ワーテルロー
グルーシーの報告



 グルーシー元帥の報告書

 1815年6月20日、ディナン

 サン=ランベールの方面へ行軍しビューロー将軍を攻撃せよとのダルマティア公の手紙を私が受領したのは、6月18日の夕方7時以降でした。我が軍はワーヴルへの行軍中に敵と接触し、敵はすぐワーヴルへ追い込まれました。ヴァンダンム将軍の軍団はその町を攻撃し、激しく交戦しました。ワーヴルのうちディール河右岸の部分は奪取しましたが、対岸へ進出するのはさらに困難でした。ジラール将軍は河を渡るためにビールジュの風車小屋を奪うという失敗した試みの間に胸に銃弾を受けて負傷し、町を攻撃したエクス将軍は戦死しました。こうした状況下で、この重要な日に陛下の軍と協力するべく急いでいた私は、ビューローに対して行軍すべくディール河を押し渡るため多くの部隊を分派しました。その間ヴァンダンム軍団はワーヴルと風車小屋への攻撃を継続しました。敵はそこから進出しようとする意図を見せましたが、その試みが可能だとは思えませんでした。私はリマールに到着し、河を渡り、そしてヴィシュリー師団と騎兵が丘を攻略しました。夜のためそれ以上前進することはできず、陛下が戦闘をしている方角からの砲声はもう聞こえませんでした。
 私はこの状況下で夜明けまで動きを止めました。ワーヴルとビールジュはプロイセン軍が占拠しており、今度は彼らが18日朝3時から私が置かれた困難な情勢から優位を得ようと攻撃を仕掛け、私を谷間に追いやり、進出してきた大砲を奪って、我が軍を再びディールを渡って退却させようとしました。彼らの努力は実りませんでした。プロイセン軍は撃退され、ビールジュ村は奪われました。勇敢なペニー将軍が戦死しました。
 ヴァンダンム将軍は麾下師団の一つにビールジュで渡河させ、簡単にワーヴル高地を攻略し、我が全戦線において勝利を完成させました。ロジエルヌ前面にいてブリュッセルへの行軍を準備しているとき、私はワーテルローの敗戦という悲しい知らせを受けました。情報を伝えた士官は陛下がサンブル河へ退却したことを知らせましたが、私がどこへ向かって行軍すべきか具体的な場所を示すことができませんでした。私は追撃を止め、後方への移動を始めました。退却している軍は私に従うことを考えませんでした。敵が既にサンブル河を渡り我が軍の側面にいるのを知り、また指揮下にある軍を危険に晒すことなく陛下の有利になるような陽動をするだけの戦力がないこともあって、私はナミュールへ行軍しました。この時、部隊の後尾が攻撃を受けました。後尾左翼が思ったより速く後退をしたためしばらくその左翼が危険になったのです。しかし、すぐに全て適切な配置に戻り、敵に奪われた2門の大砲は勇敢な第20竜騎兵連隊によって奪回され、おまけに彼らは敵から曲射砲1門を奪いました。我が軍は損害なくナミュールに入りました。そこからディナンへ伸びる長い隘路は一つの縦隊しか行軍できないうえ、多くのけが人を運ぶ困難もあり、橋を爆破する手段もなかったため、少なからぬ間、町を持ちこたえることが必要でした。私はヴァンダンム将軍にナミュール防衛を指示し、彼はいつもの勇敢さで夕方8時までそこで持ちこたえました。かくして何も背後に残すことなく、私はディナンを占領しました。
 ナミュールでは非常に頑強な抵抗が行われ、敵は攻撃に際して数千人を失いました。兵たちは称賛に値する態度で義務を果たしました。

 (サイン)ド=グルーシー

 Napoleonic Literature "Waterloo Excerpts"


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