ネールヴィンデンの戦い
デュムリエ将軍から陸軍大臣への手紙



 ティルルモン[ティーネン]、3月19日。

 大臣殿、私が蒙ったばかりの破滅的な失敗について説明しなければならないのはとても苦痛です。あなたは私の昨日の手紙に記した予感がこの点で正しかったのを見ることになるでしょう。ナミュールの危機と1万人の部隊がブリュッセル及びルーヴェンへ接近しているとの情報を得て、私は敵をネルヴィンゲン[ネールヴィンデン]の宿営地から追い払うことでのみ共和国を救えると考えました。私は敵の左翼を攻撃する計画を立てました。中央の師団はネルヴィンゲンを、ミランダとシャンプモランが指揮する左翼は××村を攻撃しました。右翼と中央は、その歩兵が2度撃退されネルヴィンゲンの村から追い出されたものの、いくらかの成功を収めました。左翼の攻撃はより不幸な結果になりました。ティルルモンの背後からおそらくはさらに後方まで、退却は混乱の中でなされました。砲兵を指揮していたミクリン准将[maréchal-de-camp]は戦死し、他に2人の将官が負傷しました。この退却、というよりむしろこの逃走の過程で、我々は多くの兵と12ポンド砲3門を含むいくつかの大砲を失いました。私はこの壊走に気づかず、勝利を補完するべく翌日の攻撃を意図していた時、それまでミランダから何の情報も得ていませんでしたが、彼が退却し、夜になって私が勝利を得た軍の一部と伴に取り残されたことを知らされる情報を左翼から得ました。ティルルモンまで来た際に、全く部隊を見かけなかったのに驚きました。私はミランダに、退却を援護するためサント=マルゲリートの丘に改めて陣を敷くよう命じました。負傷し、ちょうどブリュッセルへ出立したばかりのヴァランスの手紙をあなたに送ります。私はブリュッセルとマリーヌ[メヘレン]を守るため再びルーヴェンの宿営地に布陣し、そこで救援を待ちます。
 大臣殿、害悪と無秩序が頂点に達していることをご理解ください。略奪と無規律によって住民たちを我々に対して立ち上がらせてしまった地域におけるこの退却がもたらす破滅的な結末を私は恐れています。私に対して多くの信頼を寄せてくれた軍を救うためできることは何でもします。私は軍法会議についても言及しておきます。最も厳しい取調べにも極めて率直に従いますし、私の行動について軍法会議で裁くことも自ら求めます。私の犠牲が自由のために役立つなら幸せすぎるほどです! 祖国のための戦いにおいて戦闘員として倒れるか、あるいは祖国によって有罪とされるなら、私は同胞による、あるいは後世による裁きを恐れるものではありません。
 大臣殿、損失はかなりの数に上っています。おそらく2000人になるでしょう。私は世界で最も勇敢な兵士たちを評価します。しかし彼らには士官が、特に経験を積んだ士官が不足しています。選挙[による士官選出]という手法を禁止することを提案します。選挙では才能を見出すことも、信頼を命じることも、服従を得ることもできません。

 署名デュムリエ。

"Réimpression de l'ancien Moniteur, Tome Quinzième." p759-760


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