鶴見川<シーバス>インプレッション
- Impression of Tsurumigawa Seabassing -
◆仕事の都合により横浜に転勤したのが2004年の11月。約10年間大阪に住みずっと同じ勤務先に勤めていた私が、初めての異動となった。しかし、仕事の内容は関東と関西の両方を管轄する重要業務で、大阪の住居はそのままに別に新しく横浜に仮住まいを置き、何週間かごとに住まいも仕事場も入れ替わるというような生活。そのため1年近くに渡って、釣りに関しては大阪に滞在している期間の休日にのみ釣行するというスタイルを取っていた。慣れない転勤先での釣りが皆目分からなかったことと、仕事上そんな余裕がなかったためでもある。しかし、そんな生活も2005年の9月にいったん区切りがつく。当時の私は、全国に数拠点の事業所を構える中堅企業の、その中のただ一人のシステム管理者だった。そのあまりのハードワークに私は倒れ、過労死するかというような状態にまで陥り3ヶ月間休職。その間は和歌山にある実家にて療養していたのだが、体調が少しずつ良くなるにつれ外出も出来るようになり、リハビリとして毎日のように釣りに行きまくった。そしてその年の暮れに復職、2006年からは横浜だけに拠点を落ち着かせ腰を据えて仕事をすることになった。
◆さてそんな経緯による横浜での生活。一度過労で倒れた私の身体は、その後も決して良いものではなかった。DSPS(睡眠相後退症候群)およびNon-24(非24時間型睡眠・覚醒症候群)と分析される概日リズム障害――社会適合性の極めて低い、一種の自律神経失調症――を抱え、それによって不整脈や背部痛、疲労感などの症状も伴い、自分の体調管理がままならず仕事に支障を来たすこともままあった。軽症うつ病でひきこもりがちでもあった私は、精神神経科に通いながらなおも仕事をこなし続け、昨年の休職時に悟った自分には釣りという楽しみがあるという一種の支えのような気持ちと、リハビリという意味から横浜での釣りを始めた。 ◆春になり少し暖かくなってから、最初はコイのトップウォーターを楽しんだ。仮住まいにしていたウィークリーマンションのすぐそばを流れる、早渕川という小さな、水が汚く細いミゾのような川だった。それから最寄りの釣り具店(キャスティング)から仕入れた情報を元に、自転車で近所の鶴見川にも探りを入れ始めた。しかし、バスが釣れるというポイントも非常に魚影が薄く、というよりもバスの姿など全く確認できず、釣りにはならなかった。シーバスも釣れるということだったので河口近くまで下ってみたりもしたが、全面護岸の鶴見川下流域に魚が釣れるような雰囲気は全く感じ取れなかった。 ◆そのため当初は仮住まい近くの川を含め鶴見川水系上流部でのコイ釣りばかりしていた。バス用のウルトラライトのスピニングタックルを用い、小さめのルアーをトップで食わせるという独特の釣り方で、初魚は会社のすぐ近くを流れる幅1メートル程度のホソ。そこも鶴見川水系に当たる小川だったが、そこではエサ釣りもしたしオイカワ釣りもした。しかし、鶴見川水系のコイはよく太っていて引きが強く、バス用ウルトラライトではパワー不足を感じたため、釣り具店に行きコイをメインにシーバスとそれとバスにも使える物をと新しいロッドを購入。それが、その後の運命を変えたシーバスロッド、DAIWA morethan 70L-3。それに合わせてガタの来ていたリールも買い替え(SHIMANO '02 TWINPOWER 2000 から SHIMANO '06 TWINPOWER Mg 2500S)、総額6万5千円超と、コイがメインにしては贅沢過ぎるタックルセレクトだった。 ◆そのタックルでコイを釣ったり、釣れないというよりいないバスを狙ったりしていたのだが、やはりフィッシュイーターが釣りたいという気持ちが高まってきた。試しに管理釣り場、川崎市にあるFISH ON!王禅寺にトラウトを狙いに行ってみたが、夏場の一番暑く水温も高い時期、放流もしておらず受付の人も最悪の状況と言う中での釣り。タックルも持っている中で一番繊細なMデレ(バス用のDAIWA HEARTLAND-Z 冴掛ミッジディレクション、本当は渓流用トラウトロッドのSMITH BUNSUIRAY BSL-56UMLも持っていたのだが)を使ったのだが、PEラインの先にリーダーだけを3ポンドに落としたというおよそトラウトには不似合いなラインシステムで、まともなバイトは4回のみという渋い結果に終わる。 ◆それから7月に入り、私は鶴見川でいつも釣っているよりも少し下流のほうに探りを入れ始めた。釣り具店での情報では、シーバスのポイントはもっと下流、そしてバスのポイントはもっと上流ということだった。そんな中途半端なところでも、コイはたくさん泳いでいたため、それに主な狙いを定めて半信半疑で釣りを展開していった。 ◆そして、ドラマは起こった。両岸とも斜めに護岸された先に2メートル程度の幅で水平に足場のようなものが張り出し、そこからは切り立った岸壁となるという変わった護岸。そのいわば足場のところから釣りをしていて、岸壁沿いに水深に合わせて中層を攻めていたら、シーバスのバイトを得ることが出来たのだ。一度目はコイとばかり思っていたため何の構えもなくバラしてしまったが、二度目は落ち着いて取り込み、横浜鶴見川での初シーバスをゲット。そこから、私は鶴見川のシーバスにどっぷりとハマることとなる。 ◆釣り歴およびルアー歴は長くそれぞれ20年と15年ぐらいになるのだが、シーバス、それもマルスズキに関してはたった1ヶ月というキャリアしか持ち合わせていない私にも、鶴見川のシーバス達は応えてくれた。ルアー釣りはバスがメインだったが、実家に帰った時にいつもヒラセイゴのルアー釣りをしていたため、その経験が役にも立った。ほとんど誰もシーバスなど狙わない場所で、3ヶ月間で50本以上のシーバスを掛けることが出来たのだ(注: セイゴも含む)。そんな私の釣行の足跡は『釣行記録 -2006年-』のページを見ていただければわかる。初ヒットからほぼ毎休みを鶴見川に通うようになった。 ◆はっきり言って鶴見川のシーバスは濃い。それも黄金色がかった体色が特徴で、コンディションも良く引きの強い個体が多い。そして、シーバスだけでなくほかの魚や生き物達も豊富に棲息している。市街地に端を発する巨大な下水溝とも言える川で、日本で汚い川ワースト3とも言われているらしいが、私が半年程度の間釣りをしていて触れることのできた種は実に多い。コイ、ボラ、スズキはもちろん、オイカワ、ゴリ(淡水のハゼ)、テナガエビ、マブナ、ヘラブナ、ブルーギル、キビレ(クロダイ)、バス、ハゼ(海から上ってくるほう)、コトヒキ、アカミミガメ、ザリガニ、ワニガメ、そして明らかに日本古来の魚でない、密放流と思われるカラシン系の熱帯魚などなど。釣り場で知り合った人の話ではマルタ(ウグイ)や時にはアユすらも入ってくることがあると言う。 ◆夏の間、私は定番とも言えるシェードおよびストラクチャーのパターンでタイトに攻めることでコンスタントに釣果を上げた。シーバス歴1ヶ月のつたない腕であるから、はっきり言って本数は大したことがないのだが、それでも毎回1〜2本は釣れたのだからこの川は凄いと思った。そんな釣果情報を私はこの自分のページに包み隠すことなく書き記していたのだが、それを見て釣りに来る人も何人かいて、釣り場で会ったり、わざわざ私を探して会いに来てくれたりしてくれた人もいた。もちろん少ないながらも地元アングラーとして釣っている人とも出会えた。みんなとてもいい人ばかりで、その誰もに共通するのが本当に釣りが好きな人ばかりという印象。毎日とまではいかないまでも週二回ペースで通っていたため、常連のハゼなどの小物釣りをする人達とも顔見知りになり、会う度に挨拶から長話までするようになり、その人達もみんなとてもいい人ばかりだった。そんな感じで世間のイメージとは裏腹に非常に豊かな自然と、温かかな人達と触れ合うことができたのだった。 ◆そして、そうやって知り合ったうち同じ鶴見川のシーバスを狙う釣り人同士は、自然と釣り仲間になっていった。それが私が大阪に去った現在もチームラリオ横浜本部、別称鶴見川漁協として活動を続ける筋金入りの釣りバカ集団である。そのメンバーとの出会いは私にとってとても大きなものをもたらしてくれた。またその釣りバカ集団に所属するわけではないが、同じく鶴見川沿岸に住むシーバスアングラーとその仲間達との交流もあった。お互い、釣果やポイントの情報を交換したりして同じフィールドを共に楽しんだのだった。 ◆しかし、そんな鶴見川とも、そしてそこでの釣りとも、また釣り仲間達とも別れる転機が訪れた。私はまた異動になり、大阪に転勤することになったからだ。釣り仲間達には送別会までしてもらい、最後の釣行ということでチームラリオ横浜本部全メンバーで行った日の納竿の際には、集団記念撮影まで行った。そしてその後、私はこの鶴見川を後にした。ちなみに、チームラリオ横浜本部は私が去った後は若手にリーダーを任せ、関西にいる釣り仲間達で構成されるチームラリオ関西本部と共に活動を続けて行くことになる。私が鶴見川で約3ヶ月間、せっせとポイントを開拓し自分なりに攻略した成果は決して無駄にはならず、地元の人達に受け継がれたのだろうと思っている。チームラリオ横浜本部のメンバーのみならず、私のこのページを見てや、釣り場で私と出会って鶴見川で釣るようになったという人は少なくない。 ◆そうやって鶴見川を釣り納めたわけだったが、私は締めくくりができていない気がしてならなかった。気温水温ともまだ高い夏の間は、日中のシェードおよびストラクチャーのいわゆる夏パターンを理解して思い通りに釣ることができたのだが、気温水温ともに徐々に下がってきて秋っぽくなってくると、いわゆる秋パターンというものが把握できなくなってしまい釣果がストップしてしまっていたからだ。 ◆それを打開したのは、その後すぐに機会の訪れた横浜出張での空き時間を利用した鶴見川釣行。チームラリオの一部を除くメンバーも集結予定でいつものように日中から出て、いつものように釣りをした。その何気ない時間の中で、この川で釣りが出来たことがとても幸せだったということを実感したり。最初はコイに始まった鶴見川での釣り、その日はスレだったがコイの感触を味わうことが出来て、終わりもコイだけでいいかもとすら思った。 ◆そして釣りは釣れなくても釣り。秋パターンという意識で魚が見えなくなってしまい正直焦っていたが、それは落とし穴でそこにハマってしまうと余計に釣れなくなる。夏パターンは制したなどというのは大きな思い上がりで、日々パターンは変わるからそんなものはなく、その日その時の状況に合わせて釣ることが大事。ただ自分の釣りをすればいいんだ、ということ。それに気付いた私に、また鶴見川は応えてくれた。最後の最後に、ぎりぎりスズキクラスの61センチを、自分らしい釣り方で釣ることができて締めくくることができた。 ◆この素晴しい川と、仲間達、そして魚達に、ひそかに感謝の意を表したい。 |
▼鶴見川でのファーストキャッチ。(2006/7/6)
![]() ▼真っ昼間に流芯からこんな良型が出たこともあった。 (2006/8/2) ![]() ▼現在のチームラリオ横浜本部の若きリーダー、安田くんと出会った。私は待望のスズキクラスをキャッチ。 (2006/8/16) ![]() ▼頭にルアーを引っかけたまま釣りを続行したかいあって、小型シーバスの爆釣に見舞われた。 (2006/8/27) ![]() ▼セイゴ・フッコ・スズキ爆釣ポイント(通称ラリオワンド)で出した良型。この日はほかに5本上げたが、玉の柄が壊れてなくておしゃべりもしてなかったらもっと釣れていただろう。 (2006/9/7) ![]() ▼一日で3匹の良型を上げた日の最大魚。 (2006/9/14) ![]() ▼鶴見川での自己レコードの魚。 (2006/9/21) ![]() ▼チームラリオ横浜本部(別称鶴見川漁協)の面々。 (2006/10/8) ![]() ▼出張で横浜に来た際に釣った今年最後の鶴見川シーバス。 (2006/10/21) ![]() |