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| 「城ヶ島の雨」の詩碑 歌碑は昭和24年7月に建立されました。歌は奥田良三が歌って全国 に広まりました。 詩碑が建っているのは城ヶ島の遊ケ崎というところで、高さ3メ−トル 余りの帆型のこの碑が除幕されたときは城ヶ島大橋はまだ架かってな かった。本来この碑は、三崎の文学青年達の不朽の名作となった 「城ヶ島の雨」の謝恩の文学碑として企画したもので白秋碑の第1号の 碑となるはずだった。しかし戦時中許可がおりなかった。 白秋が生前希望した「帆型の石が荒磯に突き刺さったように、かくして 除幕式は華やかに・・・・」ということが実現したのは、戦時4年を経ての ことであった。碑文は、昭和16年に書いた字である。 「城ヶ島の雨」は大正2年、日本の音楽革新をめざした島村抱月などの 企画によった芸術座音楽会のために白秋が舟歌を作詞。梁田貞の作曲 で大正2年30日作曲者梁田自身の独唱で、発表された歌で、白秋も共 に28歳の青年だった。昭和35年城ヶ島大橋の開通に伴って、現在地に 転碑する機会に梁田貞の作曲譜碑が添えられ、名実共に不朽の名作 「城ヶ島の雨」の文学記念碑となった。 白秋は「雲母集余言」で、この土地についてこう語っている。 相州の三浦三崎は三浦半島の尖端に在って、遙かに房州の館山をのぞ み、両々相対して、而も貴重なる東京湾口を扼している。風向明媚の一 漁村である。 気候温和にして四時南風やはらかく、而も海は恍惚として常によろめ いてゐる。さながら南伊太利の沿岸を思はせる景勝の土地である。 |