『次世代RPGはこうなる!』(多摩豊,角川電撃文庫)より、まぁ、TRPGについての記述があったので、引用します。安田均の『fantasy game file』にもすでに載せたのですが、こっちはこっちで分かりやすかったので…。

第一章ロールプレイングゲームの本質とは何か

D&Dについて
D&Dは、ゲーリー・ガイギャックスが作ったミニアチュアール(人形)の兵隊を使う中世の騎馬兵隊の戦闘ゲーム、チェインメールをもとに作られた。通常のミニアチュールのゲームは、騎馬兵隊一個のコマで数人の兵士を表すルールでゲームを行うのだが、ガイギャックスはここで一つのコマが一人を表すという考え方を導入し、個人戦闘を再現する戦闘システムルールを作った。このルールは単に戦闘だけを再現するシミュレーションゲームだったのだが、そこにはいままでの"ウォーゲーム"とはちょっと違った視点が取り入れられた。
それまでのウォーゲームは、どんな規模のゲームでも「個人の人格」は存在していなかった。しかし、ここに「個人」という概念を持ち込んだ。
集団としての人間を扱う場合と比べて、そこははるかにプレイヤーの感情移入度を高めることになった。扱うコマが一人の人間であると考えるとプレイヤーはそこに「コマ」以上の思い入れを持つようになり、例えばそのコマに名前を付け、その生い立ちや生き様、いまなぜここにいるのかなどのストーリーを与えるようになった。このようなプレイヤーの願望は、当然のことながらゲームに反映された。
お金と稼ぐことや個人の成長する過程を数値化する、中世ファンタジーの世界を作り出す上で欠かせない、魔法やモンスターといったルール化が規定される。
しかし、従来のシミュレーションと違うのは、プレイヤー同士が「対戦」するものではなく、プレイヤー同士が協力しあって、ゲームマスターが進行するという図式を採用した。普通のシミュレーションゲームなら、プレイヤーは相手をやっつけると明白な目的を持つ、しかし、D&Dはこの目的が明確でなくなってしまった。そのため、ゲームは様々な違う目的、プレイヤーの動機を持つようになる。プレイヤーとゲームマスターが協力して、一つの「お話」を作り上げることがプレイの目的となっていったのである。
こうして、いま現在の「ロールプレイングゲーム」の姿が形作られていった。
しかしながら、D&Dは、あくまでも戦闘ルールを主体としたゲームの域を出ることはなかった。なにしろ、もともと戦闘ルールから作られたゲームだったため、周辺のルールは「いろいろなお話を作る作り方」にしかならなかった。そこには固定した一つの世界観はなく、お話の背景のようなものも存在していなかった。
この戦闘を主体として、周辺を補助的な要素として扱うゲーム、これが第一世代ロールプレイングゲームと呼ばれている。(T&Tも含まれる)

第2世代ロールプレイングゲームの本質

RPGのストーリー構築に注目したのがトラベラーであった。
トラベラーは、SFという設定を用い、その設定をいかにして具体的に表現するかに的を絞ったゲームシステムを取った。ここでは戦闘システムは、あくまでもストーリー構築全体の一部であり、実際にプレイを行った場合でも、戦闘の起こる頻度はD&Dよりもはるかに低くなる。そして、舞台となる設定世界をルールで強固に固めることで、広大なキャンペーン世界の創出を可能にしている。
第一世代は「戦闘する個人には、戦闘以外にも個人としての生活がある」から第2世代は「個人には生活があり、その中には戦闘もあるだろう」となる。
たとえば、トラベラーでは、ルールの大半は世界の構築の仕方に費やされる。要するにキャラクターが生活する基盤である世界がどうなっているのか、これを決めることを最優先している訳である。
そして、このゲームにはキャラクターの成長という要素が存在しない。ゲームの主眼はあくまでもストーリー構築で、「戦闘をして成長する」ことは重要視されていないのである。プレイにいたっては、時には全く戦闘が起こらないシナリオすら存在する。まず、世界の住人となり、探偵のようなことをして、大きな陰謀を未然に阻止するとか…
D&Dの場合、プレイヤーはどのようなストーリー、どのような世界でも勝手に作ることが出来た。ところがトラベラーやルーンクエストでは、背景世界の設定やそこまでにいたる歴史などはルールによって定められ、その世界観に沿った形でプレイヤーがシナリオをプレイする形となる。
ここではキャンペーンという形、さらには、ストーリーというものがかなり重点的な要素として扱われている。

第3世代ロールプレイングゲームについて
キャラクター、ストーリーというものがより重点的に扱われている、すなわち、第二世代が「世界があって、キャラクターがいて、ストーリーが存在する」と考えるのに対して、第三世代は「ストーリーが存在するために、キャラクターがいて、世界が存在する」と考える。ある一つのストーリーを構築するために、それに必要となるキャラクターや世界を作ろうとするということになる。
ルールの違いから見てみると、ある程度キャラクターの役割を規定してしまう。
すでに存在するキャラクターをプレイヤーに与える場合もあるし、ある程度の自由はあるものの、基本的な部分はルール(またはシナリオ)が規定したラインに沿わなければならない場合もあるが、とにかくプレイヤーのキャラクターは「お話」の一要素として期待される役割をもっているのである。
もちろん、シナリオのプロットもかなり強制的に定められてくる。大枠のストーリーラインだけあり、後はどうなるか自由に決めていい第二世代とは違って、第三世代ではキャラクターを作る時点でストーリーの終着点もある程度明示されているのである。
もちろん、期待に反したプレイを行っていけないわけではないが、それではプレイの面白みが全うされない。プレイヤーは、そのストーリーラインをいかに自分らしく仕上げていくか、そこに面白みを見いだすのである。(ストーリーを再現する)

まとめ
初期のロールプレイングゲームでは、プレイヤーとゲームマスターが共同して一つの新しいストーリーを構築していくというのが究極の目的だった。
新しい考え方のロールプレイングゲームでは、すでにストーリーはある程度筋道が定められ、プレイヤーはゲームマスターのマスタリングまたは進行に従って、その大団円を自分の手で経験していくことが目的となる。つまり、ロールプレイングゲームをストーリー体験の一つの手法として考えるわけである。

重要なのは、第一から第三まであるロールプレイングゲームの手法のどれが正しいということではない。プレイ人口の数だけ、それぞれの趣向も違い、選択も違う。
「ロールプレイングゲームには、いくつかの遊び方がある」
ということである。

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