第11章 生命およびケアの倫理

はじめに
 福祉施設において援助者は施設内虐待を行うことが多い。あるいは、利用者への差別や偏見が根強いとされる。だから少なくとも援助者は、虐待などせず、偏見を持たないように倫理性を持つ必要があると言われる。高く持っていないと言われる。しかし、本来、自分の仕事に誇りを持ち、他者(人様)を恐れるならば、虐待や差別的発言などモラルに反したことはそもそも行われないはずである。とはいえ、福祉施設に勤めていると差別的発言や虐待は日常的に見られる。では、いったい、どうして虐待行為や差別的発言が起こるのか。そして、それらをいかに修正するべきなのか。その手だてはあるのか。本章では、このような問題意識で考察を進める。

第1節 障害児者はなぜ差別され、偏見をもたれるのか
はじめに
 施設に勤務すれば、まず、障害児者を偏見の目でもって接してはいけないことが前提になる。それ以前に、社会福祉を学ぶ中で偏見はいけないし、差別意識があっても自己覚知の上、乗り越えるべきだと教わる。そして、一般社会においても、障害者には偏見の目を向けずに普通の人と同じように接しようと言われる。しかし、実際には偏見や差別は無くならないという気持ちもどこかにある。あるいは、そう教わることは、前提として、偏見や差別が「ある」からである。
 では、偏見や差別はどこから来るのか。そして、なぜ偏見や差別はしてはいけないのか。すでにこれまで障害児者を巡る差別や偏見の所在は述べてきている。本節では、これまでの論述を優生思想を手がかりに補完しつつ、対抗言説として生命倫理を取り上げる。

第1項 障害児者への偏見と差別
 そもそもなぜ障害児者が差別されるのかは、すでに第2部特に第5章、第6章で考察が加えられている。社会環境では、人権思想の発展や障害者自身の社会運動などで改善が行われているが、いまだに障害児を抱える家族の孤立、社会福祉施設への地域住民の反対運動などが後を絶たない。特に、家族、特に母親にとって、「「障害」を持って生まれてくること、「障害」を持つことはそれだけで不幸なことであり、そうなってしまった「障害者」はかわいそうだと」(田村〔1998,P.3〕)考えられる傾向にある。
 なぜ障害を持つことは不幸なのか。一つに能力の発達や発展が望めない。あるいは、能力が平準よりも低位で止まってしまうことによる(竹内〔1993〕)。資本あるいは市場社会において、生産効率や高等教育率あるいはGNPが社会発展、進歩の度合いであるという見方が主流である。この見方に立つならば、障害者は一般社会から脱落した、寄生する存在でしかない。あるいは、能力の発達ということは、低い段階からの脱出が価値あるものとして意識される。それがゆえに「この価値意識は、その「低い」段階への忌避意識と表裏一体であり、この忌避意識はこの「低い」段階の「弱者」にも向きかねない」(竹内〔1993,P.9〕)1
 個人に目を向けると、障害者は社会不適応者とする見方がある。だから、医療や訓練などによって、障害の克服、軽減によって、社会に適応することが求められる。このことについて竹内(2005,PP.28-29)はある危惧を持って述べる。
 そもそも一般に病気・「障害」を治療・軽減するというヒューマニズムに則った営み自体が、病気や「障害」による資質や能力が「劣等」なことを排除し、「正常で健康」な人間的「自然」を求め、さらには「優生」であることを求める営みであるわけです。そして、私たちはこうしたヒューマニズムに則った営みを、「障害者」に対する差別・抑圧を容認しがちな社会・文化の下で日常的に行っているのです。
 今泉(2006,PP.184-206)は、パーソンズの社会機能論をもとに、医療は治療する機能に加えて、この抑圧や差別の機能があることを明らかにしている。その中から、整理して述べると、
 さらに、今泉は、医療(社会)は、回復不可能な病人を社会的に排除されながらも、社会機構に支配的包摂をしていることを明らかにする。もし、排除されるだけであれば、社会的役割が免除されて働かずに、寝ていられるという特権が享受されるはずだが、それは許されない。なぜなら、社会統制のメカニズムの中に「病人が、逸脱した別の社会性を形成することを阻止する機能」(今泉〔2006,P.203〕)があるからである。
 今泉が言う回復不可能な病人を障害者に置き換えれば、その理由はよりはっきりする。障害者は社会的役割を果たせないと排除するならば、ほっといても良さそうである。しかし、そうはならない。なぜなら、競争社会や能力主義において、障害者が働かずに生を享受し、別の社会性を形成することは大多数(社会統治機構)にとって脅威である。障害者同士の結束による逸脱の正当性(別の社会秩序の確立)はできるだけ回避しないといけない。
 人(社会成員)は、誰かと競争し、働いてもらわないといけない。この場合の、働くとは善く生きる〜労働倫理とは関係しない。それは「お前達は働かないといけない」という統治機構からの脅迫〜働かない人への反感を一般大衆が抱くように誘導しながら、権力(秩序、規範)に組み込ませる意図で使用される2。支配する側は一般人が黙って働くことで、自分たちが敷いた秩序に従って欲しい3。だから、ただ働かずに生を享受できることの正当性を訴えられては困るのである。そのため、障害者を「利用者」・「患者」として、福祉・医療の社会機構に組み込み、快復が期待できなくても治療を継続し、就労活動など福祉的役割を付与させる。そして、障害者がそのままの姿で集団的に立ち現れるのを防ぐのである。
 福祉を学んだことのある者にとって、障害者らしい生活の質の追求とか生きる権利は当然あると考える。本論でも社会運動の側面から当事者主権について述べてきている4。あるいは、生存権・発達権保障の対抗言説があることを明らかにしている。しかし、常識的社会観とはまずもって、障害者への排除と支配的包摂のことを指す。そして、偏見や差別は、障害者は社会成員ではないとする排除のみでは発生しない。むしろ、支配的包摂の過程で排除された人々が集団で別の秩序をうち立てないように張り巡らされるのである。
 次に、この障害者の排除と包摂を具体的に押し進める根拠として、優生思想がある。このことについて考察を進める。

第2項 優生思想と現在
 福祉系の大学で障害に対して差別や偏見を持ってはいけないと教わっている学生ですら、もし出生前診断をして、自分が障害児を生むことが事前に分かった場合、どうするか〜我が子の障害を肯定できるかは難問とされる。頭では偏見はいけないと分かっていても、自分の身に置き換えて考えた場合、障害児を産むことの不安、恐怖が喚起され、場合によっては堕胎も選択肢としてあり得ると考える567。たいていの人は、我が子が五体満足で産まれてさえ来ればよいと思う。それは、ただ元気に産まれてさえくれればいいと思っての事だが、まず、大抵は五体不満足で産まれてくることが想定されていない。だからこそ、障害児が産まれることは不幸だと思ってしまう。田村(1998,P.6)は、この差別感を明確に述べている。
 障害者=不幸と言う考え方は、健常者の一方的な価値観でしかなく、それを押しつけることが差別につながることだとしても(私たちの社会では差別はいけないことであるから、これを正面から否定することはできない)、気の毒だ、かわいそうだ、見たくない、ああはなりたくないと私たちはすでにそう感じさせられてしまうのであり、こうした感情はきわめて人間的なものである。そもそも人を行動へと駆り立てるものは、「差別はいけない」というような理性的思考の方ではなく、思考する以前にすでに抱いてしまっている感情の方なのである。
 いずれにしろ、たいていの人は、健康と能力の発揮による社会的役割の遂行を願うし、指向する(竹内〔2005〕)。そういう意味で、障害児者は健康でもないし、社会的役割の遂行ができない存在として見なされている。
 そして、障害者の排除と支配的包摂を正当化してきたものとして、いわゆる優生思想がある。優生思想とは、「人間の資質を「プラス的なもの」、「好ましいもの」、「優良なもの」と「マイナス的なもの」、「好ましくないもの」、「不良・悪質なもの」の二種に分け、前者を保護・保全・増強し、後者を抑圧・排除淘汰するのを良しとする」(宮川〔1999,P.57〕)価値観である。この優生思想は、学問として1883年、ダーウィンの従兄弟であるフランシス・ゴールトンから始まったとされる8。しかし、プラトン(紀元前)から、良い血統を残すことは正しいとされてきたし、障害者や治療の見込みのない病人は、好ましくないものとして排除されている9。つまり「障害者差別は、最近の構築物などではなく、人類誕生以来の原罪と言うべきであり、内なる優生思想は死ぬまで治らないし、現生人類が死滅するまで治らない」(今泉〔2003,P.111〕)のである。
 とにかく優生思想が学問(優生学)として確立してから、障害者の排除が科学の名の下で、具体化(正当化)されてきた。優生学は「人類の将来の遺伝素質を肉体的・精神的な面において向上または減退させる社会的諸要因を研究する実践科学」(宮川〔1999,P.59〕)であり、人間の次世代の遺伝形質に着目し、人類の改善や劣化防止を目指そうとするものである。
 しかし、「遺伝学の成果を人間に応用し、集団を改良しようとはいっても、メンデルの法則に支配されていることが分かっている形質がほとんど病的なものであったので、これらの因子を減少させることに関心が向けられ、断種が主な優生施策となっていった」(宮川〔1999,P.60〕)10。優生学は、当初できるだけ優良な遺伝子を残そうとした。しかし、遺伝子のほとんどが劣勢であることが分かった。そのため、平均よりも多くの有害遺伝子を持った人に子供を産ませないようにする提案が為される(今泉〔2003〕)。その提案が、政策に反映されていく中で、「遺伝とは関係なく、精神病、アルコール中毒、犯罪、売春などにより「社会的劣等者」と見なされた人までが不妊の対象となった」(宮川〔1999,P.60〕)。
 優生思想はその後、アメリカで大々的に政策の介入が見られたが、優生思想として有名なのはナチスドイツ政権下で行われた民族浄化とアーリア人種の保護政策であった11。しかし中には、アーリア人でも「身体・精神・知能的重度障害を負う者や遺伝性の病人、病弱者など最優秀人種の純血を妨げ、またドイツ国家の無意味な負担を増大させる者は、少なくとも欠陥的で不良なその生命が次世代に伝達されないように断種するべきである」(宮川〔1999,P.61〕)とする積極的な優生的施策が採られていた。
 日本においては「優生思想はすでに明治の初期から現れているが、国家が政策的に関心を払ったのは太平洋戦争中の1940年にナチス断種法に倣った国民優生法を制定したときからだった」(宮川〔1999,P.61〕)。思想的には、ナチスと同じく、国威宣揚(日本国民の優秀さを宣伝すること)と戦争遂行の必要とする優秀な人的資源確保(産めよ増やせよ)、その一方で、国家の負担となる障害者・病人など劣等な人々の減少を目的としていた12
 戦後、「ナチス体験を反面教師として、戦後社会は「優生学」を封印しタブーとしてきたはずであった…中略…少なくても、戦後の民主主義的な先進諸国は優生社会の一歩手前で踏みとどまってきたかのように思われてきた」(米本〔2000,P.170〕)。しかし、現実には戦後も優生政策は採られ、日本においても優生保護法が1948年から1996年まで施行されていた13。この法律は、世界でも早い時期に中絶合法化を実現し、終戦直後の過剰人口問題解決に貢献した法律である。しかし、一般に知名度の低い法律であった。この法律の第一条には、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止すると共に、母性の生命健康を保護することを目的とする」と謳われた」(米本〔2000,P.170〕)この法規定は、戦中に成立した国民優生法よりも優生学的規定が拡大されていた。この法律の下で様々な中絶、子宮の摘出、ハンセン病者の強制断種などが行われている14
 その後、1995年に母体保護法が成立し、障害者差別の思想を具現化してきた優生保護法は廃止された15。法の改正で、優生学的規定と表現はことごとく削除、変更され、母体保護法では、「医学的、経済的、倫理的(強姦の場合)理由による中絶と母体保護目的の不妊手術だけが残る」(米本ら〔2000,P.172〕)。そして、最近は不妊手術よりも「出生前診断に基づく中絶が主流になりつつある。着床前診断技術や母胎血中の胎児細胞のDNA診断法も開発され、次世代の身体を出生前に吟味する技術は急速に多様化・精緻化」(米本ら〔2000,P.173〕)している。
 出生前診断によって胎児に何らかの障害や病気が認められるとき、その「胎児を中絶する選択的中絶は、先進諸国では個人(親)の自己決定に基づいて行われている」(米本ら〔2000,P.235〕)。社会的な悪条件下で選択的中絶の自己決定を自由に行うことは、原理的に不可能である。それでも一応、産む・産まない判断は個人にあり、外部からの強制・指示・誘導が無いという意味で、その中絶は優生学的行為ではないと考えられている。しかし、いくら外部からの誘導などがなくても障害を持つ子供より、障害を持たない五体満足な子どもの方を望む親によって、障害のある子どもが生まれずに、優生化がすすむことが期待されている(今泉〔2003,PP.109-110〕)16。このように、今まで優生思想は、政策として眼前に存在していた。現在は、一見無くなったように見えるものの、内なる優生思想(新優生思想)は健在である。
 この新優生思想は、「一般に人々の能力を増強ないし改良しようとする「積極的優生学」と、「消極的優生学」に大別される。さらに、後者は胚や胎児を廃棄する「消去的」優生学と、胚や受精卵という生殖系列細胞のレベルでそれに手を加える「修正的・治療的な」優生学に大別することができる」(堀田〔2005,P.65〕)。本論では、その違いまでは踏み込まめないが、現代の新優生思想を支持する人々は、「かつてのナチスのような優生学とは異なり、個人の自己決定における点、真に科学的である点において否定できない」(堀田〔2005,P.66〕)ことを主張する。病気の除去と同じように、胎児への遺伝子介入は治療と同義であるという意味で正当化する。そして、「障害を否定するからといって、障害者の存在を否定するわけではない」(堀田〔2005,P.79〕)と述べる。障害はそれ自体、個人の社会参加の機会を制限する。だから、通常行われる障害軽減の医療行為と同義で遺伝子介入による障害の除去は正当化される(堀田〔2005〕)。
 いずれにしろ優生思想と聞くと、ナチスを思い出して感覚的に否定しながらも、健康な子どもを望む中に障害者への否定的な感情が存在することに気づく。そして、今は科学の名によって優生思想は正当化されている。しかし、この遺伝子の発見や精緻化とは別に「IQの遺伝子や、犯罪傾向の遺伝因子や、反社会的あるいは暴力的な遺伝子等という、生物学のレベルとは対応関係のない、その意味でありもしない遺伝子を想定し、人間の社会的行動を説明づけようとする生物概念へ人間解釈を還元してしまう」(米本〔2000,PP.269-270〕)危険性が常に孕んでいる。歴史的にこうした間違った浅薄な解釈に科学が利用されてきた。そして、(間違った)科学の名の下で偏見や差別の対象となっていた人々が今も多数存在しているのである。
 健康を指向し、障害を忌避するのは有史以来の人類の原罪である。そして、医学や科学は病気の除去や障害の軽減を目的とする以上、個体に働きかけるという一点を見れば(社会文脈からの改善もあるが)仕方のないことなのかも知れない。重度障害の人が、訓練や治療をして今よりも軽くなることを望むことは悪いことではない17。しかしながら、それを超えて人々はただ障害があるからと言って他者を排斥し、差別をしてきたことが問題なのである。
 次に、この優生思想に対抗しうる考えに、生命倫理がある。このことについて、優生思想を批判する中で論じていく。

第2節 対抗言説としての生命倫理
 優生思想は「プラトン以来どの時代にも存在し、また現在でも存在している普遍的な思想である。…中略…こうした普遍性ゆえに、逆に優生思想がなぜ善くない思想であるのか、という説明や、優生思想を廃棄するために必要な視点を確保することが難しい状況も生み出されている」(竹内〔2005,P.226〕)18。優生思想に対抗しうる価値基準に生命倫理がある。生命倫理とは、端的に「いのちとは何であろうか」を問うものである(松田〔2005〕)。具体的には、臓器移植、生殖技術、クローンなどの生殖に関する先端科学技術への倫理のありかた、あるいは安楽死や尊厳死など生死をどう扱うかである。生命倫理が学問として成立した契機に、プライマリ・ヘルス・ケア(地域医療・保健・福祉の連携で健康増進・予防・治療・リハビリを推進する)とバイオエシックス(生殖医療などの医療に係る生命倫理)があり、その中で4原則(益性、無害性、自律性の遵守、公正)が取りまとめられている19。しかし、生命倫理「学」の多数は、「支配的思想=支配者の思想として、「弱者」差別につながって平等を否定しており、「脳死」・臓器移植などの安易な推進に流れてきている」(竹内〔2005,〕)。第2項で取り上げられた様々な差別・抑圧の議論も、遺伝子介入が押し進められてきたのは、生命倫理学がその正当性を認めているからである(竹内〔2005〕。
 では、生命倫理として障害者の差別・抑圧にどう対抗していくべきなのだろうか。
 出生前診断による選択的中絶は、一見、自由な選択が謳われているが、多くは「優生学的抑圧に通じた社会的圧力により、技術の結果を真に受容する社会・文化がないまま…中略…選択肢が性的に中立ではなく、女性の責任のみが追及され、現象的には個人の「気ままな」願望により、健康を守る社会的体勢が不平等化されている」(竹内〔2005,P.236〕)。これに抗して、リプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)、あるいはリプロデクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)運動がある一定の成果を収めている20。生むか生まないは、社会が決めることではなく、個人〜家族が決めることであり「差別や強制や暴力を受けず、生むか生まないかを自由に決める権利」(松田〔2005,P.245〕)などを掲げている。しかし、生む・生まないかの権利を女性の手に戻し、社会が個人の生殖の自由に制限をかけることが不当であることを糾弾したとしても、生まない選択の自由に障害児が追認されている面も否定できない。
 遺伝子の発見と解読が始まった時点で(いわゆるヒトゲノム計画)、人は全ての遺伝子が解析され生命の設計図が描かれ、「個々人の未来が全て予言される」(米本ら〔2000,P.255〕)と思われていた。しかし、精緻化がすすむ中で、逆に人の遺伝子は「膨大な数の遺伝情報が漂う広大な海原」(米本ら〔2000,P.255〕)であることが分かる。そして、いわゆる排除しなかければいけないとされる「有害遺伝子」は誰でも持っている。その上「ゲノム解析がすすめば進むほど、「有害」と称される遺伝子の数は確実に増えていく」(今泉〔2003,P.64〕)
 つまり、解析がすすめば進むほど、人の遺伝子は緩やかで膨大な数の連鎖であり、把握しきれないこと。そして、その中には膨大な有害な遺伝子が含まれていることを明らかにした。それは、いかに優性な遺伝子を残し、有害な遺伝子を排除する試みは無意味であり、突然変異は無くならないことを指し示している。だから、いくら遺伝子に手を加え、生殖医療で障害児の発生予防をしたところで、ある一定の成果を収めたとしても、障害児は生まれ続けるのである。
今泉(2003,P.8)ははっきりと述べる。
 生殖技術は、殺す技術ではなく、生かす技術である。この点を銘記しなければならない。殺すことは悪い。だが、生んで生かすことは、悪いはずがない。いかなる生命体であれ、殺すことには罪の臭いがするものだが、いかなる生命体であれ、生んで生かすことには何の罪もない。
 その上で「倫理的に間違えていることは絶対に理論的にも間違えている」(今泉〔2003,P.67〕)と。生命倫理を標榜するならば「まっすぐに障害があっても生むべきであると主張すべきである」(今泉〔2003,P.110〕)。とはいえ、なんだかんだ言って障害者の世話をすることで親は苦労するし、不利益を被る事は確かである。しかし、これまでも障害児を育ててきた親はたくさん存在するし、むしろ「障害者がたくさん生まれた方が、少なくても、闇に葬られている障害胎児を生かすだけで、よほどまともな社会になる」(今泉〔2003,P.111〕)と考えられないだろうか21
 そして、根源的に妊娠・出産は、社会全体の再生産を支えるところの、人間にとって最も尊厳ある営みである22。そして、「妊娠・出産こそは言葉の根源的な意味において、共通善である。したがって、社会全体が、あるいは、むしろ人類全体が、妊娠・出産に対してそれ相応しい重みの対価を支払うべきである」(今泉〔2003,P.85〕)。その根拠に立ち、だからこそ、今泉(2003)は「いかなる子どもであれ歓待するということ、いかなる状況にあっても子どもを生むということが、唯一譲れない「人生に対する行為」ではないのかと思われてきます。そして、そのことだけを、まさにそのことだけ譲らないとき、現在のバイオを巡る愚かな動向を、きっぱりと批判できる足場を与えられると思います」と述べきる23
 生命倫理の視点に立つならば、「重度障害ゆえの胎児や嬰児の「慈悲殺」の根本にも−羊水検査による中絶は治療法発見までの過渡だ、という当初からの嘘も含め−、重度障害者のある種死に近い性のはなはだしい軽視、つまりそうした生に真に適合した制度やケアなど等の社会文化−精神構造を含む−の決定的不足という、事実上の障害者差別・抑圧」(竹内〔2005,PP.236-237〕)を退けなければいけない。なぜなら、「死に近い生の充実を含む、死なせないことを前提にしなければ、こうした最大の差別・抑圧としての死や、死に近い生の軽視が蔓延して、弱者排除を旨とする優生学がより介入しやすい」(竹内〔2005,P.238〕)ことになる。生と死、死に近い生の在り方についての詳しい考察は別の機会に譲るが24、一般に、人々は死に近い生を生きている人々を犠牲にすることで、「死へ向かうこと、死なないで生きていることを無意味と決めつけ、あっさりと、ある種の人間を死へと廃棄している。その残酷な過程は、様々な幻想や言動によって飾り立てられている」(今泉〔2006,PP.152-153〕)。
 「弱者」はそれだけで生きている価値があるとか死に近い生を送っているかのように見える人々にも生きがいや自己実現があるといったことが良く言われる25。その根幹には、生命倫理がある。倫理はただ存在することを通して、献身と贈与を通じて、他者に開かれ、その中で自己を肯定する。そういう意味で、死に近い生を送る人々の「生体の豊かさ」(今泉〔2006,P.214〕)を通じて、人々は生とはいかに豊かなのかを気づかせてくれる。ならば、こうした障害者や治療が困難な人々の生を肯定し、擁護することは、生そのものの肯定と擁護につながるのである。

第3節 まとめ
 ここで取り上げてきたのは、生命倫理が取り扱う広大な問題群の一部分である。また、その一部分ですら論じきれなかったことや、説明不足が多々ある。それは、今後の研究課題としたい。
 確かに出生前診断や遺伝子介入によって障害者の数が減少しているのは事実である。しかし、いくら切り捨て淘汰しても、「一時的には、集団の平均値は上がるかも知れないが、尺度を変えてみれば、それは集団内部での変異の分布様式をいささかも変更しないことになる」(今泉〔2003,P.83〕)。言い換えると、いくら躍起になって、発生のメカニズムを操作して障害児を排除しようとしても障害児は生まれてくるし、大したことはできないのである。そして、障害児を中絶することが社会的に容認されても、それは倫理に適ったことではないことが確認された。しかし、それでも様々な理由で人々は、中絶することを選択し、そうするだろう。だが、ここで言いたいのは、それが障害児だからと言う理由で自己正当化してはいけないという一点である。出産は社会が未来につながる行為である。であるならば、いかなる子どもであれ、どんな状態であれ、社会は歓待するべきである。だから、障害者は社会のリスクであるとか無駄と言った排除の思想は、倫理的に間違っていることは自明である。
 いずれにしろ、障害者などの弱者に対する偏見と差別の根拠の一つ、優生思想を手がかりに、それを乗り越える形で論じてきた。優生思想は無くならないし、それは根強く、個々人の内部の細部まで入り組んでむしろ「当たり前」になっている。しかし、その思想の根本を見ると、決して倫理的ではないことが分かる。倫理的ではないことは、間違っていることである。まずもって、我々は優生思想の「潮流に対する体系的な批判や懐疑が存在しない現状の不気味さに、まず気づくことである。「地獄への道は善意で敷き詰められている」、この格言を心に刻む」(米本ら〔2000,P.275〕)ことを意識することかも知れない。
 次に、こうした排除されやすい人々をケアするとは何か。あるいは、そもそもケアとは何かについて論じていく。

第4節 施設内虐待とは何か
はじめに
 福祉施設は−直接援助に関わる福祉は−、利用者へのケア〜生活支援が中心である。そこに、虐待なぞあってはいけないし、当然許されることではない。それでも時折事件として施設利用者の虐待死や性的虐待が取り上げられる。本節では、なぜ虐待が行われてしまうのかを概説し、その要因について考察する。

第1項 なぜ施設内で虐待が起こるのか
 一概に施設内虐待といっても、新聞沙汰になったものから日常起こりがちな体罰や侮辱的発言などの不適応対応まで大小様々である26。さらには、虐待の種類も、性的・身体的・ネグレクトがあり、さらに障害者虐待の定義には拘束が加わる(平田〔2002〕)。虐待はいうまでもなく、利用者の人権あるいは権利の侵害であり、犯罪である。
 虐待は、体罰や心理的な抑圧が慢性的に行われる状態であるから、一過性の体罰や突発的な罵声などは、通常虐待に値しない。しかし、福祉サービスを提供する労働者が、顧客である利用者に手を挙げるなど、普通に考えてあり得ないことである。なぜなら、一般社会において顧客に手を挙げてもよいサービス業はない。
 しかし、幾つかの調査研究27では、身体的虐待は悪いことだと知っているが、指導上、体罰は時には必要と考えている援助者がいる。あるいは、「利用者のパニック時や興奮時に抵抗されたり、利用者の安全上制止する手段として暴力に至ったという状況」(平田〔2002,P.262〕)があり、体罰や暴力は仕方がなかったとする報告がある。また、乱暴な言葉使いや呼び捨て、怒鳴るなどはかなりの頻度で援助者が行っている28ことが明らかになっている。
 とはいえ、援助者は進んで虐待や体罰をしたいわけではない。家族にも起こりうる体罰や不適切な躾(と称せられる虐待)と同じように、ケアする・される関係の間にある何かによって引き起こされる。それは何か。その要因を幾つかの文献29を整理して述べると、
 1と2は集団が虐待を誘発していることを、3と4はニュアンスが違うが、個人的関係で虐待が発生することを明らかにしている。虐待になる要素は多様にあるものの、1〜4まで貫いて、集団で虐待が容認されているからこそ、4のようなはじめから虐待を肯定する援助者が存在するし、援助者が体罰など自己の行為を正当化すると考える。
 重複するも、集団が個人に働きかけ虐待を誘発させる要因を空閑(2001)からまとめると、
 つまり、日常的に体罰などが行われている施設では、「新しい職員がそれに対して疑問を抱いても周囲の意向に異を唱えることは難しい…中略…このことは新人のみならず、援助場面における倫理的な決断の傾向において、専門職としての個人の決断よりも実際の職場では組織中心の決断傾向になりがちである」(空閑〔2001,P.49〕)と要約される。
 このように体罰や虐待が集団(組織)全体に蔓延している場合、援助者一人の力ではどうすることもできない。筆者の勤める施設でも、問題行動に対して大声が飛び交い、時には明らかな不適切対応が存在する32。次に、施設内虐待は以下に防止するのかについて論じる。

第2項 施設内虐待はどう防止できるのか
 施設では、虐待が正当化されやすいことを論じてきた。では、こうした虐待はどのように防止することができるのか。そして、防止することでどのようなことが良いことがあるのだろうか。このことを概説すると、以下のとおりである。
 つまり、施設内虐待は、例え個人が利用者への虐待はいけないことだと思っても、集団内に虐待を容認する「状況の場」が形成されてしまうと、抵抗することは難しい。しかし、3や4の視点に立って援助者達33が押し進められるならば、集団もまた自ずと虐待を容認しない雰囲気が醸成されるであろう。もちろん、管理者や上司が虐待を予防する施設方針で事に当たれるのであれば、それに越したことはない34
 いずれにしろ、利用者は様々な生活困難性や障害を持っている。そうした人を虐待して良いはずがない。少なくても社会福祉〜直接的に利用者の生活をサポートする人は。それがいかに、場面の再定義をしたところで、その欺瞞はよく考えれば分かるはずである。3で述べたように、倫理に基づいた仕事は良い仕事である。人に開かれた、献身こそが直接的に利用者に関わる施設職員の本来的な仕事である。繰り返しになるが、虐待や不適応対応は許されないのである。
 次に、では、利用者と援助者の関係〜ケアとは何かについて考察を進める。虐待がこのケアする・される中に存在しているならば、本来的なケアとは何かについて論じなければ片手落ちであろう。

第5節 ケアの倫理へ
はじめに
 福祉施設の援助者の大半は、利用者と排泄や食事あるいは入浴介助によって関わる。また身体介助に移行するまでに心理面や情緒面へのケアは欠かせないとされる。言い換えると、援助者は、利用者へ身体介助を機械的にこなすだけではだめである。利用者への身体介助は、配慮と献身を持つことが必要である。そして援助過程では、生活の質や情緒の満足を追求しないといけない。その援助の追求には、利用者と信頼関係を築くことが欠かせないとされる35
 援助者は利用者の生活をサポートすることで賃金を得ている。その意味で、利用者はお客様である。一般に売買する過程で見せる客への配慮や治療を目的とした心身のケアは、目標が達成されたり取引が終了すれば、その客に対してケアする必要がない。福祉施設においても、一日の業務の範囲(提供できるサービス=商品)がある。しかし、利用者(客)は福祉施設で長期に渡り生活することが多いため、同一の利用者と間断なく関係を続けていかないといけない。要するに、長期化するケアのあり方を考えることは、福祉施設では避けて通れない問いなのである。

第1項 ケアの学問的取り扱い
 福祉業界でケアとは一般に身体的「介護」・心理的サポートなど、具体的に何かお世話をすることと考えられがちである36。また、ケアと言っても、ケアマネージャー、ケアリング、ネイルケア、在宅ケア、スピリチュアルケア、心のケアなど、多義に使用されている。
 ケア理論研究では、ケアは、ケアする人・される人という私的領域(在宅・施設など)や職業上の領域(看護・福祉)として登場した。そして、現在「理論研究は「倫理」として問題領域を広げ、学問的議論の対象となったが、「ジェンター」理論として解釈され続けてきた。そして、倫理学全体から見れば、個人に帰属する美徳の一つである「道徳的指向性」として扱われているに過ぎなかった」(村田〔2002,P.69〕)。
 ジェンターとしての議論37は、家族介護や職業上の看護・介護に女性が圧倒的に多いこと。そして、奉仕の精神や自己犠牲を強調し、介護をアンペイドワークとする女性への社会的差別が挙げられる(廣森〔2001,P.35〕)。同様に、ケアを美徳の一つであるとすることで、逆に家族が「家事労働や介護労働からの撤退は非道徳であるとさえ非難される場合もまだまだ多い」(村田〔2002,P.67〕)。つまり、ケアは道徳的に善であることが先に立ち、日常の中に埋もれていた。そのため、ケアの意味について問われず、議論が深められてこなかった38
 なぜ議論が深められなかったのか。科学の場合、一般に客観性、普遍性が重視され、帰納的・網羅的な実証を志向する。そして、主体と対象との区別や操作を重んじる。しかし、ケアは、個別性や経験の一回性を志向し、対象への共感・一体性・親和性を重んじる39。このように、科学的手法にケアは馴染まなかったが故に、ケアとは何かと実証することが困難であり、議論する上での共通基盤を形成できなかった。
 とはいえ、ケアの概念は、「関係」を属する概念として、そして、人々の道徳的「源泉」として社会政策決定の基盤として位置づけようとするところまで議論が及んでいる。そして、この議論を通じて、倫理学にも影響を与える段階にきていると考えられている(村田〔2002〕)40。つまり、いまやケアの理論研究は、私的領域の道徳的な言説を超えて、ケアの関係とは何か、それは社会にとって何を意味しているのかを投げかけているところまで来ている。

第2項 ケアの要素について
 ケアの要素やケアを行う上で求められる要件は多様にある。そして、議論の中心は援助者がどのような態度や気持ちを持つことが本当のケアになりうるのかであった。現在、ケアは直接的に関わる援助者のみならず、広い社会の中で問われるようになってきている。とはいえ、ケアとは常に他者と関係を結ぶことから始まることに間違いないと考える。まずもって、ケアについて議論されうる要素を概説すれば、
 1.では、ケアをする行為の背景〜心情には、宗教的な要素が含まれているとされ、その意味について探求する。例えば、ケアの心情には、気遣い、配慮41、慈悲、利他的行為42、思いやり、憐れみの情(コンパッション)、信頼、共感、傾聴、専心、良心、献身、奉仕などがある43(註:この一つ一つの言葉の意味を探求する必要があるが、それは今後の課題としたい)。いずれにしろ、論者によってその心情(の要素)のどれが大切かが異なるとはいえ、ケアの心情は「客観的に対象者を認知して傍観者として眺めていられるような感情ではなく、…中略…、一方で排他的な親密さだけに限定されることのない関係性に基づくもの」(木原〔2005,P.14〕)であると考えられている。つまり、ケアは広く人間の本性として認められるものであり、なにかしらの(時には衝動的な)行動を伴うものと考えられている。
 2では、援助者は、ケアの受け手から自己実現、人間的成長、自己充足、生の肯定、多様な価値観への気づき(豊かな感性の醸成)などの効用が得られるとされる44。また、効用を得るためには、共感とは受容とは何かなど1の要素を深く掘り下げていくことや対象者への洞察が求められる45。援助の望ましい態度への洞察には様々な見解があるが、ケアの効用を援助者が得るには、受け手との対等性や相互性が重要である。なぜなら、私たちは「一人で生きていくことなどあり得ない。生きることが、そのまま〈他者〉へと影響していくかぎり、私たちは〈他者〉との関わりの中で生きていくしかない」(森村〔2000,P.83〕)ことが根底にあるからである。その上でケアは決して一方通行ではなく、ケアは人が互いに生きていく上で欠かすことのできない行為であることを論じている46
 3は、身体に触れる、あるいはケアを通じた非言語・言語コミュニケーションについての具体的な考察になる。キーワードとして、身体の共同性、相互浸透、共同体と異邦性(他者性)などが挙げられる47。大体、ケアの過程や展開を具体的に記述することで、1や2の要素〜自己実現や自己充足が論じられる。その一方で、関係性に主眼を置き、援助者の効用ばかりではなく、ケアの受け手の望ましい態度48などへの論考などがある。いずれにしろ、身体を触れたり心を通わせるケアの行為は、「自−他、内−外、能動−受動という区別を超えたいわば相互浸透的な場に立ち会う」ことになる。そして、「相手と自分を含む一つの力動的な場の布置に一つの切り口を通して参入」することである(鷲田〔1999,P.176〕)。さらに、相手の世界へ入っていきながらも、相手の世界を理解するとは、他者が自分とは違う(自己同一性に回収されない)からこそ出来ることである(異邦性)など、自己と他者という哲学としての命題が含まれている。
 これまでの論述よりケアとは何かの定点を探れば、
 次に、これまでの論述をもとに、福祉現場〜利用者との関わりにおけるケアについてさらに考察を加える。

第3項 現場におけるケアの倫理
 実際に現場にとってケアの関係とは何かについて、論じることが多様にあるが、本論では前述の考察から以下の点に絞って論述する。
1. ケアの相互性とはいったい何か。それはどのような関係の中で生起するのか。
2. そして、1は援助者や社会にとってどのような意味があるのかである。

@なぜ人は弱い人に手をさしのべるのか
 1.について、一般に援助者と利用者の関係は、ケアの「与え手」と「受け手」の関係にある。そして、一般に利用者は援助者に「支えられる存在」であると考えられている。時に、利用者が一方的に支えられるだけの関係に置かれることによる援助者の権力性が問題になる。そのため、利用者との対等な関係の重要性が言われる。あるいは逆にケアの関係性において、ケアの受け手(利用者)から援助者はケアされることもあると言われる。そして、もし利用者からケアされていることに気づくならば、受け手も与え手も互いにケアをしあっていることになるから、関係は対等であるとされる。しかし、通常、援助者は利用者に何かケア(お世話)をしてもらっているとは考えにくい。では、何をどう考えれば利用者からケアされていると言えるのか。
 その理由の一つに、目の前に(障害のために)生きづらさを抱えている人へ手をさしのべることは自然なことであると考えることが出来る。あるいは、障害者に人間としての弱さを見いだし、「弱さはそれを前にした人の関心を引き出す。弱さが、あるいは脆さが、他者の力を吸い込むブラックホールのようなものである。そういう力を引き出されることで、介助する人が介助される人にケアされるという、ケア関係の逆転が起こってくる」(鷲田〔2001,P.181〕)とされる49
 鷲田(1999)は、こうした弱さに人が引き寄せられるのは、そもそも人は一人では生きていけないという根本的な弱さに起因していると考える。なぜなら、人は、誰かから服を着せてもらい、食べ物を与えられ、言葉を教えてもらった経験〜受動的な側面があるからである。この人の受動性とは、「無条件に存在を肯定された」ことのある経験と言う。例えば、「静かにして」とか「お利口さんだったら」と言った留保条件なしに、乳首をたっぷり含ませてもらい、髪を、顎の下、脇の下を丁寧に洗ってもらった経験。相手の側からすれば、他者の存在をそのまま受容して為される「存在の世話」がケアの根っこにあるという(鷲田(1999,P.252)。
 このような視点で捉えると、誰もが乳児期に他者から無条件にケアを受けて育ってきた。そのような意味で、私たちは自らの存在を他者よりただ肯定されてきた経験がある。だから、目の前にいる利用者の中に、自分の弱さを見いだし、条件も付けずに存在を肯定することが出来るはずと考えられる。では、相手側から行われる「存在の世話」とはいかなるものだろうか。

A世話(ケア)をすることについて
 乳幼児の自分を世話してくれた他者(母親だけではない)は、世話することで自分が癒されるとか自分の成長があったという。ケアの定義でも、ケアは他者の成長や自己実現を助ける行為であり、そのことによってケアする人もまた成長や自己実現が為されると考えられている50。それは、単にお世話好きを意味していない。しばしば、援助者は、何もかも世話を焼くことによる独善や全能感に支配される傾向がある51。しかし、何もかも相手の世話をしてしまうことは、相手の成長の芽を摘むだけではなく、自分の成長もなく、単なる自己満足に過ぎない。あるいは相手は単に相手は自分の癒す道具でしかない。
 そのためケアの前提に、相手は自分とはまったく相容れないものの、異質なものであるという視点が必要である。そして、ケアの主導権はあくまでも「される相手側」にある。相手を遇する(ケアする)とは、相手が何を望んで、何をしたいのかによって決まる。それには援助者の自分の同一性をいったん放棄して、相手を迎え入れ、入り込むことが求められる(鷲田〔1999,P.236〕)。
 相手を迎え入れるとは、異質なものとの出会いである。その出会いは自分を異他化し、自己変容が促される。そういう意味で、ケアは自分の方へ世界を集極させるのではなく、他者による私への呼びかけの中で、自分(私)の存在がその都度世界の中で確証(保証)されるといえる(鷲田〔1999,P.237〕)52。むろん、それはケアする側(援助者)だけではなく、利用者にとっても同様である。援助者からの働きかけもまた、相手を迎え入れることであり、利用者も異質的なものとの出会いや自己変容がなされる。つまり、ケアには生を支え合うという観点が根底にあり、ケアの関係とは援助者と利用者が相互の自己成長や自己実現を含みながら、生の意味を満たしていくことである(木立〔2001〕)。

B日常的なケア業務の中の相互性
 日常のケア業務の中で自己も他者も生の意味を満たしているのを感じられるほどケアをしているかと言えば、それは否である。しかし、例えば、利用者の目の動き、かすかな体のふるえから援助者は何を要求しているのか感じ取れることがある。
 かすかな体のふるえはトイレに行きたいと思ったのかも知れないと相手に感応する契機になる。その意味で、ケア行為は、まずもって利用者の要求に応える形式で始まるが故に、援助者は受動的であることが確認できる。そして、トイレ誘導をするのが仕事とは言え、それは条件もなく行わなければいけないという意味で、…やや無理があるかもしれないが、それでも「存在の世話」をしているとも言える。
 しかも、その利用者は自力で排泄が出来なく、援助者のケアなしでは生きられないという意味で、援助者に体を預けている。また、援助者はケアを介してその利用者と関わるという意味で、ケアの空間の中でお互いの身体を共有している53。しかし、体のふるえによる要求と援助者がその要求を了解しアクションを起こすにはタイムラグが存在する。あるいは要求を読み違えたりする。その意味で、空間を共有しているように見えて、そこにはやはり利用者は他者であることが確認できる54。だからこそ、援助者はいったん自己の同一性を留保し、他者を迎え入れないと相手の要求は了解できないと言える。そして、そのサインの感応や了解の仕方や振る舞いは一人一人違い、きわめて個別的な関係の中で育まれるのである。
 その利用者の能力の発達や成長が止まっているように見えても、微細に関わり、相手に入り込むことで、かすかな目の動きの中に喜びや悲しみ、あるいは生のひらめきを見いだすのかも知れない。そこに、人と関わることの奥深さを見いだすのかも知れない。
 いずれにしろ、利用者が生を全うするように気遣い、配慮し、世話をすることは利用者の生を肯定することを意味する。と同時に、配慮できる、気遣える援助者もまた、その行為によって自身の生をも肯定していると考えることが出来る。

Cケアの社会性について
 存在の世話により、自分の存在を無条件で肯定されてきたからといって、アカの他人まで存在を肯定できるのか。自分を無条件で肯定してくれたのは父や母など身近な人であって、アカの他人が自分の無条件で存在を肯定してくれたわけではない。そのような意味で、ケアはあくまでも親密圏の出来事であって、ケアは公共・社会の中では無力なのではないか。
 先にも述べたが、これまでケアは私的領域(家族・看護・介護)に押し込められて来た。特に子供の世話をするのは母親の役割とか身内の高齢者は嫁とか妻がするものだと「名指し」されてきた。そして、ケアする人は美徳を体現した立派なことだと祭り上げられてきた。あるいは、ケアは「生や死、命と言った人間の本質的な部分への洞察が深められること、共感体験の中で感動、自己成長や自己実現への手応え」(廣森〔2001,P.35〕)があるとされる。
 ケアがそんなにすばらしいことなら、まず名指しをする人こそ率先して行うべきだし、みんな(広義には社会)が行うべきだと考える。しかし、ケアを引き受けざるをえなくなった人(母親や嫁など女性)以外は、何かと理由を付けてケアを回避する。自分の存在を賭けてまで他者へケアをすることに恐れをなす55。なぜなら、相手の襞に踏み込み、自己変容をもいとわない態度で他者へケアを引き受ける−責任を持つこと−は、己の存在が“ゆらぎ”、場合によっては同一性が崩壊する危機に直面するからである。ケアを配慮とか気遣いと捉えれば、強弱の差はあれるが誰でも行っている。しかし、本当の意味でケアを志すことは難しい56
 確かに本当のケアを志すことは難しい。しかし、人と社会の関係は、個人が社会に規定される側面と人が社会に影響を与えるという相互性がある57。よって本質的なケアを志向することは難しいからと言って、自分がケアすることの責任や志向を封じる必要はない。むしろ、他者へケアすることに責任を持ち、それを実践しようとする過程で、職員集団、施設全体ひいては社会全体へ波紋のごとく影響を与えることができると考える。
 そう考えると、自分を無条件で世話してくれたのは親密圏でしかなかったと思いがちになるのは、ケアが私的領域に封殺されていたからと言える。ケアをもっと広く考えるならば、他者もまた自分と同じように無条件で生を肯定されてしかるべきである。なぜなら、人は効率や合理化だけでは生きていけない。他者からの気遣い、配慮などによって自己の生が肯定されないことには、生きていけないからである。そして、そのようなベクトルで社会が立ち現れることは社会の複合性や多様性を生み出すことにもなる。それは、なにより倫理的にも適っているのである58

Dまとめ
 これまで現場におけるケアとは何かについて考察をしてきたが、若干の捕捉をしながらまとめると、まずケアの根本には、@やAで述べたように、人が無条件に生を肯定〜存在の世話をされていることが人を支える。それは、つまり「生きることことが楽しいものであることのたっぷりとした経験、そういう人生への肯定」(鷲田〔1999,P.251〕)が根底にある。そして、Bで考察したように、まずもって利用者の要求によってケアの内容が決まるが故に援助者は受動的である。そして、援助者は、利用者の要求を正確に応えるには、いったん自己の同一性を棚上げにして、他者を迎え入れることが重要である。さらにCについては、施設では否が応でも利用者と長期間にわたり濃密な関係が築かれやすい。よって本当の意味でのケアを志向することが求められていると言える。最後に、鷲田(1999,P.250)の比喩を持ってまとめとする。
 他者の現在を思いやること、それは分からないから思いやるのであって、理解から出来るから思いやるのではない。料理を供する母は、じぶんではなく「あなた」の口に合うのか、それがとても気になるから「おいしい?」と訊くのであり、「おいしい」という返事をもらうことで、じぶん自身の行為にはじめてポジティブな意味をあたえることができるのである。

第6節 考察
 本章では、偏見・差別の優生思想と施設内虐待を非倫理として取り上げ、その対比として生命倫理、ケアの倫理を取り上げた。
 非倫理は他者を排除して自己正当化する。しかし、誰かを排除し、自己が許容されるには外部(権力)からの承認が前提になる。よって、理由無く、ただ生きているだけでは、他者も自分も許容も肯定もできない。その結果、常に生きる理由を探さないといけないし、外部が用意した前提(課題)を履行できない場合は、自己の生存を脅かされることになる。
 偏見や差別は社会的(外部)に否認されたものや承認されていないものへ向かう。それがある時代背景や一人の独裁者の勝手な理由によって、いとも簡単に他者や自己の生存が脅かされること(例えば、ナチスのユダヤ人や障害者の虐殺)は論じてきたとおりである。そして、一般に差別は社会にあるからと、自分が他者に差別や偏見を持つことは当然(あるいは仕方のないこと)だと考えがちである。これは、施設が虐待を容認しているから自分の虐待行為も仕方ないと思うことと同じである。あるいは、虐待をしている意識すら浮かばないことは、偏見と差別に気づかないことと同じである。差別や虐待が悪いことだと分かっていても、場面の再定義やら言い逃れで誤魔化している。つまり、外部のせいにすることで自己の責任を放棄している。
 倫理は、外部の承認や線引きを必要とせず、他者に開かれた、主体的なものであり、自分の行為に対し責任も思考も放棄しない姿勢である。そして、その姿勢を通じて、倫理はただ生きているだけで自己も他者も肯定できることを教えてくれる。
 とはいえ、やはり、差別意識・偏見・あるいは虐待は根強い。であるからこそ、というか、少なくても福祉施設職員だけは、倫理について自己を問い、倫理に向かって仕事を積み重ねていくことが求められる。なぜなら、そこに差別と偏見にまみれ、社会的排除されている利用者がいて、虐待を受けかねない環境にいるからである。もちろん、利用者を単に弱いものとして同定しているのではない。彼らにも主張すべき権利や要求はある。しかし、それでもやはり現実に彼らの声はいとも簡単に封殺され、弱い立場に追いやられていると言わざるを得ない。
 だからこそ、ケア〜献身を通じて、援助者は利用者から生の肯定を贈与されていることに気づく必要がある。もし気づき、贈与に応えるならば、利用者(他者)を尊重し、自分はどうするべきなのか、どうすることが良いことなのかに気づき主体的に向かっていけると考える。


1 竹内(2005)は、能力主義の罪について論考を加えている。「いわゆる「能力主義」とは一般的には資本主義的・管理社会的な競争原理の中核をなす、支配のための原理であり、人間の差別・選別序列化の近代的原理である」(P.124)と明言する。それは、支配や差別・抑圧を能力差に基づく正当な事態として国民に強要するものである。
2 渋谷(2003)は全体を通して、この働くことを通じて個人が体のみならず、心、事によっては魂までも国家権力に監視され、管理されていることをつまびらかにしている。
3 チョムスキー(2003)は、さらに押し進め、民主主義においてすら、いったん特別階級の誰かを支持したら、あとはまた観客に戻って彼らの行動を傍観する、戸惑う群でしかないこと(P.19)。一般市民の大部分は愚かで何も理解できないという至上の道徳原則がある(P.20)と述べる。
4 中西(2003)参照。具体的に専門家主義によるパターナリズムについて言及している。そして、当事者間での団結による運動の歴史と実績について述べている。
5 小山(1997)、原田〔1999〕参照。原田は、もし自分が障害児を生むことが分かった場合どう思うのか、あるいはどうするのかを講義として取り上げている。その中で、はっきりと産むと答えられたのは5分の1であり、他は迷ったり、否定的になる事を明らかにしている。その上で、この否定的感情をどう扱うのかを「ゆらぎ」の中で論考している。
6 調査研究では、井村ら(1996)参照。介護福祉系、社会福祉系は、看護系、医歯系に比べて選択的中絶や遺伝子介入に対して良い印象を持っていないがそれでも2割は、中絶や遺伝子介入を仕方のないことだと考えている。竹之内(1997)では、障害児出産をするかどうかという設問で、「しない」と答えた割合は、92名中、43.5%であった。
7 今泉(2003)は、「障害児を安んじて生み育てられない社会が悪いという人は、一方では、当面は選択的中絶は仕方ないと諦め」ていることを指摘している。
8 米本ら(2000,P.14-50)で、優生学の起源と歴史について概説されている。1883年は、ダーウィンのいとこであるフランシス・ゴルトンが、『人間の能力とその発達の研究』という本の中で、優生学という言葉を鋳出したからである。そのため、彼は優生学の父と呼ばれてきた(P.14)。
9 宮川(1999)参照。優生思想史はプラトン(B.C.427-347)に始まるとされる(P.58)。奇形児は捨てなければならないとか、全て善き法秩序のもとにある国民にはその国において、ぜひともなさねばならぬ定められた仕事がひとりひとりに課されて、一生病気の治療をしながら過ごすような暇は誰にもないとまで断じられている。
10 今泉(2003,PP.62-64)参照。むしろ、劣性遺伝子aaが生まれるからこそ、人類は生き延びてきたとも言える。
11 宮川(1999,P.60)参照。1907年にはすでに断種法が制定され、1931年までに全米30州で成立し、12000件の優生手術が行われている。
12 戦争下における民族優生方策については、米本ら(2000,PP.177-178)参照。民族優生思想の啓発、調査研究、民族毒予防、民族優生的多産奨励、遺伝健康方策である。
13 戦後の優生思想の施策の変遷については、米本ら(2000,PP.170-236)参照のこと。
14 米本ら(2000,P.171)参照。公式統計では、強制的な不妊手術が一万6千5百件あったとされる。しかし、本人の同意があったとされるケースでも半ば強制的な者が多数あったことが推測される。ちなみに優生保護法の下で総計八十四万五千件の不妊手術が報告されている(P.172)。
15 成立した背景などについては、米本ら(2000,PP.229-231)参照。かなりのスピードで法案が通り、強制的不妊手術をはじめてとする優生保護法下での人権侵害などの国家責任が国会の場で問われなかった。
16 今泉(2003,P.109)は、過去の古いタイプの優生思想は、劣等な人間をなくすためと言うことで、障害のある人間から生殖能力を奪ったり、障害を持って産まれそうな子どもを中絶することを法律的に制定し行政が遂行してきた。これに対して、新しいタイプの優生思想は、法制化などの方式は採用しないで、選択的中絶に関する個人の自己決定に任せてしまう。ただし、出生前診断や遺伝子検査と言ったサービスや情報を行政的に提供すると述べる。
17 誰のための訓練なのか。本当は、障害者が暮らしやすい社会を作るべきであって、無理に社会に帰属させるために、まわりが本人に無いはずの義務を負わせてプレッシャーをかけているのではないかという見方がある。あるいは、堀田(2005)は自分で行えることが拡大することが「快」であると言い切れるのか。相手のしてもらうことが本来「快」ではないかと問題提起を行う。確かに、今福祉施設で行っていることが良いことかどうかは分からない。しかし、先の問題提起に従えば、何もしないことがよいことになる。さらに、傾注に値するとは言え、この問題意識に応えるには新たな価値観をうち立てない。とはいえ、現時点においては努力の結果、自分で行えることが増えることは悪いことではないと考える。
18 さらに続けて、竹内(2005,P.226)は、「優生思想の根幹は、社会・文化と切り離された個人還元主義的な人間観に依拠し、人間の資質の根幹を生物学的次元にのみ求め、その指標に基づいて、優秀な者を称揚し劣等な者を排除することにある」と述べる。その後、現在の優生思想は「商業的優生学」であること。一定の基準により人間に序列をつけ、価値の低い者から排除する能力主義による差別・抑圧。これの屋台骨をなす、出生前診断技術の「進歩・発展」によって隠される多くの事柄を通じて、より優生思想が一層強化され、深化、拡大していることを述べている。
19 詳しくは、松田(2005,PP.37-62)参照。
20 詳しくは、松田(2005,PP.237-262)参照。
21今泉(2003,P.112)は続けて、「劣等ななものこそ優等である。劣等な生命こそ優等な生命である。1970年代の障害者自立運動が教えたことの一つはそのことでした。その価値転倒は、感性や趣味に関する美学的な争いだと思います」と述べる。
22 政治や国家が指示するから子供を産むのではない。それは政治談義とは別に個々人が自主的に子供を産むのである。それは人類として未来につながる行為である。
23 今泉(2003,P.68)は、「難民は、それでもと言うべきか、だからこそと言うべきか、子供を生んでいます。子供を生むことにおいて、悲惨な人生と死を癒すような意味を見いだすということではなく、そうではなくて、どこからともなく発せられているよるとしか、今のところ言いようのない使命に促されて、子供を生むのだと考えてみたい」と述べている。
24 例えば、小泉(2006)は示唆に富んでいる。
25 安井(2002)、竹内(1993)、神谷(2004)参照
26 新聞沙汰になった虐待事件については、稲垣(2001)を参照。1995年から2000年までの全国紙から知的障害を持つ人に関わる人権侵害の事件をまとめている。あるいは、不適応対応から、虐待までの構造については、小林(2004,P.218)を参照。端的に、ピラミッドの底辺に不適切なケアがあり、非意図的虐待、意図的虐待が中心となり、ここがグレーゾーンとなる。そして、頂点に虐待がある。この頂点は、氷山の一角として現れるものと解釈している。
27 平田(2002)、中村(2001)、松川(2002)、稲垣(2001)を参照。なお、参考にした調査には、規模、内容、測定方法にかなりのばらつきがあり、数値の掲載は控える。しかし、一概には言えないが、体罰などの身体的虐待を容認、あるいは仕方のないことと考えている援助者は、少なくても全体の30%にのぼる。
28 例えば、「施設長を経験した方からも、いざ問題行動に直面すると「なめとるのかと言いたくなる」という話を聞いた」(稲垣〔2001,P.105〕)、あるいは、「利用者が決められたことをしない時、怒鳴ったことがるか」という質問に対し、6割以上の職員が「はい」あるいは「援助上やむを得ず」と回答している」(平田〔2002,P.262〕)など。
29 註27の文献の他、空閑(2001)、松川(2001)、李(2002)、飯村(1998)参照
30 松川(2001,P.33)では、市川和彦『施設内意虐待』誠信書房,2000の中から虐待に至る援助者の心理過程からの分類を引き合いに出して論じている。その中で、他律型〜公的依存の傾向が強い人は、何かに志向しようがしまいが従属や同調が引き起こしやすいとされている。
31 また、空閑(2001,P.48)において、施設(上司・施設長)が集団生活の規則を遵守させようとするあまり、組織優先の考えから利用者一人一人の行動の自由や要求を押さえつけ、それが縛ったり体罰を加えることを正当化し続ける〜合法的支配、あるいは、2度3度と体罰が行われていくことによって罪悪感が薄れていく〜既成事実の圧力などがあることを論じている。
32 かくいう筆者も利用者が自閉傾向が強いばかりに何度も何度もしつこく同じことや実現不可能なことを言われたりして、イライラしたりうっとうしいと思うときもある。しかも、その場に20人近くの利用者がいて一人で対応しなければいけない場合、知らず知らずのうちに「黙れ!」と大声が出る場合がある。 もし本論で倫理について取り上げなかったら、そしてその対極にある虐待について考察をしなかったら、多分今も自分のしたことが悪いことすら思わず続けていただろう。
33 空閑(2001,P.50)は、虐待が横行している職場の中で、それを許さないと思う非同調者が複数いた場合、状況の圧力に屈することなく、自らの意見を表明することへの支えになると思われると述べている。
34 飯村(1998)では、虐待予防の意識がある知的障害者のグループホームとそうでなはないグループホームの比較から、それがどのような末路を辿るのかを考察している。
35 広井(1997,PP.140-141)参照。広井は、感情労働ではなく、ケア産業として位置づけている。特色として、相互性、時間、評価と分類している。中身としては、これまで述べてきた感情労働の特色と同じであるが、ケア産業がこれまでの経済のカテゴリーに含まれない要素を持っていることを明らかにしている。
36 生野(2003)参照。国会図書館のレファレンスから、ケアがどのような形で文献上扱われているかを調査している。一般に、ケアとは、「介護」や「看護」という意味で使用される。また、ケアは、単独で使用されることは少なく、在宅ケア、プライマリケアからネイルケア、ヘヤーケアなど複合で使われることが多い。
37 ジェンターとしてケアを取り上げた人の中では、ギリガンが有名である。ギリガンの思想については、村田(2002)や森村(2000)が言及している。
38 木立(2000,P.390)で、「ケアおよびケアリングの定義には、未だ定説はないようである。アメリカにおいては看護領域を中心概念として30年追求されてきたにもかかわらず現在でもケアおよびケアリングとは何かについてコンセンサスは得られていないと言う」
39 広井(1997,P.154-190)において、サイエンスとケアは分裂している状況を述べながらも、最終的には、サイエンスはケアに反転していくことを明らかにしている。科学の知見は、結局目の前にいる対象の実際に関わる以上、ケアの概念は失われないことを述べている。あるいは、木立(2000,PP.391-392)参照。
40 広井(1997)はケアをメタ科学として考える。あるいは、鷲田(1999)は、ケアの関係性を私的なものから出発して世界につながっていることを臨床哲学の視点で捉える。
41 森村(2000,P.84)では気遣いや配慮は古くは、古代ギリシャまでさかのぼるとされる。
42 利他的行為については、田中(2000)参照
43 浜口(2004)では、キリスト教に見られる教義からケアの要素について考察している。あるいは、木原(2005)では、コンパッションについて考察している。木原は、コンパッションが公共性の中でどのように論じられるべきかまで考察を進めている。
44 森村(2000)、鷲田(1999)、尾崎(2002)、廣森(2001)など参照。
45 山下(2002)、木立(2001)、安井(2002)など参照。対人援助技術の本質論は、ケアの本質への考察が多くを占めていると言える。
46 森村(2000,P.85)参照。この言説は、メイヤロフ『ケアの本質』の解釈に基づく。生の肯定については、松倉(2001,P.8)参照。松倉は一義的な(適応や訓練)を通した対象への働きかけではなく、多様な生き方を認めること、他者への理解への努力を通じて、その人固有の生の多様性に気づくことが生の肯定であると述べる。
47 鷲田(1999)、阿部(2001)、田中(2005)などを参照
48 村田(2002)では、ノッディングのケアリング論を参考にしている。ケアを受ける人にも、適切ににケアされるには、適切な応答というものがあること。ケアは権利だけではなく、受け手にも義務や責任があることを喚起している。
49 あるいは、安井(2002)参照
50 森村(2000,P.84-94)参照。この定義は、メイヤロフのものである。
51 尾崎(1997)参照。ここで、全能感、メサイヤコンプレックスなどについて言及し、相手の立場に立つにはどのような振る舞いが望ましいかを論じている。
52 木立(2001)では、それを観念的自己分裂という。
53 木立(2000,P.401)では、「ケアするものとケアされるものは、ケアの関係の中で、互いの意味世界の中に共通の意味ある内容を形成していく。それと同時に、ケアされるものとケアするものは、ケアの絆を通じて、お互いの意味世界を共有する。孤絶していた意味世界に水路が開かれ、意味という水の流れが生じる。このようなケアの関係は、全てを包み込む一つの世界の出来事なのである」と述べる。
54 身体の共有や他者性については、田中(2005)参照
55 己の存在を賭けてについては、鷲田(1999)参照。特に、「他者の前に臨む者がその場から立ち去らないこと。逃げずにいること。」(P.246)など
56 木立(2000,P.401)において、ノッディングズの言葉を借りて「私たちがどんな人でもケアできるわけではないと言う認識は、ケアという方針では何も出来ないわけではありません。むしろ、これは、喜んでケアをしようとする−そしてケアできるほど親密な−人々が、実際にそれが出来るような諸条件を確立し、維持することを目指して、わたしたちは運動するべきだと言うことを意味するのです」と述べる。
57 阿部(2001)参照。ルーマンによる相互浸透概念は、社会に規定される側面と社会に及ぼす個人のスタイルが社会に変革をもたらす契機になることを述べている。その上、社会には多様な価値があると同時に、それは個々人の中でさらに多様な価値観を創出する。それは、一見反道徳的で社会から逸脱しているような行動や思考形式であっても、それが個人から発せられることで、社会に新たなものとして提供され、社会がより複合化していくのである。
58 ケアの公共性や公共善については、村田(2002)、鷲田(2001)等を参照。村田はノッディングズを手が掛かりに、鷲田は、特にPP.210-221参照

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