やきものと私
Potteries and Myself


やきものの道に入って5年が過ぎた。この道に入るとは、思っても見なかったことで

今でも、不思議に思ったりする時がある。動機は、何か精魂をかけて打ち込める

対象がほしかった。安定した仕事よりやりがい、充実を感じる仕事であれば良いと、

思っていた。以前(気持ちの切り替えのため、趣味的に入った道が、そのまま現在

の仕事となった。)と書いたが、そうではない。当時は、趣味の時間を持つなどと言う

気持ちのゆとりは無かった。今振り返ってみると、子供のころの思い出が、

影響しているようにも思われる。終戦後、私は愛知県で生まれた。両親は、沖縄出身で、

小学4年まで、山奥の、沖縄人の集まった部落で、家族と共に生活をした。

その当時は、まだ、沖縄人であることが、周囲からは、偏見の目で見られ、差別の対象に

なっていたようである。しかし、子供の私達は、そんなことは、つゆ知らず、野山を駆

け回り遊び惚けていた。当時風呂焚きが、私の役で、学校が終わると、隣家の子供同士で

枯れ木や、松の落ち葉をかき集め、リヤーカーに載せて、各自の家の納屋まで運んだ。

運び込んだ松葉は、風呂焚きの、焚き付けによく燃えた。風呂は、入るときに、

浮いている木の蓋を、底に沈めて湯船に浸かる五右衛門風呂で、風呂焚きは、好きな役で

あった。しかし、20分程焚くと、親と決まって交代になり、最後まで焚いたことは、なかった。

あれから27年が経っている。昔と変わらぬ薪の炎は、膝小僧を抱いて、ジーと、

炎を見ていた幼い頃の自分を、脳裏に写し出す。薪を焚く行為がなければ焼き物の道に

入ってなかったかもしれない。そして、炎を追って辿っていくと、遥か彼方に、縄文時代の

土器群がある。




ある日の窯焚き風景

                  

AM6:00仮設したパネルの床の堅さを感じながら、3時間の間に、だいぶ眠ったのか、

交代の時刻に起きてきた私を見て相棒は、「疲れていたんだな、大きな鼾を掻いていたよ。」

といった。昨日AM9:00より窯に火を焚きつけて、2日め60時間後、焚き口を本格的に焚き、

攻め焚きと仕上げをする。これからが本番。攻め焚きに入ると、もはや、一切食事をする

余裕がなく、ただ炎と向き合って、脱水状態を補う水分のみを補給する。後は気力と体力の勝負

である。焚き口で攻め焚きを10時間、薪を経てつづけに窯口に投げ入れ、燃え上がらせては、

薪を窯口に投げ入れる。温度は800度から1000度まで上昇する。5時間程経過すると、穴窯の両サイドに

開けられた小さな32穴の横穴より、吹き出し続けている真っ赤な炎の色が、絹糸のような

柔らかい炎に変わり、時間が経つにつれて、青白い炎に変わっていく。窯内の温度は1200度

近くに成っている。その時点を見計らって、空気孔だけを残し、焚き口を密閉、今度は横穴より、

仕上げようの細かい薪を窯内の壷をめがけて、下方の横穴より、順次に投げ入れていく。

窯内は白銀の別世界、薪を投げ入れ、炎を踊らせ、壷に景色(窯変)を写し取らせていく。

その瞬間は、神秘的で、タイムマシンに乗って古代の地に降り立ったような、

錯覚を感じさせてくれる。窯焚き経過時間81時間、窯焚き終了


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