牟呂用水の思い出 File−01

★新川での水泳ぎ
                                       大町忠久さん

 牟呂用水は私の家からほんの少しのところ(現在の中部中学校付近) にあります。
子どもの頃(小学3〜4年生)夏には近所の仲間と「 新川へ行くか−−−」と家から
裸で泳ぎに行ったものです。新川と言っていましたので牟呂用水と言う名前は使っ
たことがありません。用水が通じた頃、町中を流れる新しい川として「新川」と言っ
たのでしょうか。 新川小学校の名前も何か関係しているようにも思えますが、また、
新川の呼び名はどのあたりで使われたものなのかも面白そうですね。

 さて、新川には各所にコンクリートの階段があり、洗濯の場になっていました。 洗濯
場の川岸には柳が植えられていたように記憶しています。 そこは飛び込むのに格好
の場になっていました。飛び込めばすぐに反対の岸に到達しました。

 現在、国道の部分から市電の通る旭橋までの部分は暗渠になっていますが、昔はも
う少し短い暗渠だったように思います。その暗渠部分を、上流から泳いで抜けてくる遊
びもしました。

 しかし、川はゴミ捨て場にもなり、ガラスビンなども捨てられ、足を切るなど危険な川底
でもありました。また、蛭がいていつのまにか肢に吸いつかれている こともありました。
でも水の流れが速くきれいだったように思います。

 上流のダアダア橋(朝倉川の上を通過する部分)付近で大きなモクゾウガニを捉えた
こともあります。

 新川での水泳ぎは高学年や中学生になるとしなかったように思います。川幅が狭く水
深も浅いので豊川へ泳ぎに行くようになるのです。たしか私も小学5年の夏に中学生の
ガキ大将に連れられてお城下へ行き、やっとのことで向こう岸まで泳ぎました。自信のな
い者は中学生たちが肩につかまらせて渡りました。新川での泳ぎは、いわば水遊びのた
ぐいで水泳の基礎を我流で覚える場所でもあったと言えるかと思います。洗濯の親たち
に水がかかって叱られもしましたが大人たちの目の届く水遊びは見守られていたとも言
えますね。

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 , 牟呂用水/新川・松山