出身地





 これらの人々の出身地のリストはそれなりに興味深いものであろう。まずフランス北部から見ると、パリ(セーヌ)出身者としてオージュローとグルーシーがいる。ベルティエはヴェルサイユ生まれだ。そして北東部では、モルティエがル=カトー(ノール)、ダヴーがアヌー(ヨンヌ)、マクドナルドがセダン(アルデンヌ)、セリュリエがラオン(エーヌ)、そしてマルモンがシャティヨン=シュール=セーヌ(コート=ドール)の出身だ。
 東部ではケレルマンがストラスブール(バ=ラン)、ルフェーブルがリューファシュ(オー=ラン)、モンスイがパリス(ドゥー)、ネイがザール=ルイ(モーゼル)、ウディノがバール=シュール=オルネンあるいはバール=ル=デューク(ムーズ)、サン=シールがトゥール(ムールト)、そしてヴィクトールがラマルシュ(ヴォージュ)の出身である。
 以上のうちモンスイ、セリュリエ及びヴィクトールを除いた全員はいずれも最初は北部戦線で従軍した。ただし、マルモンはすぐ南部へ異動になった。
 フランスの中央部出身者としては思うにリヨン(ローヌ)近くで生まれたスーシェ、ブリーヴ(コレーズ)生まれのブリュヌ、リモージュ(オート=ヴィエンヌ)のジュールダンを上げることができるだろう。このうちスーシェは南部戦線で従軍した。ブリュヌは多くの時間をパリと北部で費やした後で、1796年になって真の戦闘をイタリアで経験した。ジュールダンだけが北方の軍に所属していた。
 南方ではベルナドットがポー(バス=ピレネー)、ベシエールがプレイザック(ロット)、ランヌがレクトゥール(ジェール)、ミュラがラ=バスティード=フォルティニエール(ロット)出身で、ユダヤ人の家系であるマセナはサルディニア王の領土だった時のニース(アルプ=マリティーム)に生まれ、ペリニョンはグレナード(オート=ガロンヌ)、そしてスールトはサン=タマン=ラバスティード(タルン)の出身だった。
 厳密に古い州の地域にこだわるのなら、ガスコン生まれの者はランヌだけになる。
 ネイ、ウディノ、サン=シール、ヴィクトールはロレーヌ、ケレルマンとルフェーブルはアルザス出身だ。後者のいずれも、少なくとも1792年時点では、完全なフランス語を話すことができなかった。両親のどちらもスコットランド人だったマクドナルドは、生まれも本籍地もフランスである。


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