ワールドカップ備忘録その1:カルチョの真の危機

Last Updated 2003/4/30

2002年7月2日。韓国にて。

このワールドカップ、強く感じたのはカルチョの危機ですなあ。
いままでにもこのメーリングリストとかで書いてますが、カルチョの危機っていよいよ鮮明になってきたような気がします。ただ、いままではカルチョが90年代に見せていた攻撃的な守備が失われた、という意味で危機だと感じてましたが、ことはもっと深刻だ、と思うようになったすねえ。
真のカルチョの危機というのは、偉大なる守備者が現れてこないのではないか、という危惧にあるですよ。
延々と続くカルチョの偉大なる守備者の系譜って、ジェンティーレからベルゴミ、ビエルコウッド(笑)、バレージ、マルディーニ、そしてカンナヴァーロ、ネスタと続いてますが、今後それに続く担い手が現れてくるのかどうか心配です。バレージの時代まではそれこそ多士済済でしたが、今はレギュラーの3人以外で使えるのってユリアーノだけ?それも小粒感否めないすよね。
守備者の系譜ってその大きな根幹は、守備のセンスだったと思いますが、今のイタリア人ディフェンダーでそのセンスを感じさせる人は居ないですよね。なんでこうなっちまったのか?
攻撃陣は逆に豊作ですよなあ。アタッカーなんて選ぶのに苦労するほどだし。今の攻撃陣の主力はマラドーナとかプラティニ、そしてファンバステンあたりがアイドルだった時代で、しかも以降カルチョは世界中から攻撃的な才能を買いまくってます。となると子供はそれに憧れ、アタッカーを目指すようになるのではないかなあ?だってそっちのほうがつねに注目されるし、お金も稼げるしね。
結果としてカルチョをカルチョたらしめていた守備のセンスを継ぐ子供が居なくなってきているのではないすかね?
またそれに90年代のサッキとミランのセンセーションが拍車をかけているような気がするっす。
サッキの最大のコンセプトは集団連携守備だすが、それってある意味センスとは無縁なコンセプトなんだすよね。でも、実は最後に効いていたのはバレージの天才的なセンスだったりするのだけど。ただ、集団的守備を学習して結果を出していると、センスは磨かれないですね。おそらくは。
だとすると一大事ですなあ。
カルチョのアイデンティティはやはり守備にあるわけで、その根幹が揺らいでいるということなので。
カルチョがらしさを取り戻すためには、ネスタが健在なうちにネスタを継ぐ若者を育てないとならんと思いますなあ。でなければ、スペインやレバークーセンのように攻撃的にアイデンティティを変えるしかないですね。今のカルチョの陣容って、攻撃的なサッカーにこそ向いてます。しかし、アイデンティティは守備のまま。
きっと、だから勝てなかったんだろうと思いますなあ。
ヒディンクが監督だったら、韓国戦最後デルピエロを替えないだろうし、替えたとして入れるのはモンテッラではないですかなあ。そしてたぶんそういう手を打たれたほうが韓国はいやだったはず。
イタリアはどっちにするんでしょうか?たぶんアイデンティティは捨てられないので、矛盾を抱えたままヨーロッパでは今のドイツのようにぱっとしないかつての強豪となっていくんでしょうなあ。
ほんと危機ですねまじで。

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