5150.日本経済の衰退をどう止めるか?



3年前に、日本経済衰退の防止法を書いた。その後、そこで書いた
ように自民党政権で量的緩和をして円安にできたが、その円安でも
一度、海外に流出した工場が日本に戻ることはない。

これは米国でも同じである。ブルッキングの「Reshoring: Why It’s 
Not Easy」でも述べている。リンクは最後

AV系産業は、その生産額が半分になっているので、2008年60兆円
もあった産業が、現在、30兆円程度に縮小している。このように
雇用を生み出す産業がなくなり、その代わりに雇用を生まないイン
ターネット産業が今、脚光を浴びているが、それは雇用を生まない
し、世界的に戦える頭の良い人しかいらない。ほとんどの人は、そ
の能力はない。

今後、機械の知能化やロボットが出てきて、人間の機械操作のよう
な雇用を奪う事になる。益々、雇用の消失になってくる。この分野
は、論理の世界であるので、コンピュータで制御できることが原因
である。

非論理の世界にしか、人間の雇用はなくなることが確実である。1
つが、人間を相手にするサービス業であり、もう1つが、経験と勘
が必要な分野である。しかし、現在、人口が減り、完全雇用の状態
になったが、格差が大きくなっている。

この結果が、日本の国民一人当たり名目GDPの大幅な下降である。
一人当たりGDPは、国民の平均的な所得水準(豊かさ)を示す指
標だ。2013年の日本の一人当たり名目GDPは3万8491ドル(376万
円)で、前年の4万6530ドルから急減、ランキングも13位から24位へ
と大きく後退している。

このように、日本経済は衰退している。この防止策は、付加価値が
高い産業を創出することであることが明らかである。サービス業は
付加価値が低く、このため、賃金も低いことになる。

この部分は、円安にしてもできない。政府と民間企業が共同して、
そのような産業を作ることでしかできない。しかし、もう先行する
モデルはない。このため、日本が独自に考えることが必要になって
いる。

付加価値が高く、非論理の世界で、そのため、世界で売れる物を作
ることである。サービス業は付加価値が低いことが問題であるので、
製造業が重要なのである。それも非論理な製造業である。

デザイン分野などを知能分野の世界的な競争の分野もあるが、その
産業規模が小さくて、日本の雇用を増やす効果はない。

と絞ると、見えてくるはずである。どうも、ここ数週の検討で、社
会方程式ができるような気がしてきた。

3752.日本経済衰退の防止はどうする?
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L2/220919.htm
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雇用を伴わない景気回復の原因/タイラー・コーエン「大格差」
吉田喜貴2014年10月04日 17:26BKOGOS
金融危機後の景気回復が雇用拡大を伴わないのはなぜか?
アメリカで議論されるきっかけとなったのが、 タイラー・コーエン
「大停滞」だという。 ※原題は"The Great Stagnation"(2011年1月)
20世紀に自動車産業が成長した時と比べると、インターネット産業
が生み出した雇用は極めて少ない。イノベーションの停滞」が原因
との主張だった。
企業そのものを金融商品であるかのようにみなし、研究開発に時間
のかかる製造業を捨てたアメリカ。ものづくりにこだわり、変わる
ことができない日本。
日本とアメリカの失業率の推移から判断すると、この時のコーエン
の主張はなんとなく腑に落ちるものだった。
これを受けてマサチューセッツ工科大学(MIT)のエリク・ブリニョル
フソン、アンドリュー・マカフィーが 「機械との競争」で異論を唱
える。 ※原題は"Race Against The Machine"(2011年11月)
雇用が回復しない原因として専門家が唱える説を 以下の3つに整理
し、景気循環説(回復に時間がかかっている)
停滞説(技術革新の伸び悩み)※コーエンはここ
雇用喪失説(技術革新により労働力が不要に)
3番目の雇用喪失説を採用。 技術革新のスピードに人間が時代遅れ
になってしまい、人間にしかできない仕事が急速に減少しているこ
とを指摘。
この議論はその後どうなったのか?コーエンの最新刊の邦訳「大格
差」を読んでみた。 原題は"Average Is Over"(2013年9月)
結論を言うとコーエンは雇用喪失説へくらがえ。コーエンの描く人
と機械との未来は、人間とコンピューターのチームこそ、最強のチ
ームである。
賢い機械を動かす人物は、その課題に関する専門家である必要はな
い。
技能が一定水準に達しない人物を機械と組ませると、機械単独の場
合よりも有効性が落ちる。
自分の限界を知ることが今まで以上に重要になる。
であり末尾ではこうまとめる。
「これからやって来るのは、天才的なマシンの時代。そういうマシ
ンと働ける人が豊かになる。社会は大きく二つに分かれることにな
る。テクノロジーに牽引される活力のある産業で働き、目をみはる
成功を収める人たちと、それ以外の人たちに。」
つまり機械によって中産階級の仕事が失われ、機械を使いこなす人
材に富が集中する未来が来る。 
ゆえに「大格差」であり"Average Is Over"なのだ。
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生産額は10年で半減、日本の電子産業凋落の真相 
電子立国は、なぜ凋落したか(1)
2014/7/14 7:00日経
日本の電子産業の衰退に歯止めがかからない。自動車と並ぶ外貨の
稼ぎ頭だった電子産業は、2013年に貿易収支がとうとう赤字になっ
た。同じ2013年の国内生産金額は、約11兆円にまで縮小した。2000
年に達成したピークの約26兆円の半分以下である。日本の経済成長
を支えてきた電子産業は、なぜ、ここまでの事態に陥ったのか。電
子立国の再興に光はあるのか。連載「電子立国は、なぜ凋落したか
」では、元・日経エレクトロニクス編集長で技術ジャーナリストの
西村吉雄氏が、政策・経済のマクロ動向、産業史、電子技術の変遷
などの多面的な視点で、凋落の本当の原因を解き明かしていく。
 巨大な産業が一つ、いま日本から消えようとしている。10兆円近
い貿易黒字を出して外貨の稼ぎ頭だった日本電子産業、製品が売れ
すぎて世界中で貿易摩擦を起こしていた日本電子産業――今やそれ
は夢まぼろしである(図1)。
 日本がバブル経済を謳歌していた1991年、6回シリーズのテレビ番
組「NHKスペシャル 電子立国 日本の自叙伝」が放映された。この番
組を基に、4巻の書籍『NHK電子立国 日本の自叙伝』も発行される。
その上巻冒頭に「エレクトロニクス商品は自動車に次ぐ外貨の稼ぎ
手」とある。
 電子産業と自動車産業の貿易収支の年次推移を見てみよう(図2)
。2000年ごろまでは両産業が拮抗していた。しかし21世紀に入って
からの両産業の歩みは対照的だ。自動車産業の貿易黒字は、乱高下
はあるものの上昇基調で、2013年においても12兆円を確保している。
一方、電子産業の貿易黒字は減少を続け、2013年には、赤字に転落
した。
 電子産業は、なぜこれほど自動車産業と差がついてしまったのか。
■ICT産業の貿易赤字額は「天然ガス」並み
 電子産業のなかで貿易赤字が大きいのはコンピューター関連装置
と通信機器である。2013 年の赤字額はそれぞれ、1兆6450億円と2兆
870億円に達する。合計すれば赤字額は3兆7000億円を超える。
 日本のICT(情報通信技術)産業は、貿易では大赤字だ。原発停止
に伴い天然ガスの輸入量が増え、円安効果もあって天然ガス輸入金
額が増加した。その金額は2013年で約3兆6000億円という試算がある。
ICT産業の貿易赤字額3兆7000億円は、天然ガスの輸入増加金額以上
ということになる。
 今や消費者の多くにとって不可欠のツールとなったスマートフォ
ン(スマホ)やタブレット端末だが、その裏にはICT産業の貿易赤字
は「天然ガス」並みという知られざる事実があった。
■輸入比率が高いスマホ
 貿易赤字は、一つの企業にとって、あるいは一つの国にとって、
ただちに「悪」というわけではない。海外の適地に工場をつくり、
そこから自社製品を輸入する。貿易収支的には赤字になるが、企業
としての利益は確保できる。
 海外の自社工場で作った製品を、海外市場に売り広げる。たとえ
ば少し前には、メキシコの工場でテレビを作り、それを米国に販売
することを、日本企業がよく実施していた。この場合は企業や国の
貿易収支には関係がない。いずれの場合も、企業や国の経常収支に
貢献する可能性がある。
 しかし最近、そのような活動によって大きな利益を上げている例
は、電子産業に関する限り、あまり聞かない。たとえばスマホもタ
ブレット端末も、輸入比率が高い。これらの輸入品を製造販売して
いるのは日本企業ではない。
 ちなみに2013年度(2013年4月〜2014年3月)の日本の貿易収支は
10兆8642億円の赤字だった。赤字額は過去最大である。ICT産業の赤
字3兆7000億円の影響は大きい。
■部品事業に傾斜する日本の電子産業
 ICT産業が3兆7000億円もの貿易赤字を出しているのに、電子産業
全体では、7700億円ほどの赤字で済んでいる。電子部品の貿易収支
が2兆9000億円の黒字だからである。
 日本の電子産業は、部品産業の性格を強めている。電子産業全体
に占める電子部品(電子デバイスを含む)の比率は、生産では6割、
輸出では8割に達する(図3)。
 これは個々の企業レベルにも見られる傾向である。「液晶テレビ
の雄」だったシャープはいま、部品としての液晶パネルに活路を見
出している。同社は2014年3月期の連結決算で、3期ぶりの黒字化を
達成した。その原動力はテレビではなく、部品としての液晶パネル
である。
■国内生産は2000年をピークに急激に減少
 日本電子産業の凋落を一般社会に印象づけたのは、2012年である。
この年には、日本の電子産業は「総崩れ」の様相を示していた。パ
ナソニック、ソニー、シャープの同年3月期の最終赤字額は、3社合
計で約1兆6000億円に達した。
 さらに半導体では、エルピーダメモリもルネサス エレクトロニク
スも2012年初頭に経営危機に陥る。エルピーダは会社更正法適用を
申請、米マイクロンテクノロジー(Micron Technology)に買収され
た。ルネサスは産業革新機構や自動車会社などによって救済される
ことになる。
 ただし2014年現在、かなりの数の日本の電機・電子関連企業が業
績を好転させている。2年前の2012年に比べれば「まだまし」と言え
る状況にはなってきた。しかしこれは、日本電子産業の復活を意味
しない。
 というのは、企業業績の好転は、むしろ不調の電子部門を整理し
たことによっているからである。
 そもそも日本電子産業の衰退は、ここ2〜3年のことではない。図4
は、生産、輸出、輸入、内需(国内需要=生産+輸入− 輸出)、貿
易収支(輸出− 輸入)の、1955年から2013年までの年次推移である。
 電子産業の国内生産金額は2000年の約26兆円をピークとし、2013
年には約11兆円と半分以下に落ち込む。10年で半減というペースで
国内生産は減少した。貿易収支は先にも述べたように2013年に赤字
になる。
日本の電子産業全体が衰退した背景には、個々の日本企業の経営の
失敗はあっただろう。経営者の責任もある。しかしそれだけでは、
日本電子産業の総体としての衰退を説明できない。日本のエレクト
ロニクス関連企業に共通する失敗があったのだろうか。
 それを考える前に、日本電子産業の衰退という現象を分解して、
はっきりさせておきたい。第1は過去との比較である。
 第2は世界の他地域との比較である。米国、韓国、あるいは台湾の
電子産業は元気なのに、なぜ日本の電子産業は元気がないのか。第3
は他産業との比較である。日本の自動車産業は元気なのに、なぜ日
本の電子産業は元気がないのか。
■元気だったのは「1970〜1985年」
 日本の電子産業が元気だったのはいつか。1970年以前、日本の電
子産業は高度成長していた。ただしこの時期は日本経済全体の高度
成長期である。電子産業だけが元気だったわけではない。また日本
経済全体に電子産業の占める比率は、まだそれほど高くなかった。
この時期の日本経済の主役は、鉄鋼や造船などの、いわゆる重厚長
大産業である。
 1970〜1985年、この時期に日本の産業構造は大きく変わる。鉄鋼
の生産量や原油の輸入量は1973年から減り始める。対してシリコン
(半導体集積回路の材料)の国内需要は急増する(図5)。鉄鋼産
業をはじめとする重厚長大産業は低成長となり、半導体などの軽薄
・短小産業が高度成長する。
 1970年代初頭に、半導体集積回路はLSI(大規模集積回路)の段階
となる。マイクロプロセッサーが登場し、マイコン・ブームとなる
。コンピューターに半導体メモリーが採用される。こうして半導体
産業の高度成長が始まろうとしていた。光ファイバー通信の基礎技
術が出そろったのも同時期である。
 半導体集積回路はシリコンでできている。光ファイバーは石英(
二酸化硅素)を主材料とするガラス線だ。この状況を私は「硅石器
時代」と名付けた。これからは鉄器に代わり、硅素を主材料とする
石器(硅石器)が主役となる時代、そういう意味を込めた。
 1970年代に入ると、日本の電子産業は世界的にも大きな存在とな
る。貿易摩擦も頻発する。実際、この時期の日本電子産業は輸出主
導で成長した。1970〜1985年の15年間の伸びは、生産が5倍、内需が
3倍だったのに対し、輸出は11倍である。この期間が、日本の電子産
業が最も元気だった時代と言えよう。
■貿易黒字が減少に転じた1985年
 1985年以前と以後で一番違っているのは、貿易収支の動向である。
それまで勢いよく伸びていた貿易黒字が、1985年以後には減少に転
じる。「輸出で外貨を稼ぐ」時代は、電子産業の場合、1985年に転
機を迎えた。
 もう一度、図4を見てみよう。1985年以前は生産・輸出・貿易黒字
が並行して伸びている。輸入はとるに足らない。輸出や生産に比べ
ると内需の伸びは鈍い。
 1985年を過ぎると、輸出の伸びが鈍る。輸入が着実に増え始める
。結果として貿易黒字が減少傾向となる。またシリコン需要の伸び
が、1985年以後は鈍っている(図5)。半導体集積回路の国内生産が
、1970〜1985年ほどには伸びなくなったことを示す。
■2000年までは内需の伸びが電子産業牽引
 電子産業の貿易黒字の減少は1985年に始まる。しかし国内生産や
輸出が同時に減少を始めたわけではない。2000年の生産金額は26兆
円を超え、過去最高を記録している。
 1985年から2000年までは生産も伸びているが、内需の伸びは、い
っそう著しい。1985〜2000年の15年間の伸びは、生産と輸出が1.5倍
だったの対し、内需は2倍である。この間、日本の電子産業は内需主
導で成長した。
 1985年以後の内需主導の成長は、貿易摩擦対策の観点からも好ま
しかった。1980年代、日本の電子産業は貿易摩擦に苦しんでいたか
らである。
 1985年から2000年まで、日本経済全体はバブルの熱狂から崩壊と
、いわば異常事態となる。1990年代初頭にバブル経済が崩壊して以
降は、21 世紀に入ってからも「失われた20年」を超え、低迷が続く
。日本の名目GDP(国内総生産)は1990年以後、ほとんど伸びていな
い(図6)。
ところが電子産業は同じ期間に、輸出主導から内需主導へ、ある意
味、健全な構造転換を進めた、とみることができる。この間、国内
生産は、それなりに伸びていた。もちろん伸び率は低下している。
1970〜1985年の15 年間に国内生産は5倍に成長した。しかし1985〜
2000年の15年間の伸びは1.5倍である。
■2000年以後は電子産業全体が衰退へ
 図6に電子産業生産金額を重ねてみると、まず目立つのは2000年以
後の急速な減少である。2013年の生産金額は11兆円と、ピークの26
兆円の半分以下となる。GDPは「ほとんど伸びない」程度なのに、電
子産業生産は「10年で半減」だ。国内で生産するという観点からは
、日本の電子産業は急激に衰退した。
 輸出と輸入の動きは、生産とは違う。輸出は2000年を越えて伸び
続ける。この輸出の伸びを支えたのは、電子部品の輸出である。電
子産業の輸出に占める部品の比率は伸び続けている。電子部品の輸
出は2007年まで伸び続ける。2007年の輸出金額11兆円は、電子部品
輸出の最高記録だ。
 日本電子産業全体の貿易が2012年まで辛うじて黒字を維持してい
たのは、電子部品の輸出が伸びていたおかげである。しかし2008年
以後には、電子部品の輸出も減り始める。そして2013年、日本電子
産業全体の貿易収支が、ついに赤字になる。
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日本の実力:衰退する日本経済 働き手が半分になる時代がやって
くる
2014年05月27日mainichi
 ◇中国に大きく引き離された名目GDP
 日本経済の地滑り的衰退が続いている。IMF(国際通貨基金)が
この4月に発表した『World Economic Database April 2014』による
と、日本の2013年の名目GDPは4兆9000億ドル(内閣府の国民経済
計算では478兆円)で、1位米国の 16兆7991ドル、2位中国の9兆1810
ドルに大きく離され、ようやく3位に踏みとどまっている(4位のドイ
ツとの差は前年より縮まった=別表)。GDPは国内で生産された商
品(物やサービス)の合計額で、いうまでもなく一国の経済の総合力
を表すもっとも基本的な指標である
 日本経済の凋落が喧伝されたのは2010年。42年間守り続けたGDP
世界2位の座を中国に明け渡したときだった。この時点ですでに、日
本が将来、中国を抜き返すことはないだろうという観測がなされて
いたが、実際、これほど中国に水を開けられるとは思ってもみなか
ったというのが多くのエコノミストの感想だった。日本が3位に転落
したときの名目GDPは5兆4950億ドル。それが2013年には5兆ドル
を切る水準まで減少、逆に中国は、都市部と農村部の経済格差など
、いびつな経済構造を内在させながらも、5兆9030億ドルからいっき
に9兆ドル台にまで経済規模を拡大させていたからである。
 いまから20年前の1995年、世界のGDPに占める日本のGDPの
割合は17.7%。それが2013年には6.6%にまで低下し、アベノミクス
によって株価こそ2008年のリーマンショック以前に戻したものの、
「失われた20年」の経済停滞から脱却できないまま、その存在感を
大きく低下させているのである。
 ◇一人当たりGDPも急降下
 IMFのデータで、さらに気がかりなのは、国民一人当たり名目
GDPの大幅な下降である。一人当たりGDPは、国民の平均的な
所得水準(豊かさ)を示す指標だ。2013年の日本の一人当たり名目
GDPは3万8491ドル(376万円)で、前年の4万6530ドルから急減、
ランキングも13位から24位へと大きく後退している。2013年の首位
は、ルクセンブルグの11万ドルで、日本とは3倍近い格差だ。ちなみ
に、米国は9位、GDP2位の中国は84位(6747ドル)である。
 日本の一人当たりGDPは経済成長とともに上昇してきた。1970
年代半ばには5000ドルに過ぎなかったのが1980年代前半に1万ドルを
突破、後半には2万ドルになり、1990年代前半からは3万ドル台で推
移、2010年から4万ドル台を維持していた。それが2013年になって3
万ドル台に逆戻りしたのである。IMFの見通しでは、2014年も日
本は4万ドルを回復するのは難しいという。日本は1988年に一人当た
りGDPランキングで3位になってから、ずっと3?5位を維持してい
たが、2003年以後、ベスト10に一度も入っていないのだ。
 一人当たりGDPの減少が問題なのは、その額が、労働生産性(
GDP÷労働者数)と労働力率(労働者数÷人口)の積として表さ
れるからである。つまり一人当たりGDPは、国民の生産性の高さ
を示す指標でもあるのだ。かつて日本が高度成長を果たした要因の
一つとして、1970ー80年代にかけて生産年齢(15?64歳)人口が子ど
もや老人より多い「人口ボーナス」状況にあったことが挙げられる。
しかし高齢化が急ピッチで進んでいる日本では、団塊世代のリタイ
アによって生産年齢人口が減ると同時に、確実に労働力率も低下す
る。今後日本が一定の成長率を維持するには、いうまでもないこと
だが国民一人当たりの生産性を上げるしかないのである
 生産性の低下と連動するように、日本の国際競争力ランキングも
低迷したままだ。スイスにある世界屈指のビジネススクールIMD
(国際経営開発研究所)は、この5月22日に『IMD世界競争力年鑑
』2014年版を発表したが、同ランキングで日本の総合順位は前年の
24位より少し上がって21位。昔日の面影はない。
 IMDでは世界競争力を「企業の力(競争力)を保つ環境を創出
・維持する力」と定義している。具体的には「富を生み出す主体で
ある民間の企業活動をバックアップする環境整備の度合い」という
ことになる。IMDは1989年から世界競争力ランキングを発表して
いるが、日本は同年から92年までは1位だった。しかし93年に米国に
1位の座を明け渡して以後、98年には20位までランクを下げた。5年
で1位から20位へと急降下したことになる。そのまま低位に甘んじて
いるのが実情なのである。
 IMDランキングは「経済10+件状況」「政府の効率性」「ビジネ
スの効率性」「インフラ」の4つの分野からなる。この中でとくに日
本の総合順位を押し下げているのが政府の効率性だ。GDP比で200
%超、金額にして1220兆円超の先進国最大の財政赤字を厳しく評価
しているのだ。
 ◇アベノミクスは奏功するか
 では長期にわたる日本経済10+件の低落に歯止めをかけることは可
能なのだろうか。アベノミクスのシナリオは、企業活動を活発化さ
せることで企業収益を上げ、賃金アップを実現し、それを個人消費
の拡大につなげ、景気の好循環によってデフレを払拭し、景気の拡
大をはかるというものである。最終目標として個人消費の拡大を目
指す方向だ。
 大胆な金融政策と財政支出、そして成長戦略を“3本の矢”とす
るアベノミクスが始動して1年余り。これまでのところ第1の矢は一
定の成果を収めている。黒田東彦日銀総裁銀と歩調を合わせた「異
次元の金融緩和」が円安・株高の劇的な変化を誘導し、自動車メー
カーなど輸出関連企業の収益を大幅に改善させているからだ。
 しかしこの円安誘導政策は、一方では、日本が海外との取引でど
のくらい稼いだかを示す「経常収支」を大幅に悪化させる事態も招
いた。財務省は2月に2013年の国際収支速報を発表した。これによる
と日本の経常収支の黒字は、比較可能な1985年以降で最小だった
2012年の4兆8237億円を32%も下回る3兆3061億円まで縮小している。
 貿易赤字も過去最大の10兆円超に達した。その原因10+件は、原子
力発電所の再稼働が見通せず、火力発電用燃料の輸入量が増加した
のが大きく響いたといわれるが、実際には原発事故後、足元を見ら
れた上に円安の進行で燃料の輸入価格が高止まりしたことが大きな
要因である。
 では輸出はどうか。円安で伸びが見込まれたはずの輸出量はそれ
ほど増えていない。なぜならすでに1985年のプラザ合意以後、多く
の企業が円高を回避するために海外に生産拠点を移してきたからで
ある。たしかに自動車関連を中心に円安の恩恵を受けた企業は多い
が、実態は円安が輸出量を押し上げて収益を拡大させたのではなく
、おもに円に換算した海外売上高が増加したといったほうが適切だ。
 これまで日本は資源を輸入し製品を輸出することで稼いできた。
したがって円安になれば海外で高品質の日本製品が安く買えること
になり、輸出が増えた。しかし、生産拠点が海外に移れば、この経
済・産業構造は成り立たず、円安になってももはや輸出で稼ぐこと
はできないのだ。
 アベノミクスの第2の矢、公共事業を柱とした財政出動も内需拡大
につながっているとはいいがたい。たとえば、政府は2013年度予算
と12年度補正予算に盛り込んだ緊急経済対策とあわせて総額8兆円の
公共事業予算を組んだものの、公共工事の入札不調(不成立)とい
う異常事態が全国各地で多発しているのである。東日本大震災の後
、復興事業が喫緊の課題となり、耐震化工事やインフラの整備事業
が急増した。そこにアベノミクスの国土強靱化政策にともなう公共
事業の大盤振る舞いが加わったため、建設資材が高騰、さらに人手
不足が決定的となり、ゼネコンはじめ地方の建設業者は、応札した
くてもできない状況に追い込まれてしまったのである。
第3の矢である成長戦略はどうか。安倍首相は、復興特別法人税を1
年前倒しで廃止するとともに、法人実効税率の引き下げ方針を打ち
出す一方、“見返り”として経団連など経済3団体に対し、異例の賃
上げ要請をおこなった。この結果、2014年春闘では、大企業だけで
なく中小企業の半数近くが賃上げに踏み切った(日本商工会議所調べ)。
 だが、この4月には消費税率が引き上げられ、2015年10月には10%
への引き上げが予定されている。今回の賃上げが個人消費拡大に結
びつくかどうかは、目下のところ不確実というのが、おおむねエコ
ノミストの一致した見方である。
 ◇メイド・イン・ジャパンが輝きを失った理由
 戦後、奇跡の復興を果たした日本は、勤勉さを武器に高度成長を
なし遂げ、1968年にはGNP (国民総生産:日本人が海外で生産し
た財やサービスの総額)で西独を抜き去り、米国に次いで自由主義
世界で第2位の経済大国になった。その後1970年代に2度の石油ショ
ックに見舞われるも、日本企業は逞しい適応力を発揮、革新的な省
エネ・省資源技術を開発してこれを克服した。1979年には、アメリ
カの社会学者でハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授が、その
著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』で、日本が高度成長を実現
したのは終身雇用、年功序列、企業別組合を「三種の神器」とする
日本的経営による、と賞賛した(邦訳は同年、TBSブリタニカか
ら発売)。そして1980年代、「メイド・イン・ジャパン」の製品は
世界に評価され、自動車、家電製品、半導体ほかの世界市場を席巻
した。日本は黄金時代を迎えたのである
しかし1990年代初頭、「バブル経済」の崩壊後に状況が変わり始め
る。バブル期に日本の金融機関は、事業の将来性よりも、資産であ
る土地や株の値上がりを見込んで企業への融資を続けていた。資産
バブルである。1990年、政府はこの過熱を抑えるために総量規制を
おこなった。バブルは弾けるべくして弾ける。歯車が逆回転し始め
、金融機関は膨大な額の不良債権を抱え、貸し渋り・貸し剥がしが
始まる。市中経済の血脈が止まり、ものづくりを支えてきた中小企
業を窮地に追い込んだ。その状況は2000年代に入っても改善するこ
とはなかった。
 一方、グローバル化の進展は、日本の輸出産業を、安価な労働力
を武器にした中国・韓国製品との価格競争にさらすことになった。
さらに、長期にわたる円高傾向は生産拠点の海外移転を徐々に加速
させていった。
 また、小泉政権下でおこなわれた規制緩和は、労働市場に大きな
転換を迫ることになった。その一つが製造業への派遣の解禁である
。企業は人件費のコストを下げ、国際競争力を高めるために、競っ
て非正規雇用を増やしていった。この結果、「いざなぎ超え」とい
われた2002年2月から07年10月の景気回復期には、輸出は年率10%を
超える割合で伸びていった。しかし、国内需要は横ばい、雇用者の
平均給与は逆に下がっていった。報酬格差の出現である。
 日本は資源を輸入し製品を輸出する貿易立国によって経済成長を
遂げたというイメージが強い。だが見逃してならないのは、GDP
でもっとも大きな比重を占める民間消費(個人消費)が、これまで
の経済成長のエンジンだったという事実である。2013年の日本の
GDP478兆円の内訳を見ると、飲食費や光熱費、遊興費などを含め
た民間消費は293兆円と、なんと61%を占める。公共事業などの公的
支出は26%、設備投資や住宅建設などの民間投資は16%。バブル崩
壊後もGDPの6割近くを個人消費が占め続けているのである。その
点は、世界第1位であるアメリカのGDPの7割が個人消費であるの
と同様だ。
 ではなぜ「失われた20年」のデフレ不況を招いたのか。それはバ
ブル崩壊後の経済政策が、変わらず輸出産業振興に力点を置いてき
たのと、財政出動による公共投資を内需拡大の起爆にするという政
策に比重が置かれるあまり、国民所得を増やし個人消費を拡大させ
る施策がつねに後手に回った結果だといってよい。
 今年4月、IMFのオリビエ・ブランシャール経済顧問は、2014年
の『世界経済見通し』の「総括」で、「日本では、回復が持続的に
なるためには、アベノミクスを通し国内の民需を強化しなければな
らない」と強調した。


Reshoring: Why It’s Not Easy
日本経済衰退の防止はどうする?

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