『境界のない街』


 ホームに滑り込んできた電車を見て、和恵は憂鬱になった。7時過ぎのこの時間は、いつものことながら、満員だ。今日は、朝から小雨が降っていて、誰もが雨具を持って乗り込む。いっそう混み合うことになる。夕方から恋人の榊武史に会う予定で、おしゃれをしてきたというのに。水色のワンピースも、H駅に着いた頃にはしわくちゃになっているに違いない。こんなことなら、いつものように野暮ったいスーツでも良かったのに、と後悔した。

 扉が開き、数人の客が降りるやいなや、ホームの乗客が一気に流れ込む。和恵も、その流れに押し込まれるように、電車に乗った。さっそく、買ったばかりパンプスを踏まれ、肘で肩を突かれよろけながらも、どうにか自分のスペースを確保する。毎日の通勤である程度のコツが分かってはいるものの、決してこの四十分は楽しいものではない。勤務している学校のそばに引っ越そうか、と考えたことも一度では無い。しかし、今でさえ会う機会が少ない武史と同じ街に住んでいたいとの思いで、実行できない。周りにいる化粧の匂いのきついOLや、昨日の酒の抜けきっていない中年男性も、事情こそ違え、やむにやまれぬ理由でこの理不尽な習慣を続けているのだろう。

 電車が走りはじめてから少し経った頃、脚の辺りに、不審な感触があった。後ろに立っている男が、手のひらで撫ぜているのだ。押されたときに少し見ただけだったが、確か、通勤時間には不似合いな、大学生くらいの男だった。この路線では、痴漢は珍しくない。これだけ男と女が体を密着させていれば、そんな気持ちになる不心得者もいるだろう。和恵自信も、何度か痴漢に遭っている。

 男の手は、徐々に這い上がってくる。愉快な経験ではないが、あえて咎めだてしようとはしなかった。この満員の電車の中でいざこざを起こしたくなかった。しらを切られて、朝からもめるのはたくさんだ。男にしても、この混雑の中では、そんなに大胆なことはできないだろう。男の手がストッキングの切れ目で、ちょっと驚いたように止まった。和恵は、ガーターで吊るタイプの、シルクのストッキングをしていた。いつもはパンティストッキングを穿いているのだが、あとでデートに行くのでこれを選んできた。しばらくして、手は再び摺りあがりはじめた。和恵も痴漢に直接肌を触られたことがないので、その感覚に動揺していた。ストッキング越しに多少触られても、別に何ともないが、素肌を、それも今日のように触るか触らぬかの微妙なタッチで触れられると、微かな性感が湧きあがってくる。両脚をすりあわせるようにして、手を防ごうとしたが、この姿勢ではほとんど効果がない。ついにパンティの上から、微かに湿った溝を撫でられてしまった。

 「むぅ。感じちゃう」

 まったく身動きのとれないなか、パンティ越しとはいえ、性器をまさぐられていると、マゾヒスティックな快感が湧き起こる。和恵は、恋人の武史とのセックスでも、SMじみたことをされた経験がある。脱いだパンティストッキングと浴衣の紐で両手をベッドに縛り付けられて、全身を舐めまわされただけだが、その時も異常に感じてしまった。

 動揺して、感覚を押さえつけようと、きつく目を閉じたが、逆効果だった。意識のすべてが股間に集まり、より深い波が襲ってくる。強い力で、背筋が反り返らせられるような、抗うべくも無い快感が、大きな手で和恵を捉えていた。

 「来る。あっ」

 男の手がパンティの股布を横にずらすようにして、そっと陰唇の縁を撫ぜた。その途端にゾクゾクとした震えが両の太股に走った。指は焦らすように縁取りの溝をさすっている。

腰がクイクイと迎えに行くような動作をしてしまう。

 「早くいれて。あそこを掻き回して」

 和恵は心の中で哀願していたが、男の手はふいに引き上げてしまった。S駅で降りるのかもしれない。

 「そんなぁ。生殺しはイヤ」

 そんな和恵の心の叫びを聞いたのか、男の手が再び股間に伸びてくる。そして、今度は素早く股布の内側に忍び寄ると、指をヴァギナに挿し込んできた。ぬかるみは難なく男の指を受け入れた。2本の指が、一気に奥まで侵入する。

 「ああ」

 不意を衝かれて和恵の腰がガクンと落ちる。痴漢にあってこんなに感じたことはなかった。そう思う間もなく、今までより数倍する大きな波が、下半身を襲った。

 「!!」

 目の前が真っ暗になり、続いて眩しい光の点滅が渦巻いた。上下の感覚がなくなり、世界がぐるぐると周っているように思えた。

 「何なのこれって」

 和恵は電車がS駅に着いたのも分からずにいた。人の波がホームに流れ出す。和恵もそのままその流れにのっていた。

 気づくと、改札を通り抜け男に連れられてS駅の西口を出て行くところだった。あまりの快感に体の力が抜けきって、歩くのもままならない。下半身では、繰り返し新たな波が押し寄せ、弾けている。自分が別人になってしまったような恐ろしさに、全身が震えた。そして、その恐怖感さえもが、被虐的な快感に変わっていくのだ。男はすでに股間から手を引き上げているのだが、和恵の快感は暴走を始めてしまったようだ。

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