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ライブの熱のさめぬまに

〜バックナンバー〜

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1975-01 2001.4.9 aiko 今だ さめず
私は1975年の「つま恋」にいました。
全くもって古い話で恐縮ですが、私にはついこの間のように思えるのです。
  8月2日。ギラギラの太陽が真上から照り付けてくる頃、5万人とも7万人ともいわれる人の波が多目的広場に流れ込んでいました。
私はまさに「大河の一滴」だったのです。その海はのびやかな海岸線を描き、打ち上げられた波のように小高い丘の上まで人があふれています。
実は私は拓郎氏のファンでした。隣にいた親友の彼女はこうせつ氏のファンです。
大海を前にした拓郎氏が叫びます。
「おーい!みんな見えるかい?後ろの方も見える? オレだよオレ! こうせつだよ!!」
以後、私たちの挨拶は「オレだよオレ!」と声かけ「こうせつだよ!」と返すのが常となっていました。
拓郎の歌に酔いしれ、かぐや姫に涙した私は、翌年3月、彼女とともにこうせつ氏の武道館ライブにも出かけました。
こうせつをこよなく愛する方には失礼な話かも知れませんが、少しお聞きください。
私は武道館を成功させたこうせつ氏にはつま恋の悔しさがあったのではないかと考えるのです。
「つま恋」は夕方の5:00から翌朝5:00までの徹夜コンサートでした。
だけど12時間ぶっ通しで演奏されていた訳ではありません。
1部が拓郎。2部かぐや姫。3部拓郎。4部南こうせつ、風、山田パンダにウィークエンドの飛び入りがあって 5部拓郎。
という順番で間、間に1時間余りの休憩がはいりました。時間的にソロのこうせつ氏が歌われたのは『草木も眠る丑三つ時』だったのです。
一日中、炎天下にさらされていた観客の疲労は極限に達し『嵐の航海』ですら子守唄となってしまいました。(私、寝ておりません!)
必死で盛り上げようとするこうせつ氏、仕方ないよとあきらめ顔の正ヤン&大久保君ペア、僕はとっても楽しいとスマイルをくずさないパンダさん、まことに個性的でありました。
あの時、こうせつ氏がどのように感じておられたかは私などが知る由もありませんが、武道館で私は本当に良かった・・・と思ったのです。
こうせつが屈辱戦を果たしてくれた!
アリーナ席にいた私は最後に皆と舞台下に駆け寄り惜しみない拍手を送ったのです。
勝手な言いがかりかも知れませんね。ごめんなさい。
ライブとは、アーティストと観客がひとつになってエネルギーを産み出すものなのでしょう。
四半世紀を超えた今でも「つま恋」は私の原動力になっていると思うのです。
あの空気を思い出すだけで、なんだか元気になれる!!彼女もきっとそう言うにちがいありません。

 
1976-01 98.5.2 かくれファン 古くてすみません
こんにちは チョット かわった ライブレポートいいですか? わたしが はじめて こうせつを生で見たお話です。
時は1976年 7月28日(今から22年前 こうせつ 27歳 わたし 14歳でした)
場所は 愛知県体育館(当時の名古屋では 最大の会場でキャパで8000人です。 いまならレインボーホールも 名古屋ドームもありますが…)
当時を振り返ってみると こうせつは この年 76年の3月に初の武道館公演を成功させ(5月に追加公演)ソロ活動のとっかかりをつかみ ボルテージのあがってる時だったと思います。(彼自身「神田川には頼らないから しばらくは歌わない」と言っていた時期です。)
今からは あまり考えられませんがこの当時は わりとポピュラーだった いわゆるジョイントコンサートでyui のARTISTたちの ステージの トリとして こうせつは登場しました。
これも 今からでは信じられませんが 何と 全自由席(!)で わたしたちは 前日夕方から 並んで 体育館のまわりで 夜明かししました(もっと早くから 並んでいるひともいて わたしたちは 9列めくらいでした。)
当日の出演者は…・・ ■田口清(元・猫のメンバーで 風貌がパンダさんに 似ているため 暗転のステージで セッティング中に 会場から「パンダさーん」と声がかかっていました。)
 ■ウィークエンド(ご存知 山本コータロー氏のMCは 面白かったです)
 ■山田パンダ(しっかり笑わせてくれました。 もちろん黒いギブソンで 歌もしっかりきかせてくれました。)
 ■そして 南こうせつ(黒白の荒いストライプのスラックスに 白のシャツ
 ギターは武道館のオープニングでおなじみの YAMAHA L−52をベースに伝説のギタービルダー テリー中本氏が組み上げたBLACKのこうせつモデル
 それから同じシェイプで ナチュラルでヤマハNシリーズのべっ甲柄のピックガードをつけたモデルを使い分けていました。
こうせつのMC……実はこの前日に あの田中角栄氏がロッキード事件で逮捕されたので この事をかなり 批判してました
 20年以上たった今も 政治家のスキャンダルは かわりませんねえ
 そういえばこの日「わたしも27歳でパパですけど」 といってたこうせつも この時は1歳半の新米パパだったのですね
当日の演奏曲……やはり 武道館の時の曲を中心にした選曲でしたが オープニングは わたしも生で聞いたのは
 この時が最初で最後の あの曲でした!

 M 1 マイ・ダーリン
 M 2 来年も来るよ
 M 3 九州へ帰る友へ
 M 4 何処にも行かない(夏の光)
 M 5 さよならの街
 M 6 ね が い
 M 7 今日は雨
 M 8 うちのお父さん
 M 9 たぬき囃子
 M10 ヘイ ジプシー誘ってくれ
 M11 幼い日に
 アンコール
 M12 いつもふたり
 M13 朝が来るまで
参加ミューシシャン…… EG水谷公生 EB武部秀明 KEY佐藤 準 DS田中 清
以上 10年をひとむかしとするならば 二昔も前のお話でした 失礼しました

 
1982-01 2001.1.6 kuni 19年前のツアー
1982年4月22日渋谷公会堂

ギター 水谷公生
ベース 岡沢茂
キーボード 佐藤準
ドラムス 菊地丈夫
パーカッション 石井宏太郎

夏の少女
月夜の晩に
白馬村から
遅れてきた男
何処にも行かない

〜一人で〜
少女人形
海と君と愛の唄
来年もくるよ
〜佐藤準と二人で〜

窓を開けてごらん
朝がくるまで
満天の星
ひとりごと
美映子
ヘイジプシー誘っとくれ
淋しい鞄
   コンサートツアー

〜アンコール〜
Tears
あの日の空よ

この夏、第二回目のサマーピクニックをオールナイトで行うこと、その前に野音で久々のプライベートパーティーを行うことが発表され、大変盛り上がりました。
「満天の星」誕生のいきさつなども披露ました。

弾き語りでの「海と君と愛の唄」は、歌詞の間違いはあったものの、(二番 めぐり来る季節は若さの翳、の部分を一番と同じに歌った)歯切れのいいスリーフィンガーと力強いストロークのギターが印象に残っています。
また、「ひとりごと」演奏の前に水谷さんらとひそひそ話し、サビの部分はバンドが高音、こうせつが低音で歌いました。
こうせつ、まだ長髪でした

 
1984-01 2004.5.22 ☆まに〜 84年12月13日 八王子市民会館
私が首都圏で初めて見た生こうせつ。
当時「東中学」の先生役をしていて、「せんせー!!」という観客の声援が多かった記憶があります。

1.マキシーのために
2.百万マイル気分
3.風をくらって
4.流れ星
5.風の竪琴
6.赤ちょうちん
7.夢一夜
8.上海エレジー
9.名物せんべい
10.街
11.ひとときの別れ
12.ハネムーンの島
13.窓を開けてごらん
14.どうせ人生に迷うなら
15.さよならにかえて
(アンコール)
16.満天の星
17.グローリア(賛美歌)
18.愛する人へ

 
1985-01 2004.5.22 ☆まに〜 85年4月22日 日本武道館
1.ハネムーンの島
2.百万マイル気分
3.流れ星
4.ひとときの別れ
5.赤ちょうちん
6.夢一夜
7.上海エレジー
8.うちのお父さん
9.愛する人へ
10.海を渡る風
11.めぐる春
12.さよならにかえて
13.マキシーのために
14.風をくらって
15.窓を開けてごらん
16.どうせ人生に迷うなら
17.夢のはじまり
(アンコール)
18.おもかげ色の空
19.満天の星
(再度アンコール)
20.神田川(ソロ)

・飛行機嫌いの自分も、ついに最近は飛行機に乗るようになった。昨日、飛行機のトイレに入っていたらすごい揺れて、周辺を水浸しにして収拾がつかなくなり、「いやぁ困るなぁ前の人は」と言い訳しながら出てきたけど、あれは私です、すみません。
(僕もデート中だったので、困るなぁと思いました、すみません)

・車の免許をとった、女性の路上試験に後部座席で同乗したが、彼女はすごい緊張していて「右ヨシ、ヨシ、ヨシ、ヨーシヨシ」とパニックになっていた。

・ロックやヘビメタは他の人に任せて、これからは原点に返って、アコースティックギターを大事にしていきたい。

アンコールが鳴り止まず、最後の最後に出てこられて、意表をついた「神田川」。それまで比較的静かだった場内から、津波のような拍手がわきおこったのを覚えています。

「武道館」はこうせつさんが開拓したという認識があって、18歳で僕は大学にすべったけど、当時唯一「武道館」で入学式を行う予備校に受かったのがむしろ嬉しくて、入学式には始発電車でかけつけて最前列を取り、ステージや日の丸の国旗をまぶしく見上げたのも、コンサート中に思い出しました。

 
1986-01 2004.5.22 ☆まに〜 86年3月22日 埼玉県戸田文化会館
武蔵野線に乗って、キャパ900人ぐらいの会場に駆けつけました。

1.空のてっぺんにドラム缶の穴
2.僕の胸でおやすみ
3.シンガポールナイト
4.夏の終わりに
5.昨日にさよなら
6.僕の気分はラララ
7.うちのお父さん
8.帰郷
9.街
10.雪が降る日に
11.妹
12.星空列車
13.君と一緒なら
14.Cindy
15.風の唄
(アンコール)
16.上海エレジー
17.コンサートがおわって

切符は2枚買ったけど隣はついに現れず。でもステージは、決まった時間にこうせつさんが現れる。ありがたいことだなぁと思いました。いろいろ思うことがあって、お礼を言うために「出待ち」というものを初めてやってみようと思い立ち、しかし実際にご本人が現れたら、周辺の追っかけお姉さんたちとは裏腹に、極度に緊張して、お礼の言葉が出てこない。

私:拓郎さんホントに引退したのでしょうか?何とかカムバックさせてください。
こうせつさん:(怪訝な表情で)たくろう?歌うよ、そのうちにね。

汚い手帳しか手元に無くて、にもかかわらず笑顔でサインを頂き、回されたベンツで去っていった大スター。何言ってんだ僕は、とすっごい自己嫌悪。

84年八王子(こうせつ35歳、私が22歳)、85年武道館(こうせつ36歳)、86年戸田(こうせつ37歳)の曲目は、僕の42歳誕生日記念にと、Kさんから頂きました。当時一緒にどこかで観ていた、今も元気に観ている、そして何よりこうせつさんが今なお現役でおられる、とてもとても嬉しい事です。

 
1990-01 2002.5.4 マニラにて 1990年5月8日岡山市民会館
僕は当時、倉敷市内に勤務しており、新幹線で新倉敷から岡山まで駆けつけてオープニングに間に合いました。
1.夏の少女
2.うちのお父さん
3.シンディー
4.僕は風になりたい
5.幼い日に
6.妹
7.22歳の別れ
8.僕の胸でおやすみ
9.新曲(アルバムステラから)
10.さよならに嘘はつかないで
11.神田川
12.歌って笑って
13.窓を開けてごらん
14.どうせ人生に迷うなら
15.時は来たれリ
アンコール
16.満天の星
17.男達よ
18.あの日の空よ
「サマーピクニックは今年でやめます。年齢的に、曲のエンディングで  飛び上がっても10センチぐらいしか飛べないから」  と言っていました。

 
1996-01 97.10.3 齋藤剛 96年10月山口県山陽町のゴルフ練習場
去年のことでスミマセン。山陽新幹線の新設駅設置基金の一貫として山陽町の青年会議所の若い方(詳細間違っていたらまたまたスミマセン)が企画して、なんとゴルフ場隣接の練習場の傾斜芝生面を解放しての屋外コンサートでした。

当日は素晴しい秋空で、町のじいちゃん・ばあちゃんや子供も参加していました。私も妻と8歳と6歳の子供を連れていきました。内容も素晴しく、芝生の傾斜で遠くからでもこうせつ氏の顔がよく見えました。
音響もすばらしく個人的にも大好きなDr.Kのギターも満喫させていただきました。料金も3千円くらいだったと記憶しています。

約1ヵ月後の【週末はログハウスで】オンエアーでこのコンサートのコメントをこうせつ氏がしていましたが、『山口県の南陽町』と間違えていました。確かに、その夏に"山口県新南陽市"で野外コンサートを行っているのですが、 明らかに記憶ちがいです。No1.の加藤さん指摘されていますが、全国各地を回っているので記憶が絡まっているのか、歳のためか(下半身は未だ最高潮のようですが)と一ファンとして心配したりもします。でもファンとしては精力的に全国各地を廻ってもらえてありがたい限りです。
これからも益々頑張ってかっこいいライブをとどけてください。期待しています。

カリフォルニア州より

 


1997-01 97.09.27 NATSU 9月19日町田市民ホール
9月19日、町田市民ホールへ行ってきました。
コンサートが始まってすぐ、こうせつさんが「町田でコンサートをするのは初めてです」と言われたところ、客席から「前にも来たよ」 と指摘されてしまいました。
最初のアコースティックなステージがじっくりとよかったです。「風をくらって」のアレンジが私ごのみですてきでした。

町田だし正やんでも飛び入りで来ないかしらと思っていたら、アンコールの時にXのToshiさんが飛び入りで来られました。このあいだ のMusic Fairのお話を少しされて二人で「僕の胸でおやすみ」を歌ってくれました。Toshiさんはこれからフォークの道を行くのかしらね。

 
1997-02 97.11.19 虹色中年 ちょっと古いお話で
はじめまして、お邪魔します。
わたし8月2日の兵庫県宍粟郡(しそうぐん)波賀町で行われたコンサート見に行きました。
わたしは隣町安富町より行ったのですが凄くよかつたです。
後日ベンチャーズの記念イベントがあるという事でこうせつさんもベンチャーズの曲を演奏され盛り上がりました。
11月21日には岡山でされるとのこと行ってみたいですけど・・・・

 
1997-03 97.12.22 としべぇ 石井社長を見っけ!
12/19(金)の渋谷公会堂のコンサートに行きました。
10分位前に着席したのですが、斜め後ろになんと
「グリーンパラダイス」恒例の石井社長を見つけました。
ファン同士の様に微笑んでしまいました。

こんなファンがいるこうせつさんって、やっぱりいいよね。

 
1997-04 97.12.25 NATSU 12月20日渋谷公会堂行ってきました
12月20日の渋谷公会堂、行ってきました。前から5列目でした。
この日私は風邪その他でたいへん体調が悪く、声を出せば咳きこむし、鼻はズルズル。
ひざの上にハンカチ・ティッシュ・のど飴をひろげたうえでの開演となりました。
静かにおとなしく見ているしかなく、まわりが立ってもすぐには立てない状況(ひざの上がちらかっているので)。
うちのお父さんが始まった時こっそり鼻をかんでいて(そんなことしてる場合か!)、目をあげたらこうせつさんがすぐ前にいてあーびっくり!。どうしようもなかったんです。こうせつさんに鼻かんでるとこ見られたかしら。
声も出せないし、すぐに立てないし、とってもノリの悪いヒトになってしまいましたが、心のなかでは盛り上がってたんですよ!

ずっと関西に住んでいたので渋谷公会堂は今回がはじめてでした(座席が狭いなあ)。
今回の曲目は9月のコンサートとは少し違っていました。もうTOUR'97も終わったのでここに書いてしまいます。
曲順はすこしあやふやなのでまちがっているかもしれません

   
9月のコンサート12月20日渋谷公会堂
初恋は夢のようにこんな静かな夜
帰郷
さよならの街
風をくらって去りゆく友へ
息子風をくらって
由布院由布院
春に想えば息子
ヘイ・ジプシー誘っとくれ春に想えば
雪が降る日にヘイ・ジプシー誘っとくれ
うちのお父さん雪が降る日に
夢一夜岩を砕く花のように
葡萄の季節夢一夜
神田川風のように星のように
淋しい鞄神田川
僕の鏡うちのお父さん
初めて地球へ来た人達へ淋しい鞄
<アンコール>初めて地球へ来た人達へ
僕の胸でおやすみ(WITH Toshi)<アンコール>
心の虹心の虹
満天の星満天の星



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