第4章.精神障害者の定義について

はじめに
 一般に福祉の対象としての精神障害者は、各法律によって規定されている「疾患」に基づいた分類がなされている。さらに、その中でも統計的に統合失調症が他の疾患よりも圧倒的に多く、精神障害者の福祉施策は統合失調症を主な「対象」とされている。
 本章では、そもそも障害とは何かということを中心に考察する。このことは一見自明に見えることであるが、障害者とは「障害しか持っていない人」と見られがちな一般概念がある。まず、その観念からの区別を図ること。そして、精神障害者の何が障害なのかどの様なアプローチがあるのかを明らかにする。

第1節.障害者の定義
第1項.障害の意味
 一般に障害者は、様々な要因や形態等を内在していたとしても、渾然一体として語られ、何が疾患なのか、そして何が障害なのかを区別することなく認識されている。例えば、視覚障害者に対して、『めくら』という言葉がよく使われてきた。この意味は、「失明」「物事をきちんと判断できない人」「盲人」などを意味していた。このことは、単に差別としての言葉として用いられてきたということだけではなく、「盲」という視覚障害状態がその人の能力や社会的価値まで決定するという認識があったと見るべきである1)。さらに精神障害者は一般に精神病者(あるいは『きちがい』))として捉えられ、、障害者であるという認識はさらに低い註)(佐藤〔2000,P.40〕)などから。学術論文として『めくら』、『きちがい』は用語として不適切であるが、批判的な意味合いから文脈上使用する)
 しかしながら昨今、障害者福祉施策は、障害があったとしても本人の生活能力や自信を高め、環境改善(福祉サービスを含む)を通じて生き甲斐とその人らしい社会参加を支援しようとする傾向にあることは確かである。この目的達成のためには、実態において病気と社会参加や生き甲斐を切り離すには、まず観念において区別する必要がある。上記の「めくら」にしろ「きちがい」にしろ、すべてのものを渾然一体に見る認識は、近代医学導入以前から生活の中から発生してきた観念である。これに対抗するには、病気とそれに関連する要素・次元的な構造的・総合的な見方が必要となっている。それは「「障害しか持っていない人」という意味ではない。実は障害者は障害の他に、正常な機能や、様々な能力や、独特の個性を持った、他の人と異なった、ユニークな存在である。つまりたまたまある種の障害を持っていると言うほかには、まったく我々普通の人間と変わりのない、それぞれの個性や特徴を持った人々なのである」(上田*1〔2001,P.90〕)という認識を持つことに他ならない。
 このような渾然一体に障害者を見る認識から対抗するために、国際障害分類(International Classification of ImPairments,Disabilities,and Handicaps,ICDIDH)が生まれたと考える。次項において、このICDIDHに基づいて障害とは何かについて論じる。

第2項.ICDIDHの成立背景などについて
 世界保健機構(WHO)は従来、国際疾病分類(ICD)によって人々の病気や死因の状況を分析し、医療の効果を計ってきた。しかし、健康問題の変化発展に伴ってICDだけでは不十分だとされるようになった。つまり疾病の後遺症(変調)への対応や効果測定をしようにも、病気の分類だけでは役に立たなくなった。そこで「疾病の諸帰結(consequences of disease)」(=障害)の分類が求められた。また、より公平で一貫性のある障害者関係政策・制度の確立するための基礎概念が必要とされた。これは、どの国でも、次第に社会保障制度が多様な形で成立してくると、身体・感覚・知能・精神などの様々な障害者、労災や交通事故による障害者、要介護老人など、多種多様な障害者は「つぎはぎ的」な制度の下で分断されがちになっていた。つまり、多様なっていた障害者に対してある程度定義し、整理をする必要が生じてきたのである。
 ICDIDHは1972年から始まった検討作業を経て第一版が1980年に出版された。この分類の大きな特徴は、障害(病気の諸帰結)を心身機能レベル(機能障害)、個人の活動能力レベル(能力障害)、社会的レベル(社会的不利)の3つの次元に分け、それぞれに詳しい分類を作ったことである。それは、障害減少を質や次元を異にするいくつかの要素と関連性、さらに環境との関係において捉えるものである。これはある要素や環境を変化させることによって他の要素または障害者全体を変化させることが出来るという意義がある。
 いずれにしろICDIDHは、リハビリテーションなどの援助実践、実態調査と統計、政策などの分野で広く活用されるようになった。しかし活用されてくると問題点もより強く意識され「医学モデルであり、環境の役割が軽視されている」「児童や精神障害分野で使いにくい」などの批判が寄せられる2)。こうして国際障害分類第2版(International Classification of Functioning,Disability and Health,ICF)は1990年から始まった世界的な改訂作業の成果として2001年5月22日WHO総会で正式決定された。
 以下、ICFの障害の構造を基に考察する。

第3項.障害構造について
表4-1
図4-1 ICFの考えを発展させた生活機能と障害構造 出所(上田*1〔2001,P.101〕)
(1)ICFによる障害区分について
 ICFは、ICDIDHと同じく障害を3つの階層において捉えるという基本的な視点は変わりはない。しかし、否定的な名称・概念から中立的・肯定的な名称・概念へと変化していった。「機能・形態障害」は「心身機能・身体構造」に、「能力障害」は「活動」に、「社会的不利」は「参加」へと変わる。これらが障害された状態は、心身機能・構造はICDIDHと同じく、「機能・構造障害」であるが、活動は「活動制限」、参加は「参加制約」となる。これに伴って、従来の疾患も「健康状態」という中立的な用語に変わった(病気やけがだけでなく、妊娠、高齢、ストレス状態も含まれる)。なお、ICDIDHでは障害構造の一つの要素であった能力障害(disability)が、ICFでは障害全体を示す包括用語になる。
 ICDIDHでは、各要素が疾病→機能障害→能力障害→社会的不利と矢印が一方向的であったため「運命論的なモデル」「逆方向の交互作用を認めていない」などの批判があり、ICFでは両方向の矢印に変わる。さらに、環境因子が背景因子として詳しい分類が追加される。また、ICDIDHが医学モデルであったという根拠に、機能障害(心身機能・身体構造)の分類が一番詳しく、能力障害の分類項目はそれよりも少なく、社会的不利に至っては7項目しかなかった。ICFは、逆に心身機能・構造の分類は簡素になり活動と参加の項目が詳細になっている。さらに障害者の全体像を捉える際に上田*1(〔2001,P.104〕)は「客観的な障害区分の他に、主観的な要素も大きい」ということで「体験としての障害」を加えている。

(2)障害構造の各要素について
 障害要素(レベル)の一つ一つは具体的な症例を基に分類がなされている。例えば、
 心身機能・構造レベルでは、運動障害や廃用症候群・過用症候群が代表的である。他、知覚、自律神経機能、高次脳機能、形態障害などがある。構造上において、運動障害は、活動レベルにおける日常生活動作(ADL)、社会生活行為(ASL)に深く関わる機能・構造障害として捉えられ、さらに運動障害は、複合動作障害、基本動作障害、要素機能障害に細目化される。複合動作とは重いものを運ぶなどの連動した動作を指しており、それを支えているのが基本動作、要素機能といえる。しかも、これらの構造は単なる寄せ集めではなく、複合動作を支えている各要素を分解して一つ一つ改善できるものではない。つまり、全体は「部分のある特定の構造(空間的・時間的)を持った組み合わせ」(上田*2〔2001, P.61〕)であり、その組み合わせこそが全体を特徴づけているといえる。廃用症候群は長い間、病床にいたために筋萎縮、心肺機能の低下などであり、他に抑うつなどが引き起こされている状態(精神神経性)、あるいはトレーニングのしすぎによる筋力の損傷、間違ったトレーニングによる関節の炎症や可動域の制限などの障害である。
 これまで日本において、活動制限とはADLの障害としか考えなかった傾向があるが、家事や外出といった面でのASL、対人関係の生活技能(SS)、各種の身体的・知的職業技能(VS)、スポーツや旅行などに必要な余暇活用技能(AS)がある。これらは、機能障害が良くなれば自然と付随して出来るようになるという考えがある。再学習を必要とし、姿勢や手順、適切な道具などを使うなどの模索を必要とする。
 参加制約に関しては、地域生活=退院先の確保、あるいは、就労が主な制約であると捉えられてきた。しかし、参加制約には、経済状況に関すること、交友、市民活動などの社会参加、余暇活動、家庭生活、生活の場など多種多様に存在する。さらに、(上田*2〔2001,P.74〕)によると「家族などの第三者の不利」もあり、介護者の介護疲れ、介護のために職を辞める、介護上での心理的な葛藤なども含まれていく。
 また、上田が提唱する「体験としての障害」とは、客観的な障害と密接に結びつきながら、主観的に、障害を持った事による自尊心の喪失、劣等感、不全感などが存在していることを明らかにしている。
 環境因子に関しては、自然環境や障害機器の有無や発展の程度など物理的環境、直接的な介助やコミュニティとの人間関係などの人的環境、サービスを支える制度的環境など広い範囲で包括的に捉えらている。

(3)障害の相互依存性、相対的独自性について
 運動障害で若干触れたが、一つ一つの構造の要素、レベルなどが微細に組み上がって障害者としての全体像が作り上げられる。それは、階層性を有し、相互に影響しあい、しかもそれぞれが特徴を持って構成されている。この構造上の特徴は、相互依存性、相対的独自性といわれる。以下、このことについての論述と共に、例えとして「働く」という一つの「参加」レベルがどの様な構造を持っているのかを概説する。
 相互依存性についていえば、「たとえば脳卒中で脳の中に起こった脳組織の破壊範囲(健康状態)が大きいほど、麻痺の程度(機能障害)も強く、歩行やADLの障害(活動制限)も大きく、復職や自宅復帰(参加制約)が一層困難になる」(上田*1〔20001,P.98〕)といった具合である。
 相対的独立性は、その中にあって、回復の余地、各レベルの改善によってたとえば、機能の再編成、活動の再学習等を通して、障害の残っている部分があったとしても活動制限が解消されることができるという意味である。
表4-2
図4-2 生活機能と障害における階層構造 出所(図4-1,P.105)
 たとえば働くということを可能にしているのは、その職種にあった業務能力やエスカレーターを利用する、雨の日に傘を差して歩く(ADL,ASL)、同僚との人間関係やコミュニケーション(SS)がそれぞれの要素で独立しながら存在し働くことの要素を構成する。そして、業務能力一つにとっても、機能・構造の姿勢保持(運動−基本動作)や複合動作が支えている。さらに、コミュニケーションになればそれを支える「機能」はまったく違う要素や組み合わせによって構成される。また、業務能力があってもコミュニケーションに障害があるとか、参加と活動の間にも相対的独自性が存在する。同時に主観的次元で働くことにどの様な価値観を持っているのか、興味や関心をどれだけ持っているのか、動機の強弱もまた存在しているといえる。
 また、たとえ働くことが可能になっても、それは生活の一つが実現されたことにすぎず、さらに多くの参加制約が存在している。このように、一つの「参加」に対して、活動・心身機能が階層的につながり構成されていることが分かる。いずれにしろ、ICFでは、ICDIDHの障害概念を押し広げ、多様な障害構造について定義した。特に障害の各要素間の相互作用、相対的独自性について着目したことは大きいと考える。このようなICFの概念を実際に展開するのは、リハビリテーション理念が主になると考える。また、ICFの提唱によって、その理念もまた枠を押し広げて解釈することが必要となる。
次節において、このリハビリテーション理念について考察する。

第2節.リハビリテーション理念について
はじめに
 障害構造には、リハビリテーション理念が背景にある。疾患によって引き起こされる様々な障害の克服、解消はリハビリテーションがこれまで引き受けてきたし、これからもその役割は重要である。しかし、一般にはリハビリテーション=訓練といった認識が強く、リハビリテーションとは、理学療法士、作業療法士が行うものと考えられている面もある。
 しかしながら、これまでの論述で、障害者には様々な障害要素や構造があり、単にADLだけが障害として捉える事ではないことが明らかにされた。そして、これまでのリハビリテーション(=訓練)とは、ADLの回復に焦点が置かれてきた。しかし、本来のリハビリテーションの意味合いは、様々な職種が連携し、障害の克服・解消をとおして、全人間的な復権やその人らしい新しい人生を創造することを目指す3)ものといわれている。つまり、QOLの実現に焦点が置かれたトータルな理念といえる。
 さらにQOLとは、主に「参加」における社会レベルのQOLが「人生の質」として一般に強調されている。しかし、心身機能・構造は生物レベルとしての「生命の質」、活動は個人レベルとしての「生活の質」があり、主観的体験としての「体験としての人生の質」などが相互に影響しあい、構成されており、それが全人間的なQOLを形作っているといえる。
 一般に訓練といわれる病院内でのADLの回復に限定した(実際にはそれだけではないが)リハビリテーションを医学モデル、QOLの実現に向けた包括的なリハビリテーションをトータルリハビリテーション、あるいは生活者モデルとして区別し、障害構造を基にトータルリハビリテーションとしてどの様に各専門機関などがアプローチするのがのぞましいのかなどについて以下論じる。

・基底還元論から目的指向的アプローチへ
 これまでの医学モデルにおけるリハビリテーションは、まず病気は根本的に治さなければならなく、対症療法ではいけないとする基底還元論4)的な考えが根強く、そうした考えに基づいてアプローチがなされてきた。例えば、精神障害者はまず、疾患としての精神病が治らなければ機能障害や活動制限が良くならない。そして活動制限が良くならない限り「働けない」「社会参加が出来ない」といった参加制約など解決できるはずがないという視点で図られてきた。それは、障害構造の一方的な流れ沿って一つ一つ解決していかないといけないというきわめて治療的なリハビリテーションであるといえる。
 さらに各種機関や制度の連携については、これまで、それぞれの立場(Dr.Nrs,OT,PT,SWなど)の目標を並列的に述べて、それぞれの見方、立場、責任範囲から妥協的な結論に達することがチームワークの統一性であると見られていた。しかも、そのチームワークは「縦割り分業的」(上田*2〔2001,P.82〕)である。それは一見総合的であるが、障害の各レベル間の相互依存性を無視しているし、非常に狭い専門性に閉じこもりパターナリイズムに陥って障害者の自己決定を尊重することはあまりなかったといえる。しかし、障害構造は前述の通り、多様であり、重層的である。それぞれの職種がバラバラな目標から妥協的で単一な目的を設定してもリハビリテーションが成立することは難しい。しかも、トータル・リハビリテーション理念に基づけば、障害者の将来の人生の様々な可能性まで見通せるだけの包括的で広いビジョンを専門職が持つことによって、その専門性と障害者の自己決定権を両立させるだけの力量が必要である。そして、チームワークは障害者本位(自己決定権の尊重)の視点に立てば、どうしても分業ではなく協業によってチーム全体での共通の目標、基本方針、プログラムを十分に議論した上で、最も効果的に行うためにきめ細かい役割分担をしていくことが必要になる。
 トータルリハビリテーション理念に基づいたアプローチとして上田敏が提唱する「目的指向的アプローチ」5)がある。以下、大まかに、目的指向的アプローチの流れを述べる。
表4-3
図4-3 目的指向的アプローチ 出所(上田*2,〔2001,P.83〕)
 このアプローチは、参加のレベルが「主目標」となりどの様な人生を作るのかが最優先される。その主目標の設定から逆にそれを実現するために必要な活動レベルの副目標Aを決め、さらに機能障害レベルのB&Sの副目標を決めていく。それは基底還元論とは逆の方向性を取ることになる。
 副目標Aについては、ADL,ASL,SS,VS,ASのうちでどれをどの様(場所、手順、用具など)に高めるのかなど具体的な一日単位の生活行為として設定されるし、B&Sについても同様である。また、主目標は最終目的ではなく、いわばその時点で最初に目指す山であり、第2,第3の主目標と続いていく。
 予後の推測に関しては、B&Sの予後は疾患との関係で機能障害の回復と潜在的な健常機能の増大を視点にした予後を立てる。活動レベルでは、相対的独立の視点に立って、リハビリテーションを行うことによって「活動」レベルでのプラスの増大の予測をたてるこれは、副目標Aの具体的なプランとして複数たてられる。参加レベルでは、個体的条件や環境的条件から達成可能な最良の参加レベルでの予測をたてる。しかも、具体的に「どの様な生活をするのか」とデザインすることが必要で、それはそのまま主目標の「候補」となる。そしてここで重要なことは、この主目標と副目標Aの候補を本人や家族に提示し、説明し、選択してもらい確定する。この本人や家族が選択するということは、単にインフォームドコンセントではなく、協力関係の基で行われるインフォームド・コオポレーション(十分な説明を受けた上での協力関係)が採用されることである。
 このように、一般的に認識されているリハビリテーション(医学モデル)は、トータルリハビリテーション理念のほんの一部であったといえる。そうした意味で、目的指向的アプローチは包括的な視点でチームワークの積極的で建設的な、そして支援者としての専門職の在り方を示しているといえる。
 ただし、参照したモデル、特に図2,3は上田敏の理論からであり、その理論はどちらかといえば身体障害者を中心に視野が置かれているため、精神障害者において具体的に適用できるのか難しい面もあると考える。しかし、そのアプローチ〜参加制限の解消を第一にめざし、さらに障害構造の総合的分析によるQOLの実現に向けたチームワークの在り方などは、身体障害者のみならず精神障害者にも重要な示唆を与えている。
 次節においてこれまでの論述を踏まえ、精神障害者の障害構造を適用し、その特色について論述する。

第3節.精神障害者の特色
はじめに
 精神障害者は、疾患の治療を中心とした「病者」として長い間見られていた。また近年病院内において「障害」に焦点を当てた取り組み(リハビリテーション)が施されてきており、入院「患者」であっても「障害者」として捉えられているといった言説がある。このことは、時代と共にいくらか疾病と障害の区別が図られてはいたものの、まだまだ精神障害者は、精神病者と明確に分離されず、ひとくくりに入院患者として捉えられてきたといえる6)。このことについて、上田(1987,P.91)は「障害者と疾患者の曖昧さが混乱を招いている」と述べており、さらに精神障害者の呼称は「精神病という言葉のひびきの悪さ」を解消する事にも使用され、不快な言葉を別の言葉で取り替えるだけで不快さを取り除こうとするものがあることを指摘している。
 以下、概括的に精神障害の特色について述べる。なお、精神障害は統合失調症、躁鬱などの気分障害、アルコール使用による精神及び行動の障害など多様にあることは、第1章(表1-8)において述べたとおりである。しかし、精神障害者福祉施策は主な対象を統合失調症に焦点を当てていること、入院患者の多くが統合失調症であることから、本論文では、統合失調症を精神障害として述べることとする。

第1項.精神障害者の特色
 精神障害者は他の障害者と比べ、前述のとおり疾患者(病者)なのか障害者なのか曖昧な点がある。現在も精神症状などは機能障害なのか疾病なのかどうか不分明であり、さらに精神症状は、個人差が大きいこと。他の障害に比べ、波(前駆期、急性期、安定期など)があり介入の判断が難しいこと。再発を繰り返すことによって機能が徐々に低下していき、回復が困難(陰性反応が増加し、陽性反応が持続するなど)になり易いこと。また、見た目やIQなどによって測定ができず、精神症状などに苦しんでいても一見すると普通に見えること。あるいは治療によって、精神症状が消失あるいは残っていたとしてもまったく普通と変わらない状態になることなどが他の障害と大きく違う特徴である。
 しかしながら、病者と障害者の区別はリハビリテーション理念に従えば、生活上の困難性の克服を目指した取り組みとして捉えることが障害者であり、疾病の原因などの減少を目指した取り組みとしての視点が病者であると考える。疾病と障害が共存しているのは他の障害でも同じであるが、前述の理由から精神障害は、障害者として固定的に位置づけることが困難であることが大きな特色といえる。
 ICFの障害構造を精神障害者に適用したとき、他の身体疾患に比べて目立って困難ないくつかの特徴がある。

  1. 活動制限を引き起こす心身機能・構造障害(主に精神症状)は最新の生物学的手段を用いても明確に示すことができないために、疾患の存在を自他共に認めにくい。
  2. 心身機能障害や活動制限の程度は些細な環境の変化にも影響を受けやすく、不安定である。ICFでは、活動制限は元々の心身機能・構造障害が長引いた(入院による廃用性機能障害を含む)因果関係により生じたものと理解されている。しかし、統合失調症の活動制限は決して因果関係にのみ生じたものだけとは言えない。認知機能の発達についての素質的問題、幼少期からの不器用さ、孤立による生活体験の乏しさとともに発病後の生活のしづらさなど個体的要因が大きいと指摘される。
  3. 病識あるいは自分が障害者であるという認識が持てず、参加制約に対抗する主体の個人的自覚が制限されている。
  4. 偏見や差別のために症状が悪化したり、統合失調症というだけで社会参加を阻まれたり障害の各レベルが相互に影響しあい、関係が緊密である。
 特に精神障害者にとって(2)における活動制限、とくにASL,SSの障害に焦点が当てられることが特色としてあげられる。それは「生活のしづらさ」として捉えられ、例えば、
a)食事、金銭、服装などの日常生活の管理に対して自信がない。
b)人付き合い、挨拶、他人に対する配慮、気配りなど対人関係技能に自信がない。
c)集中して物事を考えるのが苦手で、持続性がない等が挙げられる。
 あくまで私見であるが、私はQ県の救護施設において精神障害者の利用者達と3年という短い間であるが関わってきた。入所している精神障害者の人たちはいわゆる寛解の人たちであったこともあり、一見すると健常者と何ら変わらず、作業能力や知的にも高くa〜cは特色として当てはまらず、利用者からむしろ教わることが多かった。しかし、ある日突然、妄想や幻聴によってこれまで築いてきた生活が不全状態になり再入院した人、些細なストレスとも思えること(選挙の際に投票しようとしていた候補者の名前が当日書けなくなり、頭が真っ白になった)で自殺企図を試みた例があった。自殺企図、あるいは幻聴などには表出していない様々な理由があるかもしれないが、他の障害と比べてきわめて内面的であり、理解が難しいといえる。

第2項.精神障害者のリハビリテーションについて
 施策間の実際の働きについては次章において論述するが、精神障害者のリハビリテーションについて、一般的に次に掲げる4条件があわせて準備される必要がある。
  1. 精神症状に対する適切な薬物療法を行うこと。(最も重要なのは、患者が自分の病気の性質を理解し、再発防止に努めることを学習すること)その一つとして薬の継続服用がある。これは、心理教育並びにSST8)などを通じて、患者が自らの障害とその性質について理解し、治療スタッフがすすめる治療とリハビリテーションの計画に納得することが重要である。薬の副作用7)は、薬が再発を防止し、残存する精神症状を改善するのに役立つといえ、他方ではリハビリテーション活動に阻害的に働くことが考えられる。
  2. 社会生活技能に対する生活技能訓練を行うこと。従来、経験的に看護婦によって行われてきた。しかし、今日では障害の性質と程度をアセスメントし、目標を立て改善を図る方法が採られている。(SST、心理教育などによるコミュニティ訓練など)
  3. 自己喪失の挫折感から救出するための精神療法を行う。統合失調症の再発や発病の原因となるストレスは、人格構造上の脆弱性9)等個体的要件が存在し発病によって心の挫折を起こしているといわれている。その結果、精神症状とはニュアンスを異なる退行症状が生じる。それが精神症状と一緒になって活動制限を起こしていると考えられている。このパーソナリティへの影響による退行には精神療法が必要である。この過程は「癒すこと」10)にある。
  4. 家族機能・社会的の回復による参加制約の改善を行う。家族機能については、日本において成人以降の精神障害者が、家族と一緒に住んでいる割合が欧米各国と比べて大変高い。精神障害者が家族にいるという状態は、各家族によって捉え方があるが、苦悩や否定的、敵対的になるケースも多く、そのことがかえって本人の再発や悪化を引き起こすことも多い。よって、家族の理解、支援は本人にとっての参加制約、ストレスの防衛につながりリハビリテーションへ転帰することが可能になる。この他、参加制約に関するアプローチには主に、職業プログラム、居住プログラムなどがある。
 いずれにしろ、一般的に精神障害リハビリテーションは、(1)→(4)のステップ式で行われ、まず入院したところからはじまり、家族復帰するところでゴールとなる医学モデルであり、チームワークに関してもそれぞれの役割の中で目標が設定される分業スタイルであるといえる。これらのことについては次章で詳述するが、目的指向的アプローチに置き換えれば、(4)などが主目標になり、そこからどの様にリハビリテーションを行っていくかという観点で図られるのがトータルリハビリテーションの出発になるといえる。

第4節.考察
 本章において、障害構造からトータルリハビリテーション理念を述べ、その理念に基づいた専門的チームワークの在り方として目的指向的アプローチを考察してきた。このことを核にして、次章で、主に制度間の連携を中心に述べていく。
 精神障害者の特色は他の障害に比べて環境に左右されやすく、自殺企図に至るまで内面性の振幅は非常に大きく、固定できないと論述した。しかしながら、そうしたことに目がいきすぎて、やはり精神障害者は危ない、難しいと考えるのは、いくら精神障害の構造を詳細に把握していたとしても、「はじめに」で述べたような障害者を渾然一体とした見方に結局、陥るのではないだろうか。経験的にではあるし、一概にはいえないが、救護施設での精神障害者との関わりの中で、よく利用者は入院中にあった妄想や幻聴のことや自分のことを冷静にあるいは笑い話としてよく語ってくれた。それは、疾病と障害が共存しているというよりも、健常と障害が共存し、しかも疾患・障害のなかにも健常の部分が多分にあるといえるのではないだろうか。リハビリテーション理念は、障害(疾患)の減少と共にその人の健常な部分の潜在能力を高めることが目的である。そういった意味で、障害者への認識をマイナスからプラスへと転換させることが重要であるといえる。

注釈
1)佐藤(2000,P.40)において、障害の状況が社会的価値をも決定してきたことを考察している。さらに、精神障害者については、斉藤(2002,PP.132-140)において報道などでは「マルセイ」という根強い偏見があり、それが精神障害者への偏見を助長しているといった指摘がある。
2)中川(2000,P.46)において精神障害者に関する万能なモデルというものは未だ確立していないとされる。精神障害者の特殊性については、第3節で論述しているが、主観的な側面が強いこと、再発による障害から疾患への密接な影響力などを挙げている。
3)上田*1(2001,P.91)では障害の軽減というマイナス面と健全な部分や能力の増大に働きかける両面が存在し、むしろプラスの増大に主眼を置く必要があると考察している。さらに、別冊宝島において、「人並みになる」ことではなく障害者としてありのまま生きていくことが必要でないかという示唆がある。新しい人生の創出とはそうしたことに他ならないと考える
4)基底還元論については、上田*2(2001,PP.62-64)参照
5)目的指向的アプローチについては、上田*2(2001,PP.83-88)参照
6) S.Salzberg(1999,P.222)によると、法的な見地に立って、むしろ精神病の明確な定義、実際に役に立つ定義(医学的及び行動の基準など)が欠けていることが問題であると指摘している。
7)薬の副作用〜主に、パーキンソン症状がリハビリテーション活動において最も障害になると考える。また、眠気なども活動制限に大きな障害になるといえる。
8)SSTは現在様々な医療・福祉の分野で取られている技法であり、認知行動理論に基づいて対人コミュニケーションを改善する訓練を行うものである。
9) もちろん、人格構造上の脆弱性だけでは発症するものではないが、社会環境的ストレッサーによる発病、再発のケースが多く見られる。退行症状は、心の挫折感、スティグマへのネガティブな視点、孤立、引きこもりなどであり、それに精神症状における幻聴、幻覚、妄想、興奮などが複合した状態が生活障害であると言える。
10)癒すことについては、赤坂(1999,P.358)において、医師は「患者の心の嵐をやり過ごし、再び生の戦いへと出立することが出来るときまで、静かな眠りと安らぎの場を提供することでしかない」と、治すことよりも癒すことに重点を置くことの必要性を述べている。

引用・主要参考文献
1.上田*1;上田敏『リハビリテーションの思想』,医学書院,2002
2.上田*2;上田敏『科学としてのリハビリテーション医学』,医学書院,2002
3.上田敏『リハビリテーションを考える』,青木書店,1987
4.蜂矢英彦ら監修『精神障害リハビリテーション学』,金剛出版, 2000
5.佐藤久夫「第2章.障害の構造 第1節 歴史」(4.同書),40-45
6.中川正俊「(5.同章) 第2節 モデル」(4.同書),45-51
7.秋元波留夫ら編『精神障害者のリハビリテーションと福祉』,中央法規,1999
8. S.Salzberg「第3章 人権の視点から見た日本の精神保健法制度」(7.同書),210-237
7.小此木啓吾他編著『精神医学ハンドブック』,創元社,1998
8.新宮一成・角谷慶子編『精神障害者とこれからの社会』,ミネルヴァ書房,2002
9.全家連保健福祉研究所『精神保健福祉への展開』,相川書房,1993
10.「こころの科学90(分裂病治療の現在)」,日本評論社,2000.3
11.赤坂憲雄「精神病にとって「治る」とはどういうことか?」別冊宝島編集部編『精神病を知る本』,宝島社文庫,346-371,1999
12.斉藤道雄「メディアと精神障害」東雄司『みんなで進める精神障害リハビリテーション』,星和書店,132-140,2002
13.山下格『精神医学ハンドブック』日本批評社,1996

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