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見た事のない花畑。
空にはとても大きな満月。
まるで、この世のモノではないような幻想的なその景色の中、花畑の真中に座っている少年が一人。
何をしているわけでもない。
ただ、空を見ているだけ…。
「そこで、何をしてるんだ?」
ぼんやりと空を眺めている自分と年齢が同じ位のその少年に、話し掛けてみる。
動かないから、まるで置物のようで、ちゃんと生きているのか確認したかったのだ。
「……月が、綺麗だから……」
ずっと動かなかったその人物が、自分の問い掛けにふわりと笑顔を見せて言葉を返す。
突然向けられたその笑顔に、声を掛けた方は、一瞬言葉を無くしてその笑顔に見惚れてしまう。
心の何処かで、これは夢なのだと何かが語り掛けてくるが、そんな事を忘れるくらい、少年の顔がはっきりと月明かりに照らし出された。
「…確かに、綺麗な月だけど、そんなに見詰めてて、面白いものなのか?」
少年と同じように空に浮かんでいるその月を見詰めるが、ずっと見詰めていて楽しいものではない。
「……何も、見えないから…」
「えっ?」
「月は、何も見せないから…だから、見てるんだ……」
訳の分からないその言葉と同時に、少年が少しだけ寂しそうな笑顔を見せる。
「どう言う……」
意味が分からないそれを問い掛けるように口を開けば、悲しそうなそして、困ったような笑顔を見せて少年が、口を開く。
「…気を付けないと、怪我をする……弟の事が大切だって言うのなら、朝5分だけ時間をずらした方がいいよ、ヤマト……」
「なっ、何で俺の名前!」
問い掛けようとした瞬間、目も開けられない程の突風が起こって、ヤマトは手で顔を覆った。
そして、それと同時に、聞き慣れた目覚ましの電子音が鳴り響く。
「……夢…?……なんだ、あの夢は?」
今だ鳴り続けている目覚し時計を止めてから、ヤマトは疲れたようにため息をついた。
夢だと分かっている夢なんて、そんなモノを見たのは初めての事で……。
「…あいつ……」
そして、夢の中に出て来た少年の顔は、起きた今でもはっきりと思い出される。
「……5分、時間をずらす?」
最後に言われたその言葉だけが、頭の中に残っていて、ヤマトはもう一度ため息をついた。
ただの夢だとは思えない、余りにも生々しい、それ。
夢だと、終わらせられない何かがある。
そして、何よりも、はっきりと少年の顔を思い出せるから……。
「時間を、ずらす……」
そして、その言葉をもう一度だけ呟いて、ヤマトはゆっくりとした動作でベッドから起き上がった。
「なんで、今日は時間を遅らせたの?」
何時も、時間ぎりぎりではなく余裕を持って出掛けていたから、夢で言われたように5分だけ時間を遅らせて家を出てきた事に、弟が不思議そうに問い掛けてくる。
「ああ、今日は何となくな……」
不思議そうに自分を見詰めて来る弟に曖昧な返事を返して、ヤマトは何気無く前を見詰めた。
そして、目の前に人だかりが出来ているのに気が付く。
「何かあったのかなぁ?」
不思議そうに尋ねられた事に、ヤマトはそっとその人だかりを覗いてみる。
「お兄ちゃん?」
「事故みたいだな……」
見えたのは、歩道に突っ込まれた車。
幸い歩道を歩いていた者が居なかったお陰で、大した事故ではなかったらしい。
「本当、5分前の事なんでしょう?」
「今の時間は、登校中の子供達が居るから、危ないわよねぇ……」
そんな事故に興味ないと言うように弟を促して歩き出したヤマトの耳に、野次馬で集まっている主婦たちの会話が飛び込んできた。
『…5分前?』
言われたその言葉に、ヤマトは驚いたように立ち止まる。
「お兄ちゃん?」
急に立ち止まった兄に、心配そうな声が掛けられた。
「あっ、何でもない……急がないと、遅刻するよな……」
心配そうに見詰めて来る弟に、ヤマトは笑顔を見せて慌てて歩き出す。
偶然だと言ってしまえば、それまでの事。
だが、それだけでは片付かない何かがある。
確かに、自分達が何時も出掛けている時間よりも5分だけズラした結果が、今目の前にあるのだ。
もしも、夢を夢だと思って何時もの時間に出ていたとしたら……。
ヤマトはそこまで考えて、小さく体を振るわせた。
「……助けられたって、事なんだろうなぁ……」
ポツリと呟いて、ヤマトはもう一度ため息を付く。
そして、夢で出会った少年に、こっそりと感謝した。
全く同じ景色。
これが夢だと分かっていても、またあの少年に会えると思うと嬉しくなる。
昨日と同じように、歩いて行った先に花畑。そして……。
「また、会ったな」
昨日と同じように、花畑の中で月を見ている少年に、ヤマトは声を掛ける。
自分の声に、ゆっくりとした動作で、少年が振り返った。
「……時間、ズラしたんだな……」
自分の姿を見るなり、少年が優しく笑う。
「…お前のお陰って、言うのかどうか分からないが、事故に巻き込まれずにすんだ。サンキューな」
「俺は、何もしてない。俺の言葉を信じたのは、君だから……俺はただ、言葉を伝えただけ……」
自分のお礼の言葉に、すっと少年の視線がまた月へと戻される。
感情のないその言葉は、少年が見せる笑顔とは正反対のもの。
真っ直ぐに月だけを見詰めるその瞳に、ヤマトはそっと少年の隣に腰を下ろした。
そして、自分を見ない少年に、声を掛ける。
「なぁ、月は何も見せないって、言ってたよな。一体、何を見せないんだ?」
「………未来を……」
「えっ?」
ポツリと呟かれたその言葉が聞こえなくって、聞き返す。
だが、少年は何も答えずに空を見詰めているだけ……。
全く反応を示さない相手に、ヤマトは思わずため息をついてしまう。
笑顔を見せている時と、月を見ているその無表情さは、まるで別人のようで……。
「な、なぁ、お前の名前……」
「……風が吹く……」
「はぁ?」
ずっと月を見詰めている相手に、問い掛けた瞬間、ポツリと呟かれたそれで、ヤマトは思わず首を傾げた。
今は、風など吹いていない。
そして、それに対して何か言葉を返そうとした瞬間、昨日と同じ突風が自分達に吹き付けてくる。
「なっ!」
「……ヤマト、ここにはもう、来ない方がいいよ……」
「えっ?」
「ここは、ヤマトのような人が来る所じゃないから……さようなら…ヤマト」
風の音と共に聞こえて来たその声に、ヤマトは覚醒する意識を感じた。
そして、そのままの勢いで飛び起きる。
「なっ、何で、そんな勝手な事……」
自分の夢なのに、思い通りにならない。
あの少年と一緒に居たいと思っていたのに、彼は自分に来るなと言った。
そして、別れの言葉。
「……人の夢に出てきて、勝手過ぎる……」
ただの夢だと分かっていても、知らない間に自分の目から涙が零れ落ちているのに気が付いて、ヤマトは慌ててそれを拭った。
「……俺の名前は知ってるくせに、自分の名前は教えてもくれないのか?!」
夢の事で怒っている自分に、ヤマトは空しい事だと分かっていても、言わずに居られない。
勝手に人の夢に出てきて、勝手な事ばっかり言って、最後には『さようなら』と告げた相手。
自分に向けられた笑顔は、今でもはっきりと思い出せる。
そして、月を見詰める悲しそうな瞳だって、忘れられない。
たった2回しか出会っていないのに、くっきりと自分の中に焼き付けられた彼の表情。
不思議な少年の夢。
それが、何を意味しているのか、分からない事だが、これだけは分かる。
自分は、もう少年の夢を見る事は無いだろう。
それが分かるからこそ、涙が止まらない。
「……勝手、過ぎる……」
グッとシーツを握り締めて、声を殺して涙を流す。
どうして泣いているのか、そんな理由も分からないのに、涙は止まらない。
「もう一度、会いたいって思うのは、俺の勝手なのか?」
まだ夜も明けきらない時間の中、ヤマトは呟いて小さく息を吐くと、もう一度夢の中に戻る為に瞳を閉じた。

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