1353.日本の使命とは



日本の使命とは何かを検討しよう。   Fより

日本の使命を明らかにしたのは、江戸時代の平田篤胤であろう。
その前に本居宣長が古代の研究をして、これをベースにして平田が
古神道を復活したのだ。この古神道の中に日本の真髄と使命が隠さ
れている。

この古神道で日本古代の神道を類推できる。この後、大本教の出口
王仁三郎が日本の役割を世界に広げている。古神道の理論自体は、
現代人には噴飯物かもしれないが、日本の使命が鮮明に出ている。

この出口王仁三郎は「立替え立直し」の予言、世界の雛型理論を言
っている。この立替えの予言は、ハルマゲドンの予言に類似してい
るし、第2次大戦に負けた日本は世界のこれからの姿であるという
雛型理論で今後の世界を予言している。

この時、日本はどうするべきか??も論じている。人間の物欲中心
の唐心を捨て、世界を作っている神の法則に沿った素直なこころに
戻ることであると。そして、世界にその考えを広めることであると。

この素直な心とは自然の法則(かんながら)に人間も従った生き方
をすることであり、それを実践する心であると言っている。人の心
の動きも、自然な心が重要で、謙ったり、尊大に振舞うこともして
はいけないと、現代人が精神病に多くかかるのも、人間の自然な心
の動きを、人為的に押し殺しているから出る病気なのであろう。

自然な心の動きを社会が容認すれば、いい社会になると思うが、巨
大な組織と利益を追求する現代の会社組織は、それを許さない。

神道はもう1つ、武道などにも影響をしているが、丹田を重要視し
ている。お腹の下にあるという丹田に気を集めると気が集中して、
大きな仕事ができるという。座禅をしていると、自然と丹田に気が
集中することが分かる。

無我の境地でも丹田には力が入っている。このお腹に力を入ると、
体全体が安定する。歩いていても丹田に力が入っていると、安定し
て歩ける。何時間でも歩けるし、何時間でも座禅ができる。

気が集中すると考えが一点に集中して、その時に大きな啓示・突然
トンでもない考えが、どこからともなく浮かぶ。
論理的に考えているわけではないのにである。この浮かんだ考えを
、後でいろいろな歴史や報道などで証明する方向を取っている。

この頃、日本の使命を明らかにする必要がありそうだと、感じるこ
とが多くなっている。それと、神道を研究する外国の学者も多くな
ってきて、日本神道の良さを認識する世界の学者も多くなっている。

日本が真摯に世界の平和と環境問題を取り上げても、この神道を研
究している人たちが、応援してくれる可能性が出ている。日本の根
底にあるアミニズムの神道が、生物全体の平和な環境を大事にする
として、本当の人間の戦争反対としての平和や動物の生存を保障す
る森を求めていると考えてくれる可能性がある。
ここに本当の平和を志向する宗教があると考えてくれることになる。

神道的な神の御心を世界に普及する役割を日本は負っているのであ
ると思う。米国のように民主主義の普及と言いながら、他民族を征
服することや他民族の意思に反した自分の意志を押し通す唐心では
、いけない。くれぐれもこのような唐心は止めて、「かんながら」
の道を行くことである。

また、秩序安定のために導入した国家神道も古代の日本人が信仰し
た神とは違うし、これでは素直な心を持てない。序列があり、序列
固定の儀式があるのは古代の神道ではない。神はどこにでも居る、
生きとし生ける物は平等という神道の心とは違う。このため、神道
では悪いことをした人間も死ねば同じという思想になる。恥じや穢
れや清らかさの考え方が、明らかに仏教思想とは違う。

このように国家神道と古代の神道とは全然違うのですが、神道が、
戦争に利用されたために世界的に神道が誤解されている。この誤解
から、まず自由にすることが必要でしょうね。

日本人が普通に生活している時に感じる感じ方が神道であり、それ
を大事にして、その感じ方を高めて、素直な心(かんながら)を
日本中で確立して、そして、世界にその心を分けていくことが必要
であるように感じる。

特に、米国の今の心の持ち方や行動原理は、世界の他民族から大き
な反発を受け、大戦争に結びつく可能性が高くなっている。イラン
に侵攻した時、ロシア、中国、インドは前回のイラクとは違う行動
を取る可能性が高い。

その前に世界に、日本は平和の使者として出て行く必要があるそう
である。そうしないと、ハルマゲドンが本当に実現してしまう。
人間を含めた地球生物にとって、これは大きな災難になる。それを
止められるのは、神道の考え方を持っている日本しかないように感
じている。
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(参考資料)
古神道の教義
http://members.tripod.com/~FTC2/kyougi.htm

神道とは、「天地をもちて書籍となし、日月をもちて、その証明と
す。吉田兼廷、唯一神道名法要集」であり、つまり、自然や状況を
客観的に分析し(天地をもちて書籍となし)そこから導きだされた
法則に基づき、対策を立て試行錯誤し太陽や月の運行法則のごとく
確実な法則として、その法則の実用性を証明する、(日月をもちて、
その証明とす)この法則に従うものを善しとし、従わない不自然な
ものを悪しとする。具体的には、物ごとを柔軟にとらえ、教条にと
らわれず、(何事も神のしわざ、本居宣長石上私淑言/間色、賀茂
真淵/法を必ずとせず、浅井家之、神学教訓抄)神の分霊たる、
自分の直日(良い心、よろこびの心、感動する心)を守る。

すなわち、自分をおとしめる主観(私意)なしに、つまり、「己を
卑すんずる故に私に落つるなり。吉川推足、神道大意講談」であり
自分の勝手な主観に基づいて自分を卑しんではならない。その上で
自分の自然な感情を傷つける事なく、たとえ、他人から無責任と言
われようとも常に明るく、前向きであり、過ちに囚われ、自分をせ
めたり、落ち込む事ことによつて、暗い心(汚き心)になる事なく
心を平静に保ち(心を傷ましめる事なかれ。御鎮座伝記)鏡のよう
に爽やかに、明るくあり、固定観念や劣等感や優越感、また、これ
らの裏返しの感情に基づいた主観(私意)なく、自然法則、状況、
人物、物事、を客観的に正しくとらえ、本当は悪いと思いながらも
良いと思い込もうとしたり、嫌いなのに好きと思い込もうとしたり
する不自然な感情(作為)なしに自分の自然な感情に率直である
(私意作為なく本心のままなるを正直とふ。神道初伝口授、伴部安
崇/清明正直、鏡、かんながらの直日)。

その上で、清く明るく正しく直く自然法則を認識した経験に基づく
論理(かんながら)をもちて、本当の自分をさらけ出し、互いに、
この自然体の相手を客観的に認識した上で認め合い、思いやり合う
、という柔軟な形での調和し(玉)、英知と勇気を持って決断し、
道を切り開く(剣)立ち振る舞い、言葉を美しくし、ゆったりとし
た心、平安王朝人の心を持ち(みやび)自分の道を修る事を通して
社会の役に立つ事をし(修理)自分を客観的に見つめ足元を固め成
功する(固成)(修理固成)又、修理固成たる神の御言を成就させ
る為に自分の道を作る(修理)の基となる人の活計(よわたり=生
き方)は神縁により神からの事依し(預かっている物)であり、
(唯、我が身ひとつの活計とのみ患うより、侍問雑記、橘守部)で
はないから、人がそれぞれの活計を筋の通らない形で自分の感情の
赴くままに主張したり、他人の感情に気を使い萎縮する事なしに、
天地に正しい理に基き、事向け和す(説得する、)事により、自分
や他人の“ほどほど”あるへき限りの業をつくして、穏しく、楽し
く、世を渡る。 

本居宣長、玉くしげ’である活計を神の為に守る、献身利他と称し
て自分や他人の活計を軽じてはならない、神縁により神からの事依
しとして許された活計の行いにより生じた事(結果)対して、客観
的に正しく見合い、“人のあるべき限り越えたるしわざ。本居宣長、 
玉くしげ・でない、あまりに重い責任を負す為に許された活計の行
いの実行そのものを、ためらわせる事のないものが義務である。
自然や状況を客観的に分析し(天地をもちて書籍となし)そこから
導きだされた法則に基き、対策を立て試行錯誤し法則の実用性を証
明する。 

(日月をもちて証明とす。)この天地に正しい理に基き、事向け和
す(説得する、)この事はすなわち、神と一体となって、人がそれ
ぞれの個性に基く使命をはたすという事である。 

(我、沖津風、辺津風を起こさん。吉川推足)この、かんながらの
行いを純枠に行い、神界の恵みを地上にもたらし、国民のため、
世界のために、祈りおおらかで、雅やかでゆったりとした、ものの 
あわれを知る和歌の心(詩人の心)たる常に自分らしく自然な心を
持つ皇御孫命をうやまい、この様な平安王朝人的な心を道徳の基準
とし(天皇の御心を心とする。本居宣長、直毘霊)すぺての人が平
安王朝人的な生活を享受できるようにする。神界から地上におろさ 
れた、喜びや善の素、感動する心の素たる天照大神の御魂たる、天
照魂、天皇霊(あまてるたま、すめらみことたま、)即ち、天津日
嗣の日である所の皇御孫命の直日がしずまります天津神薙をはじめ
、神宮、神杜を通して大神に析り、同時に、自分の心のけがれを祓
い、自分の直日を天照大神の御名を唱えることにより現すと同時に
皇御孫命の直日たる天皇霊を斎い、(君を恨む心が起こる時は、
天照大神の御名を唱うるべし。楠正成)この直日を保ち、守る為に
鎮魂によりて自分の直日を斎い祭り(心の神を祭る。)神人合一し 
発展(弥栄)する。詰まる所、神道とは自然に従い、自然を生成発
展させることである。 

(神道とは天地陰陽に従い、天地陰陽を育つる道也。吉川推足、神
道大意講談)。また、お互いに人の為に析り合う。 明るく爽やかで
自然に対して正しく(自然の法則にもとづく正しさで物事をとらえ
=外部の扶況を客観的にとらえ)自分の本当の気持に率直であり、 
この明浄正直の心を心とし、あるがままの自分をさらけ出し、その
自然体の姿を互いに認め合う心(むつみ合う)、雅で、もののあわ
れを知る心(ロマンテックな心)このような心が天皇様の御心
(天皇様の私意ではなく直日=天壌無窮であるところの直日の心) 
であるということを知り、己の心とする。(惣じて何事にも大かた
御自分の御かしこだての御料簡をば用ひたまはざりし、これまこと
の道の、正しき御行ひかたなり。 

玉くしげ、本居宣長)このような大和心に反するものは表向きは天
皇様の御為と言っても道を外れたものである(儒教の忠など)この
大和心を基に為政者は権力そのものは、あくまで、大神から天皇様
を通じて、委託された物との自覚の上に、自分の私見を挟むこと無
く、謹んで、その権力を思金の命の神徳(自然の法則に基づき、
あるがままの現実を見つめる客観的論理性)に基づき為政者が互い
に正し含いながら行使し天皇様に報告する攻治(国体)であり、
それは、“ 世の人ゆるやかに打ちとけて、楽しむ、本居宣長玉くし
げ”ことができる政治である。個人はこの心に基づいて自分の道を
修り、足元を固め成功する。(修理固成、家業興国論)

この大和心は天皇様の御心である故に天壌無窮の神勅によって永遠
である。

(参考資料)
日本の大義

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