『フーコー』
(桜井哲夫;講談社:現代思想の冒険者たち26:1996)



目次

第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
第7章


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第2章

北の街へ_フーコーのさすらい

科学的認識の障害
20世紀の芸術活動
20世紀の芸術活動の中で、マライメの詩、カンディンスキーやクレーらの抽象絵画、シェーンベルク、ウェーベルンらの12音技法の音楽に共通するのは、絶対的なものの崩壊、中心の喪失を起点にして、すべて人工的で自律的な世界を構築しようとする意志である。こうした二〇世紀前半の芸術活動は、ダーウィズムの衝撃のあとに始まったキリスト教的絶対者の崩壊を根底に据え、すべての物事を相互の作用、相互の関係の視点から捉えようとした。それは、一九世紀末のニーチェ(「行為、作用、生成の背後にいかなるものも存在しない。行為者とは多だ創造によって活動に付け加えられたものにすぎず、行為が全てである」)やエルンスト・マッハ(「自我も比較的強固につながっている要素群につけられた名称にすぎない」)の哲学に多大に影響されていた。
むろん、こうした流れの中に、ソシュールによる言語学革命が存在することはいうまでもない。すなわち、言語は社会的制度であって、普遍的な価値は存在しない。全ての意味は、語と語との関係の中で決定される。絶対的な言語の価値基準はない。全てはその都度作り上げられる価値体系に規定されるのである。

アルシーブ(資料集成)
どういう文章を組み立てるかという仕組みを規定している言語の制度をとおしゃべりされたことばをひたすら集めるだけの言語学の資料体との間にあって、アルシーブは、独特のレベルを明らかにするのだ。つまり、数多くのの発言行為を、規則を持った出来事として、処理や取り扱いのために提供された、そういう物事として浮かび上がらせる日常的な慣習行動のレベルというものを確定するのである。
アルシーブは、同時代の書物や発言を網羅するのではない。時間も場所も超越したような万能の図書館でもない。確かにある地域の、時代の断片の収集にすぎないが、我々の歴史認識や理性や自己認識が、時代を隔ててみれば、いかなる差異があるのかを確定するための手段を提供するのである。

認識論的切断
バシュラールの「認識論的障害」、「認識論的切断」
認識論的障害:科学的認識を阻む、世間の「常識」や古い知識や着想によって生み出される、ある事象に対する個々人の認識の差異が生み出す障害。
認識論的切断:いかに新しい科学的精神が生まれたのか知りたいのなら、その時代に様々に流通していた偽科学書がいかなるものかを知らないといけない。まさに、そうした新しい認識が生まれるのは「時代のまっただ中」なのだから。そうしたイデオロギー的な障害物と手を切って、新しい認識を生まれてくる状況を、彼は「認識論的切断」と呼ぶ。
科学の歴史的連続性の上に成り立つ伝統的歴史観(科学は絶えず連続的に進歩発展してきた)を否定する独自の「非連続主義」歴史観(連続的な発展ではなく、切断されてから発展するのである)


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第3章

『狂気の歴史』_精神医学の考古学

狂気と非理性
ガンギレムとの出会い
ガンギレム「心理学とは何か」
心理学の有効性は十分に確立されていない。客観性という点も不徹底だし、信条や経験を批判的に検証することなく取り入れるし、治癒が難しい神経疾患や精神疾患の研究から観察や仮説を提供されている点も、科学としては整合性に欠けるだろう。・・・人間社会と動物社会の間に、連続、非連続、どちらの関係があるのか分からないうちから、この行為の一般理論などがうち立てられるであろうか。
近代心理学は、人間を道具として規定する。効率的に利用する存在もまた、一種の装置である。装置的存在としての人間を考察するために、適応と学習の関係が観察され、適性検査が施されるようになる。かくして人間行動の心理を研究する心理学者は、自らを高みにおいて相手の人間を調査し、判断を下すという経営者的な精神構造を持つことになる。では、いったい誰が、心理学者をこのような人間の優劣を判断するような優越的な立場として任命したのであろうか。

ガンギレムの仕事
科学史は真実なものの歴史ではない。常にどこかに書き込まれている真理を段々と発見する歴史でもなければ、思想の純粋かつ単純な歴史ではない。様々な理論や発言が、どのように選別され、排除されて、現在の規範や認識枠が作られてきたのかこそが問題だ。
物理学の歴史においては、理論の定式化と構築を重要なポイントだとみなしているが、しかし、生物学の歴史においては、対象を設定し、概念の形式過程をたどることを決定的に重要だと見なしている。

「概念」の形成
長い生命の歴史の中で、時代ごとに作られる真実と虚偽を対立させる価値観から生まれる「真理」と称するものは、何回でも訂正されては、塗り替えられる「誤り」にすぎない。現在の真理とは、その意味で持ったも新しい「誤り」だということになるだろう。
通常の科学史では、発見発明の英雄物語だが、どのような人物といえども、その時代の教育によって条件付けられるのであって、突然誰かが全く新しいことを発見したり、発明したりするわけではない。問題なのは、そのような発見、発明を可能にする「概念」がいかに形成されてきたのかを発見することである。
「狂気の歴史」の中でも、基本的に問題とされているのは、理性に対して非理性や狂気という概念がどのように形成されてきたのか、ということなのである。

称賛と批判
沈黙の考古学
18世紀末に狂気が精神疾患と認定されてしまうと、狂人と正気(理性)の人との交流はなくなることが指摘される。そして、それ以後、狂人の言葉は忘れ去られ。理性の言葉である精神医学の「表現活動」は、狂人の沈黙を基盤として存在してきた。「わたしは、この「精神医学」の表現活動の歴史を書きたいと思わなかった。むしろ、私が書きたかったのは、こうした「狂人」の沈黙の考古学なのである。」
そして、狂気の歴史を書く上で、狂気そのものの原初的な状態を復元するのは無理である。だから「狂気」を「狂気」として認定し、捉えている、その時代の様々な制度やら学問やらの全体がいかに構造的に成り立っているかを研究することが主題となるだろう。

愚か者の船
ルネッサンス期、ラインラント地方の河やフランドル地方の運河を進む奇怪な船の存在。この船は、「狂人」という積み荷を都市から都市へと運ぶ船だった。狂人は、この時代には容易に放浪することができたが、町が面倒を見るのは、その町の市民たる狂人のみであり、よそ者の狂人は、町から外に放り出された。「愚か者の船」は、流入したよそ者の狂人を外部へ、彼らが出てきた都市へ運ぶ船であった。そして、この船は、いわば失われた理性を探し求めることを意味する船でもあり、また、狂人たちが船で赴く先は、「あの世」であり、船を下りることは「あの世」から帰ってくることであった。
17世紀になると、広大な監禁施設が作られるようになった。全ての貧困者を受け入れ、病気や食事の世話を引き受ける者とされたこの施設は、直接国王の権力と結びつけられており、18世紀には、ヨーロッパ全体に、感化院、救貧院などの収容施設が網の目のように張り巡らされることになる。

「狂人」の失墜
それまで、慈善を行ってきたキリスト教会の側が、控えめで秩序に「従順な良い貧乏人」と、不平を言い無為無能で秩序の敵たる「悪い貧乏人」と分けたことにより、貧乏や悲惨に対して向けれらていた神秘的な意味づけ(貧しき者こそ救われる)や、神が顕在するとされた力を失わせることになる。それはとりもなおさず、中性において神聖とされた「狂人」たちの失墜をも意味することになった。
そして、中性において、最高の罪は、貪欲であったが、監禁の世紀たる17世紀になると。怠惰であることが最大の罪になった。こうして、労働意欲を持つ者のみが、更正の意欲ありとされ、収容施設からの社会復帰が認められるようになったのである。こうして、監禁施設は、道徳秩序と一体化したものとなった。「国家秩序は、もはや、心の無秩序(精神障害)を許容することがないのである」

ミリュー(社会環境)
18世紀において、万能薬の神話はまだ機能していたが、治療という概念が、これに取って代わるようになったきた。万能薬はそれこそあらゆる病によってもたらされる症状を抑えるが、治療は、ある特定された病気を総合的に検討した上で、その症状を抑えることを目的とする。
従って、狂気の治療もまた、この治療概念の上に成り立つことになる。治療技術としては、狂気を浄化するために、下剤をかけ、水を浴びせ、水浴させるなどがあった。狂気は、悪であり、社会的な存在としての自分がないこと(社会的な規範が欠落していること)なのだから、その悪から回復させ、社会へ復帰させることが、治療の目的となるのである。
ここで、フーコーは、この新たな状況を規定する概念として、ミリューという概念を提示している。ミリューとは、自然から逸脱した人間のまわりに形成される「社会的諸関係」というものである。狂気が生まれたのは、人間が、動物たちのようなしぜんにしたがった生き方を捨て去って、自然の秩序に反するような社会環境・社会的諸関係を作り出したからである。狂気は、ある出発点を持って、次第に人間を取り巻く環境が複雑に、不透明になればなるほど増大していく病理となっていくのである。
そして、19世紀になると、狂気をやんだ人々の保護施設が生まれた。テュークの「隠棲所」田園に作られた、社会によって生み出された狂人の心を自然の中で落ち着かせる家族主義的な施設であった。ここでは、理性あるものが錯乱して、治療を施され、再び理性へと復帰するという図式が生み出されていた。この本質は、本来自由で責任ある主体である人間であることを自覚させ、その規範をもとに、己の足らざる点を自分自身に責め立てさせる方法が生み出されたことである。そのポイントは、常に他人の視線にさらさせることである。つまり、どのように自分が他人から評価され、見られているのかを意識させることであり、評価への意欲を生み出す役割を果たしていた。それは、自分で自分の意識を拘束することであった。「理性の神話」の枠の中にある。
こうして、医者は魔術師的な存在になり、そして、この保護院の内面的な有罪宣告のやり方を中止させたフロイトはまた、全ての力を、存在しているものに面と向かっては命令を下さない人間(分析者)としての医者を与えたが、かえって、意志を全能の神のごとき地位に据えてしまった。

批判の大枠は、フーコーの議論があまりにも歴史事実やテクスト、そして議論を単純化し、図式化しすぎているということになる。

どのような人間も、その人の生きた時代状況に規定されざるをえない。したがって、その時代ごとに、ある現象や事物を規定する、人々の「まなざし」がどのように形成されたのか、人々の内面の意識を規定する「概念」がいかに形成されたのか、が問うべき問題となる。そこに歴史分析の焦点を絞った点こそ、フーコーの仕事の本質があると見るべきなのである。既存の歴史観の上に立つ歴史家などが指摘する個別の歴史的事実やテクスト読解の非一貫性があろうとも、以上の観点から見れば、フーコーの『狂気の歴史』が、フーコーの仕事の基盤を作り出した重要な仕事であることは、間違いのない事実なのである。

まなざしの考古学

「どこが悪いのですか」
『臨床医学の誕生』の副題に「医学的まなざしの考古学」とつけられているように、『狂気の歴史』の最後の方で取り扱われた近代的な「医師_患者」関係の成立を、医師のまなざしという視点から考察したものである。
今まで「医学的認識についての『精神分析』が存在しなかったことを指摘し、現代医学の出発点を、18世紀末の数年間という時期に設定している。さらにこの「光=啓蒙」の時代が、いかに、個人のまわりに新しい関係を作り出す「まなざし」を生んだかを探求することがねらいだと語る。
病を「全身に関わるもの」と見なす立場から、人間の身体を「機械のようにいくつもの部品で構成されているもの」と捉え、病を、部品の故障として捉えようとする立場への転換
後に、病は、社会的な原因があるから、病への戦いは、悪い政府家への戦いから始めないといけない。政治化した医学は、単に治療技術の集合体ではなく、健康な人間とは何かを規定することにもなる。単に病気を説明し、位置づけるためであった「正常性」という概念が、きわめて重要なものとなってきたということである。
かくして、19世紀になると、これこそ、あらゆる医学的思考の中心となり、「正常_異常」の対立軸こそが、人々の病気に対する基本的な視点を形成することになる。
分析される死
饒舌なおしゃべりを排して観察するまなざし、ものをいう目の力、ある純粋な「まなざし」は、そのまま純粋表現活動になるだろうという神話が、臨床医学の出発点になる。それは、目に見えているものは、言い表すことができるものだとする立場である。それはまた同時に、誰にでも見えているのに、誰もきちんと見えていないものを「本当の言葉」に通じているもの(医師)のみが語れるということを意味している。
さらに、死体解剖から出発する病理解剖学の出現は、18世紀までの「死」という絶対的な事実に大きな転換をもたらした。生と病と死、この3つを結ぶ関係の中で、死体を病理解剖するする事により、個々の肉体の特質が、病の原因が明らかにされ、何が死をもたらしたのか明らかにされる。いわば、抵抗できない絶対的な事実としての「死」は、様々な形で分析され、分類されうるものとなる。かくして、目に見えないもの(死)が、目に見えるようになり、様々な形でその原因が表現される「死」が、それぞれの個人の独自性を浮かび上がらせることになったのである。

まなざしの帝国
様々な書物や発言の中に隠されている主題を明らかにすることではなく、それらの発言がいかなる規則(無意識的構造)に従って行われたのかを問う。
様々な発言や叙述がいかに形成されたかといった連続な追跡はしない。あくまでも、その発言や叙述が、いかなる規則によって行われ、様々に表現された言葉や文章が、それぞれの規則に従ってどのように特殊であるかを見定め、その規則の間の違いを分析することが考古学の仕事である。
作品(小説であれ、哲学書であれ)を分析する場合、それを書いた作者そのもの(創作の主体)を絶対視しない。というより、作者の意図ではなく、その作品を成立させている規則(無意識的構造)を明らかにすることが重要だ。
考古学は、作者と作品とが一体化しているとは考えない。作品は、その時代の規則の産物だからである。また、言葉を発した人間そのものに立ち戻って、発言が行われた状況を再現しようとはしない。問題は、あくまでも、その時その人間を捉え、言葉を発生させた規則(無意識的構造)なのである。


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第4章
「人間」概念の解体


「解釈」をうち砕く行為
19世紀になり、類似の基盤が無くなり、多様な解釈が発生し、そこにおける解釈とは、解釈がたどり着くただ一つの真理などというものはない。解釈の行為とは、すでに、制度として人々を支配している規制の「解釈」(支配的イデオロギー)を暴力的にうち砕くことなのである。だから、マルクスが生産諸関係の歴史を解釈しているというのは正しくない。マルクスが行っているのは、すでに存在している関係を、あたかも当たり前のものであるかのように見なしている「解釈」(支配的イデオロギー)を、暴力的にうち砕く解釈行為(分析)なのである。フロイトの場合も同じである。フロイトが行ったのは、患者が強制的に押しつけられている「解釈」(既成の道徳やら社会的な拘束)を解釈(分析)する事なのである。ニーチェにとっては、絶対的な真理など存在しない。様々な理念や用語は、上流階級が作り上げ、その「解釈」を下の者に押しつけているにすぎない。

『言葉と物』

類似・比較・分析
16世紀までは、「学問(知の体系)」を形作る基盤は、「類似」だった。この類似のシステムは、4つの考え方によって規定されていた。

しかし、16世紀後の体系は、類似という物に限界がないので、きわめて過剰であった。だが、同時に集約できず、まとまりのつかないものになってしまうので、いわば方法論的には貧困な物であった。にもかかわらず、世界は全て解読すべき記号=しるし(シーニュ)に満ちていると考えられていた。
自然界の事物全て、そこに現れた「しるし」によって読みとろうとする動きは、深い学識を持つことと魔術とを共存させる。ともに、世界の全てを読解しようという思考の産物なのである。
さらに、「知」に固有なことは、見ることでも証明することでもなく、解釈することである。こうして、ルネッサンスの時代は、類似の関係に基づいて世界が秩序づけられ、直接的観察と伝聞の区別が無く、深い学識と魔術が併存し「しるし」によって表された物の分析(解釈)によって特徴づけられることになる。
続いて17世紀になると、類似は、非理性と空想とを連想させるものとなり、狂人とは、常人から見れば、飛躍した類似をもてあそぶ存在とされるのである。だから、17世紀の世界を象徴するのは、比較であって、デカルトは、この比較を
という二つの形態から考えている。したがって、知のあり方としては、「分析」が中心となり、書かれたものが、そのまま真理のしるしであることが無くなり、さらに、占いもまた失墜する。

「構造」と「命名」
古典時代の知の領域について、個別に、言語(一般文法)、生物(博物学)、富の分析について論ずる
一般文法は、共通の普遍的文法のことではなく、各言語における分類の方法を規定し、一定の規則を生み出すことを目指すものである。そこでは、「主語_述語」の関係が成立することが重要となる。「である」という動詞によって、思考と行為の主体を指す主語と主語をうける述語との関係が生まれることになる。そして、ものに名前を与え、この名前でものの存在を名指すことが、言語の基本的任務となる。
博物学は、記号と世界が分離され、自分が見たこと(観察)と他人が見て述べたこと、そして他人の勝手な夢想を区別する。事物そのものに細心の分析を加え、そうして集めた事柄を、中性化した言葉で表現する。見ることが特権的な位置を与えられることになる。また、博物学は、19世紀の生物学とは全く違い、そこには進化論もなければ、「生命」を捉えようとする志向も存在しない。博物学とは、構造が備わっている、目に見えるものの相手をし、その特徴について名前を付ける人間のことである。
富の分析において、重農主義者も功利主義者も、唯一の富の源泉として土地に置いてる。重農主義者は土地が肥沃で生産過剰であるということを出発点に置いたが、功利主義者達は、土地の生産性が不十分なために人間の必要、欲求が生じている点に出発点を置いている。それは、同じ価値の品物を結びつけ、ものそれぞれの価値を定める基盤にあるシステムの基盤にある「価値」の中に見いだせる。

言語の形式化と解釈
生物学において類似の概念に沿って、分類が可能となる。進化という概念を生み出す。

近代の文献学の出現。文献学は、文法の形式的特徴の違いに基づいて諸言語を区別し、この形式的特徴を明確にすることを目的にする。
動詞は、一般文法における「〜である」という組み合わせの中で組み合わせられるものと見なされていたが、動詞はそれとつながる言葉から独立し、形容詞の表現機能からも独立している語基を持つのである。そして、名詞は、動詞から派生するのであって、従って、動詞の語基こそが、言語の繋がりを生み出していることになる。
そして、諸言語の間の類縁関係のシステムを規定する新たな方法が生まれた。原初にさかのぼらす、共通の語基の類似や文法構造の類似を比較することで、諸言語の検討が加えられていく。
こうして、言語は、言語そのものが「知の構造」であるというような、かつて持っていた中心的な位置を失った。そして、このような状況の下で、近代の思考は、言語に対して、二つの方向性を生んだ。
そして、この言語の形式化と批判的解釈は、共に共通の基盤に立ち、相互につながっている。言語を歴史的に生成されたものとして捉え、そこから解釈を行う場合でも、言語が文法を含め形式的構造を持つことを前提にしなければならない。一方で、記号論理などの形式化もまた、扱う言語の諸形態に関して、歴史的に形成されている暗黙の了解事項の下に始められるのである。
そして、言語何ら特殊なものでなくなった(平準化)結果、生まれた最も思いがけない出来事は、「文学」の出現だと述べる。近代文学は、「出発点も終点も見込みのないままに成長してゆく」

フィクションとしての「人間」

「人間」概念の解体
人間諸科学は、人間がその本質において何ものであるのかといったことを対象としない。この科学が論じようとする対象は、確かに、域、話、生産する人間なのだ。しかし、分析しようとするのは、ある言葉を発している人間の意識の深層に潜むものであり、経済活動の背後にどのような人間関係を維持するメカニズムが隠されているかということのほうなのである。
「機能」「対立=紛争」「意味づけ」から「規範」「規則」「システム」のほうへ重点が移る。2分法の否定。
また、この対抗科学は、常にそれぞれの時代状況によって役割も意識も規定されている存在で、普遍的な存在でないことを明らかにする。そこで行われる分析は、人間の意識の外にあるもの、つまり無意識だったり、ある民族の社会特有の秩序維持の記号システムや神話分析だからである。


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第5章
政治の渦へ

構造主義

構造主義とは
我々は、他者との関係の網目の中に生きているのであって、時代や社会関係に応じて「自己」は、その都度作り上げられているにすぎない。普遍的で固有な「自己」という名前の主体は存在しない。「何ものにも依存せず自立した主体」などというものは存在しない。我々は、いかなる時でも、生きている時代や属している社会の無意識的な構造(儀礼、慣習、イデオロギー)によって、あるいは社会関係、人間関係によって規定された上で判断を下し、行動しているのだ。
構造を論ずることは、構造が固定し、普遍であることを語ることではない。我々が、無意識的な構造によって規定されていることを認めることは、この構造を変動させれないものと認めることではない。むろん、構造主義は、現在の秩序を変えられないものと認める現状肯定のイデオロギーなどではない。

知の考古学
発言行為は、確かに、それぞれ何らかの形で主体を持つが、この主体は、言語学的な意味での主体ではない。つまり、発言行為は、それぞれ主体を持っていても、あくまでも発言行為が、どのような時代の中で、どのような言語の規則に基づいて、どのような諸々の社会関係の中で行われたかが問題なのである。
そして、ここで、フーコーは、一つの発言行為は、一つの文章が一つのテクストに属するように、一つの「言説を形作る形式」に所属すると論ずる。
ここでいう言説は、ある社会集団や社会関係に規定される「ものの言い方」や表現、論述を意味する。言説は、発言行為が集まってできたものであり、そうした発言行為の集まりが、どのような規則によって言説へ編成されるのであろうか。また、ある言説が作り出されるのは、どのような社会的文脈によるものなのか。どのような場所からそのような言説が紡ぎ出されて社会の表面に浮かぶあがってくるのか。
アルシーブ〜ある社会、分化の中の存在する発言行為の集合の出現を規定するシステムを解明すること。いっさいの序列もつけられないまま、起源を問うこともなく存在する資料の集積を読み込むこと、資料と資料をぶつからせ、様々な資料を横断し、あるシステム(無意識的構造)を解読すること、これが考古学の仕事なのである。


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第6章
「管理」のまなざし_『監視と処罰_監獄の誕生』とその背景

真理への意志
我々の社会では、人が語り、書き、記録する手続きの中に、語らせまいとする「禁止」の原理、「分離」と「拒絶」という排除の原理、そして、真実な言葉と虚偽の言葉とを分けるシステム(真理への意志)とが形成されてきた。特に最後の「真理への意志」は、出版社や図書館のシステム、かつて学者の団体(現在の研究所)などのよって支えられている。そのシステムの中で、学問上の知識が、それぞれの場所や人に割り当てられ、秩序を維持する基盤となっている。
したがって、こうした「真理への意志」というシステムこそが、社会の中で、人々が織りなす言論に最も圧力をかけ、拘束の権力として機能するものだとする。

『監獄の誕生』

17世紀から18世紀における処刑の形態の変化
すなわち、近代的な刑罰制度は、肉体的苦痛、身体そのものへの苦しみを与えることから、「閉じこめ」、すなわち「自由の剥奪」という方向に変わる。したがって、死刑も長時間に及ぶ残虐な身体刑ではなく、瞬間的なものとなった。かくして1792年3月からフランスでは、断頭台が持ちいられている。
そしてこの、肉体的よりも精神の処罰の転換は、裁判官の役割をも変化させた。裁判官は、かつてのように、犯罪そのものだけではなく、犯罪者の心理まで立ち入って、正常なのか、異常なのか、駆られの精神までも裁くようになっていったのである。
一方、人間の身体は、「政治」の領域に投げ込まれ、監視され、服従すべく、権力によって包囲されるようになってきた。この近代以降の社会で支配的になった、服従を生む「身体」への包囲網を明らかにすることが、フーコーの分析の目的になる。

刑罰の近代化
君主の身体刑→君主統治権にまつわる政治的儀式としての処罰
改革者達の形式→個人を方の主体と捉え直し、二度と犯罪を犯さないように、刑罰の効果を問題にする。

拷問ではなく、長時間の拘禁(権利剥奪状態)という「時間」を利用した処罰は、犯罪者だけではなく、それを目撃する民衆にとっても効果的となる。
市民に損害を与えた犯罪者を公益に奉仕する奴隷として利用すること。すなわち、公共土木事業に従事させること
処罰の意味を広く社会に知らしめること。処罰の公開化としての広報・教育活動
犯罪者英雄視を覆し、犯罪=悪の言説を広めること
社会契約の上での法的な主体を再構築することに目が向けられているが、監獄システムでは。「ある何らかの権力の、全体的であると同時に細部まで目が届く形態に従わせられた、服従する主体を形作ること」が目指されたのである。

管理・矯正装置形式→近代的監獄制度、監禁された身体の訓育による矯正。
刑罰の軽さ重さを調整する手段としての役割→囚人を矯正する手段なのだから、囚人が服役中にいい方に変わるなら、刑期などを調整することができるとする
何が正常か異常か、何が正統か異端かを決定しようとする「規格か」の権力の広がりこそが問題とする。犯罪者、飛行者に向き合う裁判官だけではなく、大学教授から医師、教育者、社会福祉施設職員まで、皆が「裁定を行うもの」たらんとして、身振り、行動、姿勢など全てをこの「規格に合致したもの」に合わせようと努めている。それこそが、近代社会の監禁のネットワークを支えているのである。

ディシプリン

身体管理の方法
17世紀の兵士の理想像は、遠くからも見分けがつく姿が理想であったが、18世紀後半になると、兵士の身体は「作り上げられるもの」となる。不適当な身体であっても、必要な機械をつくりあげられるように兵士を仕立て上げる方向が生まれた。農民であっても、その身に付いた立ち振る舞いを捨てさせ、兵士の立ち振る舞いを身につけさせた。
「ディシプリン」の技術は、最初は修道院経営の私立の学院から始まった。ずっと後になって、小学校、そして医療施設に広がり、数十年の間に、軍隊組織をその原理によって再編成化することになった。そしてその技術は、コレージュから公立の中学校、軍隊から大工場などへ広がりを持つに至る。

ディシプリンの技術
配分の技術

行動のコントロール
視線・処罰・試験
階層秩序を生み出すまなざし
管理を生み出すまなざしであり、階層序列化された「まなざし」による支配があらゆるところで行われている。互いに監視することによって。
規格化をおこなう処罰
試験
「規格(一定の水準)」を中心とするものの見方であり、個人の能力を量として測定し、視覚を与え、階層序列を決める権力の儀式。そこで受験生は権力者のまなざしによって、それぞれの試験の成績が文書として整理され、個人は「一つの事例」として登録される。

パノプティコン
「見る_見られる」という組み合わせを切り離す仕組みで、周囲の円環上の建物の内部では、そこにいる人物は、完全に見られているのだが、決して監視者を見ることができない。一方、中央の塔にいる監視者は、全てを見ることができるが、姿を囚人から決してみられることがないのである。
この装置は、権力を自動化し、非個人化する。結果的に、この権力を行使するのは、誰でも構わないのである。

下部の法律
ディシプリンの機能における転倒
規律のイメージから多くの人間が集まったため不都合な事態になるのを防ぐといったことであった。しかし、いまや、自らの力を引き出すための技術になり、訓育の技術ともなる
ディスプリンのメカニズムの分散化
閉鎖的な場所での管理ではなく、広がりを持った柔軟な管理へと「規律」の装置のあり方が変わる。学校では、家庭訪問などで生徒の家族のあり方までもその指導の中に加え、病院もまた、治療だけでなく、医療的な監視へと広がりを見せる。
ディシプリンのメカニズムの国家管理化
張り巡らされた「治安取り締まり」によって、少数者に、あるいは唯一のものに即座に大多数の人間を監視させられる社会。
規律を支配する社会
ディシプリンは、人間の多様な行動を配列し、まとめ上げる技術である。
身体を現実的に統治・管理するディシプリンの原理は近代の形式かつ法律的自由の「地下」を形成するものである。啓蒙思想は「自由」と同時に「ディシプリン(規律)」を生み出した。いわば、自由、平等という丈夫の法律的構造のものに、ディシプリンは「下部の法律」として存在する。
ディシプリンは、病院、工場、学校を秩序化しただけでなく、身体を服従させるその管理技術によって得られた知識の積み重ねが、臨床医学、精神医学、児童心理学、労働の合理化などの発展の道筋を開いた。また、今日の刑罰の理想とは、終わることのない尋問、試験なのである。学校でも監獄でも病院でも「規格化」の専門家達が、いわばこのディシプリンの技術を行使している。学校や病院や工場が、監獄に似ており、また、監獄が、学校や病院や工場に似ているのは少しも不思議ではないのである。


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第7章
「性」と「権力」の迷路_フーコーの最後の苦闘

性という現象〜『知への意志』

性を巡る「抑圧の仮説」
抑圧されてきたという仮定が真実なら、性について語ることは、それだけで反体制的な行為となるし、同時に、性の告白には、多数の聞き手がいるので商品価値を持つことになるからだ。
17世紀、これを抑圧の始まる時代とし、セックスを口に出すことをはばかることが支配的になったとされるが、本当のところ、この3世紀というもの、性に関する言説の爆発という現象が見られるのは、なぜか。
それは、権力が、人々に性について語ること、告白することを要請したからだ。18世紀に至ると、国家は、労働力の確保という視点から「人口」を政策的な課題とする。人口の問題は、出生率の問題であり、生殖行為の問題でもある。従って、国家は、おおもとの「性」を支配し、統御するためにも、「性」について詳しく知らねばならなかった。
さらに、18世紀、19世紀には、正規の婚姻による夫婦関係を正常とするシステムの作動によって、規範的な夫婦関係については。性行動も含めて語られることが少なくなった。その代わり、人々が問題とするようになったのは、少年の性行動であり、狂人や犯罪者の性行動、同性愛者の性行動であった。
さらに、かつての男色者は、禁じられた罪人であり、異端に戻ったものであったが、19世紀には、同性愛者は、一つの貌を持った人物であり、一つの種族となったのである。露出狂、冷感症、視姦愛好症など、それが一つ一つ位置づけられ、分析の対象となる。そして、こうした動きは、性的な異形性をも医学の対象とするのである。
つまり、19世紀には、「性的に飽和状態にする装置」を生み出す。一夫一婦制を基盤にした正常な性行動の夫婦関係のまわりに作り出される「家族」という装置にあっては、成人と子供の分離、夫婦と子供の寝室の分離、授乳、拇指の衛生状態への指示、少年と少女を引き離しておくこと、少年期の性行動の監視などが繰り広げられたのである。

権力は絶えずどこでも生産される

権力とは何か

性の装置に対する反抗の拠点は、欲望としてのセックスにあるもではなく、身体と快楽なのである。

管理社会と闘争

フーコーの夢想
いかなる権力によって、人は、いかに自発的服従をする「主体」へと導かれるのか。このことを明らかにすることで、人がいかなる権力から解放されるべきなのか。「闘争」の対象を設定することができる。
近代的な主体概念とは全く異質な主体概念を発掘すること。近代的主体概念に完全に支配されてきたために、我々は、それ以外の個人のあり方に盲目的になっている。感受性も身体の感覚も、性の規範も全く異なる近代以前の「身体」に関わるモラルを見いだすことは、我々の脱出の道筋の指針となりうるかもしれない。

司牧システム

個人を個人たらしめる権力

司牧システムがもたらした「知」の発展

つまり近代国家は、新しい政治形態の中に、古いキリスト教の権力技法、すなわち司牧システムを導入したのである。この近代の司牧権力は、国家の人口を構成する住民の健康、福祉、安全を守る(現世での救済の保証)システムであり、この結果として、官僚層が増大し、18世紀にいたって、警察機構が成立した。それと同時に、家族もまた、この秩序を補完する役割を担うべく再編成されたのである。かくて、この権力は、傘下におさめる人々を、国家の人口として把握し、数量的に管理し、さらに、個々人についてデータを作成し、分析できるような「知」を発展させたのである。

朋友愛の探求

おのれ自身からの離脱
その好奇心というのは、知る価値があることを吸収するたぐいのものではなく、おのれ自身から離脱することを可能にしてくれるような好奇心なのである()
人生には、今考えているやり方とは違ったやり方で考え、今見ているのとは違ったやり方で認識することが可能なのかどうか知ろうという問題が、これからも続けて物事を考慮したり、あるいは考察してゆくためには不可欠だというときがやってくるものなのだ。人は私にいうかもしれない。こうした自分自身とのゲーム等というものは、舞台裏にとどめて隠すほかないものだとか、せいぜい仕事が終わったときに自ずと消えてしまうような準備作業の一部にすぎないのだ、と。
しかし、哲学、個々で私は哲学という活動のことを言っているのだが、もし、それが、思考自身についての思考を批判する仕事ではないとしたら、今日、哲学とはなんだろうか?もし、哲学が、すでに知っていることを正当と認めさせるかわりに、今と違ったやり方で考えることが、どのように、どこまで可能なのか知ろうと企てないのなら、哲学とはなんだろうか?

私の役割_等といったらあまりにも仰々しい言葉なのですが_人々に自分が考えているよりも遙かにずっと、あなた達は自由なんだよ、といったり、歴史上のある時期に作り上げられたテーマを真実だとか、明らかだと思いこんでいる人々に、明らかであるとされていることなんて、いくらでも批判できるし、覆せるものなんだよと示してやることにあるのです。


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