キャトル=ブラ
ウィレム皇太子の報告



 ウィレム皇太子のキャトル=ブラの戦いに関する報告

 司令部、ニヴェール、1815年6月17日
 午前2時

 15日早朝、プロイセン軍が攻撃を受けてその陣を放棄し、シャルルロワからゴッサリーを経由してフルーリュス周辺まで退却しました。攻撃の知らせを受けるや否や、私は麾下の軍団に必要な命令を下しました。プロイセン軍がいなくなったため、15日夕方5時にフラーヌ村を占拠していたオラニエ=ナッサウ大隊と軽砲兵中隊が攻撃を受けました。この兵たちはキャトル=ブラと呼ばれる村の高地の陣を保持しました。バイラント少将麾下の旅団が他の部隊の到着までニヴェールを離れることができなかったため、第2師団の一部だけがそちらへ移動することができました。
 昨日朝5時からこの場で散兵の射撃が始まり、決着がつかないまま双方とも昼までそれを続けました。2時頃から特に騎兵と砲兵による攻撃が一段と厳しくなりました。ヴァン=メルレン将軍麾下の軽騎兵旅団は4時まで到着できず、それまで私は敵に対抗する騎兵を持ち合わせていませんでした。キャトル=ブラと呼ばれる街道上の高地を保持することが極めて重要だと見た私は、幸運にもそこをあらゆる面で戦力的に優勢な敵に対しそこを確保することができました。
 デルロンとレイユ将軍麾下の2個フランス軍団に攻撃を受け、それを食い止めるのに成功したため、ウェリントン公は敵の計画を失敗させるのに十分な兵力を集める時間を得られました。この攻撃は、夕方9時まで続いた極めて執拗な戦いの後に、結果として敵を食い止めただけでなく撃退すらしました。
 同様に昨日攻撃を受けたプロイセン軍はその主要陣地を保持しました。そして疑いなく、かなりの軍勢を持つナポレオンは全戦線で攻撃を仕掛けてくるでしょう。
 我々の兵たちは戦場で野営しました。ナポレオンが本日も昨日の計画を実行しようと試みる可能性を見込み、私もすぐにそこへ向かいます。ウェリントン公はこの地点に集められる限りの兵力を集めています。
 陛下の兵たち、特に歩兵と砲兵が偉大な勇気をもって戦ったことをお伝えできることに私は大いに喜びを感じています。
 各部隊から損害に関する報告を受け取るのは無理な情勢であり、陛下にそれをお伝えすることはできません。しかし、できる限り早くそうするつもりです。

 (サイン)ウィレム、オラニエ公

 Napoleonic Literature "Waterloo Excerpts"


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