梅  屋  敷 (公 園) 
(2007.12.11)

 文政のはじめの頃(1820年頃)、東海道筋で”和中散”という有名な道中薬を商っていた山本忠左衛門という人の息子の久三郎が、 梅の栽培の盛んな近在から集めた梅の木や椿などを植えて庭園と休み茶屋を造り、酒肴を出したりした。すると文人や行楽の客、 東海道の旅人などが集まって賑わうようになり、”蒲田の梅屋敷”と言われて江戸の名所になった。特に梅の開花期は大変な人出だったらしい。
 安藤広重の江戸名所百景にも描かれ、徳川十二代将軍家慶が鷹狩りの途中に立ち寄ったり、 幕末には木戸孝允、大久保利通、岩倉具視、伊藤博文などが国の行く末を論じる会合を度々持ったともいわれる。 明治になって以後も、明治天皇がこの庭園をたいそう好まれ、九回も行幸して自らも梅の木を植えたり、大正天皇や皇族方も立ち寄っている。

 しかし残念なことに、1918年(大正7年)の第一京浜国道の拡幅工事と京浜急行電鉄の開通で庭園の大部分が削り取られ、庭園としての往時の姿を失ってしまった。 残った部分は、昭和に入って当時の東京市に寄付され、現在は大田区が管理する 公園(梅屋敷公園)となっている。

 とは言っても、園内にはまだ 梅林の一部や幾つかの 石碑(復元したものを含む)が残っており、 いささかではあるが往時の名残に触れることはできる。

 梅屋敷公園の近くには、旧東海道(三原通り)がある。

 
参考資料:学生社刊 大田区史跡散歩


所 在 地 東京都大田区蒲田3-25-6
交   通 京浜急行線梅屋敷駅下車、徒歩5分 (地図を参照)