ホーエンリンデンの戦い
ラオリー准将からデカーン将軍へ(12月3日)



 アンツィンク、共和国暦9年雪月12日(1800年12月3日)朝

 敵は昨日夕方、かなり多くの歩兵、騎兵及び砲兵部隊で、実際にホーエンリンデンに向かった。
 グランジャン将軍は街道をカバーするため、ホーエンリンデンの背後で最後まで立ちはだかるよう命じられた。同時にホーエンリンデンからツォルネディンクへの街道、さらに可能ならエバースベルクへの街道までカバーするよう、右翼側を偵察する。ただしこれらの出口を少しばかりカバーするのがふさわしくないかどうかの判断について、司令官はあなたに委ねることとする。またリシュパンス将軍は、ザンクト=クリストフを経てマテンペート[マイテンベート]へと素早く積極的に攻撃を行い、ハークからホーエンリンデンまでの連絡路を支配するべくあらゆる努力を払うよう命じられている。
 戦友よ、移動を急がせ大いに積極的にリシュパンス将軍に追随するよう、あなたに促す必要はないだろう。日中の短さゆえに早く戦わなければならない。
 もしあなたの連携した移動が成功すれば、敵はホーエンリンデン街道上での試みに対して多くの犠牲を払うことになるだろう。
 ホーエンリンデンにいることになるであろう司令官に、可能な限り頻繁に情報を伝えるように。敬具。

 追伸。リシュパンス将軍がクリストフからマイテンベートへと向かえないことがあり得るため、もしそうなったら後者の地点より左側、ホーエンリンデンにより近い出口へ向かうよう命じられている。彼がそう伝えてくるだろうから、その時は彼の移動に追随するように。だがまずはマテンペートへたどり着くためあらゆる努力を払うよう、彼は命じられている。

"Campagne des Français en Allemagne. Année 1800" p412


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