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目次

02月03日02月04日02月06日02月09日02月11日02月13日02月14日02月15日02月16日02月17日02月18日02月19日日記目次

申し訳ないのですが、このフィレンツェ日記(2/14-2/19)は旅行の写真がメインになるので、画像がとても多くて重いです。
また、レイアウトも、すべてのブラウザに対応しているとは言いがたいため、見苦しくなる場合もあります。ごめんなさい。
さらに、画像ファイルにアクセスキーを設定していません。ご了承を。何のことか分からないひとは無視してください。
画像の重さを考え、テキスト版を追加しました。待たされるのがいやな方は、こちらをご利用下さい。


02月14日・出発

晴れ。
成田からパリ経由でフィレンツェへ。
飛行機の絵エールフランスのジャンボだ。
しばらくぶりの海外旅行のせいか、離着陸の時に耳が痛くて苦労した。それに、さすがに成田-パリ間の長丁場はきつい。もう少し、席を広くとってくれればいいのに、などと思う。
出発したのはお昼過ぎ。太陽と同じ方向に飛んでいたので、シベリアを窓から眺められた。シベリア

11時間飛んで、それでも時差があるからド・ゴール空港シャルル・ド・ゴール空港に着いたのは夕方ごろ。八時間、時間を巻き戻したようなものだ。照明がとてもきれいだ。

今回は、ネット関連の状況調査も目的のひとつだから、とさっそく電話機空港の電話機を写真にとった(けれど、結局ここだけでしか写真は撮っていない)。通信用モジュラージャックのない、普通の公衆電話機だ。
パリからは、聞いたこともない小さなジェット機で一、二時間。窓から下を眺めると、とても暗い。森の上でも飛んでいるのか、と思ったが、それにしても暗さにむらがない。
時々明かりの固まりがあって、そこによく目を凝らしてみると、どうも海の上のようだ。さらにしばらく飛んでいると、目的地に近づき、段々高度が下がってきたためか、市街地とおぼしき明かりが、それと分かるようになった。やがて建物の形までが、はっきり見えてきたが、そうした明かりも、とても心細い、小さなものばかり。日本と違い、蛍光灯の明かりがあまりなく、そのせいでまぶしさが足りないのかもしれない。そんなことを考えているうちにフィレンツェペトレーラ空港に到着。もうあたりはすっかり暗くなっていた。
空港からバスでホテルへ。アルノ川沿いにあり、中心街からは少し離れている。
部屋はビジネスホテルのような雰囲気。フィレンツェは宿が慢性的に混んでいるというし、十分快適な広さは保っているから、特に不満はない。それに、どうせ眠るだけの場所だし。
荷物を整理して、一息付くと、さっそく電話やコンセントを調べた。
ホテルの電話機は、ジャック壁側は古いタイプのジャックだったものの、電話機自体はビジネスホンで、なんとかなりそうな感じ。ホテルの電話
ただし、電話機と受話器をつなぐラインのアダプタはRJ11ではなく、ちょっと小さめの専用ジャックになっている。
これではインラインカプラーは、残念ながら使えそうにない。
一方、電源コンセントコンセントは三つ穴で、たぶんサスコムなら大丈夫なはず。

ひととおり確認を終えると、もう疲れてもいるし、明日からの観光も考えて、今日は何もせず、早めに睡眠をとることにした。

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02月15日・ウフィツィ他

曇り。
朝食はホテルで。アメリカンスタイル。ベーコンエッグだけ暖かいものが出て、後はハムやチーズ、パンとお菓子一種を好きな量だけ取ってきて食べる。飲み物はコーヒーかジュース、ティー等。ベーコンはとても塩っぱい。この朝食は、旅行中ずっと同じだった。
コーヒーは、エスプレッソをお湯で割ったような感じだ。最初は、イタリア独特のコーヒーなのかな、なんて考えていたのだが、何回も飲んでいるうちに、分かってきた。こっちではコーヒーといえばまずエスプレッソ、あるいはカプチーノで、それ以外のコーヒーは、観光客に合わせて、特別に用意しているものなのだろう。
日本人が多い。このホテルに滞在中は毎朝、食堂に入ると、必ず朝食を終えようとしている日本人に多く出くわした。日本人だけの朝もあった。決まって彼らは、我々より早い時間にホテルを出発している。しかも、翌朝になると、いるのはもう別の日本人たちだ。その構成は、若い女性が9割以上。きっとフィレンツェには一日か二日ぐらいしか滞在しないのだろうな。その間に目ぼしいところを大急ぎで観光するのだ。もったいない、と思った。
朝食が終わると支度して、バスに集合。ここから観光のはじまりだ。
まずはサンロレンツォ教会フィリッポ・リッピ「受胎告知」、付属のメディチ家礼拝堂の新聖具室へ。
最近、屋根が落ちてきたとかで、部屋のまん中に大きなつっかえがあり、天井までのびていた。屋根だって石だから、もしひとにあたったらただではすまないところだったが、幸い閉館時のことだったらしい。ここでミケランジェロらの「昼」「夜」、それから「曙」「夕暮れ」といった
彫刻彫刻を見る。物憂気な表情。体も、象徴的な造型になっているらしい。
次は
SMN教会サンタ・マリア・ノベッラ教会へ。この中のスペイン人礼拝堂にあったフレスコ画には、どことなくユーモラスな悪魔悪魔が登場している。おもしろかったので、後で画集を買ってしまったのだが、その画集はフィレンツェの絵画に見る悪魔、とかそういうタイトルで、何とフィレンツェ周辺の芸術作品に登場する悪魔だけで、一冊の本にしてしまっている。フィレンツェの芸術には、それだけ多くの悪魔が登場しているというわけだ。これは、信仰心が篤いから、というべきなんだろうか。
緑の回廊のフレスコ画では、旧約の物語が描かれており、アダムとイブの間にたってアダムを誘惑する蛇には、女性の顔がついていた。
リリス多分これはリリスを意味しているんだ。
こういう風に絵で見せられると、聖書もきっと分かりやすいのだろう。
それからブルネレスキ卵の十字架像「卵の十字架像」を見る。ドナテッロがこれを見て、あまりの出来のよさに驚き、持っていた卵を落としてしまった、とかいう所以のもの。
この後ドゥオモへ。イタリアでは、街一番の大きな聖堂をドゥオモというらしい。フィレンツェのドゥオモは世界三番目の大きさだとガイドが言う(一番はバチカン、二番はイギリスのウエストミンスター)。
確かに物凄い大きさで、どこから写真を撮っても全体像が入らない。この聖堂の中には特殊な時計時計があって、文字盤を、「サンロマーノの戦い」を描いたパオロ・ウッチェロが作っている。15世紀から今でも動いているそうだが、その時の刻み方が、日没を始点にしている。一風変わった形式だが、中世には決して珍しくない形だったとか。
天井にはヴァザーリ最後の審判最後の審判。これもすごい。精緻で色彩あざやか。
ドゥオーモを出て、対面のサン・ジョバンニ洗礼堂を見る。ここの天国の門天国の門は、レプリカで、本物は修復中。世界最初の絵画コンテストで優勝したギベルディによるものだそうな。今日は外側を説明してもらうだけで、内部には、後日入ることになっている。ツアーの一同はシニョーリア広場へ向かった。
このツアーでは、とにかく徒歩で移動する時間が多い。おそらく、できるだけ多くの見どころを回れるよう、時間などが計算されているんだろう。フィレンツェぐらい小さい街になると、徒歩が一番身軽でいいのかもしれない。
途中、ダンテの生家があった場所です、と紹介されたところには、わりあい新しい建物がたっていた。ここで子供たちがいっぱいいて、私のデジタルカメラを指差して、何事か言い合っていた。DC240iは、iBookとおそろいのスケルトン仕様になっていて、日本でもたぶん、まだ珍しい。外観だけ見ているとカメラというよりおもちゃだから、それで子供たちの注意を引いていたのだろう。とほほ。でも、盗難にあわなかったのもそのおかげだったのかもね。
シニョーリア広場には彫刻が一杯。ネプチューン像のある噴水からはじまって、ドナテッロ「マルゾッコ」(ライオン像)や「ユーデットとフォロフェルネス」、アーケードで屋根のついたランツイロッジアの下には
サビーニの女たちの略奪「サビーニの女たちの略奪」とか「ペルセウス」がある。
ヴェッキオ宮殿も外観のみを見学した。中庭は日程に入っていなかったので、後日自由行動の日に見学した。
ここで休憩時間となり、両替をすると、待ち合わせの場所に集まり、昼食となった。最初の食事だったのだが、同行者の多くからは不満の声が少しあったみたい。魚の味付けがかなり大味だったのだ。それと、オプションで頼んだエスプレッソとが、ちょうど通過儀礼のような役割を果たしてくれたような気がする。エスプレッソは、日本で言うそれとはまた違って、とても苦い!!。日本でもイタリア料理はよく食べたけれど、そういう店で飲むエスプレッソなど、全く別の飲み物のようだ。うーん、イタリア人は、こういうものを食べ、飲んでいるのか、と思った。
午後は、半日かけて
ウフィツィ美術館ウフィツィ美術館を訪ねた。決してせまい美術館ではないのだろうが、絵や彫刻、その他の展示物の数が多すぎて、あまり広いような感じがしない。
すごく有名なところをあげるだけでも、ボッティチェリ(「ビーナスの誕生」「春」「誹謗」「マニフィカートの聖母」「柘榴の聖母」「ユーデイット」など)、ピエロ・デ・ラ・フランチェスカ(「ウルビーノ公夫妻の肖像」)、ジョットー(「玉座の聖母」)、マサッチオミケランジェロ(唯一のテンペラ「聖家族」)、ダ・ヴィンチラファエロフィリッポ・リッピパオロ・ウッチェロ(「サンロマーノの戦い」)、カラバッジオヴェロッキオなど。なぜか他国の絵画もあり、デューラーとかクラナッハレンブラント。他にもたくさん。
印象が強いのはティツィアーノ「ウルビノのビーナス」「フローラ」、ボッティチェリの「誹謗」天井画廊下の天井画のデザインもとても興味深かった。何日あれば、この美術館を堪能できるかは人によって意見が違うだろうが、半日ではとうてい足りないのは、明らかだった。後日、もう一度来たいと思った。
しばらく自由時間となり、テラスでお茶を飲んだりした後、ショップを見て回り、やがて集合時間となり、バスでホテルに帰った。
ホテルで夕食の後、部屋に戻った。
だいぶ写真を撮ったので、iBookに転送してみた。iBookの電源はサスコムを使って部屋のコンセントから取った。電圧の違いがちょっと不安だったが、大丈夫だった。ただ、カメラの方の電池がなくなってしまい、転送だけでも時間と電力を使うのがよくわかり、明日以降乾電池が必要だな、と思った。
次は通信だ。インラインカプラーは使えないし、不要だった。また、モジュラージャック接続アダプタも要らなかった。接続に使ったのは、結局モデムセーバーだけだった。ビジネスホンに接続している電話線のケーブルを引っぱり出して、そこにモデムセーバーを接続し、回線状態をチェック。極性が反転していたので、極性スイッチを入れ、そこからiBookの内蔵モデムに接続した。これでセットアップは終ったのだが、なぜが通信はうまくいかない。うまく接続できず、出来てもすぐきれたり、ずっと話し中だったり。朝日ネットのローマポイントとミラノポイント、それにAT&Tのフィレンツェポイントを試したのだが。しかたないので、時間を変えて試すことにした。

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02月16日・接続成功・ボーボリ庭園等

雨。
朝八時頃、再度接続を試みる。成功! メールサーバーにつながり、受信メールがダウンロードされ始めた時は、感激した。ただしローマポイントはやはりつながらず。結局最後までミラノポイント、それも朝だけしか接続できなかった。
まあこれでも目的は達成できるから、と気を取り直して、また観光へ。
サント・スピリト寺院フィリッポ・リッピ「聖母子と聖ジョバンニーノ」を見た。ここで記念撮影記念撮影
次にサンタ・マリア・デル・カルミネ教会。この中にはブランカッチ礼拝堂がある。祭壇の壁を飾るフレスコ、「聖ペテロの生涯」は、マサッチオの手になるもので、とても十五世紀の作品とは思えないほどに色鮮やかだ。だが、この本来の色が見られるようになったのは、修復を経た、わりあい最近の事のようだ。後でショップに立ち寄り、たまたまあった修復前の絵の葉書を買ってみて分かったのだが、この色彩も、長い年月のろうそくのすすのせいで、かなり色褪せていたのを、修復した成果だった。比較してみると、それがすごくよく分かる。後日のガイドの話によるとテンペラは正しい作法で描くと、何世紀もの間、きれいな色合いを保つらしい。逆に、ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」などは、悪い方法で作ったものだから、現在では非常に保存状態が悪い、とか。
「聖ペテロの生涯」の部分「楽園追放」でのアダムの局部には、以前別の人によって描き加えられたイチジクの葉があったそうで、それも修復の際に取り除いている。また、有名人が強引に自分も絵に描いてくれ、と作者に頼んだせいで、急ぎ過ぎて足を描き忘れた人物なども左手にはある。
ここでのガイドの説明は、とても気合いが入っていたが、それもなるほど、と思わせるような、素晴らしい絵だった。
ベッキオ橋へ。橋の両側には、貴金属を扱う小さい店が立ち並ぶ。どの店も、窓を大きくとって、川の向こう側の景色が見渡せるような作りになっていて、雰囲気がよい。これにつられて、ふらふらと店内に入ると、何百万リラの買い物をさせられてしまうのだろうな。まん中にちょっとしたスペースがあって、どこでもみかける葉書や小物を売っている店があり、そこでドゥオモをデザインした傘が売られていた。
橋からの眺め橋からの眺めもなかなかよい。
川を渡り切った通りを入ると、「おみやげに大人気のお菓子」などと日本語で描かれたお菓子屋があった。
そんな中に
インターネットの店「インターネット・トレイン」と書かれた店を発見。eメールサービスなどをしているらしい。この後、別の日にも同様の店をフィレンツェの旧市街でみかけた。来る前はイタリアの通信事情は悪く、特にフィレンツェはひどいと聞いたのだが、そうでもないのかも。ガイドも資料集めにインターネットを利用している、と言っていたし。
昼食後、ビッテイ宮殿パラティーナ博物館へ。
フィリッポ・リッピ「小椅子の聖母」他、ラファエロがふんだんにある。その他にはルーベンスファン・ダイクも。三島由紀夫が感動したという「サン・セバスチャンの殉教」もここの所蔵。ウフィツィもそうだが、フィレンツェの美術館は、展示スペースが小さすぎると思う。天井から腰の当たりまで、三段にして絵を掛けてあって、そのどれもがすごい作品だから、いちいち見ていられないし、視線から遠すぎるのでゆったり鑑賞できないのだ。いずれにしても時間が足りないけれど。ここでもティツィアーノ作品が特に心に残った。あと、魚変な魚の絵があった。
ボーボリ庭園。広い。眺めがいい。特に
眺望てっぺんからの眺望は、最高。だが天候は最悪だった。大雨。時々やむが、最後まで降り続けていた。
園内にはネプチューンネプチューンの噴水豊穣の女神像バッカスバッカスの噴水など面白い彫刻がいっぱい。グロテスクという言葉の語源になったというブオンタレンティグロックは見のがしてしまったのが残念。
フィレンツェの猫がいっぱいいて、どれも丸まると太っていた。町中では、犬はとても多いのだが、あんまり猫を見かけなかった。そのことをガイドに聞いてみると、こっちでは猫は家の中で飼うのだ、という。そして、飼いきれなくなった猫をこの庭園に捨てに来るひとが多いので、こんなに猫が多いのだそうだ。太っているのは、そうした 飼い主が餌を与えにやってくるからだという。実際、ガイドと別れて散策している折りにも、この雨の中、わざわざ猫に餌をやりにきているひとがいた。
ずいぶん歩いて疲れたので、夕食はテイクアウトを部屋に持ち込む。

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02月17日・アンジェリコの絵・ミロ展

曇り後晴れ。
朝、ネットに繋ぎ、昨日撮った写真を添えて友人たちにメール。朝食後、またも観光へ。
サンマルコ教会からサンマルコ修道院へ。ジョット「聖十字架像」ギルランダイオの(猫のいる)
最後の晩餐「最後の晩餐」、それにテラコッタの創始者の作品(ルカ・デラ・ロッビア? 名前忘れた)などが教会にあり、うーん、すごいすごいなどと思っているうちに
修道院修道院へ。ここはフラ・アンジェリコで埋め尽くされている。階段をのぼった入り口で、いきなり受胎告知に圧倒される。 教科書などでなじみの絵画の実物を見られるというのは、やはり貴重な体験だ。二階はかつての修道院を再現してあって、僧坊のひとつひとつにフラ・アンジェリコらの手になる壁画が描かれている。 房の大きさが違うのはなぜか、と同行者の誰かがガイドに質問したところ、やはり金持ちの部屋は大きく作ってあるんだろう、という答え。 本気で修行するひとと、好奇心で試しに入ってくる金持ちとでは、扱いが全然違う、という。持参金が多いほど、やはり待遇はよいのだ。
それにしても、この狭い部屋の中に閉じ込められて、毎日壁画を目の当たりにするのはどういう気分なんだろう。ここサンマルコは市内にあり、すぐそばを女性たちが談笑しながら歩くこともあった。そういう時に気をそそられないため、戒めのために各部屋に絵があるのだ、とガイドはいう。聖母の絵ならいいけれど、血を流したキリスト像なんかを毎日目の当たりにして暮らすのはいやだな、と思った。キリスト教徒には悪いが、病的である、と思った
この修道院には、フラ・アンジェリコの絵をスケッチしている学生らしき若者が多く、真剣に鉛筆を走らせていた。
奥には火刑にあったサボナローラの部屋。常に肌を刺して不快感を抱かせる服。これも何か戒めのためらしい。うーむ。妻によると、サボナローラと名前を残す特殊な形の椅子が一杯あったそうだ。
この後アカデミア美術館へ。日本人よりアメリカ人が多く訪れるというこの美術館は、ダビデ像などミケランジェロの彫刻で有名。
ミケランジェロの未完の彫像の中には、めずらしい彼のサインが残っているものがある。ダビデ像は、遠くから見るとすばらしいプロポーションで、近付くとだんだんスタイルが六等身ぐらいの頭でっかちに見えてくる。本来おくべき場所にあわせたデザインのせいでこうなっているらしい。「ミケランジェロに、ダビデの魂を解放してほしいと頼まれた」と称する輩がこの像の足の爪をハンマーで砕いてから、像の回りに囲いができている。
ここの彫刻では、ランツィのロッジアにもあったジャンボローニャ
「rape of Sabine woman」「サビーニの女たちの略奪」(石膏模型)がやはり印象に残った。あと、絵画もやはりいっぱいあって、ボッティチェリ「海の聖母」、ボッティチェリ作ではないかとされる「聖母子と幼い洗礼者ヨハネと二天使」がとてもよかった。
この後、メディチ・リカルディ宮殿を見る。現在も市の行政で使われている建物のため、規制が厳しく、時間がこないと中に入れてくれないだけでなく、写真撮影が禁止。だからこの中にあった、有名な作家の見事な聖母子像の絵画、題名と作者を忘れてしまった。もっとも、ここの礼拝堂の壁画ゴッゴリの「東方の三賢王」は、さすがに写真など撮らなくても忘れられない程強烈な印象を残した。これも15世紀に描かれたとは思えないほど状態がよく、色彩鮮やかだ。中に鷹や豹といった動物が描かれているのがおもしろい。
この宮殿の中庭もいろんな彫刻があった。
長い魚類と格闘している彫刻長い魚類と格闘している彫刻の前で写真をとった。
その後、初日に外面だけをちらっと見たサン・ジョバンニ洗礼堂の中に入る。
黄金でまぶしい黄金でまぶしい。大天使が12体、天井近くにいて、その下でアダムとイブの話に始まる聖書の物語が絵で描かれている。どこの教会でも同じだが、宗教的な建物の多くは、こうして色彩を鮮やかに使った絵物語が描かれているが、当時の人々に文盲が多かったからだそうだ。教会で説教を耳からきき、壁画の数々を目で見る。マルチメディアってやつかな。
昼食は量が多かった。一緒に頼んだビールがとてもおいしい
昼休みに書店に入った。イタリア語の本はどうでもよかったが、画集とか、あとDVDを見たかった。残念ながら、ほとんどめあたらしいものはなかった。ビデオテープはイタリア人監督のものを中心に大量にあったが、規格が日本と適合するか分からなかったし、字幕がないだろうからあきらめた。
次はサンタ・クローチェ教会
ガリレオマキャベリ、ミケランジェロなど、いろんな有名人の墓がある。ダンテの「記念碑」もある。フィレンツェを追放されたダンテの墓は他の都市にあるのだが、そことフィレンツェは、いまだに墓の場所を巡って喧嘩しているそうだ。
あと、入り口近くにアメリカ等の「自由の女神」の原形になったという
女神像女神像も。墓にはいろんな画家の絵もあって、ジョットの「聖フランチェスコ伝」やドナテッロの「受胎告知」などがあり、また
十字架像ドナテッロの十字架像などもある。 パッツイ家礼拝堂をみた後、付属美術館。付属美術館にあるチマブーエの絵画
十字架像「十字架像」は、1966年の洪水の際、かなりのダメージを受けている。洪水の恐ろしさを伝えるため、無理して補修しないことにしたそうだ。ここにあるオルカーニャ「死の勝利」には、色々と奇妙な生き物が描かれていて面白いのだが、うまく写真にはとれなかった。
ここでツアーの時間が終ったので、土産物を探しながら街を歩いた。レコード店で変な日本語がコラージュされたCD等を買った。 ぶらぶらしているうちに、初日からあちこちの垂れ幕やポスターで告知されていたジョアン・ミロ展をやっているストロッツイ宮殿に出たので、入った。
イタリアのルネサンス芸術とは全然趣が違うが、これはこれで貴重な経験だろう。絵画よりも彫刻やモニュメントの展示が多く、どれも原色を多用した派手なものだった。ここで展示されているミロの作品は、こんなことを言うとおこがましいが、抽象を表現しようとする苦悩の気持ちが伝わってくるものが多い。もちろん、そういう苦しみを吹っ切ったような作品もあって、個人的にはそういうタイプの方が見ていて楽しい。
ここの入場料・おみやげの絵葉書とも、他の美術館に比べるとちょっと高めだった。思わず写真をとってしまいそうになり、いかんいかん、ここは他の美術館とは違うのだ、と思いとどまったが、後で聞いたら、フラッシュたかなければOKだったらしい。
見終って出ると、その前の広場にあるメリーゴーランドが動いていた。夜も近付いており、照明がきらびやか。別の場所でも見かけたし、メリーゴーランド好きなのかな、イタリアのひとたちは。
道をふらふら歩いていると、とある教会の前でバッハのオルガンコンサートの告知があった。明日だそうだ。見たいなあ、と思ったが、結局は見られなかったのだった。
原因は、場所をちゃんと把握しておかなかった私のせいだった。フィレンツェは、町並みそのものが面白いため、目的もなく、ぶらぶらしているのが楽しかったのだけれど、その一方で、地図を片手に四苦八苦していたのが妻だった。このスタンスの違いのせいで、フィレンツェ滞在中、数回もめた。特に、友人たちにみやげを買うために、「適当なおみやげ」を探す、という目的で街を歩いた時は、ほとんど口論のようになってしまった。そもそも「適当なみやげ」などという曖昧なものを探すこと自体に無理があるのだけれど、旅行中でたぶん私の精神状態も少し高揚ぎみのかも知れない。
適当な店で夕食。日本人が多い。英語メニューだったのだが、適当に選んで頼んだ料理が、昼食とほとんど同じ内容になってしまった。ただ、値段もディナー相応の金額だったから、味付けはこっていて、おいしかった。ワインがおいしく、酔いが回った。
歩いてアルノ川ぞいを帰る。

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02月18日・フランチェスカ

快晴。
この日からガイドが代わる。
バスでフィレンツェ郊外へ。
まずは
モンテ教会サンミニアート・アル・モンテ教会。ここは、フィレンツェを全望できるということで、他に何もなくてもよく観光客の訪れるミケランジェロ広場より、さらに高いところにあって、それだけあって
眺め眺めがすごくよい。 教会の中は祭壇や壁画もあったのだが、光量が足りず、撮影には失敗した。唯一、おもしろがって撮った
変な動物変な動物の模様だけ成功。
この後は、またバスに乗って数時間走り、アレッツォへ。
ここはベトラルカヴァザーリアレッティーノの生地であり、映画「ライフ・イズ・ビューティフル」の
「ライフ・イズ・ビューティフル」の舞台舞台となった所。まだそれほど観光客がこない街で、イタリアの自然な小都市、といった雰囲気がある。とはいえ、ここでもバスに乗って訪ねてくるだけの、素晴らしい芸術がある。
はじめに、サンフランチェスコ教会で修復中のピエロ・デ・ラ・フランチェスカ
「聖十字架伝説」「聖十字架伝説」の一部をみる。半分は覆いがしてあって、そのせいであまり近付けないのだが、その隙間からでも、ブランカッチ礼拝堂の「聖ペテロの生涯」同様の、鮮やかな色彩が見て取れる。
続いて大聖堂(ドゥオーモ)では、やはりフランチェスカのマグダラのマリア「マグダラのマリア」
無造作なところに描いてあって、触ることさえ容易な距離で見られたのでびっくりした。
ここから
丘の上の広場丘の上の広場に出て(ここもながめがよい)、ヴァザーリの家を外からみて、グランデ広場へ。傾斜している広場。やはり「ライフ・イズ・ビューティフル」で登場した場所らしい。まだ見ていないので、よく分からない。この傾斜地に、毎月第一日曜に骨董市が並ぶらしい。結構急な傾斜なので、ちょっと想像できなかった。
ヴァザーリの回廊からサンタマリアピエーヴェ教会へ。
柱の形が一本一本違ってたり、
後陣部後陣部にはわざと曲げてある柱が一本あった。パンフなどでは壮麗なロマネスク様式だとあったが鳩の巣になっていて、なんか壮麗とは程遠い印象。でも12世紀中盤の建設とあっては仕方ないのかも。
ここから坂をどんどん下って行って、レストランに入って昼食とビール。残念ながらハイネケンが出た。イタリア生産ではあったが、やはりハイネケンの味がする。
食事の後バスに乗ってサンセポルクロへ。
市立美術館にはビエロ・デ・ラ・フランチェスカの「キリストの復活」と多幅祭壇画「慈愛の聖母」がある。「慈愛の聖母」はよかった。左側のサン・セバスチャンが印象に残る。
買い物などした後、又 バスに乗りモンテルキへ。
マドンナ・デル・プラトー教会でフランチェスカの「出産の聖母」を見た。ここにはこれしかないけれど、これはまた すばらしい。昔は延々と畑の続く中に小さな建物があって、そこにこの絵が無造作に掛けられていたそうだ。修復作業によって、本来の形とはちょっと違った展示になっているが、オリジナルの展示を見ていないので、くらべられない。今の修復では、欠けた部分を見苦しくない程度に水彩などいつでも落とせる塗料を使って加筆する場合が多いという。この絵も、天使の服の一部でそれを行っていて、色もほんの少し、加筆部分だけ変えてあった。
フィレンツェ市街へ。六時を回っていて、もう暗い。スーパー(coop)でビール、チーズ、水など。水はまずかった。ビールはうまい。
ビールフィレンツェのビールはなかなかよいと思う。
その後、散策しながら夕食をとる店を探した。やはり店頭にかかげてあるメニューには、イタリア語と並んで英語の表記がある場合が多い。そんな店から選んで適当に入った
レストランレストランは、やはり日本人が多かった。それも、例によって若い女性ばかり。
食材を置いてあるテーブルがすぐそばにあったのだが、そこにケチャップの壜があって、ふーん、イタリアでもケチャップを使うのか、と、意外な気がした。トマト料理の本場だから、トマトソースしか使わないのだと思い込んでいた。
辛くてうまいパスタと子牛の煮込み、ワインの夕食をとってからタクシーでホテルへ帰った。

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02月19日・スペコラ

曇り。
朝、インターネットでMacエクスポの情報を見る。iBookの新型ねえ。PowerBookG3の新型かあ。どっちもあまりピンとこなかった。
妻の強い希望でラ・スペコラへ。ここはフィレンツェ大学付属の動物学博物館で、入り口にはトリチェリの像がある。「動物学」という通り、非常に多くの動物のはく製が展示してあり、その範囲は昆虫から鳥類・魚類・ほ乳類などと多岐に渡っている。類人猿のはく製の並ぶ部屋には、一つだけ中が空で、ガラスが一面抜いてあるところがあり、床には足跡が。ここから逃げ出した、という意味らしいが、その抜いたガラスから中に入ってみると、ライトが付く。展示物のタイトルはと見ると、「人間」と記してある。ちょっとした人間標本いたずらだ。
この膨大な量の標本よりも、ここスペコラは別の展示でもっと有名なのだった。それは心臓の悪い方にはお勧めしません人体の解剖模型(クリック注意!!リアルな解剖模型です)。蝋細工なのだが、実に気色悪い程リアルに作られていて、百年ぐらい前までは、実際にここの標本を使って医学の勉強もしていたとか・・・事実、入った時も、これらの、素人から見ると気味の悪い解剖模型を熱心に写生している若者が多かった。
すっかり変な気分になったところで、ここを出て、歩いて土産物などを探しながら橋を渡り、市街へ戻る。共和国広場では、黒人が太鼓をたたいている。先日オルガンコンサートをやっていた教会は、今日はバイオリンのコンサートを催すらしい。チラシをもらい、場所を覚えた。ガイドが今回のコースには入っていないのは不思議だ、といっていたバルジェロ国立美術館に行くことにした。
彫刻ここはミケランジェロの彫刻が一杯。あと、ドナテッロヴェロッキオダビデなどもある。
絵もいいのが数点あったが、今となっては作者が思いだせない。普通だったら印象に残った作品の作者ぐらい、メモを取ったりもしただろうが、これだけ大量に美術を、それもわずかな時間で鑑賞していると、とてもそういうことまでは気が回らないのだった。
その後バール(店員がやたら愛想がよかった)でサンドイッチとビールの昼食を取った後、
中央市場中央市場へ。ちょうど土曜の午後なので、しまりかけている店が多く、あまりたいしたものは見られず。
その後もぶらぶらしていたが、なかなか土産がみつからず、高級品店の多いトルナヴォーニ通りに向かう。途中、できるだけ見るもののある場所を歩こうと思い、
サンガエターノ教会サンガエターノ教会を通り、中を見学。使用人が座っているだけの狭い祭壇には「聖ロレンツォの殉教」があった。
ヴィトンを眺め(日本人の若い女性ばかり)、フェラガモにておみやげを少し購入。応対してくれた店員が日本人だったので、買いやすかったというか、うまく乗せられたというか。店を出ると、川へと下っていき、ウフィツィへ。列が続いているので中には入らず、ショップで買い忘れた葉書などを購入した。
この後、入場料のいらない
ベッキォ宮殿の中庭ベッキォ宮殿の中庭を見学し、シニョーリア広場を経由してバスの待ち合い場所に向かう。
バスでいったんホテルに戻った後、ちょっといい服に着替えてタクシーで再びドゥオモへ。この近くのレストランを目当てにしていたのだが、どうしても見つからず、すぐにそばにあった別のレストランにはいった。ここの赤ワインは独特の味わい。ウエイターはMrビーンのような顔だった。相変わらず、うまいが量の多い料理で、パスタとメインの肉、それにデザートしか食べられなかった。別の客が、直径がLPレコード、厚みが京極夏彦の本ぐらいの牛肉のステーキを食べていたが、結局残したようだ。そのイタリア人の客でさえ残してしまうのだから、この店の料理の量は、やはりちょっと多すぎるのだろう。
食事が終ると、サンタマリア・デリッチ教会に行ってバッハのバイオリンコンサートを聞いた。この教会は観光スポットでも何でもなく、小さな教会だが、といって19世紀かそこらに建てられたものでもなさそうだ。それでもここフィレンツェでは、比較的新しい建物になってしまうんだからなあ。女性の奏者が登場して、バッハを二曲と、アンコールに応えて「アヴェ・マリア」、さらにアンコールがあって、短い即興演奏をおこなった。9時15分から、約一時間で、ワインのせいでちょっと眠かったが、おもしろかった。
教会を出るともう10時を回っているのに、けっこう人が多くて、これからどこにいくんだろうな、と思った。
共和国広場からタクシーでホテルへ。

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02月20日・帰国

バスで空港へ向かう。チェックアウトすると、電話代が64,000リラ。高いのか安いのか、よく分からない。車中、ガイドが昨日のローマ対フィオレンティーナのサッカーの試合について話していたので、空港で新聞を買った。イタリア語で全然読めなかったが、ローマが4対0で勝ったということは分かった。Nakataの文字が頻出していたので、採点とあわせてみると、どうも 活躍したらしい。こっちでは、アウェイの試合はテレビ中継しないようで、ガイドはラジオで聞いていた、と言ってた。日本とは大違いだ。
パリ経由で日本へ。帰りは昼間だったので、ドゴール空港もそれほどきれいではなかった。
ちょうど太陽を追いこすような形で赤い太陽の光を後ろに、飛行飛んでいった

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