プロフィール No.7
宮田西中時代

部活動(女子バレー部奮闘記)No.7

 新チームは、1年生だけの6人です。2人は、小学校からの経験がありますが、後の4人は全くの素人で、体力的にもバレーが続けられるかなと疑問に思う子もいます。自分的には、今までで最大の難関です。全く構想が見えてこない。しかし、6人いる以上は、貴重な戦力として鍛えていかなくてはなりません。
 夏休みは、人数が少ないので鞍手南中や小学生と一緒に練習をしました。やはり体力的についていけなくて、気持ちはあっても体がついてこれないという風でした。しかし、涙を浮かべながらも一生懸命にやるので、今年は我慢我慢と決めて練習に取り組みました。それでも、今までの半分くらいの練習量になってしまったと思います。
 9月に入り練習試合と思いますが、6人しかいない上に体調を壊す子がいて6人が揃わない。試合が組めない。そして1日練習試合をすると、次の日は体調を壊して学校を休むという風で、連続して練習試合にいけないのが困りました。しかし、お呼びがあれば5人でも出かけていきました。そうして直鞍のチームと一通りは練習試合をすることができました。結果は想像していたとおり、なかなかサーブも入らない、ワン・ツー・スリーができない、早いサーブに手も足も出ないという風で、セットは取れないし試合にならないこともありました。それでも、ポジションを固定してシートをしていくうちに、少しずつ形になってきました。

 <新人戦(2005.12.3〜4)>
 今年は例外的に12月に新人戦が開催されることになりました。1年生チームとしては、経験を少しでも多く積むことができるのでよかったですが、練習試合に行くにしても5人ということが多く、やはり6人だけでは闘うことが難しいと思いました。そこで、11月になって陸上部に助っ人をお願いしたところ、1人だけ「一緒に練習して試合にも出ていいです。」と言われ、7人で闘うことができるようになり少しだけ先が明るくなりました。
 陸上部ですから多くは望めませんが、さすがに2年生だけあってサーブは心配ありませんでした。今まで1年生ばかりでしたが、2年生が1人いるということだけでも部員にとっては余裕ができたみたいで、今までのような悲壮感はなくなりました。
 第一試合は、宮田中。宮田中も2年生2人と1年生のチームで、お互いに「何で!?」というプレーを随所に見せるので、どうなるかわかりません。1セット目からもつれにもつれます。22点まで来て、ここからやはり2年生のサーブでやられました。第2セットも同じような戦いで、22点まではいけるけど、ここからがミスで負けてしまいました。勝ちを意識してプレーするだけの力はないのに、どうしても勝ちたいという気持ちから普段やってないことをしてしまうし、よけいなところに力が入ってしまっていました。現時点では想像以上のできでした。
 第二試合は、直方三中です。15点までいけばいいかなと思っていましたが、1セット目は19点まで粘れました。2セット目は23点まで先に行きましたが、ここから第1試合と同じように1人のサーブで連続して得点を取られて逆転負けでした。しかし、内容的には第1試合よりもよくなってきました。
 ここで昼食ですが、やっぱり元気がありません。負けたことは気にしなくていいのですが、体力的に元気にご飯が食べられないくらい疲れている。明日からは、もっと走り込んで体力をつけていかないといけないと痛感しました。
 昼食後、第三試合は若宮中です。ここには3点取れるかなという風に思っていました。それくらい力の差が歴然としてありました。1セット目は、出だしのサーブで13点までいかれて、後は相手のサーブミスでしか得点が入りませんでした。2セット目は、目が慣れてきたようでレシーブも少しは上がって、ワン・ツー・スリーの攻撃ができましたが、自力では3点しか取れませんでした。
 まだまだ闘うチームになっていないと思っていましたが、思っていた以上にやれたという気がします。もう少し時間はかかるけど、楽しみが増えた気がします。しかし、これからの冬場の練習についてきてくれるとその楽しさも倍増できるのですが、走ること中心の練習でこのような笑顔になれるかどうかです。それと体調管理がどれだけできるかが課題でしょう。

 年が明けて2006年になりました。
 新人戦が終わって、対外試合をするにはあまりに戦力不足であることは否めないので、Uー14大会などの試合にも参加ぜずに、ひたすら学校で体力づくりを中心に練習をしました。1月にある宮田町の大会には参加をしなければならないので、体力づくりばかりというわけにはいきませんでしたが、そんな中冬休み中に小学生が3人ほど練習に参加したことは中学生に刺激になりました。しかし、さあこれからというときに、インフルエンザにかかる子が出てきて、6人揃っての練習は全くできませんでした。

 <宮田町親善バレーボール大会>
 1ヶ月ぶりの対外試合です。内容的には、6人揃っての練習がほとんどできていない上に、前日まで1人がインフルエンザで休んでいたので新人戦の時よりも試合にはならないでしょう。また、陸上部から急遽1人借りてきての試合ですから、なかなか思うようにはいかないだろうと思っていました。
 午前中は、1セットマッチの5校リーグです。相手は、鞍手北・直方二・直方三・宮田です。どのチームにもセットは取れないだろうし、試合になるかどうかさえ心配でした。
 しかし、試合が始まると結構いい試合でした。サーブカットは相変わらず正確性がないけれど、上がればスパイクまでいって決めるというシーンが、新人戦の時よりも数多く見ることができました。そして時には、ひょっとしたらこの試合は・・・?と思える流れの時もあるくらいでした。しかし、早いサーブで連続得点をやってしまって、流れを崩してしまって勝利ということにはなりませんでした。
 昼食時間に、昨日まで休んでいた1人が食欲がなく顔色を真っ白になってしまったので、そのまま家に帰らせました。これでいよいよ6人しかいません。
 午後からは、3校リーグです。相手は宮田中と直方一中になりました。
 宮田中とは、午前中も22点までいけたので、午後はセットを取る気持ちでいけといって、送り出しました。試合内容は、一進一退で不思議とリードしても22点で止まってしまいます。2セットともここで終わってしまいました。あと3点分は、これからの課題でしょう。
 次は直方一中です。サーブが早いので連続で決められるとあっさりやられると思っていました。予想通りサーブで崩されて、何もしないで得点をやってしまう状態でしたが、相手のサーブもミスが多く、試合内容としては盛り上がらない内容で、1セット目が終わりました。
 2セット目も同じような内容でしたが、これが最後だからもっと練習してきたことをきちんとして、粘るように指示していきました。すると中盤を過ぎて、スパイクが決まりだし、23対21になりました。ここで、サーブをミスって1点差となり、いつも通りだなと思っていたところ、相手がサーブミスしてマッチポイントです。そして、さらに25点目も相手がサーブをミスって、なんと初の勝利です。
 このときは、声を出して喜んでいました。しかし、3セット目があることを忘れています。案の定、3セット目はあっさりと負けてしまいました。こういうところが経験の浅いところです。しかし、今日の今の状態からすれば、上出来の試合結果だったと思います。
 また、次を目指して頑張ることができるということでしょう。

 2月になってからは、インフルエンザと寒さで満足に練習できませんでしたが、期末考査後からセッターを替えて、3月の「菜の花カップ」を目標にして練習を開始しました。
 しかし、3月は思った以上に忙しい。こんなに忙しさを感じたのは久しぶりです。特に、卒業式が例年より1日早いだけで、送る会やビデオ編集などに追われました。セッターを替えた練習試合が十分にできないうちに「菜の花カップ」を迎えました。
 今年も県下の強豪チームを迎えての大会です。組み合わせ的には、配慮をしてもらったという中身でしたが、午前中の予選リーグは勝利するにはやっぱり力が足りなかったです。前日に3年生と練習試合をしたときの方がずっとよかったです。3年生が全員応援に来てくれていましたが、期待に応えるまでにはいきませんでした。それでも、セッターを替えて不安がありましたが、前よりもうまくまわることが確認できました。課題は、やっぱりレシーブです。
 午後は、3位グループの決勝トーナメントです。
 第1試合は、小竹中でした。相手は5人での参加です。サーブがいいので苦戦するだろうと思っていましたが、予想通りでした。まあ、それでもどうにか2セット取って準決勝に進みました。
 準決勝は、福岡の原北中です。部員が30人ほどいてその数に圧倒されるだけでなく、コートの中にいる選手の背が大きいことにびっくりです。6人が6人とも160以上です。試合になるかなと心配しました。 第1セットは、ナミのスパイクが結構決まっていましたが、ここと言うときにサーブで連続得点をやってしまい、結局15点で終わりました。
 第2セットも同様の試合になると思っていましたが、これで最後という言葉に発憤したようで、いつもの動きができてきました。特に2列目がボールにさわれるようになって、ナミや千春のアタックだけでなく、ナミのブロックも決まりだして、21点までいきました。保護者の応援も盛り上がり、後半は応援に応えるだけの内容のある試合ができました。それだけでも3位になった価値はあると思います。

 1年生6人だけのチームとしては、よくやってきました。特に、リホやマサコは続くだろうかと心配しましたが、どうにか1年間ここまで来ました。今日の試合を見る限り、とっても成長したと思います。このチームで形あるものが残せるなんてとても思ってもいませんでしたが、継続してきた甲斐があったということです。これからは後輩が続いてくるので、先輩としてよりしっかりと活動してほしいものです。
 残念ながら、私は4月に異動することが決定しました。これからはライバルとして闘っていかなければなりません。心残りではありますが、仕方ありません。この1年やってきたことをもとに、これから新しいチームを作っていってほしいと思います。

 宮田西中での「女子バレー部奮闘記」は、これで終わります。
 今日まで6年間、7代にわたって、たくさんの思い出ができたことに感謝します。
 思い返せば、バレー部の顧問をしていたからこそ、宮田西中学校での自分があったと思います。バレー部の生徒と保護者に支えられての宮田西中学校の教員生活といっても過言ではありませんでした。バレー部があったからここまで頑張れました。

 たくさんの出会いと思い出をありがとう!!
 宮田西中学校バレー部 頑張れ!!


 <追伸>

お別れ会の様子

異動発表後、4月2日に宮田西中学校で、「バレー部お別れ会」を開いていただきました。
 今までのバレー部員39名中26名が参加してくれました。その日に来られないということで、前日までに3名の子が会いに来てくれていましたから、29名もの子が集ってくれました。保護者も含めると、50名もの方々に集まっていただきました。本当にうれしい限りでした。
 さらに、それぞれの代を代表して色紙や記念品をいただき、感謝感謝で、とってもうれしかったです。
 さすが西中だなとつくづく思いました。この気持ちが普段から伝わってくるからこそ、今日まで一生懸命バレーに専念できたと思います。バレーを通して、一人ひとりとの絆も深まった上に、学年を越えた部員同士のつながりもできたと思います。私にとって、一生忘れられない6年間であり、宝物です。
 生活する場は変わるけど、今度会ったら、また笑顔で声を掛け合いましょう。
 今日は、言葉では言い尽くせないほどたくさんの元気をいただきました。これを支えに次も頑張ろうという気持ちになりました。本当にありがとうございました。

 これらの記念品は、大切に飾っておきます。

 そして、この宮田西中での「女子バレー奮闘記」は、私の生きている限り、永久に残していきます。