トゥールコアンの戦い
ボノー将軍の報告



 北方軍――ボノー将軍から派遣議員リシャール及びシューデューへ。

 市民議員殿、あなた方が共和国軍の収めた成功に置いて果たした役割を信じている私は、本日私が指揮する師団において生じた先頭につき急ぎ報告を送ります。スーアン将軍から受けた命令に従い、私は午前8時前後にラノワとルーベを攻撃しました。敵は当初は強い抵抗によってそこを維持しようと欲していました。砲撃は最初は双方とも激しいものでした。私が指揮する共和国軍はすぐそれを終わらせました。私が突撃を命じるより前に、皆が要塞と町の門に殺到していました。そして恐れをなした敵はいくらかの射撃の後に降伏を申し出ました。戦争の規則に従うなら、強襲によって落ちた彼らは刃にかけるにふさわしいものでしたが、あらゆる国民にフランス共和国兵は戦闘においてのみ恐れるべきものであると教え示すため、私は寛大であるべきだと信じました。300人近くのヘッセン兵が我らの手に落ち、多くが城壁と町の中で戦死しました。中央が最初に動いた時、我々が町を囲んでいる間に第6ユサール騎兵連隊が突撃しました。この突撃によって何頭かの騎兵用馬匹と4門の大砲及び弾薬庫が手に入りました。他にも敵が逃走している間に獲得したものがあり、町の中でも4門[の大砲]を見つけました。
 ルーベへ行軍したノエル将軍の方も300人の捕虜を得、22門の大砲と装備全てを含む敵の砲兵隊を奪いました。
 そこから結論するなら敵はおよそ1000人の捕虜と、同じくらいの死傷者を出し、大砲50門近くを失っています。私の方は戦死25人、負傷50人もいないと信じています。もし私の兵が昨日終日戦って非常に疲れていなければ、私はさらに敵を遠方まで追撃していました。彼らは完全な壊走状態にあり、さらに損害が出ていたでしょう。しかしながら私はルーベとラノワの陣地、及び右翼の旅団とアスク、アナップ及びエムの森方面にいる私の側面騎兵を保持した方が望ましいと信じています。
 パーキン将軍は膝を撃ち抜かれて負傷しました。

"Réimpression de l'ancien Moniteur, Tome Vingtième." p525


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