2003年8月15日 更新

   音楽と出会い   


  音楽との初めて出会い それは胎教音楽

これは後で判ったことなのですが、それは意識のある以前の話、胎児から新生児の時代と思われます。母が良く子供を抱きながら教会の賛美歌を歌っていたのです。無意識のうちに私の潜在記憶の奥深くに刷り込まれた音楽なのです。わかったきっかけは、義理の弟が教会で結婚式を行い、みんなでお祝いの賛美歌を歌いましょうと歌詞カードを渡され伴奏が始まると次のメロディーが頭に浮かぶのです。歌詞を見ながら大きな声で歌い上げました。それは、伴奏のオルガニストがこっちを振り返るほど大きな声で上手に歌えたのです。教会でならった覚えはありません。グレゴリオ聖歌を聞いたことが有りますが、歌ったことは有りません。
また、友人が急逝しその葬式が教会で行われた際も、同じように伴奏が始まるとメロディーが頭にすぐ浮かぶのです。譜面を見て目で追っかけて歌うのでなく、心の底からメローディーが浮かび上がるのです。ここでも友人の冥福を祈って会場に響き渡る声で歌いました。
バッハやグレゴリオ聖歌などに心引かれるのは、母が歌っていた教会の賛美歌の影響かもしれません。

  初めて意識して聴いた音楽
いま時点ではっきり覚えているの初めての音楽は、童謡の「花火」 「時計台の鐘」 ハチャトリアン作曲「剣の舞」のSPレコードです。「時計台の鐘」は、父親に頼んで札幌のレコード屋で買って来てもらった覚えが有ります。
Victorの5球スーパーラジオのAUX端子にポータブルSPプレーヤーを繋ぎ、鉄の針を交換しながら聞き、何度も聞くので鉄の針がすり切れて、当時とても高かったダイアモンド針に交換してもらって、その音の良さにびっくりした思い出が有ります。その後、コロンビアのHifi電蓄が入り、さらに音が良くなり、このころからLPレコードを頼む様になりました。

  ピアノを習い始める。 
北海道 苫小牧から東京の青山に移動して、環境ががらりと変わりました。苫小牧時代に44鍵のオルガンがあたったのですが、どうも音が気にくわないのと、あまり良い先生がいなかったのであまりうまくなりませんでしたが、東京青山で隣の子供がピアノを習うので一緒にやらないかと誘われ、小学校1年から、ピアノを習いはじめました。おきまりのバイエルの教則本の赤を習い始めました。自宅にピアノがないのと、オルガンのタッチの違いで、あまり練習せずにピアノの練習をほとんど初見でピアノをならったので、譜面を読むのがうまくなりました。
後の国立音楽大学ピアノ科の教授になった先生は、音楽に厳しく、ピアノのほかに、歌唱、聴音と1時間のなかで初めての生徒でしたので熱心におしえてくれました。この時代の音楽教育のおかげで、歌うこと、譜面を読めること、絶対音感、和声の分離ができる様になり大変感謝しています。
このころLPレコードが発売されました。初めて手にしたLPレコードは、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア交響楽団のベートーベンの交響曲 5番 「運命」です。同時にルドルフ・ゼルキン演奏 ベートーベン作曲 ピアノソナタ op14 「月光」も買ってもらいました。まだモノラルで、NHKのラジオ、第一放送と教育放送を使ってステレオ放送の実験が、はじまったばかりでした。

小学校時代には、木琴、ハーモニカ、リコーダー、等が学校の教材として使われリコーダーの演奏がうまい人にだけが横笛のピッコロが与えられるなど、結構音楽教育が盛んな学校でした。

  本物の音楽との出会い

本物との出会いは、悲しい出来事に始まりました。小学校の5年の時に保健の先生が心臓発作で殉職したのです。
その学校葬の際に当時PTAの役員をやっていた「安べー」こと「安川加寿子」さんのショパンの葬送行進曲の演奏が有りました。当時東京芸術大学のピアノ科の教授であった「安川 加寿子」さんが無償でこの演奏を引き受けてくれました。この曲を聴いて涙が止まらないほど感動した初めての演奏でした。心の琴線が育ち初めていたのです。たぶん生の演奏でなく、レコードであったらこんな感動は覚えなかったと思います。

中学時代、ピッコロからフルートに持ち替えて、小学校時代の音楽部の仲間と室内楽を始めました。日曜の朝から中学の音楽の先生とともにバッハのブランデンブルグ協奏曲やベートーベン交響曲 3番 「英雄」を演奏しました。
このころ、学校にあった楽器を借りていろいろ試して見ました。詳細は 2)かじった楽器の数々を参照願います。
中学3年の時には室内楽の仲間全員で 生演奏で「ヘンゼルとグレーテル」の英語音楽劇を演出、編曲、演奏と行い拍手喝采を浴びた覚えがあります。

 音楽からオーディオへの転換
この頃、よく兄弟でギターを演奏したり、フルートとデュオでボサノバを演奏したりして音楽を楽しんでいましたが、フルートやギターにない音を求めはじめ、演奏を総譜を読みながら聞きはじめ、指揮やパイプオルガンの魅力にとりつかれ、バッハの存在を知り、ヤマハのエレクトーンやコルグのオルガンに興味を持ち始めました。いろいろ聞き込んで見ましたがまだ生の音とはほど遠いレベルで、楽器の値段も高く コンピューターを使ったMIDIまで待つことになります。

また、原音の波形を見るオシロスコープの存在やアンプの技術など初歩のラジオ、トランジスタ技術など読みはじめ原音再生の道を歩みはじめ、電蓄がステレオになり、FM放送が始まり、自作でFMチューナーを作ったり、30センチLPレコードを本格的に集めはじめ、オーディオの世界へ趣味が移って行きました。

  胎教音楽   

胎教とは、受胎後3ヶ月頃から1才までの間の胎児や新生児に聞かせる音楽により、精神的に安定した子供が育てられると広尾の愛育病院の院長が言い出した教育方法です。胎児は3ヶ月を越すと確かに母親の体を透して外界から入ってくる音の刺激に反応することが、体験できます。子供を身ごもったと妻に告白された時、母の行った様に胎教として音楽を重要性と感じ、我が子にも音楽を聴かせようと選曲を行いました。
ロックやジャズは不向きと良くいわれています。ゆたったりとしたストリングが効果があり、今は流行の癒し系の音楽はだいたい当てはまります。
我が子には、クラシックをマントバーニが編曲しマントバーニ楽団が豊かなストリングスで演奏する、クラシック集をかけました。車でスキーなどに出かけるとき、このテープをかけると、子供はすぐに安らかに眠るなど効果があります。
胎教の効果がどうか判りませんが、子供3人ともに音楽が好きで、長女は、ピアノとトロンボーン、長男は歌、次女はピアノとユーロホルムを演奏しています。譜面通り教科書の様に弾くよりもむしろ、ピアノや楽器を歌わせる歌心が伝わった様な感じです。長男も音楽の時間に「オーソレミオ」を歌い96点を取りました。4点減点はイタリア語の発音が悪かったと減点された様です。長男もピアノを習っていませんが、時々弾いています。

これから子供を育てる人は、音楽の持つ不思議な力を借りてみませんか?

  MIDI楽器  

MIDIとは、ヤマハ楽器が提唱した音楽の電子化するための書式で、音の高さ、長さ、強弱、ならす楽器の種類等を統一して電子楽器をならす書式です。コンピューターの内蔵された音源ボードをMIDI形式で制御する事により、コンピューターで音楽を奏でることが可能になりました。現在、いくつかの書式があり、音源の設定で一部互換性がありませんが変換テーブルを利用したりする事で、音楽を楽しむことが出来ます。音源は、PCMで取り込んだ生の音を録音したROMを利用したり、ソフト的にコンピューターが演算して作り出したりする方式があります。PCM音源を利用すると、本物の生演奏に近い演奏が可能で、カラオケやバンドの演奏に利用されています。


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