万   福   寺
(2007.12.11)

 
 曹洞宗の寺で、山号は慈眼山、院号は無量院。1192年(建久三年)に梶原景時が源頼朝の命令で、 荏原郡大井郷道塚(現在の品川区大井鹿島付近の浜辺)に建立したのが始まりと伝えられる。 現在の所在地である馬込への移転は、1320年(元応二年)に火災にあったためとか、 浜辺にあったので波浪によって寺域が浸食されるのを避けるために応永年間(1394−1428)に移転したとかの諸説があるが、確なことは分からない。 しかしかなりに古刹であることは間違いなく、寺内にはいくつかの史跡や文化財がある。

−梶原景時の墓−
 墓地に梶原景時に墓とされる五輪塔があり、 地輪の正面に”梶原平三景時之墓”と刻まれているが、塔の様式や法号の大居士の表現が時代にそぐわないなどから、 後世になってつくられたものではないかと言われている。

−日待供養塔−
 高さが3.1メートル、新しくつくられた台石を含めると約4メートルにもなるも立派なもので、 1638年(寛永十五年)に馬込村の住人二十三名によって建立された。 もとは中馬込の梶原塚と呼ばれる場所にあったが、昭和30年に当寺に移された。 大正時代まで馬込に残っていた日待ちの習俗(田植えや収穫の後に集落の全員が集まって会食をすること) の資料として貴重なものとされ、大田区の文化財に指定されている。

−阿弥陀三尊立像、板碑群、馬具−
 いずれも大田区の文化財に指定されている。 ただし、残念なことに非公開であるために一般の人は見ることができず、境内に立てられている解説板で我慢するしかない。

−その他−
 馬込に住んでいた室生犀星の句碑、 日蓮が参籠した際に寄贈したとされる”鬼子母神”の石像、女性奇術師の初代”松旭斉天勝”の墓などがある。

 また近くには磨墨塚熊谷恒子記念館龍子記念館がある。

 
参考資料:学生社刊 大田区史跡散歩


所 在 地 東京都大田区南馬込5-2-11
交   通 JR京浜東北線大森駅下車、バスを利用
     山王口から東急バス(荏原町行き)に乗り、
     ”万福寺前”で下車、徒歩10分 (地図を参照)