『日本社会思想史』

生活者としての人間

p5-p8
社会福祉は様々な国民諸階層に所属する民衆の、生活や人間の諸現象を対象としている。この多様な現象が本質と統一されていることが前提である。現象を現象だけの実証的興味で見たり、逆にその現象を公式論で割り切ることは、社会福祉研究を不毛にする。社会福祉のおける本質と現象の統一とは、現象を歴史的社会的実践の中で捉えることに他ならない。それは、生活や人間を、その時代や社会の「似姿」として考えることであり、別の表現で言えば「生活者としての人間」といいかえてもよい。しかしこの「似姿」は、同時に主体性をもって、時代社会の矛盾を切り開いていく「似姿」なわけである。被保護者・障害者等々の「自立」や「更生」は、そういう意味を持っていると思う。いいかえれば、歴史社会の規定をうけながら、「自立」その他を通じて、歴史の創造に参加しているわけである。我々の前にいいテキストとして、エンゲルスの『イギリス労働者階級の状態』(一八四五年)や横山源之助の『日本之下層社会』(一八九九年)等がある。
本質と現象に相似したものとして、普遍と個別の関係がある。社会福祉は個別を、絶えず普遍的なものに統一しようとする。個別とは、歴史性社会性を宿し、ケースに現れる個別的人間も、その時代社会の典型と理解するべきである。たとえば被保護者の「自立」も、資本主義的矛盾が貧困現象として現れる以上、被保護階層を通じ、全体の問題と関係しているわけである。したがって、個別は特殊ではない。社会福祉の個別とは、普遍と特殊が統一されたものである。固有名詞で呼ばれるような閉じられた限定された人間でもなければ、時間・空間を超えた抽象的人間でもない。一定時間の一定社会の中で「生きた」、また「生きよう」としている社会的人間である。

結論的にいえば、歴史的社会的規定をうけながら生活する意味では歴史的社会的人間、生活の矛盾の打開を図ろうとする意味では創造的主体的人間、そして限られた生涯の生活を過程的に歩む意味では、実践的人間と考えておきたい。

社会問題は国民諸階層の生活問題として具体的な型を取って現れ、その生活問題は、問題であると同時にニーズとして、解決されるべき実践概念として再構築されるべきものである。従って対象は、「解決さるべき問題の担い手」(拙著『昭和社会事業史』九頁、一九七一年)として表現される。
主体は対象と見合うことで主体たりうるのであるが、資本主義社会の仕組みからして、対象と主体は相克矛盾の中にある場合が多い。往々政策主体、実践主体と区別されるが、この両者もまた矛盾する関係を伴う。方法は問題解決の方法、手段であるが、これも対象→主体の規定をうけるもので、性格としては、機能というより歴史的社会的方法と考えたほうがよい。しかし方法は前述のように従事者によって実践主体となるわけで、当然ニーズに即した専門的主体者として独立性を持ち、政策主体との間に矛盾を伴う場合が多い。
一般的にいえば、主体は、対象のニーズに規定されながら、規定を受けた主体が、そのニーズを再編し、問題解決の対案をもって対象に働きかけるという関係にあるといえよう。

社会福祉の思考方法

まず矛盾に満ちた多様性を持つ生活者のトータルな生活感情の把握、そこにムードも含まれているのは当然である。第二は原初的思想といってもいい意見、ケースならケースに対する意見など。第三に歴史社会を媒介にした一定の思想、世界観など。第四に問題解決の体系化、論理化。そして最後に実践である。
実践を前提とする場合、日本社会福祉の性格からして、生活感情と理論的体系化の往復作用によってこそはじめて社会福祉実践の能力が問われる。それは他の社会科学の分野よりはるかにこの能力が重要である。
生活者を対象にする社会福祉に、根元的エネルギーを与えるものは生活感情である。観念やイデオロギー、ないし行政的管理的視点でそれが裁断されたならば、社会福祉の最も重要な行動の指針であるヴィジョンも生み出してみようがない。生活感情のような下意識の領域が福祉のとって重要である。しかし生活感情は放恣を伴うのが通例で、その思想はアナーキーに放置されがちである。その論理化が欠かせないゆえんである。
しかし、実際的には実感と理論が雑居して、理論が実践に役立たず、そのため実感が実践に先行して、容易に社会福祉は社会性や歴史性を獲得できない。社会福祉従事者の評価は、緊張を保ちつつ、この生活感情と理論の往復作用を生涯くりかえし続けるか否かで決定されるといえよう。

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