第3部 倫理と施設職員

 これまで労働者として、専門職としての施設職員のあり方について述べてきた。最後の問題は、自分の仕事を価値づけている「何か」である。第2部では、自分の今行っていることが福祉職として適っているかどうかを考えることが自分の専門職性を育てると述べている。しかし、その福祉職が社会の中で価値づけられていなければ、自分の行為そのものが正しいことなのかが分からないだろう。
 第2部では、福祉施設は資本主義における社会的弱者を対象にし、利用者の生存権・発達権保障の役割を担っている。そして、ここにこそ福祉施設(援助者)の社会的な価値があると述べた。
 この職業上の果たすべき役割は、感情規則もさることながら、一般に、社会福祉士、介護福祉士、医療、弁護士、看護…様々な職種や資格毎に倫理綱領としてまとめられている。この職業倫理を理解することは、職業的「良心」ともいえ、倫理性を欠く職業人は専門職ではないとも言われる(鈴木〔2002〕)。しかし、その一方で、倫理は職業上の拠り所ではあるものの、現実には必要性のないものであり、実効性のないものと軽視される(鈴木〔2002〕,小山〔2003〕)。では、職業倫理は現実でどう捉えると役に立つのだろうか。
 また、倫理綱領とは別に、一般社会では障害者に対する偏見や差別が渦巻いている。だからこそ、障害者に関わる施設職員は偏見や差別を乗り越え、利用者を個別に受容や共感する中で普通の人として対人援助することが求められている。にもかかわらず、虐待や差別的発言、見下した態度を取る職員は後を絶たない。では、本当の意味で、差別をしないとはどういうことなのか。
 要するに、倫理は大事なことであるとなんとなく分かっているものの、あまりに漠然としている。そのため倫理とは何か、現実に倫理が実効性のあるものなのかという問いを立てるこことが困難である。
 第3部では倫理を巡る様々な言説に目配せしながら、その内実について考察をする。そして考察を重ねていく中で、福祉職は単にやりがいや自己実現を越えた所にあることを論じていく。


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