笠に墨染めの小さな姿が山間に入っていくと、その姿を認めたものが仕事の手を休め一人、また一人と集まってくる。やがて人集りとなった中から小さな歓声が上がり、小さき者は村長の家へと招かれた。日も暮れてすぐに食事の用意がされ、明らかに一人分以上の膳が並ぶ。       
 このような小さな村には寺も僧侶も無い事が多い。読経をあげて欲しいと言われるのだろう、と三蔵は思った。そうやって食や宿にありついたのも、実はこれが初めてではない。自分のような見た目小坊主を歓迎するのは、その位だろうと考えるのが寧ろ自然である。
 「実はその、お願いがありまして…」
 山の幸を使った素朴な料理を並べて村長は、案の定言いにくそうに切り出した。箸を持たずにいた三蔵は、別に驚きもせず耳を傾ける。しかし村長が話し出したのは、思いもよらない内容だった。
 約一年前の事である。山が一つ買い取られ、その中腹に立派な屋敷が建てられた。どんな金持ちが住むのかと村の者達で噂しあったが、やって来たのは若い男で別邸だと言ってふらりと住み着いた。村の者を下働きで雇うでもなく、大きな屋敷にどうやら一人で住んでいるらしい。ただ食料や薪を届けに行く者がいて、そのうちの一人が一度だけ、素晴らしく綺麗な眠っている子供を見た、と言うのでどうやらそのたった二人で住んでいたようだ。ところがある日、決まった日に食料を届けにいった者が、受け取ってもらえる筈の若者が出て来ないと言った。何日か行ったが特に張り紙も手紙も言伝ない。どうもおかしいと思い、今度は村で人手を集めてその屋敷を探し回ってみたが、やはり何処にもいない。しかし一つだけ鍵のかかった部屋があり、扉を壊して中に入ってみると、件の若者が血を流して死んでいた。そしてその向こうに綺麗な子供が眠っていた、というのだ。
 「それが不思議な事に、部屋に刃物や武器になるようなものが一切なかったんです。しかも子供は眠ったまま一度も目を覚まさないですし、皆で病気ではないかと随分心配をしたのですが、生憎この村には医師がおりませんで…」
 「…………」
 狐につままれたような話である。しかし、それが坊主である自分とどう関係するのだろうと、三蔵は黙って続きを待つ。と村長はまったく違う話を持ってきた。
 「ところで観用少女というのは聞いた事がありますか?」
 「プランツドールか。聞いたことはある。確か生きている人形だとか。……その子供がそうだと?」
 「その通りです。村の者は知らなかったのですが、外から葬儀を執り行うために来た葬儀屋が教えてくれました」
 「葬儀屋?その若者の親ではなくてか?」
 「はい。どうやらその若者は妾腹の子供だったらしく、葬儀には村の者だけで若者の遺族は誰も来なかったのです。そして葬儀が終わった時、人形は無くなっていました」
 黙って聞いていた三蔵は片眉を上げる。遺品を受け取るのは普通遺族である。しかし先程の話では一人もその場に居なかった、と言っていた。その矛盾点に気付いた三蔵に、村長は補足するため更に話を続ける。
 「実はその観用少女は大変高価なものだそうで、葬儀屋が盗んでしまったのです。何故お判りかとお思いでしょうが、実はこの葬儀屋が村を出た山道で死んでいたのです。若者とまったく同じ姿で。そして人形が傍らにあり、同じ様に眠っていました」
 ここで一度話を切った村長は意を決したように顔を上げた。
 「そんな事が御座いまして、村の者達は皆その人形を『死を呼ぶ人形』と言って大変恐れています。そんな訳ですので、どうかその人形を供養して欲しいのです。遺族にも手紙で伝えましたところ、そんな人形を引き取るわけにはいかない。そちらで好きにしてもらっていい、と返事がきました」
 そのための費用すら貰っていると村長は手紙と金を見せてくれた。
 「こんな辺鄙な山間の村なので、なかなかお坊様にも来て頂けず大変困っていたところでした。まさに天の助けです。どうか引き受けて頂けませんか?」
 その後三蔵は自分の目的である妖怪と経文の話を聞き、結局何の手掛かりも得られなかったが一宿一飯の礼として、その話を引き受ける事にした。



 「何でもその人形はミルクを飲むだけで生きていると聞いて、更に村の者達が気味悪いと言い出しまして…。本当に困ったものです」
 翌日肩を窄めて村長は、人形が居るという屋敷まで三蔵を案内する。そして門と玄関扉の鍵を開けると、少しでもここに居たくないらしく、足早に家へと戻っていった。残された三蔵は溜息を一つ吐くと屋敷の中へと入っていく。広い屋敷の中は静まり返っている。片付けられてしまったのか、広い割には殺風景な廊下を三蔵は人形を探して歩いていく。幾つか扉を開けて部屋を覗くと、生活感のまるでないがらんとした部屋が続いた。その中で書架にぎっしりと本の詰まった部屋があった。机がある所を見ると、若者の部屋だったのだろう。しかし見回す内に机の上に置かれた紙や筆や呪具、そして背表紙を見て三蔵は眉を顰めた。どうやらここの主は式神を打っていたのではないか、と思える節があったからだ。
 (成る程、それでこの広大な屋敷で下働きを使わなかったのか…)
 それが判ってもここに人形はいない。三蔵は早々に部屋を出てまた次の扉を開けていく。と一番奥まった所に一際意匠を凝らした扉があった。一部壊されているが、その上からわざわざ木が打ち付けてある。
 (ここか……)
 三蔵は打ち付けてある木を足で蹴破り扉を開けると中へ入った。その部屋は今まで見てきた部屋とは随分違っていた。真っ赤な絨毯が敷き詰められ、壁際には壷や皿、そして絵等が飾られ、手が付けられてないのか非常に華やかだった。手の込んだ織物が敷かれた上に、黒ずんだ染みがある。恐らくここに住んでいた若者が倒れていたのだろう。その向こうに天蓋付きの寝台があり、薄いカーテンに覆われている。三蔵はそこを見て紫暗の瞳を眇めた。そこに人形がいると思って近付くと、眠っている者を守るように光沢のある薄い布には銀糸で龍の刺繍がされていた。その布越しに中を見ると確かに誰かが眠っているようだ。三蔵は念のため銃を構えて息を詰めると、一気に布を捲った。するとそこには、綺麗な顔をした子供が手を組み仰向けで眠っていた。
 (……これが人形か?)
 真っ直ぐに流れるこげ茶色の髪、真珠のような肌に整った顔立ちで眠る姿は確かに作り物めいた美しさだが、肌の質感など人間の子供と変わらないように見える。三蔵がじっと見つめていると、人の気配に気付いたのか閉じている瞼がぴくぴくと動いた。長い睫毛が震えてゆっくりと開くのを三蔵は、息をするのも忘れて見守る。そして現れた翠の瞳は、今まで見た事のない美しさで自分を見つめる。誰も踏み入れた事のない深い森にある、湖のように静かで澄んだ瞳は、整った綺麗な顔を完璧なものにした。音がしそうなほど長い睫毛が何度か瞬きをして三蔵の姿を認めると、天上に咲く花のように、夢見るような美しい笑みを浮べた。
 袖を引かれて三蔵は我に返る。眠ったままだと言われていた人形が目覚め、尚且つ動いたものだから予想外の出来事に呆然としていたらしい。改めて人形を見ると袖を掴んだまま又微笑む。向けられるのは敵意や殺意又は下心のある厚意ばかりだったため、邪気のない笑みに三蔵は戸惑う。三蔵は暫らく後に供養、という言葉を思い出した。そこで印を結び経を読み始める、が目を閉じた三蔵に人形は袖を引っ張りどうしたのか、と目で問いかけてくる。集中出来ずうまく経の読めない三蔵は、札で封印するのを思い付く。筆と紙が先程の部屋にあったのを思い出して踵を返すと、なんと人形が袖を持ったままとことこと付いて来た。硯に水を入れて墨で磨り始めると、不思議そうな目でその様子を見ている。そして目が合えばにこりと笑みを向けてくる。肩を落とした三蔵は、溜息を吐いて諦めたように墨を置く。そうして袖に人形を付けたまま寝台のある部屋へと戻った。再び寝台に座った人形は、眠ることなく三蔵を見つめて微笑んでいる。死を呼ぶ人形とは村人が付けた浮名である。三蔵が視たところ、問題なのは人形ではなく周囲のように思えた。
 考えた挙句三蔵は、今は起きて生きている者に聞いてみる事にした。
 「お前はどうしたいんだ?」
 すると人形は言葉の代わりに、三蔵の袖を持って柔らかく微笑む。その返答に三蔵は大きな溜息を吐いた。自分は経文を探す危険な旅の途中である。自分自身の事で精一杯で、足手纏いを連れて歩くわけにはいかない。しかし人形も、このまま屋敷に置けばいずれ死んでしまうだろう。例え供養したとしてもこの人形は生きていて、死を呼ぶ人形に村人達がミルクを与えるとは思えないからだ。この村では死を呼ぶ人形がいなくなるのを望んでいる。人形は誰にも望まれず生きる術もなく、ここで死を迎えるのを待つだけだ。河に流された自分のように。
 自分と変わらないくらいの年頃に見える人形は、その美しい翠の瞳で真っ直ぐに見つめてくる。
 「俺は経文を探す旅をしている。妖怪や山賊に襲われる危険な旅で命の保証はない。それでも来るか?」
 万が一でも生きる望みに賭けるか、と三蔵は訊ねてみる。すると人形は満開の花のように微笑んで、ふわりと三蔵に寄り添う。自然と懐に入ってきた人形に三蔵は驚いたが、突き放すことも出来ず、かといって抱き締めることも出来ず、ただ人形の温もりを感じた。
 その後三蔵は人目につかない夜を待って、屋敷を抜けだし人形と共に村を出た。



 上弦の月を頼りに三蔵が前を行き、その後を人形が歩く。一刻も早く村を離れたいという気持ちはあるが、やはり山道を歩く人形の足は速くない。徐々に二人の距離が開くようになったため、三蔵は休める場所を探した。程なくして倒木があり、二人はそこに並んで座ったのだが人形は疲れのためか、三蔵の肩に頭を乗せて居眠りを始める。仕方なく三蔵は道を外れて眠れる場所を探し、木の葉や茂った草を踏みしめながら迷わないよう枝を折る。と洞穴と思われる黒い穴があった。三蔵は銃を取り出し握り締めると、妖怪や人、そして獣の気配や匂いがないか確かめる。様子を窺っていると月が少し移動して中を照らす。洞穴はあまり深くないようで、生き物の気配もない。念のため中に入ってもう一度確かめてから、三蔵は人形を連れてきた。
 「ちょっと待ってろ」
 人形を中に座らせると三蔵は短く言い置いて、洞窟の外に出て行ってしまう。眠そうな目で人形が後ろ姿を見送ると、外からがさがさとした音が聞こえてくる。暫らくして三蔵はたくさんの枯葉を抱えて帰ってきた。それを何度か繰り返し、土や小石の上に枯葉の布団を作る。
 「何もないよりはましだろう。ここで寝ろ」
 そう言って三蔵が先に横になると、向かい合わせになって体を横たえた人形も、すぐに目を閉じて規則正しい寝息をたてはじめた。西にかかった弓月が安心しきって眠る人形の顔を照らし、三蔵はそれをじっと見つめた。大きな屋敷で豪華な調度品に囲まれ、雲のような布団に包まり大切にされていた人形が、今はいつ襲われるか判らない野宿の中、枯葉の上で眠っている。それを選んだ人形と、一緒に旅する事を選んだ自分。前途多難は承知の上だが、更に困難が増えた事を実感する。だからと言ってこのまま人形を置き去りにしようとは、やはり思えない。
 (取り敢えず明日はミルクだな…)
 これ以上考えても仕方ないと三蔵は、穏やかな寝顔に引き摺られるように自分も瞼を閉じる。身を寄せ合って眠る二人の子供を、月だけが見守っていた。


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2007/03/08
2007/03/12