『日本社会福祉理論史より』
p13〜p17:社会福祉の視点(三)−相対的独自性、歴史的社会的実践、他
相対的独自性
私は最初の著書『近代社会事業の歴史』(一九五二年)以来、社会福祉の性格を、研究的にも実態的にも、「相対的独自性」な存在とし、その実践を「社会的歴史的」と規定してきた。そして社会福祉が働く場である日常生活を、矛盾に満ちた「弁証法」的な存在と捉えてきた。
社会福祉は社会科学の一端を担い、構造的に理解することは重要であるが、社会福祉は歴史的社会的存在であると共に、「実践体」であると思ってきた。
私は社会福祉が諸政策に対し、「補充性」を持つことを認める。同時に「相対的独自性」をも認めるものである。社会政策・教育・保健衛生等々のように、「絶対的」ではないが、社会福祉は「相対的」な「独自性」を持っている。
しかし、それは制度政策その他の社会福祉の「主体」についていっているだけで、その「対象」としての「生活者」の人権・生存権・自由・平等などが、「絶対性」を持つことは断るまでもない。
歴史的社会的実践
社会福祉研究は、一般社会科学のように、説明科学に留まるものではなく、その問題の解決を含む実践科学としての社会福祉は、単に政策提言やあるいはサービスだけに狭隘化されるものではなく、社会福祉全体が歴史的社会的性格に根ざした「普遍性」を持つものである。
私が社会福祉を、歴史的社会的実践と理解しようと考えた理由は、次の点からである。
- 社会改革運動であれ、福祉の現場実践であれ、その時代社会の矛盾に向き合いながら、より「高次」の状態を実現しようとする実践である。
- ケースその他を通じ、たとえ問題が「個別的」様相を呈していても、それは歴史的社会的「普遍性」を持ち、その実践は歴史的社会的全体につながりを持つものである。
- 歴史的社会的実践としての実践を意図する以上、パトス(生活感情その他)が伴うのは当然である。しかし社会福祉のパトスは、絶えずロゴス化(論理化・普遍化)されるのが約束事である。
生活の弁証法
今日の生活は資本主義的生存競争の矛盾を受けながら、歴史的社会的に存在している。この競争矛盾に満ちた「生活不安」を切り開くためには、資本主義精神の根元にある「自立」認識がなくては不可能である。我々が生活を考察する際の「平等」と「自由」にも、それが欠かせない理由である。
社会福祉の規定
私は社会福祉の概念規定には、それほど関心を持たないが、前述してきたことは、およそつぎのようにまとめようと思う。
社会福祉は主として資本主義の矛盾から生ずる「生活不安」や、その担い手である「生活者」に、社会が「共同福祉」的思想を以て、問題の克服に、組織的な「政策」や「サービス」を通じて援助し、その「自立」を促す歴史的社会的実践である。
この規定には一、二のことわりを加えることにする。
- 「主として資本主義社会の矛盾」は、日本のような古い歴史を持つ国の福祉では、資本主義以前の封建制度や律令制度社会を無視しては、「社会問題」一つとってみても説明は不可能である。
- まだ理論的には未熟な日本社会福祉理論は、社会福祉思想の援助を借りなければ成立しない。
- 社会問題を担う「生活」や「人間」は、普遍的存在の一面を持っている。そして社会問題としての「生活」と、「人間」の間には深い谷間があることも事実で、両者の間に、社会科学と人間科学という膨大な学問的研究蓄積の谷間があることを認めてかかることを欠かせない。社会福祉政策と福祉サービスの統合は(その他の統合を含めて)実践的には望ましいが、それによって「社会」と「人間」の矮小化を招いてはならない。「社会」と「人間」は学問的「緊張」を保ちながら「協力」することが、社会福祉研究に要請される態度というべきであろう。