見せてから、タケルへと笑顔を見せた。

「…あっ!タケルくん、ちょっとお兄さんとお話させてもらってもいいかなぁ?」

 だが、ヒカリが呟いたその言葉に、ヤマトの足が止まって、驚いて振り返る。
 そして、タケルも不思議そうな表情を見せるが、素直に頷いた。

「えっ?うん……それじゃ、ボク先に帰ってるね」
「えっ、おい、タケル……」

 自分に手を振って歩き出していく弟に、ヤマトが驚いて呼び止める。

「それじゃ、お兄ちゃん、後から追い付いてきてよ」

 大きく手を振る弟に、ヤマトは盛大なため息をつく。

 そして、ゆっくりとヒカリの方に視線を移した。
 その瞬間、自分と目が合ったヒカリがニッコリと笑顔を見せる。

「……ヤマトさんですよね?」
「……えっ?ああ…そうだけど……」

 突然自分の名前を呼ばれた事に、少しだけ驚きながらも、返事を返す。

「……あなたが、お兄ちゃんを救ってくれるって言うのは分かってるけど、あなたがお兄ちゃんを苦しめるんなら、私は、絶対にお兄ちゃんを渡したりしない!例え、お兄ちゃんが認めたって、絶対に許さないんだから!!」
「はぁ?」

 突然捲くし立てられたその言葉の意味が分からずに、思わず首を傾げてしまうのは、仕方ないだろう。

「それくらい、自分で考えてください!でないと、あなたにお兄ちゃんを救う事なんて出来ないんだから!」
「ちょ、ちょっと!」

 言いたい事だけを言うと、無常にも相手はドアを閉めてしまう。
 後に残されたヤマトは、意味が分からず、その場に立ち尽くしてしまった。

「……救うって……」

 その場に取り残されたまま、ヤマトはそっと言われた事を復唱する。

 救いたいと思う気持ちは、誰にも負けていないと思う。
 だけど、知ろうとすれば、余計に相手を傷つけてしまう事だってあるのだ。
 それを知っているからこそ、自分に太一を救う事などできるのだろうか。

「……俺だって、あいつの心からの笑顔が見たいんだ……そのためなら、何だってしたいって思ってる…でも……」

 まだ、彼の心を救う事なんて出来ないと知っているからこそ、歯痒さを感じるのだ。
 自分の無力さを、嫌と言うほど感じている。



 まだまだ、彼の笑顔を見る事は出来ない。




                                           




      ま、またしても、太一とヤマトの会話がない・…xx
      う〜っ、何時までこんな暗い内容なんでしょう。太一さんを早く救ってください、ヤマトさん。
      それにしても、太一さんが死ぬ事まで考えていたとは……そこまで追い詰められているんですね。
      救うのは、本当に大変そうです。頑張ろう、ヤマトさん!(笑)
      一緒に頑張るからね。(嬉しくないって……)

      そんな訳で、まだまだ続きそうです。<苦笑>