『日本社会福祉思想史』より

歴史的社会的実践、相対的独自性


p2-p3
前者は私の社会福祉の性格規定、後者は認識規定である。もともと日本社会福祉の現実から出発した発想で、イギリス等自由主義的先進国の社会福祉に適用できないのは当然である。前者は私の最初の著書『近代社会事業の歴史』(一九五二年)からいい続けてきたことで、すでに四十年に近い。後者はややまとめた形で述べたのは、『昭和社会事業史』(一九七一年)からで、これもかなり時間がたつ。両者とも補修がせまられているのは当然である。私は社会福祉論は一般科学と異なり、その理論はそれほど長期の生命を持てるとは思わないが、「論」である以上政策提言等と異なり、三、四年で消えてよいはずがない。私は固陋と見えようとも、補修は当然としても、この性格づけや認識は今でも変わらない。付言しておきたいのは、実践認識をとるといっても、理論を軽視すべきではない。政策にしろ、サービスにしろ、社会福祉は日常性が濃厚なため、たえず日常性追随の危険の中に置かれる。そして社会福祉の歴史は、その曲がり角で、時の政治や行政に引きずられてきた経験を幾度か繰り返した。その歯止めは、優れた社会福祉理論以外にない。

p3
理論的動機としては、先人としての経済内合理性の立場で執筆した大河内一男「我が国に於ける社会事業の現在及び将来」(「社会事業」一九三八・八)、そして、同時代人としては、社会事業理論の社会科学的構造的研究を目指していた孝橋正一の『社会事業の基本問題』(一九五三年)であった。特に社会政策から規定した大河内社会事業理論を、社会福祉の側から一歩踏み出そうとしたのが、この社会的歴史的実践であった。
通常社会福祉で実践という場合、一般論としては、歴史的社会的実践、社会的分業としての専門的機能的実践、現場の経験的実践の三つを指す。歴史的社会的実践は唯物弁証法的実践、それと思想を異にするが社会改良的実践も加えられる。それは資本主義的社会の歴史的構造的必然からの実践である。専門職業的実践は、人間関係の中で機能的に展開される。体験的実践は現場での具体的問題解決方法で、試行錯誤を伴いながら行われる。

p4
歴史的社会的実践は、社会問題解決がテーマである限り、政策論が中心になるのは当然である。しかし、社会福祉は、その社会問題を背負う人間の生活問題の解決がその役割である以上、専門的機能的実践は有効な方法である。
・・・本質的な歴史的社会的実践が、専門職業的技術の効果を利用しつつ、個別な現象である問題解決を現場で行うということである。

p4-p5
つぎに社会福祉の相対的独自的認識である。私は一般科学と異なり、社会福祉額が成立するとは思っていない。過去に海野幸徳『社会事業学原理』(一九三〇年)や、岡村重夫『社会福祉学(総論)』(一九五六年)があったが、社会福祉を哲学や価値で理解するならともかく、社会科学の一翼を担わざるを得ない以上、この規定が自然である。学として成立しないということも、毫もその理論的研究を否定するものではない。
従来経済学、特に社会政策学から、戦前は大河内一男によって、社会事業は社会政策を背後から補強する役割を持つものとして、また戦後は孝橋正一によって、社会事業の社会政策に対する補充論的役割が述べられている。それはすでに半世紀、ないし四半世紀以前の著作であるから、新しい問題状況展開の中で修正をしなければならないが、資本主義社会であることを認める限り、政策論として社会福祉の相対的性格を認めなければならないと思う。しかし、政策論としては相対的であるが、それを受ける処遇論や組織論は、「福祉的」機能を持って政策に働きかける意味では、主体的で、それ自体独自性を持つことはいうも出もない。この場合、働きかけられる人間生活は、資本主義社会の規定を受けている生活であるから、政策論、処遇論といっても、別々のカテゴリーではなく、相関関係にある。
社会福祉がその立脚点を歴史社会に置く以上、その相対性を承認することが自然である。したがって、社会福祉を労働政策と並立させ、相互補完とは考えにくい。往々社会保障と社会福祉を並行させて、社会保障は一般的・平均的、社会福祉は特殊的・個別的などといわれる。機能的役割に限定するならとにかく、社会福祉の政策論は、その相対的性格を無視して、平面的に並立させることは学問的でない。もし福祉サービスのみに限定し、福祉の絶対的独自性を主張するならば、福祉は形而上学的に無限に拡大し、社会科学の一翼から離脱しなければならないであろう。
結局私は、社会福祉は資本主義という社会制度の中にあって、その社会矛盾が産み出す社会問題、特に生活問題、さらに加えて精神不安、そこから生まれるニーズや解決や克服に、相対的独自的な役割をもって当たる、社会的歴史的実践と規定しておきたい。

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