所属兵科




幕僚部


歩兵


騎兵


砲兵



 将来の元帥たちが旧制度下でどの兵科に属していたかを正確に定めるのは技術的に多少の困難がある。例えば、マルモンは1792年3月1日まで砲兵部隊には所属していなかったが、それでも以下の分類は実際的な目的には役立つだろう。幕僚部からはおそらくベルティエが元帥となり、騎兵からは既に年齢を重ねた二人の士官、即ちケレルマンとグルーシー、及び若い士官としてダヴーが出てきたほか、兵士として過去に奉職していたオージュローと、1791年時点でも引き続き兵士であったミュラとネイがいた。モンスイも騎兵の一部隊であるジャンダルム(Gendarmerie)に奉職していたものの、彼については革命が始まる前に最も多くを過ごした兵科に入れるべきだろう。従って歩兵出身者は士官としてはマクドナルド、モンスイ、ペリニョン、そしてセリュリエと、兵士としてはベルナドット、ルフェーブル、そしてスールト、さらに既に兵役を離れていたジュールダン、マセナ、ウディノがいた。グルーシーが経歴の最初に名目的に砲兵とつながりを持っていたことを除けば、砲兵出身の元帥はマルモンとヴィクトールの二人だけだが、同じ兵科からはナポレオンも出た。しかし、もし元帥たちが元帥杖(bâton)を手に入れた時点で最も経験を有していた兵科を選ぶのなら、そして“歩兵”が各兵科の複合部隊を含むのであれば、その場合はベルティエは幕僚部、ケレルマンとグルーシーは騎兵、そしてマルモンは砲兵出身者として師団や軍を指揮した。ベシエールとミュラは純粋かつ単純に騎兵士官と言える。残り全員(1791年時点で民間人だった6人も今や含められる)、つまりオージュロー、ベルナドット、ブリュヌ、ダヴー、ジュールダン、ランヌ、ルフェーブル、マクドナルド、マセナ、モンスイ、モルティエ、ネイ、ウディノ、ペリニョン、サン=シール、セリュリエ、スールト、スーシェ、そしてヴィクトールは、いずれも歩兵勤めから出世したことになる。しかしこの分類は、ネイとダヴーが1791年以降にどれだけ騎兵として経験を積んだかを思い出さない限り十分に満足のいくものではない。1792年までに将来の元帥たちのうち4人が王の近衛隊に所属したことがあり、うち2人は旧制度(ancien régime)の近衛隊であるMaison du Roiに、2人は短期間しか存在しなかったいわゆる立憲君主制下でGarde constitutionnelleにいた。グルーシーはMaisonの騎兵部隊である近衛連隊(Gardes du Corps)のCompagnie écossaiseにいたことがあり、ルフェーブルはMaisonの歩兵部隊であるフランス衛兵隊に属していた。ベシエールとミュラは新たな部隊であるGarde constitutionnelleの騎兵部隊に兵士として奉職していた。他にモンスイが極めてMaisonに近いところにおり、国王の命令のみに従うGendarmerie de Franceの中隊に所属する兵士だった。彼がその部隊を追い出されたのは事実であり、ミュラもまた事実上、近衛隊を解雇された。また、Maisonの士官たちに対してほとんど共感を抱いていなかったグルーシーがその部隊を去ることをほのめかした疑いもある。ルフェーブルとベシエールの所属していた部隊はやがて解散されたが、その後ルフェーブルがいくらかの(そしてベシエールは極めて密接な)帝国親衛隊との関連をもったのも十分頷けるであろう。

 翻訳者註:元帥を輩出していない兵科として工兵がある。工兵出身の有名人にはフランス革命時に公安委員を務め戦略立案に携わったラザール・カルノーがいる。


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