ワーテルロー
ウィレム皇太子の報告



 ウィレム皇太子のワーテルローの戦いに関する報告

 ブリュッセル、1815年6月22日

 17日午前2時に私がニヴェールの司令部から陛下に報告を差し上げる栄誉を担った16日の戦いの後、ウェリントン公はプロイセン軍と戦線を維持するため、朝から移動を行い、結果として軍はワーテルロー前面の高地に陣を敷き、そこで野営しました。軍の移動に追随してきた敵騎兵は様々な攻撃をしましたが英国騎兵によって損害を蒙り撃退されました。
 18日夜明け、我々は正面に敵を見ました。10時、敵は攻撃布陣を取りました。ブオナパルテの軍は第1、第2、第3、第4、第6の各軍団と親衛隊、騎兵のほぼ全軍と数百門の大砲で構成される砲兵部隊から成っていました。11時頃、敵は小さな砲兵隊の姿を見せ、その砲撃に掩護されて散兵が我が軍右翼に向かって前進し、そして直後に敵の攻撃は右翼正面の少し離れたところ、ニヴェール街道の左側にある雑木林に囲まれた農場に振り向けられました。敵はこの農場を奪取するため最も猛烈な、しかし成果のない攻撃を行いました。正午には砲撃が激しくなり、12時半前に戦いは全戦線に広がりました。フランス軍は繰り返し我が軍の両翼を攻撃しましたが、その主な目標は我が軍中央右側を突破することにあり、目的達成のためあらゆる手段を尽くしていました。いくつかの敵騎兵縦隊は我々に向かって大胆に前進しましたが、想像もできないほどの激しさで午後3時から会戦終了まで攻撃を繰り返したにもかかわらず、暦は我々の戦線を同様させるのに決して成功しませんでした。敵は絶えず方陣からの射撃と我が騎兵の突撃によって撃退されました。特に最後の6時間、彼らが戦った激しさを陛下に描写するのは不可能です。
 不幸にも私は敵が敗北する半時間前に左肩に銃弾を受け、戦場を去ることを余儀なくされたため、この栄誉ある重要な会戦の最後を見ることはかないませんでした。
 陛下の兵たち全てが偉大な勇気をもって戦ったことをご報告できるのは最も満足とするところです。騎兵突撃の中ではカラビニエ騎兵旅団が特に注目に値しました。シャッセ中将の師団は遅くなるまで交戦しませんでした。そして私自身が戦線中央を去らざるを得なかったため、私はその日、第2軍団を指揮する将軍ヒル卿の指揮下に部隊を置きました。この師団もまた勇敢に行動し、シャッセ中将と2個旅団の指揮官は義務を十分に遂行したと聞いています。
 現時点では報告を受けていないため、陛下に我々が蒙った損害の詳細を伝えることはできません。しかしながら深い悲しみと伴に、私はそれがかなりのものであったと宣言せざるを得ません。
 私は副官のヴァン=ホーフトにこの報告を陛下に伝えるよう命じました。彼に十分な配慮をいただけるようお求めします。

 (サイン)ウィレム、オラニエ公

 Napoleonic Literature "Waterloo Excerpts"


――関連史料に戻る――