ホーエンリンデンの戦い
アルディから妻への手紙



 ミュンヘン、雪月12日(12月3日)

 ミュンヘンを出発して以来、私は常に馬上にあった。昨日は朝6時から夜まで続いた本格的な戦いがあった。敵の戦力は我々の3倍で、攻撃地点で抵抗したのはネイ師団と私の師団のみだった。我々は獅子のように戦い、これほど少数の兵では陣地を持ちこたえられなくなったところで初めて陣地を変更した。
 我々は2日か3日以内に復讐するだろう。昨日、歩兵を率いて3度目の前進をしている時に左手を銃弾に貫通されてしまったため、私はそれに参加できない。私の傷は危険ではないが、治るには長い時間がかかるだろう。
 次の手紙でより詳細を書くことにする。かなり疲れており、休みが必要だ。
 心から君と、私たちのかわいい子供たちを抱きしめよう。
 追伸。私は素晴らしい外科医のいるミュンヘンに戻ってきた。

 雪月13日(12月4日)

 (前略)
 軍は既に復讐を行った。昨日、我々は敵を完膚なきまでに破った。モローはヨハン大公の試みを断ち切った。彼は3人の将官、2人の大佐を含む6000人の捕虜を得て、大砲80門と弾薬箱300個を奪った。1万人の部隊が森の中で罠に嵌り、武器を捨てることでかろうじてそこから抜け出した。
 我が友ネイとリシュパンスが驚嘆と恐れのなさを示したと聞いている。
 大公が率いた中央の大縦隊がミュンヘン街道、ホーエンリンデンの森を抜ける長い隘路に入った。そこには素晴らしいハンガリー歩兵、砲兵装備、騎兵予備が全ていた。ネイはこの側面縦隊を彼の師団の半数で猛烈に攻撃し、リシュパンスはたった1個半旅団、第48とともに彼らの後尾を襲撃した。
 道路から分遣されたハンガリー3個大隊は、散兵の群れを先行させながら森から出撃し、密集した縦隊でリシュパンスを攻撃した。
 将軍はサーベルの切っ先でハンガリー兵を指し示しながら叫んだ。『第48の擲弾兵たちよ、やつらをどうしてくれようか?』
 500人の声が答えた。『戦死させよう』
 そして彼らは銃剣を構え、敵の前に駆け寄った。敵は勇敢だったが味方によって倒され、既にネイから逃げてきた者たちがあふれている隘路へと追い込まれた。
 こうやって壊走が始まった。
 捕虜は今も私のいる窓の下を通り過ぎている。
 これは数日のうちに起きるであろうことの前触れにすぎない。手紙が失われるかもしれないためあなたに言うことはできないが(秘密にしなければならないので)、ボナパルトはこれから決定的な一撃を与えるだろう。3週間もしないうちに戦役は終わり、戦場で講和が署名されるだろう。
 私は半月早く怪我をしてしまったことを心から悔やんでいる。幸運なことに怪我をしたのは左手だ。あなたに手紙を書くための右手は残されている。全ての手紙が私の知らせをあなたに届けるだろう。
 ボナパルトは改革をすると明白に述べている。戦争で戦ったものは全て自動的に残るはずだ。改革が及ぶのは過去8年から9年にわたってパリで、政治家たちのロビーでいい仕事にありついていた者や、あるいは負傷したり殺されたりする恐れのない場所で仕事を得られるよう企んでいた連中だけだ。
 多くの者たち同様、私は戦争で財産を築いていない。だが私の立場は尊敬されながら生きていくには十分だろう。
 私は極めて落ち込んでも悲しんでもいないが、深く哀愁を感じている! 食欲はあり、数日のうちにもう食事制限も必要なくなるだろう。
 今ほど、私と同じ運命に遭った2人の将軍がミュンヘンに到着した。1人は准将のワルテで、もう1人は雪月12日に私の師団を指揮したバストゥールだ。彼は足を失う危険がある。もう一人は撃たれた。

"Correspondance intime du général Jean Hardy" p227-233


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