歌碑 海側は若山牧水の歌
しら鳥は哀しからずや空の青
海のあをにも染まずただよふ
大正4年3月19日 妻、喜志子の療養
のため東京から北下浦長沢の渚に斉藤
松蔵方に転居。
この歌碑は昭和28年第5号文学碑として
建てられました。
京浜急行長沢駅より10分ぐらいでこの
歌碑のある海にでます。
神奈川新聞社発行の「横須賀に逝いた
若き創作歌人田中辰雄(たなかときお)」
の本によれば、牧水は 「白鳥」について
は「はくちょう」と読む人が意外に多い
のを知っていて、酒が入ってご機嫌のとき
は意識的に「しら鳥」と書いたりすることが
あり下浦の歌碑はそれであると書いてある。

歌碑の国道側は妻、喜志子の歌が
刻まれている。
うちけぶり鋸山も浮び来と
今日のみちしほふくらみ寄する
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