信仰



 彼らの宗教的見解についてはほとんど知られていないが、第一次王政復古下でスールトが示した熱心さを深刻に受け取る必要も、第二次王政復古下でヴィクトールによって与えられたシャルル10世の政策を支持する必要もない。スールトはプロテスタントだった妻とうまくやっていた。共和政期も、ナポレオンが軍に狂信者は必要ないと述べていた帝政期も、宗教は軽んじられていたし、ド=フェザンサックによるとナポレオンは宗教の点で不安は抱いていなかったという。それでも、正直な心の持ち主であるルフェーブルは戦闘を行う前に感謝の祈り(action de grâces)を捧げたことを認めて恥じなかったし、他の者たちも疑いなく小さい頃の教えを忘れてはいなかった。将来の元帥たちのうちプロテスタントだったのはベルナドットだけである。少なくとも彼はスウェーデンに行った時にはアウグスブルクの信仰告白を受け入れたと述べていたし、後には生まれた時からプロテスタントだと言い張った。彼の苗字がプロテスタントの中に見られるのは事実だが、彼は生まれた時には正式なカトリックの洗礼を受けていた。

 翻訳者註:フランス革命期には宗教に対する厳しい弾圧が行われ、ナポレオンが政権を握った後でカトリックとの間で和解(コンコルダ)が結ばれたことはよく知られている。ただ、Phippsが指摘するように、この時代はそれ以前に比べて宗教が争点になることはあまりなかったようだ。フランス革命期には大勢のフランス人が国外へ亡命したが、ジャック・ゴデショによると亡命者の数は15万人。ナントの勅令廃止後に生じた20万人の亡命者に比べれば規模は限られている。


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