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(*1)は注釈で、その項目の最後に説明文があります。数字をクリックすると、説明へ飛べます。また逆に、説明文の行頭の数字をクリックすると、本文の元の位置に戻れます。
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近年、これほどメジャーになったクリーチャーはいないのではないでしょうか?
その反面、これほど様変わりしたクリーチャーもまた、ないのではないでしょうか?
本来、吸血鬼のイメージは、おどろおどろしく、忌まわしいものでした。
しかし、ハマーでクリストファー・リーがドラキュラ伯爵を演じてから、吸血鬼(特にドラキュラ)は、スタイリッシュで、貴族然としたイメージが付きまとう様になってきました。その辺りから、吸血鬼の花道が引かれた様です。
その他の変遷としては、狼男のみの弱点であったはずの銀の銃弾(*1)が吸血鬼退治にも有効になったり、自分の子供に攻撃を受けた時には、その不死身性が失われる様になった(*2)りしました。
それに加え、時代の流れによって、今まで気にする必要の無かった設定を付け加える必要も出てきました。
十字架の効果を信じないもの(主を信じないもの)がかざす十字架には効果がないとか、異教徒の吸血鬼には十字架は効かないとか。
そして、近年の海外小説で、多くの作家が取り上げるテーマにエイズの問題があります。
まったく、吸血鬼にとっても現代は住みにくい世の中になった様です。
十字架の件は、近代になるにつれ、世界が広がり、キリスト教世界だけでは話が収まらなくなったせいで、これは致し方ないものでしょう。むしろ、その点に目を付け、話を膨らませたことは素晴らしいことだと思えます。
個人的な意見ですが、人間より、より霊的存在である吸血鬼は、精神的に脆い部分を持っているのかも知れません。人の信じる心、特に異質なもの(ここでは吸血鬼)を差別的なまでに排斥しようとする、人間独特の強い心の動きに弱いのだと思います。
また、自分の属する世界の神が体現する、正義(かつては信仰心もあったでしょう)への後ろめたさに負けるのでしょう。
エイズについては、死人であり、魔物でもある吸血鬼に問題があるとは思えません。これは、目新しいものに飛びつくしかオリジナリティを出せない三文作家の苦し紛れの創作にしかみえません。
最後に、あっしが知る、古典的な吸血鬼の特徴をあげておきましょう。
1.太陽光線を浴びると皮膚が爛れ、長時間浴びると灰になる。*1:これも、厳密には聖別されたものでなくてはなりません。具体的には、銀製の十字架(特に、長い間信仰の対象にされた古いもの)を溶かして材料にする事が多いのですが、祝福を授けたものも有効であったとされます。
2.心臓に木の杭を打ち込まれると灰になる。
3.十字架を恐れ、それに触れると皮膚が爛れる。
4.清水の流れを超えられない。
5.鏡に姿が写らない。
6.薔薇の花を枯らす。
7.ニンニクの香りを嫌う。
8.コウモリ、狼、霧への変身能力がある。
9.完全に滅ぼすことは事実上不可能で、何かのきっかけさえあれば、いつでも灰から再生する。
*2:これは、シェイクスピアの有名な戯曲の影響と考えてよいでしょう。悪王たる父を倒すと予言されたのはその息子である、というものです。
もっとも更に遡れば、ギリシャ神話の序盤にその原型が見られますが、ここは劇作と云う点で、シェイクスピアの方が一般に知られているのではないでしょうか。
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回教では、クジャタは4千の目、耳、鼻、口、足を持つ巨大な雄牛としています。その大きさがどのくらいかと云うと、あるひとつの耳から別の耳へ、またはひとつの目からもうひとつの目へ移動するには5百年もかかるほどで、アラーへの畏れがなければ、全ての世界をも呑み込んでしまえるのだ、ともいいます。
クジャタはバハムートの背中に立ち、大地を支えるもののひとつと考えられています。
これは、あっしの知る限り、もっとも最近現れたクリーチャーで、もっともリアルに感じている存在です。
1945年、前半期ごろ、関西地方を中心に「中国地方で、牛の頭をした赤ん坊が生まれ、戦争の終結を予言した」という噂が駆け巡りました。
これは、当時あっしの母も耳にしており、漫画化のとり・みきさんも、そのエッセイの中で、自分の父の聞いた話、として紹介して、他の体験談を募集していたくらいです。
後に、小説化の小松左京さんが、その時のことをモデルに「くだんの母」と云う短編を書いています。(*1)
「件」は、名は体を表すよい例で、「人」と「牛」を合わせた姿なので、そういう名が付けられたといいます。また、現れたのが最近の事件で、広く噂が広まったので、ちゃんと研究分析されています。
一応、第2次大戦も末期の頃で、帝国国民の間にも、(無意識にせよ)敗戦の迫っているのが色濃く感じられていた時期です。
しかし、当時のご時世では、大っぴらにそういう事を口にする訳には行きません。そこで、噂という形で、しかも「敗戦」ではなく、「戦争終結」と噂を「妖怪の予言」と云う形で口にする事によって、心理的バランスを取ったものとされています。
幕末の「ええじゃないか」と似た様な現象と考えていいかと思われます。
また、漫画家の山岸涼子さんは、自作「妖精王」で猜疑心や偽善などの人の悪徳を喰らうクリーチャーとして、人頭牛体の「牛鬼」(*2)のごとき姿の「件」を登場させています。
*1: 実は、あっしが最初に「件」を知ったのは、この小説を漫画化したもので、確か30年近く前の月間少年マガジン辺りに掲載されたものと記憶しています。出来れば、もう一度読んでみたいと思っていますが・・・
*2:「牛鬼」については、現在古典的伝承の資料が手元にないので、独立した項目としては扱いませんが、姿の記述は「人頭牛体」であると、はっきり記憶しています。しかし、漫画家の水木しげるさんは、自作「ゲゲゲの鬼太郎」で、「牛頭蜘蛛体」の牛鬼を登場させています。
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元は、ベヒーモスと同じクリーチャーです。
ベヒーモスの説話はアラビアに入り、そこで(主に回教徒の手によって)バハムートとなりました。
大魚にされ、背中に雄牛(クジャタ)、ルビーの山、天使、6つの冥府、そして大地を重ねて置かれてしまいます。インド神話で云う、大地を支える象の下の大亀の様ですね。
更にバハムートの下には大海が、大海の下には広大な空気の奈落が、その下には火があり、火の下には一匹の大蛇がいることになっています。
バハムートは激烈な光を発するため、人間はその姿を見る事に耐えられないと伝えられています。世界中の海を鼻腔のひとつに置いても、その大きさは砂漠に置かれたひとつぶの芥子の種と同じに見えるくらい大きいのだそうです。
有名な「千一夜物語」にはイサ(イエス)がバハムートを見る機会を与えられる話があります。彼はその後三日三晩、人事不省に陥り、三日目にようやく意識を取り戻したとあります。
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紀元前4世紀には、ベヒーモスとは象、ないしカバを誤って巨大に伝えたものだったそうです。
今日では、後に聖書(ヨブ記 第40章15-24節)に記述された姿が定説となっています。
それによると、尾は西洋杉の様に硬く、骨は青銅の様で、軟骨でさえ鋼の板の様なのだそうです。勿論、大変力も強かった様で、他の獣に供物をささげさせていたそうです。
フライ・ルイス・デ・レオンの著作「ヨブ記注釈」によると、ベヒーモスはヘブライ語で「獣達」という意味で、学者の通説によると、これは「象」を意味し、その並外れた大きさ故に複数形で呼ばれるのだ、といいます。
また、バハムートはベヒーモスが原型となった同じものです。
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