愛媛県の玩具
01. 松山の姫だるま(松山市)
02. 松山の錦だるまと金天だるま(松山市)
03. 松山の土天神(松山市)
04. 砥部の坊ちゃん人形(砥部町)

05. 宇和島の八ツ鹿踊りと鹿面(宇和島市)
06. 宇和島のブーヤレ(宇和島市)




01. 松山の姫だるま(松山市)



道後起き上がりともいう。子供に与えると丈夫に育ち、病人の枕元に置くと早く起き上がるといわれる。三韓征討のみぎり、応神帝を懐妊していた神功皇后が道後温泉に立ち寄られたとの伝説をもとに、明治期になって作られた。当初は桐材でつくられたが、後に張子だるまとして量産されるようになった。幼い応神帝の産衣姿とも、男装の神功皇后の姿ともいわれる。同じく神功皇后が訪れたという金沢にも姫だるま(八幡起き上がり)があり、やはり松山と一、二を競う逸品である石川03。大きい姫だるまの高さ18p。(H27.9.24)

02. 松山の錦だるまと金天だるま(松山市)



錦だるま(後列)は、錦や金銀の飾り糸を使った華やかな姫だるま。湯姫とも呼ばれ、道後温泉などで専ら目にするのはこちらである。鉢巻をした男だるまと組になったものもある。金天だるま(中央)は、名前のとおり頭のてっぺんに金紙が貼られた起き上がりで、一文字だるまともいう。目鼻や五枚笹の胴模様は関西各地でみられる金天だるま京都11に似ているが、頭頂は平らである。むかしは門付けがこれを各戸に投げ入れ、「お福が舞い込んだ」、「お宝が転がり込んだ」と呼びかけては銭を得る風習があった。今では市内の神社の正月祭礼や縁日でわずかに売られているのみである。金天だるまの高さ6p。(H27.9.24)

03. 松山の土天神(松山市)



主に三河以西でみられる典型的な天神人形。男子誕生の祝として母親の実家や親戚から贈られ、雛節句には雛人形として飾られるものである。頭(かしら)は練り物製で差し込み式。磨きのかかった顔と整った鼻筋はいかにも貴公子然としている。姫だるまや金天だるま、武者人形03同様、両村家の作品である。高さ18p。(H27.9.24)

04. 砥部の坊ちゃん人形(砥部町) 改訂



砥部焼は、やや厚手の白磁に呉須(青藍)による絵模様がスッキリと描かれた焼き物で、食器や花器の用に愛好家が多い。その砥部焼の作家が、遊び心でご当地小説「坊ちゃん」の登場人物をこんな人形に仕立てた。漱石は明治281895)年4月、旧制松山中学に英語教師として赴任。その時の体験から生まれたのが「坊ちゃん」である。小説の坊ちゃんは月給40円で赴任しているが、漱石は校長を上回る80円の厚遇で迎えられている。人形は左から赤シャツ(教頭)、狸(校長)、マドンナ、坊ちゃん、山嵐(数学の堀田)、うらなり(英語の古賀)。野だいこ(画学の吉川)は初めから製作されなかったようなので、これで全員。いずれも個性豊かで、小説から飛び出してきたかのようだ。赤シャツの高さ6.5cm(H27.9.24)

05.宇和島の八ツ鹿踊りと鹿面(宇和島市)



愛媛県でも、瀬戸内に面した東予・中予地方は中国地方との交流が盛んであったのに対し、四国山地に遮られた南予地方では独自の民俗や文化が生まれ、今もその伝統は生きている。宇和島藩の藩祖は伊達政宗の長子・秀宗。宇和島の八ツ鹿踊りは、移封の際に秀宗が帯同してきた芸能団によってこの地に伝わった。一頭の牝鹿を中にして七頭の牡鹿が戯れる様子を表す優美なもので、演じるのは少年たち。鹿の面を被り、胸に着けた小太鼓を打ちながら、哀調あふれる唄に合わせて踊る。その歌詞は遠く故郷を偲ぶ秀宗の自作ともいう。ササラやカンナガラこそ背負わないが、北国の鹿踊りに通じるものである岩手10-11、宮城13。宇和島では八ツ鹿だが、ほかでは五ツ鹿や六ツ鹿もあり、また青年や女性たちが踊るところもある。鹿踊り(右)の高さ8p。ミニチュアの鹿面(左)の高さ22p。(H27.9.24)

06.宇和島のブーヤレ(宇和島市)



宇和津彦神社の秋祭り。町の随所で優雅に鹿踊りが舞われている同じ日、頭が鬼で体は牛という奇態で巨大な“牛鬼”も宇和島の町をのし歩いている。牛鬼については11で述べたが、その起源には諸説あり、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、加藤清正が軍の先頭に牛鬼と称してこれを使用し、敵を威嚇して奏功したという説や、すでに存在した闘牛を鬼神化して伊予水軍の先頭に掲げたという説などがある。張子製のほか、観光土産や置物用として木製の牛鬼も作られている。中央の牛鬼の高さ13p。(H27.9.24)

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