音楽




音楽に縁のある元帥



 元帥たちの音楽の才能についてはそれほど詳しく知られていない。音楽を理解していた(à l'oreille musicale)ネイは、少なくとも1800年にはクラリネットを演奏できた。少なくとも3人はヴァイオリンを弾くことができた――ヴィクトール(ただし彼はクラリネットの演奏能力を買われて入隊した)、マルモン、そしてサン=シールだ。ブリュヌも音楽に縁のある人間だったと思われる。マルモンは若い頃は「音楽と演劇(la musique et la bonne comédie)」を好んでおり、晩年にはヴァイオリンを引っかくことしかできないのを悲しんでいた。「若い士官にとって、特に彼がよい教育を受けていてそれによって職務を犠牲にせずに済むのなら、楽器を演奏することは新たな交友を広げるための大きな資産となる」。マルモンは華やかな社交の中で演奏することについて話していたが、サン=シールは帝国の金ぴかな連中を払いのけて、1812年の陰鬱な夜を一人座って数時間過ごす間、彼自身を慰めるためにヴァイオリンに熱中した。その時、ドゼーは既に亡く、モローはもはや武器を身につけず、フランスにとって不吉な年が早足で迫りつつあった。音楽はナポレオンにとっては不愉快なものだった。彼はヴァイオリンの高音には耐えられず、メユールに対してアルトかヴィオラよりより高い音域の弦楽器を持たないオーケストラを使ったオペラを書くよう求めた。この問題に対してウェリントンは優れた実例を示した。彼はかつてヴァイオリンをしばしばよく弾いたが、自身の職業に真剣に打ち込み始めた時に、「最も音楽好きな貴族」と呼ばれた父親から受け継いだ汚点がもたらす危険に気づき、兵士の特技としては相応しくないと考えて彼のヴァイオリンを燃やした。ちなみにメユールがナポレオンに対し、彼がイタリアの音楽を最も評価していることに不満を述べたところ、皇帝は「例えばメユール、そなたは高い評判を得ているが、そなたの音楽は私を苛立たせるのだ(C'est comme vous, Méhul, vous avez une haute réputation, mais votre musique m'ennuie)」と答えた。軽率なメユールは「だからどうだって言うんです(Eh, qu'est-ce que cela prouve?)」と言い、その後で誰に向かって話しているかに気づき、これで永久に不興を買ったと信じて逃げ出した。ナポレオンはこの無礼な発言に物も言えないままだったが、結局は大目に見ることにした。

 翻訳者註:グーヴィオン=サン=シールが1812年にヴァイオリンを弾いていたという話はマルボから引用したものかもしれない。マルボは回想録の中でグーヴィオン=サン=シールがポロツクの戦いで勝利したその夜にヴァイオリンを弾いていたと主張している。ただし、David Chandler編の"Napoleon's Marshals"の中でグーヴィオン=サン=シールの伝記を記しているPhilipp Coates-Wrightは、戦闘後のグーヴィオン=サン=シールはナポレオンへの報告書を記すのに忙しく楽器を奏でる余裕はなかったとして、マルボの記述を否定している。
 また、この項目にはいくつものフランス語が出てくるが、翻訳が適切かどうか自信がない。メユールの発言については「ネイ元帥」サイトを主催しているrougeaud1769氏の指摘を参考にした。



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