ホーエンリンデンの戦い
ウィッカムの報告



 (ウィリアム・ウィッカムからグレンヴィル卿への手紙の抜粋。ミュールドルフ、1800年12月4日)

 軍は火曜日[2日]夜と、昨日[3日]夜明け前にホーエンリンデンに向け3つの縦隊で行軍しました。中央はホーエンリンデンを通るミュンヘンへの主要街道上を、右翼と左翼は森の中、主要街道の各側面を移動しました。
 敵を側面から攻撃する予定だったキーンマイヤー将軍の部隊はドルフェンからシュヴァーベン方面へ行軍しました。
 各縦隊は夜明け前に、さもなくば少なくとも8時から9時の間に、目的地に着くことになっていました。しかし夜の間と午前中の大半で続いた激しい雪とみぞれのため、中央の縦隊のみが8時に目的地に到着し、左翼と右翼はいずれもかなり後方に残されていました。加えてリーシュ将軍麾下の左翼は道に迷い、右のホーエンリンデンの方角へ向かう代わりに左のエーバースベルクへと行軍しました。
 この状況下で、リシュパンス将軍の[フランス軍]師団が9時に左翼と中央の間に突入したようで、中央部隊の背後で主要街道に進み、中央縦隊が正面で戦列を組み敵陣地への攻撃を始めたばかりの時に彼らの左側面と後方に襲い掛かりました。
 その後、何が起きたかについては何ら正確な情報を得られていません。どうやら混乱はすぐ回復不能なほどになり、ラムザウ高地への退却は特に砲兵に多大な損害を生み出しました。スパニオルキ[スパノッキ]将軍とロッパート[レッパート]将軍は捕虜となりました。他に同じ階級の士官が失われたという話はまだ聞いておりません。
 キーンマイヤー将軍は行軍中にエルディングから来た2個師団に攻撃され、主力軍を襲った惨劇を知って彼が整然とイーゼンへ向けて行った退却の際に、酷い損害を受けました。

"A Collection of State Papers, Vol. X." London Gazette, p89


――関連史料に戻る――